045:奥底で響く警鐘
マリアとの買い物を終えてランチを食べて、適当に遊んでから教会へと帰る。
まだ陽は昇っているものの、あまり帰りが遅いと怒られてしまう。
それに、神父が帰って来る時間も聞いていたので、俺はそれに合わせて戻って来た。
教会へと戻れば、マリアはマーサさんのお手伝いに行った。
まだどことなくぎこちないものの、彼女なりに心を開いて行こうとしているのだろう。
一刻も早く彼女の不安を取り除いてやりたいと思いながら、教会の窓に視線を向けた。
此処に在籍している修道女は三名であり、料理や洗濯などはマーサさんが主に担当しているらしい。
他二名は子供たちの相手であり、話した事は無いが会釈くらいはする。
今も外では子供たちが遊んでいて、元気な声が聞こえてきていた。
俺はそれらを聞きながら、アンドレー神父の元へと向かう。
マーサさんに聞けば、丁度、古株の信者の葬儀を終えて帰って来たらしい。
遺体は火葬されて、遺灰は教会に持ち帰り一日祭壇で保管して。
今日、この街の”霊樹”へと撒かれて、親族が死者の名を石碑に掘り儀式は終わったらしい。
シンタン教曰く、火というものが肉体から魂を解放し常世で穢れた魂を清めてくれるらしい。
他の宗教と違うのは、個人や家族の墓は無く。
皆が同じ木の下に撒かれて、天へと召されていくのだ。
これは、生まれた時は皆同じであるという考えから。
天涯孤独の者であろうとも、天に行けば皆と同じ輪に入れますようにという願いが込められているとか。
本で読んだシンタン教の教えを思い出してから、俺は視線を横の扉に向ける。
そうして、俺は足早に彼の元へと向かい――彼の部屋の前で止まる。
「……」
不安は勿論ある。
俺が馬鹿正直に質問をして、彼が素直に答えてくれるのか。
いや、素直には答えてくれないだろう。
そんなにアッサリと答えられるのであれば、今頃、とっくに警察に話しているだろうからな。
となると……これを使う事になるな。
ポケットの端末に触れる。
そうして電源を入れながら、端末から内蔵されたイヤホンを取り出す。
耳に押し当てれば、俺の耳の形に適応するように自動で形が変わる。
そうして脳内で「脳波リンク」という言葉を思い浮かべた。
《――システム接続完了》
「……」
端末とのリンクが正常に完了する。
俺はそれを聞き終えてから、扉をノックした。
すると、すぐに中にいる神父の声が返って来た。
入室を許可されて、俺はゆっくりとノブを回して中に入る。
部屋の中には、木の葉のような自然的な匂いがしてくる。
消臭剤の香りだろうか。
素早く周りを確認する。
壁には何かの賞状や子供たちが描いたであろう絵が飾られていて。
小さい棚には共通語で書かれた小説などが綺麗に整頓されて保管されていた。
棚の上には写真があり、子供たちと共に修道女や神父らしき人間が映っている。
しかし、一瞬だけ見えた神父の顔は明らかにアンドレーでは無く。
その横に立っている若そうな見た目の男こそ、アンドレー神父にそっくりだった。
少しだけ汚れた青いカーペットが床に敷かれていて。
中心には四角い机と簡素な木の椅子が四脚ある。
上には白いティーポッドとコップが銀製の盆の上に置かれていた。
皿に盛りつけられた何かもあり、綺麗な布が掛けられているが茶菓子だろうか?
