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彼女がバイクに乗る理由  作者: 田代夏樹
4/15

初心者

 全員がコースに出てしまうと、私も三神所長もやることがない。三神所長は嬉しそうに、そして楽しそうに目を細めてコースランを眺めている。彼らが五週目に突入すると、不意に話し掛けられた。

「楽しそうでしょ?」

「そうですね」

「やりたくなったでしょ?」

「いえ、それは・・・」

「やってみようよ。面白くなかったら辞めればいいんだから」

「はあ」

三神所長がグイグイ押してくる。

「でも本当に免許取っただけで。教習所を卒業してから一度も乗っていないし。今はもう乗れないと思います」

「大丈夫だよ。自転車と一緒。一度覚えた乗り方は忘れないもんだ。ペダルを漕がない分、自転車より簡単だよ」

そういって、自分のワンボックスからバイクを下ろし始めた。やばい、私はどうやって断ろうか、必死に思案していると、マリナちゃんが戻って来た。

「田中さん、ペースメチャメチャ上げてますよ? 私限界。休憩入りまーす。」

「ああ、だいぶ盛り上げちゃってるな。一度止めるか」

三神所長はマイクを持ってホーンを鳴らした。

「休憩! きゅうけーい!!」

そして私を振り返って。

「さてウェアはどうするかな。メットとプロテクタは儂のを貸すとして、スニーカーとポロシャツじゃあなあ・・・」

「え? 真鍋さん走るんですか? なら私のお古、使って貰っていいですよ」

「あ、マリナちゃん二着持って来ているんだ。助かるよ」

「足はいくつですか?」

「23.5」

「ならお母さんのが合うかな」

マリナちゃんに押されて、彼女の車に連れて行かれた。私は何の主張する間もなく。

 マリナちゃんのご両親はとても気さくな方たちで、あっという間にワンボックスの横のテントにカーテンを張り、着替えを促した。下半身を通して、左、右と順番に袖を通し、ランドセルを背負うように両肩を持ち上げた。初めて着る革ツナギ、ジッパーが思いのほか重い。最近の女子高生は発育が良いなあ、お尻も胸も、私より豊かだ。

「良かったわ、サイズが合って。練習着でボロボロなの、ごめんね」

「そんな。私こそ厚かましくてごめんなさい」

久し振りのバイク、転倒させたらどうしよう。頭の中は断る口実を考えていたはずなのに、いつの間にか必死に乗り方を思い出そうとしていた。

「グローブとメットはこれを使って」

マリナちゃんのお母さんが綺麗なストライプのフルフェイス型ヘルメットを差し出した。SHOEIと書いてある。

「そんな。もし傷付けたら」

「そのときは三神さんに弁償してもらうわ。新品になったら私も嬉しいから好きに使って」

マリナちゃんとそっくりな笑顔。もう後には引けない。私は覚悟を決めてテントを出た。

 三神所長を探すと、ウォーミングアップエリアに居た。赤いウェアには風神、雷神、龍神のイラスト。やだ、この人、アッチ系の危ない人だったの?

「ははは! いいだろう? 仲間が作ってくれたんだ、名前にちなんで三つの神」

ド派手なウェアを自慢している。私は何と言ったらいいか、言葉を探して、見つからなかった。

「さあて。真鍋君は久し振りのバイクって言うから、まず、基本のおさらいからやってみよう」

エリアのこちら側にパイロンが二つ、向こう側に二つ、四つで長方形を形作っている。中央付近にはパイロンが赤青ペアになって縦に二列。スラロームが二列? 作られている。

「四つのパイロンがわかるかい? 長方形の。よし、あれを時計回りで回って来るんだ。パイロンの横で、カクッ、カクッてね。大回りにならないように意識して」

私はバイクに跨って、脚に力を込めた。重い。こんなに重たかったっけ? 初めて跨るバイク。教習車とは随分違う。垂直に立ててサイドスタンドを払う。

「これ、何ccのバイクなんですか?」

「VTR250。250ccのバイクだ」

キーを回して、Nランプを確認、セルスタートのボタンを押す。キュルッと唸ってエンジンが掛かった。あ、懐かしい。思わずアクセルを煽った。教習車より敏感に回転数が上がったような気がした。こんなんだっけ?

