【6】
夫人が割り当ててくれた来客用に内装を拘った一室に着くと、部屋の広さと揃えられた調度品の趣に圧倒される。
(やっぱり、いくら名門女学院の教師だからって高待遇すぎるわよね)
一息つけるカウチにテーブル、書き物をするのに適した机に、チェスト。大人でも3人は余裕で横になれる寝台は別室にあり、そこから浴室が繋がっている。
ドレッサーにクロゼットと住むために必要な家具は充分過ぎるほど揃っていて、人が住むのに足りないのはキッチンくらい。
家具のサイズに対して少なすぎる荷物を適した場所に仕舞い終えたローシェは、ひとり慄いた。
(どれもあの工房の刻印がされてる……)
王宮御用達で名を馳せている家具職人の工房。
女学院の教壇がぐらつくようになったので、新しく購入しようと頼んだことがある。けれど数年先まで予約で埋まっているので、新規の予約は受け付けないと断られた。
譲れなかった学院長が直々に工房に赴いて予約を取り付けたのだが、納品は早くても三年後だとローシェは聞いていた。既に三年が過ぎて四年目になるが、一向に連絡は来ていない。
ちなみに教壇は次に有名な工房にも頼んでいて、先に納品されている。
そんな代物が伯爵邸の貴賓室を埋め尽くしている。
体面を取り繕う為に貴賓室に贅を凝らす貴族は多いが、それにしては度が過ぎている。
伯爵邸の調度品は何処もかしこも同じ刻印が施されているのではないか。
(万が一にも傷を付けたり、壊してしまったら生涯かかっても弁償できないわ)
些細な動作にも気を張って過ごすことになりそうだ。
これだから身の丈に合わない部屋をあてられるのは困る。
ふう、と溜息を漏らしてしまったローシェはドレッサーの鏡に映る疲れ果てた顔に眉を寄せて、晴れやかな笑みに切り替えた。
「そろそろ使用人の皆さんに挨拶に行きましょう」
壁掛けの時計を見ると、長針が上へ上へと登っている。もうすぐ二時になろうとしていた。
伯爵夫人の食事の用意と給仕を終えて、自分達の食事も終えた頃合いではないだろうか。
邸の使用人は、ティータイムや夕食の準備に取り掛かるまでの少しの間に休憩時間が設けられていることが多い。
同じ雇われの身でありながら高待遇で迎え入れられたローシェは、嫉みを向けられやすい。
今後の為には使用人の皆との仲を深めるのは大切だ。
そのためにも、普段は手が出せないけれど奮発しようと思えば買える、好印象を与えるのに手っ取り早い菓子を用意した。
テーブルに置いていた手土産を抱えたローシェは、静かな足取りで今日から住む自室を後にしたのだった。
*
陽が沈み切った夜のはじめに、ローシェはユーグの従者に呼ばれて食堂に向かった。
彼の名はサロモン。垂れ目がちな眉と目尻が柔和な印象を与える人だ。挨拶とともにちょっとした会話をしたが、第一印象が変わることはなかった。
足早に食堂に向かうと、既に彼は着席していた。
向かい合う席について目線を合わせたローシェは控えめに頭を下げる。
「お待たせして申し訳ありません。良く眠られましたか」
「はい。心配は無用です」
「そうですか。安心いたしました」
自分の存在がストレスになって眠りが浅くなっていたら、と心配をしていたのだ。
彼の表情が読めないので、彼の立ち入られたくない領分に踏み込んでいないかと気をもんでしまう。
大して待たずに料理が運ばれてきて、ローシェは目の前に置かれた皿に視線を落とす。
手土産を持って挨拶した際に、料理を残してしまったことへの謝罪と、今後の量を彼の半分以下にしてほしいと頼んだ。
(うん、この量なら食べきれそうだわ)
配膳してくれた使用人にありがとう、と視線の動きと微笑みで礼を告げる。
彼が一口咀嚼する姿を見届けてからローシェもサラダに手を伸ばした。
誰かが気を遣ってくれたのか、部屋の隅にある蓄音機からゆったりとした静かな音色が流れていた。
起きたばかりの彼にとっても、彼が邸を去った後は眠りにつくローシェにとってもリラックスできる選曲だ。
有難い心遣いのおかげで、無言を気まずく思わずに食事ができる。
「ユーグ様は食事中の会話はあまり好まれませんか」
盛り付けられた料理が半分ほど減ったところで、気になっていた質問をローシェは問うことにした。
打てば鳴る鐘のように、問いかければ彼は答えてくれる。
昼食会や晩餐会といった社交の場では会話は主目的になるが、日頃の彼はどうなのだろう。
「普段は一人で済ませることがので、そもそも会話はいたしません。両親と食事をする際は振られたら話しますが」
「ご友人や同僚の方々と食事をされた時はいかがでした? 学園や養成所にいらした時は誰かと食事を供にしていたのではと思ったのですが」
「私は相槌や一言二言口を挟む程度でした」
「お相手の方がお話し好きなのですね。私は今後もこうして話しかけてもよろしいでしょうか」
「構いません。貴女にとって仕事の一環ということは理解しています」
彼は率直に事実を述べた。事実を否定はできないが、ローシェは苦々しく思ってしまう。
「確かに仕事の一部ですが、少しずつ互いを知って、分かり合えたら嬉しく思います。ユーグ様にも私に興味を持っていただけたらと思っておりますわ」
結局は仕事の一環だろうと思われたとしても、本心を口にする。
学業の面以外でも生徒を知りたいし、興味をもってもらえる教師になりたいとローシェは思っている。
廊下ですれ違った時に、挨拶だけでなく一言二言雑談を交わせる間柄になりたい。困りごとを相談しようと思える教師になりたい。安心感を抱いてもらえる教師になりたい。
「そうですか」
平坦で感情ののらない彼の声は、ローシェの耳に真っすぐに届く。
貴女相手に気を許すつもりはないと、言われているような気がした。
少しの間瞼を閉じて、違うと否定する。
勝手な思い込みは自分を苦しめるだけだ。察することと、思い込むことは違うと否定する。
以降、彼は無言を貫いた。
彼からの無言の圧を感じたローシェも口を閉ざすことにした。
(まだ初日だもの。気にすることはないわ)
弱気になる心に、何度も慰めを唱え続けて――