035:災厄の痕跡
「……此処か?」
アンドレー神父が教えてくれた酒場。
確か名前はドゥドゥと言った筈だが……此処しかないな。
彼が説明してくれた通り青い札が付けられていて。
店の大きな看板には太った豚の絵が描かれている。
それもかなり肥え太った豚であり、何故か肉を食っていた……共食いか?
恐ろしい絵だと思いつつ、俺は店内へと入って行く。
戸を開けて中へと入れば、既に何名かが店内にいて。
ゲラゲラと笑いながら酒を飲んでいたり、遅めのランチを食べている人間もいた。
酒場と言った感じの店内。
全体的に木の主張が激しく、天井には木をそのまま使ったような骨組みが露わになっている。
椅子やテーブルに至っても、木を少し加工しただけのもので。
照明器具の類は、天井からつるされたランタンだろう。
火で着火するものではなく、電気による照明のようだ。
カウンターの奥には壮年の男性がコップを磨いている。
清潔感のある燕尾服を着て、眼鏡を掛けた細身のマスター。
彼はチラリと俺に目を向けて笑顔で「いらっしゃいませ」と言う。
俺は会釈をしながら店内に足を踏み入れて……いた。
カウンター席で酒を飲む男。
白いTシャツを着て、下はジーパン。
背格好は座っているから分からないが、シャツから肌が見えている事から太っているのは分かる。
ぼさぼさの黒髪で緑色のサンダルを履いている。先ず間違いないだろう。
俺はゆっくりと男に近づく。
そうして、チビチビと酒を飲んでいる奴の隣の席に座った。
「……何でもいい。おすすめを」
「かしこまりました」
マスターに注文をし、チラリと横を見る。
奴の目は完全に据わっていて少し不安を感じる。
カウンターには既に空のボトルが三つも置かれていて。
四本目も既に半分以上飲み干していた。
少なくとも、かなり高めの度数のものを飲んでいる事は臭いで分かった。
奴はコップの中の酒を飲む。
そうして、静かにコップをカウンターに置いてからげっぷをした。
風呂に入っているのかは分からない。
が、アルコールの臭いに混じって少しだけ煙草の臭いがした。
髪は手入れをしていないのかボサボサであり、奴は時折ポリポリと頭を掻いていた。
正直な所、情報を持っていないのであればあまり関わりたいと思えない。
不潔そうであるのも要因の一つだが、酔っぱらいほど理不尽な存在はいない。
酒とは心のタガを緩めるものであり、飲みすぎれば大きな失敗を引き起こす。
兵士時代でも、そうやって飲み過ぎたバカが任務に出て死んでいったからよく分かる。
出撃前に酒を飲むのはなるべく控えた方が良い。
無理でも、一杯や二杯で止めておくのが無難だ。
俺自身も飲まない方が良いが……酒飲みの横で水という訳にもいかない。
舐められれば最後であり、情報を話さない恐れもある。
だからこそ、少なくとも同じ酒飲みだと思わせて油断させなければならない。
同じ仲間であると認識すれば、人は警戒心を緩めていくもの。
「此方はいかがでしょうか。北部地方に存在する由緒ある醸造所で作られた”リア・ファル”の十五年ものです」
「リア・ファル?」
「……ウィスキーだ、バカ野郎。北部ではそう呼ぶんだよ」
「……そうか」
マスターがニコやかに説明し、俺が首を傾げれば隣の男が説明してきた。
きっかけを探していた所に向こうから話しかけてきたのは好都合だった。
俺がそれで頼むと言えば、マスターは栓を流れるように開封し。
氷を入れたグラスに、トクトクと中身を注いでくれた。
ひんやりとしたコップを片手で掴み持ち上げる。
透き通るような綺麗な琥珀色で。
鼻を近づければ、酒特有のアルコールの臭いは薄かった。
口をつけて飲んでみる。
口内に溜めてから舌で転がして、ゆっくりと飲み込む……おぉ。
アルコールの刺激は驚くほどに少ない。
度数はそれなりにある筈なのに、少しも抵抗が無かった。
シンプルな味であり、悪く言えば面白みが無いが。
これはスルスルと飲めて、麦の味がほのかに感じられて美味かった。