「コカしたらごめんなさい」

「大丈夫! エンジンガード付けてあるから」

右足を下ろし、脚を入れ替えて。クラッチを切ってギアペダルを踏み込む。カツンという振動と共に計器から緑のランプが消えた。左足を下ろして、右足をステップに。いつでもブレーキを踏める態勢を作って。

「行きます」

アクセルを少し開いて、半クラッチ。ガクンと揺れてエンジンが止まった。エンストだ。落ち着け、私。もう一度最初から。エンジンを掛けて、もっと回転数を上げてみる。三千回転。半クラを使ったつもりだけど、後ろから大男に蹴飛ばされたように飛び出した。

「きゃっ!」

慌ててアクセルを戻す。途端に失速してバランスを崩しそうになる。違う違う。こうじゃない。クラッチを切って、ギアを二速へ。アクセルワイヤーにゆっくりテンションを掛ける。クラッチをつなぐとすっと加速した。そう! もう一つ、三速。エンジンの回転数は千五百くらいで針がプルプルしている。パイロンが近づく。いえ、パイロンに近づく。曲がらなくちゃ! バイクを傾けて、それでもスピードが速すぎるのか、大きく膨らみそうになってブレーキを掛けた瞬間、失速してエンジンが止まった。

「きゃっ!」

バイクが傾いて右足を着いたが、重くてとても支えられない。駄目! 倒したくない! 踏ん張る私に声が掛けられた。

「無理しないで、バイクから離れて! 倒していいんだから!」

そう言われて私は抵抗を止めた。さっとバイクから離れると、ガチャッと音はしたが、エンジンガードのせいかそれ以上バイクは倒れなかった。

「ごめんなさい。倒してしまって」

「大丈夫って言ったろう? 初心者はスピードが出せないから、ほぼ立ちゴケしかしないんだ。ガードの付いたバイクなら壊れやしないよ」

そう言って三神所長は軽々とバイクを起こした。

「高いギアでつないだままブレーキを掛けたからエンストしたんだ。ここで三速は要らないよ。取り敢えず一速と二速で。シフトアップとシフトダウン。ね」

ああ、そうか、そうだった。私は四年前のことを思い出した。ニーグリップの重要性も。

そこから再スタートして、短い直線を走り、ブレーキ、シフトダウン、曲がって、加速、シフトアップ、減速、シフトダウン。ぐっと曲がってアクセルオン。少しずつ思い出して、なんとなく楽しくなってきた。

 途中で左回りを指示された。同じようにしたつもりだけど、左回りの方が走り易い気がする。教習時代もそうだった。三神所長が手を上げて私を止めた。

「じゃあ今度は、左の手前のパイロンから右の奥のパイロンへ向かって。左ターンで左奥のパイロン。左ターンで右手前のパイロン。右ターンで左手前のパイロン。右ターンで右奥のパイロンを目指す。ターンが90度じゃなくて120度になるからね。真ん中のパイロン群は無視して行ってみよう!」

今度は左左右右か。曲がる角度が直角じゃなくて、もっと深く曲がるんだ。慎重にスタートを切って、シフトアップからのブレーキ、シフトダウン。バイクを傾けて、と。リーンしている時間が長い。まだ、次の目標パイロンが見えない。まだなの? そう思った瞬間、バイクがふらついた。肩に力が入る。ハンドルが重い。やっと次のパイロンが見えた。アクセルを開ける。こんなの、教習所では走っていない。三周して戻って来ると、今度はまた違う方向に走るように言われた。

「左の手前から左の奥のパイロンへ。右ターンで右手前のパイロン。左ターンで右奥のパイロン。左ターンで左手前のパイロン。右ターンで左奥のパイロン。今度のターンは150度!」

