051:定められた道
コツコツと靴の音が反響する。
皆が黙ったまま、大神官の後を追って行った。
長い廊下であり、大きな窓から陽の光が差し込んでくる。
赤い絨毯が永遠と続いていて、等間隔に花瓶と花が添えられていた。
その花の色は白で、あまり花に詳しくは無いが綺麗だと思った。
長い廊下を進んでいけば、黒檀の扉に辿り着く。
白や比較的明るい色を使っていた神殿内で、黒い扉というのは少し異質に感じる。
大神官はそんな俺の疑問に気づくことなく扉を開けて中へと入って行く。
俺たちも大神官を追って中へと入れば――中々に見ごたえのある光景が広がっていた。
「……すげぇな」
「わぁ」
「……メリウスか?」
ヴァンは目の前の光景に圧倒されて。
ミヤフジは感嘆の息を吐いていた。
俺は石像を見て、メリウスでは無いかと思ってしまう。
飾られている石像は無数にあり。
そのどれもが人間と言うよりはメリウスに近い見た目をしていた。
背部のスラスターや手に持った武装類。
どこからどう見てもメリスウであるが、それらの機体を俺は全く見た事が無い。
似ているものはあるかもしれないが、完全に一致するものは何一つなかった。
そんな俺たちの反応を見て大神官はくすりと笑う。
「これらは英霊像……過去の英傑たちを模した石造です」
「……こんなに存在したんですか?」
「えぇ……と言っても我々は創造主様の意思を受けて作り祀っているだけですがね」
大神官はそう言って寂しげに笑う。
創造主の意思を受け取り作ったが、彼にはこの石造の一つであっても理解は出来ない。
彼はそれを悲しんでおり、不甲斐ないとさえ思っているのだろうか。
大神官はゆっくりと手を前方に向ける。
「もうすぐです……あちらですよ」
大神官は再び歩き始めた。
俺たちは周りの石像を見ながら、黙ってついて行く。
この広い部屋に飾られている無数の石像。
まるで、その一つ一つが生きているようで。
何故だかは分からないが、その石像から発せられる空気を感じていた。
これは圧か殺気か……いや、分からない。だが、とても強い力だ。
形容しがたい何かであり、それはヴァンたちも感じている様だった。
SPに周りを固められながら、俺たちは大神官の後をついていく。
奥へ奥へと進み……彼はゆっくりと足を止めた。
その頭上にはガラスが張られていて、温かな日の光が降り注いでいる。
シミや汚れ。埃の類は一切なく、手入れが細かく行われていた。
他から感じた圧はまるで感じず。見ているだけで心が和むそれ。
俺たちは目の前のそれを見ながら、心の声を口から発していた。
「……これは?」
「……綺麗な女性ですねぇ」
「……美人だ。俺ならナンパしてるな」
「――おい」
大神官の前にあるのは無数の石像とは違う石像で。
それは他の石像のような機械的な見た目では無く、完全に人の形をしていた。
白衣らしきものを身に纏い、ポケットに手を入れていて。
表情はよく分からないが笑っているような気がする。
それは女性であり、石像でありながら端正な顔立ちをしていると分かった。
長い髪のスラッとした女性の石像。
他の石像とは毛色が違っていて、俺は不思議に思った。
此処に飾っている英霊と同じか、それ以上の存在だろう。
そう思ったからこそ、ヴァンの発言を叱る。
彼は「だってよ」と言うが……ん?
