031:何処にでも存在する
「……それで、何か分かったか?」
《……いや。SAWに聞いても知らないの一点張りだ……ま、関与してて正直に言う馬鹿はいねぇけどよ》
「……嘘をついているのならヴァンなら分かる筈だ……その口ぶりだと、違うんだな」
端末を耳に当てながら話す。
すると、ヴァンは「分からない」とだけ言う。
《嘘か本当かは分からない……だが、隠している素振りは無かった。なら、別の線もあり得る》
「……誰かが俺を狙っていると?」
《……可能性の話だ。そんなに深刻に……いや、今回は捉えていた方がいいかもしれねぇ。心当たりが無いか考えてみてくれ。昔の上官とか同僚とか……俺ももう少し調べてみるから。今日は一人で適当に済ませくれよ。それじゃあな》
「あぁ……何なんだ一体」
通話を切り端末をポケットに仕舞う。
姿の見えない敵。
俺の命を狙ってきた存在は、一体何者なのか。
SAWという疑わしい組織が消えるのであれば他に誰がいる?
昔の上官や同僚……疑うのであれば十分すぎる。
奴らは俺に対して明確なまでに悪い感情を向けていた。
帰って来て祝福される事は無く。
死ねば喜ばれる事はあるだろうが……だが、違う気がする。
そこまで嫌われていたのならそれまでだが。
奴らと言えど暇ではない。
態々、俺の情報を掴んで刺客を放つほどではないのだ。
視界から消えたのであれば、もう手出しはしてこないだろう。
……なら、誰だって言うんだ。
恨みを持つ人間なら兵士時代に関りを持っていた奴らだけだ。
しかし、そこまで明確に恨まれるような行動はしていない。
なるべく奴らの神経を逆撫でしないように抵抗はしてこなかった。
殴られても蹴られても無抵抗で。復讐なんて考えたことも無い。
奴らは俺の所為で大切なものを奪われた事もなければ。
俺の所為でチャンスを逃したことも無い。
異分子の兵士に、そんな重要な役割なんて無い。
替えの効く部品と同じで、失敗して死んでもそれまでだ。
それだけで出世に影響する事は無い。
ただ任務で失敗してしまったとなるだけだ。奴らにとっては大したことはない。
兵士時代に関りを持っていた人間。
それらが関係ないのであれば、もう誰なのかは分からない。
自由を得てからまだそれほど時間は経過していないのだ。
そんな中で、俺を異分子だと認識しているのは数少なく……誰なんだ。
本当に恨みを持つ人間の企みなのか。
それとも、別の意思によるものなのか。
不気味だ。不気味なまでに狙いが読めない。
俺はゆっくりと息を吐く。
そうして、空を見ればすっかり日が暮れていた。
ぽつぽつと街灯の灯りが灯り始めて、空気も少し冷えて来た。
俺は首の布を口まで上げながら、両手をポケットに突っ込む。
北部地方での最初の任務を無事に終えた。
あの後も何名かの攻撃はあったものの。
アレ以降の敵はそれほど大した敵では無かった。
ただの荒くれ者であり、洗練された技術なんて無い。
イザベラを守りながらの戦いだったが、苦戦する事も無かった。
そうして、無事にエースパイロットの戦闘データを回収し。
それを引き渡してからその場で依頼の報酬を貰った。
ヴァンにはその時に俺が狙われたことは話して。
ヴァンは報酬を手早く俺たちに支払ってから、その件について後で調べに行くと言った。
倉庫に戻った俺たち。
ヴァンはそれを調べに行って、ミッシェルは仮眠から覚めて早速機体を修理すると言った。
イザベラは俺と一緒に飲みにいかないかと誘ってくれたが。
この一件について少し考えたいと俺はその申し出を断った。
本当は一人になるのは危険で、イザベラもそう思って俺を誘ってくれたのだろう。
しかし、俺は逆に一人になる事で現れるかもしれない刺客に期待していた。
もしも敵が現れたとしても戦える自信はある。
万が一があれば、すぐに助けを求める事も出来る。
常に警戒心は持っていて、油断は一切ない。
そう考えて、俺は街の一角にあるベンチに座っていた。
開けた場所であり、目の前には道路があるだけで周りには障害物は何も無い。
等間隔に木が生えているだけで、建物の上から狙えば狙撃する事も出来る。
背後には疎らだが人が歩いていて、忍び寄って暗殺する事も出来るだろう。
殺してくれと言わんばかりだが……俺の考えが正しければ恐らく敵は姿を現さない。
此処まで考えて、俺は一つの予想を立ててみた。
それは敵が俺を殺す事が目的では無く。
俺の力量を計るのが目的だったのではないかと。
もしも殺すのが目的であれば、機会は幾らでもあった筈だ。
それこそ輸送中のトラブルに見せかけて殺す事も。
街を移動中に襲撃する事も可能だったはずだ。
それをせずに、態々、メリウスのパイロットを使ったのは……そういう事だろう。
あくまで過程の話だ。
そうであるのなら辻褄が合うだけで……ん?