えーと、右左左右で、150度? ああ、さっきよりもっと長い時間曲がるんだ。でも要領は解った。パイロンの横でバランスを取ればいいんだ。その時間が長くなるだけだ。

グルグルと回っていると、視界に三神所長がスマホで撮影しているのが入った。私、撮られている。何 のために? 考える間もなく、次のパイロンを追いかける。

 三周回って、今度は三神所長には止められなかった。三神所長は電話で話している。私はもう一周まわって、三神所長の横でバイクを停めた。

「丁度いい。今小休止でこっちに来たよ」

振り向いた三神所長は私にスマホを差し出した。通話はスピーカーに切り替わった。

「だから誰ですか? 教えて下さいよ」

浅見さんの声だ。

「さっきね、動画を撮って浅見に送ったの」

何ということを! 私への意地悪か、浅見さんへの悪戯か。

「俺の知り合いにあんなド素人いませんよ! ねえガミさん! 意地悪しないで教えて下さいよ。気になるじゃないですか!」

スピーカーから流れる大声。送話口を手で押さえて三神所長はにやにや笑っている。

「浅見の知ってる人がモトジムを始めたぞ、ってね。そう話したら、誰だか知りたがってさあ」

ははあ、そういうことですか。それでド素人と判断されたのね、私。そりゃ何年かぶりのバイクで、少しはぎこちなかったかも知れないけれど。・・・ド素人か。まあそうね。

「あんな下手くそに、ガミさんのバイクは勿体ないって! 格好ばかりつけてツナギなんか着やがって。あんなのチャリンコでも乗せときゃ・・・」

はああ? 私が頼んで乗せて貰った訳じゃないんですけどお? 私の頭の中で、カチンと音がした。

私は三神所長からスマホを受け取った。

「もしもし? 私、真鍋です。すみませんねえ、下手くそな、ど! 素人で。何せ四年ぶりのバイクなんで。」

努めて冷静に言った。でも自分でも頭に血が上っているのが判る。

「まなべ? なんだ、真鍋か。何でお前がバイクに乗っている? バイクには興味がないんじゃなかったのか?」

「そんなの・・・私の勝手でしょ!」

乗りたくなった訳じゃない。たまたま話の流れというか、その場の勢いというか。でも、それを口にするのをためらった。自分の意思で行動していないことを知ったら、浅見さんはまた何か言いそうだ。この人は、仕事以外でも私のすることに口を挟むのか、そう思うとなんか腹が立つ。

「まあ、もちろんお前の勝手だけどな。でもなんだ、あの走り方は? ガミさんのバイクに乗ってガミさんのレクチャー受けて。ガミさん、ああ見えても昔は神様って呼ばれてた人だぞ? それをあんな腑抜けた走りで。ガミさんの面目、丸つぶれじゃないか。だいたいな、ガミさんのバイクはレーシングタイヤで・・・」

私はスマホを地面に叩きつけたい気持ちを押さえて、通話を切った。ついでに電源も切って差し出したスマホを、苦笑いを潰した顔で三神所長は受け取った。

「・・・まあ、なんだ。なんか冗談を真に受けたみたいだな、浅見のやつ」

「三神所長! 浅見さんはそんなに速いんですか? バイクの扱いが上手いことがそんなに偉いんですか? 私、あんなこと言われて悔しいー!」

「ほら、そこはあいつの勘違いだから・・・。でもまあ、この世界じゃ速いイコール偉いは、間違いないかな。さっきのクラス分けもね、ウチのは草レースだからSとNにしか分けていないし、昇格認定もないけど。Sクラスは、本当はシード選手のことなんだけどさ、A級、B級,C級の1、2、D級って実力、成績によって細かく分かれているんだ。A級のライダーはそれこそ神様のように敬えられる、ほんの一握りのトップライダーだからね。それで偉ぶっているヤツはおらんけどな」