アンドレー神父は木で出来た大きな机の前に座っている。
窓から差す光が彼を優しく照らしていて。
彼は丸い眼鏡を掛けていて、写真らしきものを手に取って静かに笑みを浮かべて見ていた。
……子供の写真か。それとも、実の家族か。
「……おや? ナナシさんでしたか……マーサから聞いています。すみません、またご迷惑をお掛けしてしまって……あ、どうぞ。お掛けになってください。今、お茶を淹れますね」
「……いや……ありがとう」
彼に促されるままに、俺は椅子に座る。
すると、彼は写真を裏返してから机の上に置いた。
そうして、掛けていた眼鏡も外してことりと置く。
ゆっくりと近寄って来て、彼は慣れた手つきでカップを二つ取り。
流れるような動作で、静かに赤色の液体を注いでくれた。
白い湯気がふわりと舞い、ほのかに香る匂いはバラのような香りだ。
「どうぞ。あ、これはマーサ手作りのクッキーです。よろしければ此方も召し上がってください」
「……あぁ」
布を優しく取れば、そこには小麦色に焼けたシンプルな見た目のクッキーがある。
彼は笑みを浮かべながら、盛り付けらたクッキーの皿を中心に置き。
お茶が注がれたカップを俺の前に静かに置いた。
彼も自分の分を前に置き、ゆっくりと対面に座る。
そうして、美しい所作でお茶を飲み始めた。
俺も彼に習って、お茶を飲む。
温かなそれを口につけてゆっくりと飲めば。
上品な甘さが口内に広がり、まろやかな口当たりのそれがするすると胃に流れていく。
バラの慎ましやかな匂いで香りを楽しみ、ほのかな甘みが食後の胃を優しく労わってくれる。
少しだけ冷えた体も温まり、俺はクッキーにも手を伸ばす。
一枚を手に取って口に運んだ。
そうして、噛めばさくりと音がして。
バターの味が感じられるそれは、砂糖の甘みがほどよく感じられる。
とても食感が良く耳心地の良い音が響いて。
お茶とお菓子の双方が自己主張をする事無く、互いの良さを引き立たせていた。
ゆっくりと咀嚼し飲み込む。
そうして、あっと言う間にクッキーを一枚食べて息を吐く。
「……美味い」
「ふふ、それは良かったです。マーサが聞けば喜びます」
アンドレー神父はそう言いながら、優雅に茶を飲み始めた。
俺はそんな神父に対して、他愛の無い会話を始めた。
何て事は無い日常の会話であり、俺はタイミングを伺う。
話をして、彼が相槌を打つ。
彼が話して、俺が相槌を打つ。
それを繰り返して――彼がお茶を飲む。
俺は此処だと思った。
脳波リンクをした端末を思念で操作して。
すかさずアンドレー神父にメールを打つ。
そして送信すれば、彼の端末から音が鳴った。
彼は「おや?」と言いながら確認しようとして――手を止める。
まずい。客の前だからとやめたのか。
俺は少し考えて、もう一度メールを送る。
すると、またしても彼の端末から音が鳴った。
「……少し、失礼します」
彼は流石に、連続して二回も端末が鳴った事を不審に思ってくれたようだ。
俺に断りをいれてから端末を取り出して中身の確認を始めた。
彼は静かに、俺が送ったメールの内容を確認して――端末を仕舞う。
「……あ、そういえば。ナナシさんに是非ともお勧めしたいお店があったんですよ。パンはお好きですか?」
「……まぁ、それなりに」
「あぁそれは良かったです。ちょっと待ってくださいね。今、住所をメモに書きますので」
彼は椅子から立ち上がり、机の前に戻ってから上に置かれていたメモ帳を一枚とる。
そうして、さらさらとペンで住所を書いてから俺に渡してきた。
書かれた内容を見れば、ちゃんと住所が書かれていて……”気を付けて”と書かれていた。
「あそこの店は店主が御一人で切り盛りしていましてね……今日はもう店じまいしているでしょうね。毎朝、忙しくなく動いているので。夜は”ぐっすりと眠っている”と思いますよ。もしも、彼の店の前を通るのならあまり騒がない方がいいですよ? 彼は”音に敏感”でして、この前もすぐ近くで騒いでいた酔っぱらいと喧嘩をしたらしいです……血の気の多い方ですからね」
「……分かった。気を付けるよ」
「あ、くれぐれも”他の人には教えないで”くださいね。店主からお願いされていまして、あまり多くの団体客は相手にしたくないらしいんですよ。もしも、約束をたがえたと知られれば……お店を出禁にされてしまうかもしれません」
「……そうか……肝に銘じておくよ」
「はい、そうしてくれると助かります……それで、マリアは何か言っていましたか?」
彼はニコニコと笑みを浮かべながら尋ねて来る。
必要な情報を俺へと伝え終えて。
彼はマリアの様子を伺って来た。