大神官が何も反応しない事を不思議に思った。
視線を向ければ、彼は黙ったまま石像を見上げていた。
そうして、ゆっくりと近づいてからその場に跪いた。
SPたちも跪いており、俺たちも慌てて跪いた。
『この世全ての命の母よ。我らが祈りを貴方様に捧げます』
「……?」
今、大神官が何かを言った。
しかし、その言語は俺たちには分からない。
共通語では無く、それ以外の言語でも無いだろう。
全く聞き覚えの無い言語であり、俺は彼を不思議そうに見ていた。
すると、石像から音が聞こえて来た。
ジッと見つめていれば石像が動き出している。
音を立てながら後ろへと下がって行くそれ。
俺たちはその光景を黙って見つめて……止まったな。
石像の動きが止まれば、先ほどまであった筈の場所に空洞が出来ていた。
大神官が立ったので俺たちも立ち上がり、彼についていく。
すると、地下へと続く階段が出来ていた。
「……この先です」
「……こんな空間が……」
神殿内に地下施設があったとは思いもしなかった。
俺たちは下へと進む大神官に続いて行く。
大神官が階段に足を掛ければ、空中に青い光の玉が出現した。
それは足元を明るく照らしてはくれるが、奥の方までは光が届いていない。
カツカツと靴の音が反響していて、階段の奥は暗闇に包まれていて何も見えないのだ。
何処まで続いていて、一体何があるのか。
俺たちはこの先で大神官が見せようとしている何かについて少しだけ恐怖していた――
靴の音が反響し、白い階段は続いて行って。
最後の一段を降りれば、広い空間に出た。
大規模な地下空間であり、剥き出しの土の壁には強引に鉄骨などで補強がされていた。
床だけは白い何かで舗装がされていて、彼は中心に向かって進みだす。
彼について行きながら中心に目を向ければ、巨大な黄金の盃のようなものがあり。
その頭上からは銀色の突起物が生えていた。
アレが何の装置なのかは分からない。いや、考えても予測も出来ないだろう。
これが大神官の見せたかったものなのかと見ていれば、彼は徐にその謎の物の前で足を止める。
そうして、傍に控えていたSPに指示を出した。
黒服のSPは走り出して、謎の何かの下にあるコップを取る。
盃から管のような伸びていて、あのコップへと続いていた。
そうして、此方まで戻って来てそれを俺の方に差し出してきた……これは?
「……あの装置は神との交信に使うものです。そしてそれは、神との交信時に記録として残るものです」
「……銀製のコップに……無色透明の液体?」
「……それを少しだけ飲んでみてください。大丈夫です、体に害はありません」
大神官はこの謎の液体を俺に呑むように言って来た。
俺は少しだけ不安に思いながらも。
意を決してそれに口をつけた。
そうして、少しだけ中身を飲んで――――…………
装置の前で佇む誰か。
銀色の突起物の先端から液体が出て、それが人の形をしていく。
そうして、盃の上に立ちながら見上げる誰かを見ていた。
『大神官トーマス・アルレンド。貴方は碧い獣の手で殺されます』
『……そうですか……貴方様の見たものを見せて頂く事はできますか?』
『……いいでしょう。貴方の最期に見る光景です』
女性の声をしたナニカが指を振る。
そうして、視点は変わり――これは。
『あ、なたは……碧い、獣……ごふ』
『……』
短刀を持った誰か。
黒衣のローブを纏う誰かは顔が見えない。
闇夜の中で立つそいつは、血に倒れ伏す何かを冷たい目で見ていた。
そうしてゆっくりと、血に濡れた短刀を振りかぶり――ッ!!