「浅見さんはA級選手なんですか?」

「いや。あいつは中央も地方も正規の認定レースには出ない。あいつの目的はジムカーナの成績じゃなくて、バイク操作の練習そのものだから。ただ、実力的にはC1に近いレベルだよ」

C1級? 上から三つ目・・・そうなのか、やっぱり速いんだ。でも悔しい。それを聞いても納得できない。何故私があそこまでコケにされなくてはならないのか。だいたい私は選手でもないし、あいつだってC1じゃないってことはC2相当じゃないか。それも非公式の。

「マリナちゃんもSクラスですよね? 彼女は何級なんですか?」

JKより遅ければそれを弄ってやる。

「マリナちゃんは先月C2に上がったばかりさ」

私は頭に上った血が中々下がらない。何か、あいつをぎゃふんと言わす方法はないものか。

「三神所長! いえ、ガミさん!」

「ガ、ガミさん?」

「私にバイクを教えて下さい。私、浅見さんに勝ちます!」

「勝つって・・・。ジムカーナでか? そりゃあ・・・」

無謀と言う言葉を飲み込むのが判った。目を丸くしている。私はヘルメットのシールドを下ろした。練習しかない。反射的にそう考え、エンジンを掛けようとするとガミさんがそれを止めた。

「ちょっと待ちなさい。そんなに興奮した状態で乗ったら、それこそ飛んじゃうよ」

戒められて、バイクを降ろされた。ヘルメットを脱いで、両手で抱えこむ。

「ここに立って、動画を見てごらん」

そこはさっきまでガミさんが立っていた場所だ。

「さっきの君の走りだ」

差し出されたスマホをパイロンの位置を合わせて、動画を再生する。パイロンの横をほぼ垂直に、バイクの舵角だけで曲がっている。全然傾いていない。もっとリーンしているものだと思っていたのに。しかも大回りだ。加減速も緩慢でメリハリがない。こんな走り・・・。私は恥ずかしくなった。初心者丸出しではないか。本当にド素人だ。さっきまで見ていたレースでの選手の走りとは天と地ほども違う。それにしても、自分ではもっとスムーズに走っているつもりだったのに。

 うなだれる私の背後でエンジンが掛かった。ガミさんのVTR250。

「ここでスマホの動画と儂の走りを見比べてみてごらん。あと、音もよく聞いて」

ガミさんが走り始めた。

 ぶわぁぁ! ふぉん、すっ! ぶわぁぁ! ふぉん、すっ! なんとリズミカルなのだろう。パイロンの横、立上りからの加速が早く、長い。そして急ブレーキでの減速、パイロンの手前でいきなり倒れ込むバイク。転倒と勘違いするような、パタンって感じ。それがクルッと回転していきなり垂直に起き上がる。なんでこんな動きをするの? 間近で見るそれは不思議な動きで、しかも恐ろしいくらいにスムーズだった。そして私の横で急停止。

「今のはタイムを作るための走り方ではないけれど、まず、この程度の走りができるように頑張ってみよう」

この程度、ですって? とんでもなくハードルが高く思える。あいつとガミさん、どっちが速いのだろう? それでも、この程度、ができなければタイムを作ることができないのか。なんと無謀な挑戦を口にしたのだろう。私は少し後悔した。でもあいつの、人を小馬鹿にしたような言い方が耳に残っている。ガミさんがバイクを降りた。