十五年ものという事はそれだけの時間を使って熟成させたのか……面白いな。
中身を静かに飲み干す。
そうして、コップを静かに置いて一言美味いと言う。
すると、マスターは「お気に召したようで良かったです」と言って笑う。
マスターは静かに一礼してから俺たちの前から離れる。
後は一人の時間であり、邪魔してはいけないと思ってのだろう。
気遣いの出来る店主だと思いつつ、俺はボトルを傾けて中身をコップに注ぐ。
トクトクと音を立てて注がれたそれ。
俺は笑みを浮かべながらそれを見つめて――隣のテッドに声を掛けた。
「……ゲッコウのテッドか?」
「……あぁ? 誰だテメェは」
「俺はナナシ。お前と同じで傭兵をしている……アンドレー神父の紹介でお前を探しに来た」
「……神父様が何で俺なんかを……要件は何だ。まさか、仕事の依頼じゃないよなぁ」
「違う……とも言えない。話しを聞かせて欲しい。お前が遭遇したという碧い獣の情報だ」
俺が要件を明かせば、奴はピタリと手を止める。
そうして、先ほどまでの緩めた顔を引き締めた。
手は少しだけ震えており、それは決してアルコールによるものでは無いだろう。
「……奴の話を聞いて……お前は何をしようってんだよ。聞きたいのなら教えろ」
「……奴に会いたいんだ。詳しくは話せないが……奴と会う事で、俺自身が抱える問題が解決できるかもしれない……その為なら、何でもやる。例え奴と戦う事になっとしてもだ」
「……抱える問題の解決、ねぇ……さっぱり分からんな。意味不明だ」
奴は俺の言葉を聞いてせせら笑う。
俺はそんな奴を見つめながら何も言わなかった。
説明しても信じてもらえる訳が無い。
妙な言葉を聞いて、それの正体を知る為には碧い獣に会う必要があると。
『探せ。答えを――探せ。真実を――明かせ。秘密を――我が” ”よ』
「……」
また、思い出した。
あの言葉を思い出し、自分でも頭を抱えそうになった。
答えとは、真実とは、秘密とは何だ。
碧い獣に会えば、何かを知っているとでも言いたいのか?
分からない。
が、声が聞こえた時には奴が近くにいた。
関係ないなんて事は無いだろう。
最初に会った時も、声が聞こえた時、奴は何処かを見ていた。
それはつまり、俺と同じように声が聞こえたからではないのか。
……いや、それは断言できない。もしかしたら、味方からの通信に反応しただけかもしれないから。
だが、タイミングとしては合っていた。
可能性がゼロという訳では無い。
ならば、声の主の言うとおりに答えとやらを探してやろう。
その為に俺は、俺たちは北部地方へと――
「――い、おい! おいってば!」
「……すまん。考え事をしていた」
「……たく、教えろって頼み込んで。一人で考え事か……勝手だよ。お前」
「……不快にさせたのなら謝る。だが、さっき言った事は本当で、俺は碧い獣に――ッ!」
話を遮られるように目の前に奴がコップを差し出してきた。
その中には並々と無色透明の酒が入れられていた。
漂ってくる臭いからして、かなり度数のきつい酒だと分かる。
臭いだけで酔いそうであり、俺は何のつもりなのかと目で訴えかけた。
「……俺はなぁ。口だけの野郎はどうも好かん。言葉だけなら誰だって語れるんだ。それこそ一騎当千の英雄にも、大舞台の花形女優にもなれちまう……だがな。行動だけは誰も真似は出来ない。どんなに綺麗ごとを言おうとも、本物には敵わねぇんだよ……お前は、どっちだ?」
「……」
奴の狙いが分かった。
だからこそ、俺は奴の言葉に言葉で応える事はしない。
代わりに奴が差し出してきたそれを受け取る。
手にはひんやりとした感触が伝わるが。
俺の目にはそれがぐつぐつと煮えたぎるマグマのように見えた。
恐らくは、常人であればこれを飲もうとすればすぐに体が拒絶し吐き出すだろう。
奴は俺を試す為に、態と自分が飲んでいる強烈な品を渡してきた。
飲めるはずがない。無理に決まっている――何とでもなるさッ!!