「――ッ!!」
意識が覚醒する。
そうして周りを見れば、ヴァンたちが不思議そうに俺を見ていた。
「……それが全てです……貴方の意見を聞かせて欲しい……アレは碧い獣ですか?」
大神官はそう言って俺に尋ねて来る。
彼が言っていた見せたい物とは、自らの運命だったのか。
つまり、あの液体のナニカは彼らが信仰する創造主で――この世界の神に他ならない。
神が予言をし、大神官が死ぬ未来を伝えて来た。
回避するように動くのではなく。
死ぬから準備をしろと言いたいのか。
残酷であり、まるで彼を一つの命として扱っていない。
彼はそれでいいのか。
自らが生涯を通して信仰を捧げて来たそれが。
自分をアッサリと捨てると言うのに……いや、ダメだ。
彼にそんな事を聞くのは無礼にも程がある。
これを見せる前から、彼は覚悟を決めていたのだろう。
自分が死に、神はそれを食い止めようともしない。
それでも彼は、最期まで神を信じようとしていた。
その上で、真実だけを知ろうとしている。
自分を殺しに来る相手が碧い獣で、どういう目的があるのか知ろうとしていた。
俺は思い出す。
先程、神の未来視のような何かで見た人物について。
冷たい視線、目の前の人間を何とも思ってない人間の目だ。
しかし、顔は見えず。ローブの所為で男か女かも分からない……でも、一つだけ分かる事がある。
「……たぶん、違う……碧い獣じゃないです」
「……そうですか」
奴から感じた圧。
それは碧い獣から感じたプレッシャーではない。
いや、そもそもがあの漆黒の暗殺者同様に碧い獣は異分子である可能性が高いのだ。
だからこそ、アレほどの距離で異分子の気配を感じないのであれば。
間違いなく、アレは碧い獣ではないと言える……いや、確証は無いがな。
謎の暗殺者の正体は一体何か。
分からないが、異分子で無いのなら普通の人間となるだろう。
しかし、神が間違った予知をする訳が無い。
奴は完璧な存在であり、この世界のあらゆる命の運命を見る事が出来る筈だ。
それなのに、何故……。
「ナナシさん、ありがとうございました……お手間を取らせたお詫びになるかは分かりませんが……これを」
大神官は懐から何かを取り出した。
それは豪華で精巧な飾りが施された黄金のカードだった。
天秤らしきものが書かれて、それを持っているのは大きな手だ。
彼から渡されたそれを掴んで、すぐにそれが本物の金で作られたものだと分かった。
「……これは……いえ、受け取れません。貴重なものなのに」
「……純金のカードは売る為のものではありません……この街を出るまでは、絶対に肌身離さず持っていてくださいね」
俺がカードを返却しようとすれば、大神官は優しく掌で返してくる。
街を離れるまで持っていろとはどういう意味だろうか。
いや、今はそんな事はどうでもいい。
問題なのは大神官の死の運命であり、俺はどうにかしなければまずい事を彼に伝えた。
無礼であるが、このまま見過ごすわけにはいかない。
すると、彼は微笑みながら首を左右に振る。
「……いいんです。これは創造主様が、私に与えて下さった運命です……抗う事も、拒絶する事もしたくありません」
「ですが、このままでは貴方が……貴方を慕う人たちが悲しむことに」
「……死は誰にでも訪れます。私の場合は、それが少しだけ苦しいものになるだけです……何十年もの間、私は職務を全うしてきましたが。最期に貴方に会えた事は幸運だった」
「……何で、俺に確かめさせたんですか。それだけ教えてください」
運命を変えられないのなら、せめて、彼が何をしたかったのかを知りたかった。
すると、彼はゆっくりと装置を見つめる。
そうして、ゆっくりと説明してくれた。
「……碧い獣については調べました。大神官ともなれば情報を集める事もそう難しくはありません……彼か彼女かは分かりませんが。碧い獣は異分子の国の出身で、恐らくはその方自身も異分子だと知りました。そして、私を殺しに来る異分子が、本当にその方なのか私は知りたかった……そんな時に、貴方がそれと交戦し生き残った事を知って。偶然、そんな貴方がこの街をやって来てくれた……異分子たちは互いを感じ取る力がある。我々はそれを知っていました」
