048:毒気を抜かれて
準備を済ませてフロントで集合し。
俺たちは早速、街へと繰り出していった。
路地裏から出て、陽の光を全身に浴びる。
気持ちのいいそよ風が吹いて、街全体の匂いを感じられた。
白亜の街は太陽の光を浴びて淡い輝きを放ち。
水路に流れる水はさらさらと音を立てて流れていく。
碧い獣を追って此処まで来たが、ヴァンの手にはカメラが握られていた。
サングラスをキラリと光らせながら、アイツは大はしゃぎでカメラで景色をパシャパシャ撮っていた。
いや、景色だけじゃない。通りかかる女性を見つけては写真を撮っていて。
軽い口調でナンパしようとして女性たちにあしらわれていた。
ミッシェルは完全に冷めた目でヴァンを見ていて、イザベラはやれやれと頭を振っていた。
「……神託が行われる予定の大広間よりも、神殿の方を見に行くか?」
「そうだな。多分、奴らは誰でも聞ける情報じゃなくて、奴らが隠している何かが知りたいだろうし……姐さんは?」
「ま、そう考えるのが普通だろうね……ただ問題は、神託が行われる前の神殿に部外者が出入りできるかどうかだろうねぇ」
イザベラは至極まっとうな意見を言う。
神託前の神殿は忙しいだろう。
色々な準備があり、大神官も神託の発表の前日に儀式を行う筈だ。
何時頃に行うのかは謎だが、確実に前日は関係者以外立ち入り禁止になってしまうだろう。
その前であれば行けるかと思っていたが……行ってみるしかないな。
ヴァンに声を掛ける。
すると、ヴァンはどうしたのかと聞いて来た。
取り敢えず、神殿を見に行くことを伝えれば。
ヴァンはそれでいいと言って歩き始めた。
俺たちはヴァンの後をついて行きながら、ふと周りを見る。
……視線を感じた。
妙な視線であり、少し前から感じていた。
敵意や殺意は感じなかったから放置していたが。
SAWからの刺客であれば、チャンスは幾らでもあった筈だ。
しかし、SAWの営業であるミムラが訪問してきた事で刺客の可能性はゼロになった。
SAWではない。そして、ジョンやその仲間でも無いだろう。
碧い獣も……たぶん、違うと思う。
碧い獣は俺なんか知らない筈だ。
いや、知っていても態々、俺を見張る必要なんか無い。
それに、この視線を感じ始めたのはジョンと会った日からで。
何故か、レストランで食事をしている時も視線を感じた。
だからこそ、周りの様子を探ってみたが此方の様子を伺っている人間はおらず。
気のせいだったかもしれないと思ったが、ノース・カメリアに来ても感じるのだ。
恐らくは気のせいでは無く、確実に何者かが俺をつけていた。
一定の距離を保ちながら、此方をジッと観察している。
何が目的なのか、何を企んでいるのか。
まるで分からないが、今の今まで、何もされていなかった。
俺が街を一人で歩いている時も、俺が負傷して眠っている時も……何者なんだ?
