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【4】

 



 雨音が箱馬車の屋根を叩く音。馬の蹄の音。車輪が回る音。水溜まりに飛び込んだ車輪によって跳ねる水の音。

 そうした雑多な音が重なり合って閉鎖的な馬車の中にいても騒がしいのに、彼の声は真っすぐに通る。


「母が無理難題を押し付けたそうですね」


 隣に並んで座る声の主をローシェは見上げる。彼は前だけを見て、こちらに目もくれない。


「無理難題と仰る理由を伺ってもよろしいですか」


 雑音の中でも一際通る美声ではないと自覚しているローシェはいつもより少し声を張り上げた。

 それでも声は届かなかったらしい。というよりは、届いていても内容を聞き取れなかったようだ。

 僅かに頭を傾けた彼に、一言一言区切るように丁寧に言葉を繰り返す。


 今度は聞こえたらしい。

 そう判断ができたのは、彼が鼻で笑ったからだった。一文字に結ばれていた口の端が僅かに上がったのは、嫌悪の表われだろう。


「女性と関わると碌なことが起きない」


 吐き捨てた彼の一言は刃のように研ぎ澄まされている。

 ローシェは納得できてしまった。


 人目見て端正な顔立ちと思ったが、こうして間近で見て確信する。

 彼の感情を削ぎ落した表情は、彫刻像や人物画を見ている気分になる。

 何度見ても同じ顔で、そこにいるからだ。

 ものによっては彫刻像や人物画のほうが感情がこもっていて、柔らかな生身の雰囲気を感じられるのではないか。


 だから、納得できてしまった。


 彼の表情や声音に僅かでも感情がのれば、大半の女性は目を止めて惚れ惚れとしてしまう。もっと知りたいと、欲を出してしまう。


(私もそうだったから、わかるわ)


「そこのお方」というたった一言で、ローシェは自分の名が呼ばれたらと想像してしまった。

 感情の見えてこない平坦な声音でさえ想像を掻き立てられるのだから、彼が愛想よく女性に接していたのなら、瞬く間に恋に落ちてしまう気持ちが分かる。


「女性に冷たい態度を取られるのは『碌なこと』を回避するためですか」

「貴女をエスコートしなかったことを非難しているのですか」

「いえ。お見合い相手に突き放す言葉を送ることですわ」

「期待を持たせないために、本心を言ったまでですよ」

「そうでしたか」


 戻ってくる返事に頷いたローシェは見上げていた顔を正面へと戻す。

 初対面の彼との会話はぷつりと途絶えた。そうなった原因は言葉を続けなかった自分にあると分かっていても、何を話すべきかが決められなかった。


 それに、鼓膜を揺さぶる雑音の中で声を張るよりも、静かな場所に移ってから彼と話したい。彼の目を見て、しっかりと向き合いたい。

 教師として生徒と関わる時にローシェが大事にしていることだ。


 伯爵邸に着くまであとどれ程だろう。


 昨日、乗合馬車で帰った時は歩く時間も含めて一時間ほどだったが、今回は迂回することなく最短ルートで伯爵邸に辿りつく。

 そんなに長い時間じゃない、と分かっていてもローシェにとっては途方もなく長く重たい沈黙だった。


 二人乗りの小さな箱馬車で、年の近い異性と二人。座席の端に寄っていても微かに触れ合って互いの体温を感じてしまうのに、ローシェの胸は高ならない。

 はらはら、きりきりと、胸もお腹も胃の辺りも、逃げ出したいと叫んでいるようだった。



 *



 勤務時間が日によって異なる彼は、家族と揃って食事を摂る機会が少ないという。

 夫人からの提案という強制で今後二人で食事をすることに決まったローシェは、テーブルに並べられた料理の品数を見渡して、食べ進めていた手を止めることにした。


 伯爵家は、騎士である彼の食事を二人分用意してくれていた。厳選された素材でつくられた豪勢な料理の数々は、ローシェの身では口にできないものばかり。雇った家庭教師に対する接待は有難いが、今後は量を半分以下に減らしてもらうよう頼もう。