大神官はそう言いながら、ポケットから何かを取り出す。
手帳のようなそれを開けば、中から写真が出て来た。
見せて貰えば、その中には若い男女が集まっていた。
「……古い友人たちと若かりし頃の私です……そこの女性はある時に異分子となりました。共に神官を目指していた良き友人でしたが。彼女は異分子になった瞬間に家を追い出されて、そのまま何処かへ連れて行かれました……大人になり、神官となった私は彼女の行方を捜して……彼女は既に天に召されたことを知りました。鉱山での労働を強いられて、そこで大きな事故に巻き込まれて。下半身不随となった彼女を使えないものと判断し、彼女の主人は彼女を絞殺し……私は、辛かった」
大神官の表情は暗い。
友人の一人が、非業の死を遂げたのだ。
誰だって辛いのは分かる。
俺がもし彼の立場であれば、怒り狂っていただろう。
「世の為、人の為……ですが、神の教えを守る我々でも救えない命がある。創造主様は異分子を自らの子として認めていない。だからこそ、この世界で生きる人々は彼らを同じ人間として見れない。同じような姿形で、同じ言語を話して。泣いたり笑ったり怒ったり……私は異分子というものが絶対的な悪だとは思っていません。異分子となった友人も、最期まで自分では無く我々の事を思っていましたから。だからこそ、私を殺しに来るという異分子の方が。本当に異分子であるのかを知りたかったんです」
「……俺の言葉を信じなくてもいいんですよ。俺はまだ、自分の力をハッキリとは認識できていません」
「……いいえ、貴方は既に己の力を認識していますよ……私には貴方という存在が、大いなる使命を受けてこの世に生まれたような気がします……だからこそ、私と貴方はこうして巡り合えたのかもしれませんね。ふふ」
大神官はそう言って笑う。
諦めた人間の表情ではない。
何処までも澄んでいて、綺麗な笑みだった。
「……最期に知れて良かった……やはり彼らは、悪ではない……同じ人だったのですから」
「……大神官様は、これから何を」
「変わりませんよ。予定通りに、神託を皆に伝えます……それを伝えるのは私ではない別の誰かでしょうが。職務は最期まで果たします」
大神官の決意は固い。
自らの運命を知りながらも、今を全力で生きようとしている。
それならば、俺がこれ以上、口出しする事は無い。
二人に視線を向ければ、訝しむような視線を俺に向けていた。
「……大神官様に何か起きるんですか」
「俺たちにも分かる様に言ってくれよ、ナナシ」
俺が見た光景を二人に伝えるべきか。
そう考えていれば、大神官はミヤフジの前に立つ。
そうして、彼女の手をそっと掴みながらニコリと笑う。
「ミヤフジさん。やはり貴方は私にとってかけがえのない友です……彼を此処まで連れてきてくれて、本当にありがとう」
「……今生の別れみたいですね……ダメですよ? 大神官様はこれからもっともっと多くの人を導いていくんですから!」
「……ふふ、そうですね……そうでしたね。導いていく……最期まで私は私として」
「……っ」
大神官の言葉から、ミヤフジも既に察しているのだろう。
彼女は今にも泣きだしそうだが、何とか堪えている。
そんな彼女を優しい目で見つめながら、大神官は優しく頭を撫でた。
「無茶はしないで、夜はきちんと布団で寝て、ご飯はしっかりと食べて……それと、頑張り過ぎなように。焦らなくても、貴方なら何だって出来る。少しおっちょこちょいですが、努力家で優しい心を持った貴方ならね」
「……ぅぅ」
子供をあやすように喋りかける大神官。
そんな彼の優しさに触れてミヤフジはポロポロと涙を流す。
そうして彼はそっと手を離してから、俺たちに視線を向けた。
「……外までお見送りをします……今日は本当にありがとうございました」
「……大神官様に会えて良かったです」
「えぇ、私もです……さ、行きましょうか」
そう言って歩き出した大神官。
俺たちは少しだけ重い空気の中、彼の後をついていく。
そうして階段を上がろうとして――振り返った。
「……?」
何かが聞こえた気がした。
声のように聞こえたが、今は何も聞こえない。
俺は不思議に思いながら、気のせいだったと思って再び前を見て階段を登り始めた。