コップを持ち上げて口に付ける。
そうして、勢いよく中身を飲み干していった。
口内に入り喉を通る瞬間――強烈な熱に襲われる。
辛いのか、熱いのか。
それすらも分からないほどに強烈な”痛み”が俺を襲う。
喉を通って行くそれが、俺の体をナイフで刺すように刺激を与えて来るのだ。
体は拒絶反応を起こしていて、意識が一瞬で朦朧としそうになる。
体が一気に熱くなり、全身の血が沸騰した様だ。
頭がくらくらとして視界が揺れている。
しかし、俺はそれでも飲む手を止めない。
一気に呷ったそれが喉を通って行くのを感じる。
一気に、一気に、一気に――コップを叩きつける。
「……ぅ!」
口を片手で押さえる。
今にも戻しそうになりながらも。
必死になって逆流しそうになるそれを胃に戻す。
そうして、熱の籠った吐息を大きく吐きながら俺はニヤリと笑う。
「……ははは! 大した奴だ! 度胸は認める。そして何よりも、それを吐かなかったお前が気にいった!」
「そう、か……ぅ!」
「……少し危なそうだが……まぁいい。意識はあるか? 無理なら明日でもいいけど」
「いや、大丈夫だ……教えてくれ。奴の、情報を」
俺は気持ちの悪さを呼吸によって和らげる。
そうして、奴に視線を向けながら話してくれと頼んだ。
すると、奴は俺を心配しつつも碧い獣について話してくれた。
「……俺が……いや、俺たちが奴と遭遇したのは一週間ほど前の事だ。俺たちはSAWからの依頼で物資運搬車両の護衛をしていたんだが……その時に、奴が単機で攻めてきやがった」
「物資運搬車両の護衛……積み荷が狙いだったのか?」
「いや、どうだろうな……奴はたった一機で七機のメリウス部隊を全滅させた。生き残ったのは俺とあと一人だけで……そいつも今は病院で入院中だよ……積み荷が狙いだと思ったのに、中身を確認すれば奴は何を思ったのか車両を破壊しやがった。それも一つ残らず全部だ……イカれてやがる。何がしたかったのかさっぱりだ」
テッドはコップを手に取りボトルに”俺の酒”を注いだ。
そうして、一気に呷り叩きつけるようにコップを置いた。
「……水だな……意識が朦朧とする中で俺は奴が全ての車両を破壊する所を見た。そして最後に、何故かは知らないが。奴の通信を偶然聞いちまったんだ……奴は確か”災厄”の痕跡がどうとかって言ってたな……意味は分からねぇけど。恐らくは、その災厄ってのを探しているんじゃねぇかと思ってる」
「……災厄の痕跡、か……因みに積み荷についての情報は」
「あぁ? んなもんある訳ねぇだろ。大企業様が一々ただの傭兵如きに荷物を教える訳ねぇだろ。常識だぜ」
「……まぁそうだよな……手掛かりは災厄、か」
碧い獣が追っていると目される”災厄”と呼ばれる何か。
その痕跡を探して、碧い獣は北部地方に来たと思われる。
だが、今の俺にはその災厄とやらが何かについてはさっぱり分からない。
エマの本にはそんな記述は一つも無く。
そもそもが、抽象的な言い方のように聞こえた為。
その言葉自体で探したとしても出て来るかは分からない。
それは物か。それとも人か……運搬車が運んでいたのなら……物か?