声が聞こえて来た。
遠くの方から男の声が聞こえて来る。
複数名の声であり、視線を向ければ道行く人間が路地裏に視線を向けていた。
俺は少しだけ嫌な予感をさせながら、ベンチから立って声のする方に歩いて行った。
コツコツと静かに靴の音を立てて歩いていき。
ゆっくりと建物の影に隠れて何が起きているのかと見た。
すると、一人の男がガタイの良い男に殴られていた。
相手は三人グループで。
暴行を受けている男は抵抗していなかった。
一方的殴られているだけで……いや、様子がおかしい。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……クソがッ!!」
「……」
男は悪態を吐きながら手を振るう。
鈍い音を立てて男の頬を拳が打つ。
男は壁に背を預けながらも視線を殴っていた男に向けていた。
まるで恐怖を感じておらず、傍から見ても三人組の方が圧倒されていた。
男はそんな視線を向ける相手に怯えて後ずさりする。
「何なんだよお前は! その目を俺に向けるんじゃねェ!!」
「――まずい!」
男は呼吸を荒げながら懐から何かを取り出した。
それはキラリと光った何かで――俺は駆けた。
真っすぐに男たちの元へと走って――タックルをする。
ガタイの良い男は俺が見えていなかった。
だからこそ、横合いから飛び出した俺に対処できず。
そのまま弾き飛ばされていった。
俺の足元には男が手から零した”ナイフ”が落ちている。
俺はそれを足で後ろへと弾いてから、ゆっくりと三人組に視線を向けた。
「……やめろ。もう気は済んだだろう」
「……クソっ」
男たちも分かっていた筈だ。
この男に暴行を加えても無駄だと。
こういう目をした男は、痛みには絶対に屈しない。
何があっても悲鳴をあげず、相手を観察するように見るだけだ。
奴らはそんな視線に耐えられず、もう少しで道を踏み外す所だった。
奴らは舌を打ちながらも、腰を上げて去って行く。
俺は静かに息を吐きながら、壁に背を預ける男を見た。
紺色のスーツを着た二十代後半から三十代前半の若い男。
その顔は男たちに殴られて痣が出来ているが。
当たり所がまだ良かったのか大きく腫れてはいなかった。
口の中を切ったのか。唇の端から血がツゥっと垂れている。
意思の強い目をしていて、強い光をその瞳の奥から感じた。
何処にでもいそうな顔をした男だが、妙なプレッシャーを感じる。
それはまるで、普通の人間が懐に爆弾を仕込んでいるような危険なもので――男は口を拭う。
「……助けてくれてありがとう」
「……お前は異分子か?」
俺は思わず口から疑問を吐いてしまった。
何故かは分からない。この男は首輪をしていないのだ。
それなのに、異分子なのかと聞いてしまった。
あり得ない事だ。異分子が首輪をつけずに堂々と街の中を歩くなんてそんなこと……。
「……想像通りだよ。どうするかは君の自由だ」
「……何があった?」
異分子だと明かした男。
妙に落ち着いた雰囲気の男に対して、俺は少し恐怖を感じた。
まるで、木に話しかけているようにこの男は揺らぎが一切ない。
俺は恐怖を感じながらも、この男に対して興味が湧いてしまった。
だからこそ、何故、男たちに暴行を加えられていたのかと聞いた。
すると、奴は男たちが去って行った方向を見ながら話しかけて来た。
「どうして何もしないのか。そう聞いただけだよ。そうしたら、殴られた」
「……何のつもりでそんな事を聞いたんだ? 喧嘩を売っているようにしか聞こえないぞ」