「音は聞いた?」

「はい。とてもリズミカルでした。一定のリズムを刻んで音色が変わって」

「それがわかれば上等。今日は加速と減速を覚えよう。ギアは一速、ローのみ。フルスロットルでメーターを振り切るつもりで」

私は頷いた。

「ローで全開をくれてやって、そこから全閉フルブレーキでコーナリング速度まで落とす。ローで全開全閉の繰り返しは難しいぞ」

「やってみます」

 ヘルメットを被ってVTRに跨る。千三百回転で回るエンジンはこうしている分には静かだ。二千まで回転数を上げて、そっとクラッチをつなぐ。動き始めた車体を、強く膝で挟み込んで、一気に右手を捻り込んだ。フワッと前が浮いた気がして、それでも右手はそのまま。VTRは持ち主と違うライダーを振り落とそうとする。あっと言う間にパイロンに近づき、アクセルを戻すと、今後は前につんのめり、身体が前に投げ出されそうになった。それでも腕立て伏せの態勢で堪え、ギュッとブレーキレバーを握る。ガクンと前が沈んで、やっぱりVTRは私を投げ出そうとする。今度は後ろが浮いた? ドスンとリアタイヤが地面に着いて、ゆっくりとパイロンを回る。さあもう一度。へこたれるものか。私はアクセルをちぎれんばかりに捻った。

 一周回る度に、ガミさんは指導してくれた。フォーム、フロントブレーキの使い方、リアブレーキの使い方。バイクの倒し込み方。目線の流し方。段々ガミさんも熱くなって、口調が厳しくなる。私はそれを少し心地よく感じていた。体育会系のコーチの激。

「パイロンの手前3mからバンクを始めろ。ここから見てパイロンのすぐ横に付けるんじゃない、パイロンの向こう側にバイクを近づけるつもりで。二千回転でアクセルを当てて、ためらわず、一気に倒せ」

「アクセルを当てるとは?」

「回転数を固定するイメージ。ワイヤーを張っても加速させない」

私は二回三回とアクセルを煽り、戻して軽くワイヤーを張った。すっとメータの針が二千回転で止まる。これか!

 私は何度目だろう、パイロンに向かって飛び出して行った。ぶわぁぁ! ふぉぉおん、アクセルを当てて、曲がれ、バイク! だけどイメージとは全然違う所を走っている。

「ちがーう! ためらうな! 肩から一気に倒せ!」

ええーい! もうどうにでもなれ! ガミさんの声に身体が熱くなった。ぶわぁぁ! ふぉぉおん、パイロンに近づく。と、不意に音が消えた。私の中で誰かが囁く。思い出して! ゴール下、ドリブルで切り込んでからのストップ、サイドステップ・ターン。バイクの重さがまるで感じられなくなった。一気に切れ込んでいくマシン。VTRはタイトな弧を描いてカーブした。

「それだあ!」

ガミさんの大声。なんだろう、この感覚は。バイクが自分の手足のように動いてくれたこの感覚は。ああ・・・快感・・・。私はアクセルを大きく開いた。


「ガミさーん。そろそろパイロン片付けるよお」

気が付くとウォーミングアップエリアには結構な人が集まっていた。慣熟走行をしていたコースでは、トラックが既にパイロンの回収を終えている。

「ああ、すまん、すまん! 真鍋君、今日はこれで終わりだ。トラックもパイロンも、教習所から借りてきているんでね。返却しないと」

「ガミさん、ここって?」

「あっちに教習所があるだろ? ここはあそこの第二コースになる予定だったんだけどね。計画が頓挫して、今は使っていない。それで交渉して月に二回、借りているんだ。パイロンもね」

「じゃあ練習も月二回ですか?」

ガミさんは頭をかいた。

「それは後で話すよ。それより、真鍋君もツナギとブーツを返してこないと」

そうだった。バイクもウェアも一切合切借りものだ。私は慌ててマリナちゃんのテントに走った。ヘルメットっていくらぐらいするんだろ? 革ツナギ? ブーツ、グローブ、バイク! そうだ、まずバイクだ。あいつに勝てるバイクを選ばないと。私の頭の中はバイク一色になっていた。

 全ての片づけが終わり、ワンボックスカーも三々五々帰って行った。最後に残ったのはガミさんと私。そこにはお祭りが終わった後のような虚脱感はなく、まだ熱く興奮している自分がいた。

「基本日曜日はね、儂の都合のつく限り、なんだけど、浄水場の第三駐車場を練習場として使っているんだ」

「え?」

「あそこでなら、八の字やオフセットスラローム、回転の練習ができる。真鍋君も来たらいい」

職権乱用? 公私混同? そんなこと、許されるのか?