いや、分からない。
運搬車両に人が乗り込んでいる場合もある。
傭兵は一々、自分たちが護衛する何かの存在を知っている訳じゃない。
それが人である場合も、動物である場合もある。
だからこそ、それだけの情報で運搬車両の中身を推察するのは不可能だ。
取り敢えず分かる事で言えば。
その痕跡とやらは、少なくとも目に見えて運べるものと言う事だけだ。
実際に存在していて、SAWはそれを持っている可能性が高い。
でなければ、碧い獣ほどの傭兵がむやみやたらに車両を襲う筈は無い。
……SAWに聞けば何か分かるかもしれないが……かなりリスキーだ。
正直、教えろと言って奴らが教える未来が見えない。
それどころか、命を狙われて場合によっては監禁される未来すらある。
相手は三大企業の一つであり、この世界で力のある組織の一つだ。
今までは運よく何もされていないだけで、危うい場面は幾つもあった。
忘れてはいけないが、相手は俺たちなんて息をするように消せる。
なるべく関わらずに、穏便に事を済ませるのが普通だ……が、もうそうは言ってられない。
既にSAWや大安共心社とは関りを持ってしまった。
SAWには訳の分からない計画に加えられて。
大安に関しては、彼らの会社でそれなりに権力のあった人間を殺そうとした。
奴らにとっては命を狙われるのは日常茶飯事であろうとも、俺たちはそうでもない。
吹けば飛ぶ存在であり、企業の後ろ盾も無いのだ。
狙われれば時間の問題で……やはり、直接聞くのは止めた方が良い。
そもそも、奴らの手が伸びる場所でこんな話をしてしまっている。
もしも、この店のマスターが奴らに報告しようとしているのなら……いや、考え過ぎだ。
そこまで疑えばキリがない。
警戒心は常に持っていた方が良いが。
あまりにも警戒し過ぎれば自滅する。
如何に北部で強い影響力を持つSAWであっても。
そこかしこに監視の目を持っている訳じゃない。
そんな事が知られれば、三大企業であろうとも市民からの信頼は地に落ちる。
優れた商品を売ろうとも、買う人間がいなくなれば奴らであれ困るだろう。
だからこそ、リスクとリターンが見合わない事をするとは考えにくい。
……それに、奴らは国でも軍でも無い……ただの技術屋あがりで、ビジネスマンだ。
利益があったり好奇心を刺激する事でも無い限りはただの一般人を監視する事も無い。
まぁ俺たちのような傭兵の情報は持っていたが。
それは情報屋を雇うなりして調べただけだろう。
常日頃から監視している訳じゃない……それに、視線や気配も感じないしな。
これでも元軍人だ。
嫌な視線にも、殺意にも敏感な方であり。
もしも、誰かが何かをしようとしていたり此方を見ているのであればすぐに分かる。
それほどまでに、俺は仲間の中でも気配察知に優れていた自覚がある。
「……ありがとう。お礼と言ってはあれだが……この酒はお前にやる」
「ん? あぁそうか。悪いな……改めて俺は傭兵グループ・ゲッコウのテッドだ……まぁほとんど潰れかけだがな」
「俺はナナシ……暫くは、この街に厄介になると思う。迷惑を掛けるかもしてないが、よろしく頼むよ。先輩」
「……へ、先輩か……悪くねぇ……まぁ何かあれば此処か。三十二番倉庫に来てくれや。俺はそこに機体を置いてるからよ」
「分かった……マスター、代金はこれで足りるか?」
俺は財布を取り出して紙幣を出す。
マスターは紙幣を受け取ってから、そそくさとレジを打つ。
そうして、おつりとして小銭を渡してきた。
「また是非、いらしてください。うちの店はお酒以外にも自信があります。おすすめはミートパイですよ」
「分かった。また来るよ……ぅ!」
席から立ち上がって去ろうとしたが。
まだ酔いが残っていて足元がふらついた。
いや、こんな短時間で酒が抜ける訳も無い。
たった一杯だけでこの様だとヴァンたちに知られれば笑われるかもしれないが……有力な情報は手に入れた。
この情報を持ち帰って、ヴァンたちに報告する。
そして、ジョンの依頼を達成すれば……辿りつけるかもしれない。
俺はふらつきながらも、倉庫を目指して歩いていく。
扉を開けて外に出れば太陽が眩しく感じて。
思わず目を細めながらも、倉庫を目指して再び歩き始めた。
「……ぅぅ!」
必死になって口を押える。
テッドの前では我慢していたが……吐きそうだ。
二日酔いなんて経験したことは無かったが……こういう感じか。
嫌な経験であり、笑い話にもならない。
また一つ想い出が増えたが。
この想い出だけは、あまり記憶に残したいとは思えなかった。