ゆっくりと歩きながら、俺は小さく息を吐く。
視線をイザベラに向ければ、彼女はチラリと俺を見て来た。
アイコンタクトで彼女も視線を感じていると伝わって来た。
となれば俺たちがやる事は一つで――
「ヴァンとミッチェル。先に行っていてくれ。イザベラと寄る所がある」
「あぁ? 寄る所って何処だよ。別に俺たちがいても――っ!!」
「おう。行ってこい行ってこい……気をつけろよ」
ヴァンはミッシェルの口を塞いで俺たちから離れていく。
最後に小声で伝えて来た言葉から、ヴァンも気づいてる事が分かって。
俺は静かに頷いてから、イザベラと共に左の道に進んでいった。
水路に掛かった石の橋を渡り。
人で賑わっている大通りに出て。
ガヤガヤと騒がしい人の波を掻き分けながら、俺たちは歩道の前に立つ。
何台もの装甲バスが通って行くのを見つめながら、歩行者信号が青に変わるのを待って――歩き出す。
大勢の歩行者に紛れるように歩きながら後ろを確認する。
視線はまだ感じていて、少し離れてつけてきているようだ。
焦りは無く、視線は何故か少しだけねちっこく感じた。
まるで、舐めるような視線であり、俺やイザベラで無ければ顔に出ていたかもしれない。
そんな事を考えながら歩道を渡り切り。
横を向けば、停留所が見えていた。
俺たちはそれを無視して一直線に進み、交差点を抜けてから細い路地裏に入って行った。
建物と建物の感覚がせまい通路で。
俺たちはその隙間をスルスルと歩いていく。
上を見れば窓を開けて煙草を吸っている人間や植木鉢の花の世話をしている人間がいて。
白い建物の壁も少しだけ汚れていて、此処は人の生活跡がハッキリと見えている気がした。
そうして、暫く二人で黙ったまま道を進んでいく。
すると、枝分かれした道に出て俺たちは迷うことなく右の道に進む。
左右の道は何方もさっきの道よりは広くなっていて。
白い建物のマンションの出入り口がついていたり、壁にホバーボードなども立てかけられていた。
少し進んでから、俺は上に視線を向けた。
すると、丁度いい出っ張りがあり。
俺はそこ目掛けて跳躍し出っ張りを掴んでから。
民家のテラスへと侵入し、身を隠した。
チラリと横を見れば、イザベラは気にせず歩いていく。
鉄柵の隙間から確認すれば、さきほど通った道から一人の人間が出て来る。
遅れて現れたのはスーツを着た黒髪の女で。
イザベラの後をつけようとして俺がいなくなっている事にすぐに気が付いた。
後ずさりしようとした女。しかし、逃がす気は無い。
俺はその場から跳躍して、女の背後に着地した。
女は後ろを振り返り少しだけ驚いて、前を見ればイザベラがポケットに手を突っ込んでニマリと笑っていた。
俺は拳を握りながら、女に向けて言葉を放つ。
「もう逃げ場は無い……お前は誰だ」
「……ありゃりゃ、こうもあっさり捕まってしまうとは……やはり、慣れない事はしないものですね。全く」
女はそう言いながら腕を組んで何度も頷いていた。
ぴっちりとした黒いスーツに、下はズボンを履いていた。
スラッとした体つきで、身長はやや高めか。
筋肉質な体では無く、手足は細長く露出した肌には傷やシミも無い。
傭兵のいで立ちでは無い。完全に、ビジネスマンと言った装いだろう。
丸く大きな青い瞳に、手入れの行き届いた黒髪は肩まで伸ばされていて。
戦い慣れした人間特有の空気は無く、この状況にもまるで緊張していなかった。
猫のように口角を上げながら、何が面白いのか笑っている。
毒気を抜かれてしまうような空気を放っており、思わず、拳を緩めてしまいそうだった。
「勝手に納得するのはいいけど。自己紹介くらいするのが礼儀じゃないのかい? そっちは私たちの事を知ってそうだしね」
「おや? という事はやはり尾行に気づいていましたか。それも随分と前から……あちゃー私としたことが。これでは減給されちゃいますねぇ、とほほ」
「……何時まで、惚けていられるか」
しびれを切らしたイザベラ。
彼女は目の前の女との距離を詰める。
そうして、拳を握り思い切り振りかぶって――ピタリと止める。
顔面スレスレで止まった拳。
女は目を開けたままニコニコと笑っていた。
「――っ!」
驚いた。
彼女の殺気を真面に受けた上に。
殴る気は無かっただろうが全力で振る被った拳にまるで動じていなかった。
ピタリと止まったそれを見る事無く、女は笑みを浮かべたままジッとイザベラを見ていた。
肝が据わっているのか……かなりの手練れだな。