「私、自分のバイクもないんですけど・・・」

「職権乱用とか、言うなよ? 一応、名目は駐車場の清掃としてある。あの辺はすぐに落ち葉が溜まるから、掃除をして、そのついで、だ。でも、他の連中には言わんでくれな。人数が多くなると言い訳が苦しくなる」

どうしてだろう、私の思ったことは顔に出てしまうのだろうか。

「差し当たりは儂のVTRで練習してもいいんだが・・・。儂らの草レースは、公道走行車両、つまり自走可能なバイクであること、自分の車両であることって言うのが条件なんだ。あんまりジムカーナに特化した車両を持ち込むと、腕以外で差がついてしまうし、転倒の可能性もあるからレンタルってわけにもいかない。真鍋君も自分の気に入ったバイクを買ったら、それでジムカーナを楽しめばいい」

「自分で買うとしたら、どんなバイクが良いんでしょうか? あいつ、じゃなくて浅見さんに勝つためには」

「難しい質問だな。ジムカーナはテクニック勝負だから排気量や最高速には拘らなくてもいいんだが。今日も色んなバイクが走っていたろう? 皆自分のお気に入りのバイクで、テクニックを磨いているんだ」

確かに色んな車種が走っていた。私にはよく判らないけど、カウルのあるヤツないヤツ、背の高いバイクや低い姿勢のバイク。どれが良いんだがさっぱりだ。

「そのバイクで何をするか、だいたいバイクって言うのは用途で種別があると思えばいい。まあ若干はみ出しているのもあるけどな。例えば、だ。近場の買い物ならスクーターでも問題ないけど、北海道のロングツーリングには向かない。タンクが大きくて積載量の多い、ツアラーやアドベンチャーの方が向いている。林道とかダート、つまりオフロードを走るにはオンロードのレーサーレプリカじゃ無理だ」

「あ、あの。朝仰ってた、SSKっていうのはVTRみたいなバイクのことですか?」

「・・・SSっていうのはスーパースポーツのことで、大排気量のスポーツ、つまり運動性能を重視したバイクってことかな、オンロードの。スポーツ用品じゃないぞ」

「レーサーレプリカとは違うんですか?」

「SSっていうのは、元はストリートモデルなんだよ。まあその改造クラスっていうレースがあるからややこしいのだけれどね。レプリカはそのまんま、レーサーの公道仕様車、複製品だな」

「じゃあ、レーサーレプリカが速いんですね?」

「・・・単純に排気量別の、サーキットレースとか、最高速トライヤルとかをすればね。でもジムカーナっていうのは・・・。まあいい。浅見に相談してごらん。それが一番手っ取り早いだろう」

「私は、あいつ、じゃなかった浅見さんに勝ちたいんです。それなのに浅見さんに聞くんですか?」

「だからさ。浅見のバイク、Ninjaの長所も短所も知り尽くしているのは、あいつ自身だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、敵を知り己を知らば百戦危うからず、だよ。それにあいつはバイクには詳しいぞ。古今東西国内外を問わず、現存実走可能な車種は大体知っている。あいつくらいバイク愛の強い奴も珍しい」

「でも」

「いくらカタログを眺めて見ても、専門誌のインプレッションを読み込んで見ても、それで選んだバイクが自分に合っているかどうかは判らない。浅見の意見も、参考程度にしておくんだよ。スペックを比較したって、そのバイクのディテールは見えてこないさ。やっぱり乗って走ってみないとな。誰か言ってたな、カタログの中にバイクは存在しないって。誰だっけな」

 バツが悪い、あんな電話の切り方をしたのに。どんな顔をして、どんなふうに聞けばいいのだろう。あんたの得意なジムカーナでコテンパンにしてやる、とは言えない。ガミさんは、車から今日のコース図とリザルトを取り出した。