 黙々と、丁寧な所作で食事を続けている彼をローシェは風景の一部のように眺める。



 彼は仕事を終えて戻ってきた後、休む間もなく、質素な馬車で迎えに行くよう夫人に指示されたらしい。多分、追い出されるように邸を後にしている。

 出迎えてくれた夫人と挨拶をした際に、伯爵邸内での夫人の権力を垣間見た気がした。


 そうして到着するなり早々と食事の席についたローシェは、はじめのうちは食事の場に適した他愛もない話をしようと試みた。


 仕事終わりで疲れている中、迎えにきてくれた礼をした。

「傘をさしたり、フードを目深に被った人々の中から、他人を探すのは大変だったでしょう」と尋ねた。

「母から聞いた身体的特徴とそれなりの荷物を持った者を重ね合わせれば、苦労はしませんでした」と彼は答えた。


 騎士の仕事についても尋ねた。

 騎士職でローシェがぱっと思いつくのは、王都の巡回に王城の警備、王族の護衛である。他にも細々とした仕事は多いのだろうが、世間の認識は大体この三つに分類されている。

 彼の配属先はどこだろうと思ったのだが、彼は近衛騎士だと答えた。第三皇子の護衛だそうだ。


 第三皇子といえば、昨年成人の祝いを挙げていた。年頃の皇子は社交界にも多く出席していると耳に挟んでいる。

「ユーグ様は護衛として社交界に出席しているのですか」と尋ねた。夫人から社交の場にでないと聞いたので、疑問に思ったのだ。

「殿下が社交の場に出られる日は事務仕事をしています」と彼は答えた。


 更に疑問に思って「理由を伺っても?」と尋ねた。


「殿下が気分よく過ごせませんから」


 返ってきた答えにローシェは苦笑いを噛み殺した。

 第三皇子のご尊顔を目にしたことはないが、背後に控える彼に目がいってしまう令嬢の姿が浮かんだ。


 彼は今、体に沿った細いストライプのシャツを着ている。第一ボタンは外し、袖をまくったラフな出で立ちだが、様になって格好良い。

 煌びやかな装飾が施された華やかな近衛騎士の制服も彼はなんてことなく着こなすのだろう。

 護衛の任務中であればこそ、愛想のない無表情でも好印象になる。勤務中の真剣な姿を見れた、と胸を高鳴らせそうだ。



「ユーグ様の本日のご予定をお教えくださいますか。お休みはいつとられるのでしょう? 私のことは一旦置いてくださいませ。普段の過ごし方を知りたいのです」


 恋愛指南の教師として招かれているが、彼の睡眠時間を削る訳にはいかない。


「普段ですか。仕事を終えたら、食事を済ませます。それなりの時間一服してから風呂を済ませて寝ます。起きたら食事を摂って、軽く剣の訓練をしています。その後風呂に入ってから出勤といった流れですね。特別な用がなければ、この繰り返しです。今日もその予定でした」

「そうでしたか。教えてくださってありがとうございます」


 何かを問えば、返事はくれる。

 けれど質疑応答を繰り返すだけの会話だ。彼には会話を広げる意志がない。仕事として招かれたローシェの問いに、義務として付き合ってくれているだけだった。


 食事をしながら今後の話をするのは違うと思ったから、ローシェは口を閉ざすことにした。



 そうして、目の前の風景を眺めながら彼が食べ終わるのを待っている。

 剣だこのある武骨で分厚い手。ナイフとフォークを握る彼の手は癖がなく、お手本のように整っている。

 切り分けた肉を口元に運んでいくフォークを握る手。添えられた指先を見て、爪の形までもが綺麗だと感心した。

 開かれた唇に、伏せられた眼差し。どこを切り取っても美しく整っている。


 彼が背にしている窓の奥では、どんよりとした空模様が広がっている。雨粒がガラス窓を叩いている。

 時間帯によって景色の色合いを変えてくれる日差しが遮られているので、目が覚めた時に見上げた空と同じだった。

 表情を変えない彼と同じだった。


 彼は誰に対しても無表情なのだろうか。それとも、あえて女性に対して無表情でいるのだろうか。


 ローシェは彼の立場を想像して考えてみる。

 彼の前に広がる皿が空になって、ようやく目が合った。会話が途切れてから食事を終えるまでの間、彼は一度もこちらを見なかったのである。

 正面を見ることはあっても、ローシェに目を止めることはなかったのである。


「もうよろしいのですか」


 おや、とローシェはゆっくり瞬きをした。

 些細なことだが、彼から尋ねてくれたことに驚いた。


「折角ご用意していただいたのに、申し訳ありません。今後は量を少なめにしてもらえるよう、お願いしようと思っております」

「そうですか」


 それきり彼は口を閉じる。


「もしこのままお時間をいただけるのでしたら、今後の話をいたしませんか? 落ち着いて話の出来る場所がいいですね」

「では、私の書斎へ。ついてきてください」


 当然のことながらエスコートはない。

 扉の横に控えていた使用人に食べきれなかったお詫びをしたローシェは、足を止めることなく突き進む彼の後を静かな足取りで追いかけた。






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