毒気を抜くような口調は偽装か。
線の細い体であるが、戦いの経験があるのかもしれない。
相当な修羅場を潜り抜けて来なければ、彼女の攻撃を瞬き一つせず見抜く事は出来ない。。
イザベラは口笛を吹きながら、彼女の事を少しだけ見直していた。
「度胸はあるようだね。簡単に口は割らないって…………ん?」
「……どうかしたか?」
イザベラは女の顔をジッと見つめている。
何かあったのかと俺も正面に立ち女を見た。
すると、笑みを浮かべて目を開けたまま微動だにしない。
俺はまさかと思って指で女の額を突いた。
女はそのまま後ろへとゆっくりと倒れていき、俺は慌てて彼女を受け止めた。
俺たちは暫く沈黙していた。
そうして、笑みを浮かべたまま体を硬直させる女を見て、静かに呟いた。
「気絶している」
「……はぁぁ、何でこう……なぁ……妙なのばっかり来るんだよ」
イザベラは大きなため息を吐く。
その意見には同意であり、俺は笑みを浮かべたまま気絶している女をどうすべきかを考えた。
このまま此処に放置してもいいが、それでは根本的な解決にはならない。
放置は出来ず。この女が回復するまで待つしかない。
「……水を汲んでくる。待ってな」
「……あぁ」
イザベラはポケットに手を突っ込んだまま歩いていく。
俺はそんな彼女の背を見つめて、ゆっくりと女を見た。
目を開けたまま気絶している女はバカみたいで。
この姿を見ただけで、疑念も何もかもが吹っ飛んでいってしまった。
「起きろ……起きてくれ……頼むよ……」
俺は女の頬をパチパチと叩く。
声を掛けながら揺すってもみた。
しかし、女は不動のままで……何やってるんだ、俺は。
自分が何をしに来たのかも忘れてしまいそうで。
俺は女を横抱きにして持ち上げてから、邪魔にならないように端へと寄る。
静かに腰を下ろしてから、何と無しに女の顔を見つめて……何処かで見た顔だな。
何処にでもいるような顔ではない。
一般的に見てかなり整った容姿である事は分かる。
しかし、印象に残るような世界で一番の美女という訳でも無いだろう。
ならば何故、俺はこの女の顔に見覚えがあるのか……ん?
女のポケットから何かがはみ出している。
紙のようであり、俺はそれを抜き取ってから中身を見た。
すると、女性らしい丸い字で飲食店の名前が書き綴られていた。
しかも、丁寧にその店のイチオシと書かれた商品名が……ほとんどスイーツ系だな。
俺が利用したレストランの名前もあり、そこにはパンケーキと書かれていて――あぁ、そうか。
「あの時のパンケーキ女か……どうりで視線がパタリと止んだ訳だ」
この女はあのレストランでパンケーキを食べていた女だ。
確かにあの時もスーツを着ていて視線も感じていたが。
パタリと止んだのはパンケーキが運ばれてきて、それを夢中で食べていたからだろう。
バカだとは思う。いや、実際バカだろう。
気絶し眠っているパンケーキ女を憐れみの目で見つめる。
何が目的で尾行してきて、何がしたかったのかも分からない。
しかし、俺を監視する仕事を受けているであろうこの女は。
あろうことか仕事中にスイーツ巡りを計画していた。
こいつは本物の馬鹿であり、ヴァン以上のセンスの持ち主だ。
何が凄いかって?
それはこいつがスイーツ巡りを計画していただけじゃなく。
敵に捕まりその計画すらもバレてしまっているというところだ。
普通の馬鹿でも、この短時間でこれほどのミスはしない。
馬鹿の世界チャンピオンクラスであり、俺は更に哀れむように女を見つめた。
「……苦労して来たんだろうな」
何故か、俺はこの女に同情してしまう。
尾行されていて何かしらの狙いがあったのだろうが。
それら全てをぶち壊すこの女のアホさ加減が、俺の心に一欠片の怒りも生まない。
ただただ悲しく、ただただ哀れに思えた。
心なしか女の笑みにも影が差しているように感じる。
俺は女の頭を膝に載せてから、着ていた上着を脱いで掛けてやる。
もうこいつをこれ以上、怪しもうとは思わない。
イザベラが帰ってきたら、こいつはそのまま野に放すように説得しよう。
厳しい社会でこれからも生きていくであろうパンケーキ女。
願わくば、これからの旅路に祝福を……ダメだ、目に水が。
指で目じりの水を拭う。
そうして、女に優しい視線を向け続けた。
「……何やってんだい」
「……何やってんだろうな」
イザベラが水が入ったボトルを持って立っている。
俺はそんな彼女に視線を向けながら、自分が可笑しくなっていた事を素直に認めた。