「これ、持って行くと良い。スマホが切れたのは電波のせいにして。素直に聞けばいいさ、興味が出たので教えて下さい、ってね。あいつも熱い男だからな。感情の起伏は激しいけど単純なのさ。真鍋君が好きと言えば、簡単に落ちるさ」

「わ、私は浅見さんのこと好きでもなんでもありません!」

「・・・、バイクが好きになったって、そういう意味だよ?」

私の耳が痛いくらい熱くなった。


 病室に入ると、浅見さんはDVDを見ていた。左手はハンドグリップを握っている。イヤホンを付けたプレイヤーで喰い入るように見ている、真剣な眼差し。

「こんこん」

カーテンは叩いても音がしないので私は擬音でノックした。浅見さんは顔を上げるとイヤホンを外した。微かに音が漏れる。やっぱり、バイクのDVDだ。

「これ、先日のリザルトです」

「なんだ、わざわざ持って来てくれたのか」

「洗濯物、出して下さい。コインランドリーに行って来ます」

「もう来ないと思ってた。あんな電話の切り方するから」

「あれは・・・。あれは私が切ったんではなく、あそこの電波状況が悪くて切れたんです。アンテナ一本でしたから」

「へえ」

差し出されたビニール袋を私はひったくると、病室を出た。浅見さんの顔を直視できない。ふうう、と深呼吸。ガミさんのせいだ。変なこと言うから、意識してしまった。

 洗濯機に洗濯物と洗剤と柔軟剤を入れて蓋を閉じる。ランドリーカードを入れる。するともうここでやることは何もない。私はゆっくり病室に戻った。

「あのお、聞きたいことがあるんですけどぉ」

「なんだ」

「浅見さんのバイクって、忍者っていうんですよね? やっぱり速いんですか?」

ぱぁっと明るくなった顔、少年のようだ。そうなんだ、この人はこんな顔もするのだ。

 そこから暫くバイク談義になって、と言っても私は頷くだけでもっぱら話したのは浅見さんだけど、私は彼の話のほとんどが理解できなかった。それでも彼は上機嫌で。

「そおか、真鍋も乗りたくなったかぁ。で、何を買うんだ? もう決めたのか?」

「それを浅見さんにご教授いただけないかと」

「どおいうのが好みなんだ? 何処を走りたい? それによって全然違うからな」

私には教習で使った400ccのCBとガミさんのVTR250しか解らない。

「こう、カウルが付いていて、スポーティで、格好いいのがいいです」

あ。格好いいだなんて、そんな抽象的な言い方、叱られるだろうか。

「そうか、外見は大事だからな。じゃあロードの、400レーサーレプリカはどうだ?」

え、外見って大事なんだ。彼は枕の下からバイク雑誌を取り出した。はずみで落ちる成人雑誌。綺麗な女性が、大きな胸をこれでもか! って協調しているグラビア。胸を隠す布はあるのかないのか。大きく、驚異のHカップ! と見出しが書いてある。

