【11】
夜のはじまり、食堂に呼ばれたローシェは時折ではなくなった彼の視線に動揺していた。
「ユーグ様、如何なさいましたか?」
言葉に迷って、とりあえず尋ねてみる。
今回ばかりは確実に目が合っている。淡白なところは変わらないけれど、彼の意志を感じられた。
「私も貴女のようにものを見てみようと思いまして」
「そうなのですね。面と向かって仰られると、少し緊張してしまうものですね」
目を細めたローシェは少しだけ顔を伏せた。口元は深く弧を描いている。
彼が興味を持ってくれたことが嬉しかった。
「お恥ずかしい話ですが、年の近い異性と関わる機会が滅多にありませんので、慣れていないのです」
食事シーンというのがより拍車をかけていた。
彼に見られていると意識してしまうと、身に染みついたマナーが途端にぎごちなくなりそうで「平常心よ」と心の中で唱えた。
*
仕事終わりの彼と食事を終えて書斎で紅茶を淹れたローシェは、これまでの自分を模範に目の前の情景を眺める彼に問いかけた。
「ユーグ様は明日は一日お休みですよね。予定の変更はございませんでしたか?」
「ありません。特に外に出る用もないので、馬の世話で外に出る以外ではここで過ごす予定です」
「こちらでは読書を?」
彼の言う「ここ」とは書斎だろう、とローシェは判断して問いかける。
彼の書斎は、言葉の通り書斎だ。書き物をするための机と、壁に沿った棚に隙間なく並ぶ書籍。そして応接セットがあるだけで、彼の趣味がわかるものがない。
ちなみに、飾られている数本の剣を彼が手に取った姿をローシェはまだ見ていない。
剣の柄には大きな宝石が埋め込まれ、繊細な彫刻で植物の蔦や鳥の羽模様などが彫り込まれている。武器ではなく、美術品としてローシェは素敵だと思ってしまう。実用性を考えると、意匠に拘り過ぎて握りづらそうとも思った。
「そうですね。領地の資料にも目を通します。帳簿や嘆願書の一覧、事業の進捗報告辺りは定期的に送られてきますから」
「既に伯爵様の補助をされていらっしゃるのですね」
「はい」
手ずから入れた紅茶を飲んで、味の評価を下しながらローシェは思案する。依頼内容の恋愛指南は、経験のないローシェにとって全てが手探りだ。
「何かを仰りたいようですが」
彼が自ら会話をしようと口を開くのは珍しい。それが少しずつ増えてきている。
実感ができると嬉しく思う。仕事を抜きにして、喜んでしまった。
「お仕事をされるのでしたら、私は此方を訪ねない方が良いですよね。食後はこれまで通りにお時間をいただきますが、他をどのように過ごすか考えておりました」
彼の休日はローシェにとって勤務日になる。
夫人からの依頼と報酬額を考えると、なるべく短期で結果を出すべきだが、彼が一息つける休息日であることを忘れてはいけない。度合いが難しい、とローシェは思う。
「構いませんが」
凛とした彼の声。音の境界線が目に見えるように明瞭だ。
(構わない……ということは、尋ねても良いってことよね?)
言葉少なな彼ははっきりと断言しているけれど、思い違いを生みそうである。真っ先に読み取った意味が正しいかを丁寧に検討する。
「ここにいらして構いませんよ。風景の一部、なのでしょう? 私は気にしません。貴女には守秘義務がありますし、覗き込みはしないでしょう。見られて困る書類でもない」
そんなローシェを眺める彼は、今度は具体性をもって流暢に述べた。
「ありがとうございます、ユーグ様。では、お言葉に甘えて私もこちらで過ごさせていただきたく思います」
目元を綻ばせて微笑むと、彼は僅かながらも頷く。
彼が背にする本棚に目が留まったローシェは、彼を知るべく、会話を広げることにした。
「ユーグ様が愛読していらっしゃる本はございますか? お貸しいただけるのでしたら、私も読んでみたいですわ」
哲学書や指南書といった専門的な分野だろう題目が背表紙に記されていて、外国語の表記も多く並んでいる。反対に、大衆に人気の娯楽小説や実用書は少なさそうだ。
「愛読とは言えませんが、改訂されるたびに目を通しているものはあります。どれも女性が興味をもつとは思えませんが」
「教師として知識はいくらあっても足りませんわ。これまで手を出さなかった分野に興味をもてる、というのも人との関わりゆえですよね」
「では、数冊選んでおきます」
「楽しみにしておりますわ。ありがとうございます」
ここで「貴女が読まれている本は?」と聞き返してもらえたら良かったのだが、残念ながらそこまで順調には進まない。
(でも、今後どうなるかは分からないわ。時間が空いた時に家に戻って、本を数冊もって来ようかしら)
それがいい、とローシェは予定を決める。
「話は変わりますが、ユーグ様は紅茶を好んで飲まれると使用人の皆さまからお聞きしています。フルーツティーもお好きでしょうか? 折角の休日ですので、如何かと思いまして」
ポットを埋め尽くすカットフルーツと、瑞々しい旬の果実の香り。ガラスポットでつくると、飲む前から目で見て楽しめる。想像だけでも心が躍る一品だ。
彼の休日に同席させてもらえることになったローシェは、彼ひとりではとらない選択肢を投げ掛ける。普段の彼は至ってシンプルに、ストレートで飲むと聞いた。
茶葉そのものを味わえるのでローシェも好きだが、時々アレンジを加えたくなるのだ。乾燥させた果実や、生の果実、ハーブやお酒とのブレンド。気分に合わせて楽しみ方は無限に広がる。
紅茶好きの夫人も同様に楽しんでいるだろうから、彼もフルーツティーを一度は飲んだことがあるだろう。
「貴女に任せます。紅茶は母が好んでいる影響で慣れ親しんでいるだけで、職場ではコーヒーも飲みますよ。目が冴えますから」
「そうなのですね。では、朝はコーヒーにしましょうか。午後にフルーツティーをご用意いたしますね」
話を終えたローシェは、ティーセットがのったトレーを慎重にもって書斎を後にする。
余っている果物があるかを聞いて、なければ今から買い出しにいこうと思いながら、キッチンのある半地下へと向かう。足取りは軽かった。