俺はマリアの事を伝えようと……いや、止めておこう。
もしも、マリアが神父を怖がっていると知ったら。
それは彼が可哀そうに思えた。
大切な娘のように思っているであろう彼は、そんな娘が元気ならそれでいい筈で。
俺は彼女から聞いた話は言わずに「神父は優しすぎると言っていた」と伝えておく。
彼は一瞬キョトンとした顔をする。
そうして、またニコリと笑ってから「そうですか」と呟く。
「……彼女が此処を居心地が良いと思ってくれているのなら……それだけで十分です」
「……本当はもっと仲良くなりたいんじゃないかと思う……ただ、自分の立場に怯えているのかもな」
「……異分子であろうとも、私にとっては家族です。彼女にもそれが伝われば……あぁダメですね。私らしくも無い。はは」
アンドレー神父は照れくさそうに笑う。
俺はそんな彼に「何時か分かる筈だ」と励ましておく。
すると、彼は俺に礼を言ってから何かを思いだしたかのように手を叩いた。
「すみません。今思い出したのですが、新たな信徒に今日本部から届いた教本などを届けなければいけないので」
「あぁ、別に構わない……じゃ、俺は行くよ。持て成してくれて、ありがとう」
「いえいえ、これくらいに事しか出来ず申し訳ありませんが……私は何時でもお待ちしていますので」
俺は椅子から立ち上がる。
そうして、彼に礼を言ってから出ようとした。
彼も俺を見送る為に立ち上がり扉の前に移動する。
その時に、強い風が吹いたからか窓がバンと開かれて机の上に置いていた写真が飛ぶ。
それはハラハラと舞って、俺の足元に落ちて――彼が踏む。
「――ぇ」
「おっと、すみません」
彼は落ちた写真を自らの足で踏んだ。
そうして、そのまま背を屈ませてから自らの手で拾い上げた。
先ほどまで愛おしそうに持ち、何かを思い出すように笑みを浮かべて見ていた写真だ。
大切なものだろうと思ったそれを、自分の足で踏みつけた。
それは風で飛ばされない為に咄嗟に取った行動だからか。
それとも、俺に対して……。
「ん? どうかしましたか?」
「あ、いや……」
「……あぁ、これですか……まぁ若かりし頃の自分の写真でしてね。あまり見ていて気持ちのいいものであはありませんが。これも想い出なので……見ますか?」
彼は写真の裏面を見せながら笑みを浮かべる……何故だ。見てはいけない気がする。
少し、ほんの少しだ。
神父の笑みが別の意味を表しているように見えた。
笑っている筈なのに、その笑みが攻撃的なものに見えて。
細めた瞳の奥に、怪しげな光が見えた気がした。
先ほどまでは柔らかな空気を感じていた筈なのに。
今はどことなく空気が重く、妙な緊張感を抱いていた。
まるで、銃口を向けられているような感覚で……。
興味はある。
隠すようにした写真がどんなものなのか。
だが、心は警鐘を鳴らしていた。
俺は考えた。
ほんの少し考えて――ノブを握る。
「また今度、見せてくれ……それじゃ」
「そうですか……えぇ、また何時か」
彼はそう言いながら写真をポケットに仕舞う。
そうして、片手を振って俺を見送った。
俺はゆっくりと扉を開き廊下に出て、静かに扉を閉めていった。
彼は最後まで笑みを浮かべていて。
俺は扉の奥の彼の瞳を見つめながら――パタリと扉を閉じた。
「……」
嫌な感じがした。
形容できない何かを感じて。
俺は逃げるように外に出た。
これは何だ……この違和感は何だ?
俺はそんな事を考えながら、彼から渡された紙を見る。
恐らく、この住所に行けば殺人鬼がいるのだろう。
彼からの忠告では”音を立てるな”と”誰にも教えるな”か……1人で行くしかないな。
危険は承知の上だ。
しかし、神父のあの反応からして監視の目がある可能性は高い。
だからこそ、暗号のようにして俺に教えて来た。
警察に知らせれば、情報が洩れる恐れがあるのだろう。
彼は俺を信頼して、この件を任せてくれた。
やるしかない。
俺が行って犯人を捕らえて……出来るのか。
犯人がどんな男なのかも分からない。
殺人鬼だからこそ、人を殺す事に躊躇いは無いだろう。
もしも軍人だったり元傭兵だとしたら、抵抗される恐れもある。
夜に行けば、敵は眠っているらしい。
しかし、それは今日だけであり。明日はどんな行動を取るかは不明だ。
行くしかない。
それも計画も立てる事無く、たった一人で。
俺は紙を仕舞い歩き出す。
そうして、一旦倉庫へと戻り武器を取りに行く。
使う事が無いのならそれに越した事は無い。
だが、もしも、犯人と戦う事になれば……。
少しばかりの不安と得体の知れない敵への恐怖。
それを感じながらも、俺は教会の外に出て黙々と足を動かし続けた。