「あ」

一瞬空気が固まったような時間があって、私は落ち着いて雑誌を拾い上げた。

「大きいのが良いんですか?」

「いや。そういう訳では」

「浅見さんは大きいのが好きなんですよね? 拘りがあるというか」

「いや、その人の体形にもよるし。バランスってものがあるから、大きけりゃいいって訳じゃ・・」

「・・・何の話しているんですか? バイクですよ、バイク! 浅見さんの忍者は1000ccなんでしょう?」

「バイクの話・・・だよ? バイクの。そう。真鍋の体格じゃ、400のレプリカだと腕が伸び切っちゃうかな、ってこと」

何か誤魔化されたような気もするが、ツッコミを入れて折角のご機嫌を損ねるのは止そう。

「私、169cmあるんですけど、それでも?」

「169cmなら全然オーケーだろう。女性にしては大きいな、真鍋。そんなにあるのか」

バスケットボールをして、中学高校でグッと伸びたのだ。

「400ccが1000ccより速いってことはないですよね?」

「そりゃそうだ。でも走る場所にもよるかな。ゼロヨンや最高速では絶対に勝てないから、サーキットみたいなとこじゃ1000ccだろう。でもジムカーナみたいな・・・」

言葉が途切れて、彼の顔つきが変わった。

「モトジム、やる気か?」

しまった、バレたかしら。

「やる気と言うか、三神さんに誘われて。まだ迷ってますけど」

私は言葉を濁した。

「前にも言ったろう? 大排気量が絶対有利って競技じゃないんだ。勝てる要素はいっぱいあるさ」

いや、バレていない。

「このリザルトだって、トップテンで見てみろ。大型は三台、中型が六台、小型だって入っている。中型車の六台中四台はニイゴーだ」

「じゃあ?」

「ジムカーナって特殊な競技なら同等に走れるさ。タイムの上ならな」

「タイムの上って?」

「バイクの特性上、タイムの稼げるセクションもあるし、選手の得手不得手っていうのもある。例えば・・・」

言葉が止まった。その先を知りたいのに。

「まあいい。しかしジムカーナならレプリカじゃない方が良いと思うがな。ネイキッドの方がハンドルに切れ角があるし・・・。でもフルカウルは外せないよな」

彼は同意を求めるように私を見た。でも私はそれがどういう意味なのか解らない。とりあえず、頷いて反応を見る。

「いくらジムカーナをやってみたいって言ったって、自分の好きなバイク、気に入ったバイクでなけりゃあな」

そう言うと、雑誌をめくって写真を私に見せた。

「これなんかどうだ?」

「なんかイカツイ顔ですね」

「そおか? 今はこの手のデザインが流行りなんだ」

二枚三枚と写真を見せられてもピンと来ない。彼はスマホを取り出すと、検索を始めた。

「ちょっと古いモデルだけど・・・」

差し出されたスマホには丸目二灯のモデル。あ、良いかも。

「こういうのはファーストインプレッションが大事なんだ」

私は椅子の位置をずらし、彼の手元でスクロールする画面を覗き込んだ。

「あ! コレ!」

私は彼の手を止めた。

「FZR400Rか・・。今は400もツインが主流なんだけどな。お前、凄いセンスしてるなぁ」

「駄目、ですか?」

「良いんじゃないか、バイクなんて好みで乗れば。ただ、もう絶版車だからな、中古になるぞ」

 それからウェアだのヘルメットだの装備の話になって、面会時間いっぱいまで話し込んだ。考えてみれば彼と仕事以外のことで、こんなに長い時間話したのは初めてだ。

「あ、いっけない。洗濯物」

「俺が取って来る。もう時間だろう」

彼はベッドから起き上がると、スリッパをつっかけた。

「すみません。すっかり話し込んじゃって・・・」

「いいさ。楽しかった」

楽しかった? そう言われてドキッとした。楽しかったんだ、私と話して。私はどうだろう。楽しかったと言えば、そうとも言える。二人で並んでエレベータの前まで歩いた。

「一番左の、上の段のランドリー機です。袋は、取っ手に引っ掛けてあります」

「サンキュー。そおいや、明日。計画工事の日だろう? どうするんだ? 誰が行くんだ?」

指導員が入院中は、私は吉野課長か榊原さんと一緒に行動している。エレベータの下向きのボタンを押す。

「明日の現場には榊原さんと私で行きます」

「そうか。工事は村山さんとこだから、まあ問題ないだろうが、掘削には十分注意してもらってな」

ポーンと音がして、エレベータのドアが開いた。何人か既に乗っている。

「俺の現場だから、仕切りはバラに頼らず、お前がやれよ」

「はい。・・・あの、ありがとうございました」

「気を付けて帰れよ」

手を振る彼の姿は、周りの人の目にはどのように映っているのだろう? ドアはゆっくりと閉じた。

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