「ん? そんなつもりはない。ただ、やれる事が沢山あるのに、こんな所で葉っぱを吸うのは意味があるのかと思っただけだ」
「……それでもだ。せめて質問する相手を選べ。そうじゃなきゃ、その内殺されるぞ?」
少しだけこの男の事が分かった気がした。
妙な圧を感じたが、それは気のせいかもしれない。
こいつは常識が無い上に、危機感というものが欠如しているのだろう。
そして、運が良い事に今まではそれでも生きてこられた。
だからこそ、場慣れした人間特有の空気を感じてしまったのか。
俺は少しだけ早とちりした自分を恥じた。
そうして、さっさとその場から去ろうとした。
「――それならそれでいい。自分が行動して起こった事なら後悔は無い」
「……自分の生死に拘りが無いのか?」
「少し違う。今死ぬのは困る。僕にはやるべき事があるから……だから、死なないように努力はしているよ」
「本当にか? それなら何で、薬中にそんな質問を? 自分は殺されないと自信があったのか? それなら」
俺は少しだけ笑う。
随分と自信過剰であり、俺はそんな奴を見て――笑みが消える。
「――あぁ、そうだよ」
「……っ」
男は俺を見ているだけだ。
しかし、その瞳には揺ぎない何かがあって。
この男がただのハッタリや思い込みで言ったのではないと嫌でも気づかされる。
黒髪黒目で、線の細い男からは――想像もできないほどの”強さ”を感じる。
こいつは何だ……こいつは一体……。
俺が男を見ていれば、奴はゆっくりと俺の前に立った。
そうして、警戒する俺を他所にスッと手を差し出してきた。
何のつもりかと見ていれば、男はゆっくりと言葉を発した。
「ジョン。ジョン・カワセ……憶えていてくれると助かる」
「……ナナシだ……少し、お前に興味が湧いた」
「そうか。それなら良かった……君となら、有意義な時間が過ごせそうだ」
ジョンは口角を上げて笑う。
年相応の青年の笑みであり、邪な感情は影も形も無い。
打算も何も無く、奴は思った事を言っただけだった。
しかし、そんな純粋そうに聞こえる言葉ですら俺は何かあるのではないかと思えてしまう。
姿の見えない敵も気がかりだが……こいつと此処で別れるのも危険な気がする。
タイミングの良い時に、俺の近くで発生した集団による暴行。
俺がいなければ一方的に殴られて、最期はあの男の凶刃に倒れていただろう。
ジョンは死なないように行動していると言うが……まさか、俺が助けに来る事も計算していたのか。
深読みのし過ぎか。
それとも、本当にそうなのか……時間は沢山あるのだ。なら、その間に見極めてやろう。
「……奢ってやるよ。来るか?」
「あぁ、是非……此処には詳しいのか?」
「……いや……お前は?」
「残念だけど、三日前に来たばかりでね……仕方ない。適当に探そうか」
「……そうだな」
なるべく、傭兵が行ける店ならいいが……こいつも傭兵なのか?
手を握った時に、妙にゴツゴツとしていた。
ヴァンのように完全には分からないが。
もしかしたら、メリウス乗りの可能性がある。
そうであれば……いや、まさかな。
初めて会った男だ。
見たことも無い顔で、聞いたことの無い名だ。
だからこそ、こいつが――”敵である可能性”は無い。
「……ふ」
「……?」
警戒のし過ぎだな。
俺は自らを小心者のように思いながら。
店を探しに行く為にジョンと共に路地裏から出た。
奴は俺が少し笑った事に首を傾げていたが、俺から説明する事はしなかった。
不思議な空気を放つジョン。
首輪をつけずに街中を堂々と歩くこいつからは――面白い話が聞けそうだ。




