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彼女がバイクに乗る理由  作者: 田代夏樹
11/15

あいつ

 三神塾の定例草レース、冬の陣は、年末に忘年会を兼ねて行われた。レースの後は練習会に移行するのが通例だが、この日は大鍋に豚汁と芋煮が準備され、肉が大量に焼かれた。ビールを飲めないのが辛い。

 それこそ奪い合うように箸が伸び、網の上の牛肉は色が変わるや否や誰かのお皿に瞬間移動して行った。こんなに沢山あるのに・・・あっけにとられたが、これが本能と言うヤツなのだろうか。

第三波の焼肉争奪戦が落ち着いて、ようやくリザルトを見ながらの反省会が出来た。

 トップは渡辺(父)さんで一分二十九秒八〇、二位にはガミさんが僅差で入って一分三十秒七七。この二人がダントツで、寒冷期のタイヤの差が顕著に出た感じだ。私も含めて転倒者続出だったものね。あいつは一分三十七秒二六でトップと九秒四六差の九位。私はそれに遅れること八秒で十六位。

決して満足できる結果ではなかったものの、秋の陣から比べれば一歩前進進だ。あいつとの差は十三秒から八秒まで縮まったのだから。渡辺さんにもガミさんにも、この路面でこのタイムは素晴らしいと褒めてもらった。ただ、第一ヒートで転倒した私と二回ともノーミスでクリアしたあいつとの技量の差は、タイム以上に感じられる。悔しい。


 年が明けて路面が凍結する日が増えた。この地域では山間に近いところではバイクに乗れない日もある。河川敷の教習所コースもこれでは使えない。一月二月は、ひたすら動画を見てイメージトレーニングに明け暮れることにした。ジタバタしても天候には逆らえない。春は必ずやってくるのだ。

 DVDはあいつから貸してもらうか、動画投稿サイトからA級選手の走行動画を検索した。投稿サイトはやっぱり素人撮影なのか、肝心のライン取りが切れていることがしばしばで、結局去年の秋の陣のレースを見返してしまう。トップの山岸さんの走りは、マシンがCBR600RRカスタムだからライン取りはもの凄くためになる。渡辺(父)さんのはMT07で、ターンの入り方が違うからラインそのものは参考にはならないが、マシンの操作はキレッキレだ。それはマリナちゃんのMT25も同じで、非力な250ccと思いきや、どうしてどうしてお父さん譲りのマシン操作でタイムを稼ぐ。とてもJKとは思えない。

 ガミさんの走りは何か特別感がある。あいつが究極の、と言った意味が今ならよく解る。こんな風にマシンを操れたら、そう思う気持ちとこんなの絶対無理、魔法でも使っているんだわ、と言う気持ちが混在する。


 朝、いつものように出勤する。何気ない毎日に充実を感じる。私のデスクがあり、私の業務がある。私の横にはあいつ。自分のパソコンを立ち上げ、給湯室で二杯のコーヒーを入れる。今日しなければならないタスクを確認する。すっかり慣れたルーティン。今の業務パターンになって五ヶ月が過ぎた。仕事上の不都合は現場には行けないことだ。これについては相変わらず仮処分のままだ。何気なく思い浮かんだ疑問がそのまま口をついた。

「ねえ浅見さん、おかしいですよね? あの話は何の進展もないんでしょうか?」

「あの話? どの話だ」

「パワハラ疑惑ですよ。あれから五ヶ月以上経つんですよ? 弁護士まで立てておいて、立ち消えなんて有り得ないだろうし、村山さんとこは普通に工事に入っているみたいだし」

「上の方で適当にまとめたんだろ?」

「それなら私たちの仮処分が解けたり、あるいは本処分の命令が出たり、するものなんじゃないんですか?」

「さあな。こんなの、俺だって初めてだからな。知らん」

「このまま全管轄の外回りなんて、酷過ぎます」

「俺たちの担当地区の、工事予定日だけじゃないか」

 そんな会話を交わした翌日。私たちは課長に呼ばれた。

「浅見、真鍋、ちょっと会議室に来てくれ」

嫌な予感しかしない。このパターンは、あの時と同じだ。昨日は虫の知らせだったのかしら。促されて会議室に入った。やっぱり、三田村副局長と倉橋部長が居た。

「座ってくれ」

吉野課長のこの口調。嫌な予感がどんどん大きくなって行く。私たちは副局長と部長の反対側、入り口の近くの席に座った。そのはす向かいに課長。部長は私たちの顔を交互に見た。

「異動内示だ。正規の辞令は三月一日付けで下りる」

「異動って、俺たち二人が、ですか?」

「そうだ」

「それは、例のパワハラ疑惑の正式な処分、ということですか? 疑惑は認定されてしまったんですか?」

副局長は少しだけ困った顔をして、それからゆっくり口を開いた。

「・・・長い間交渉して、先方の当事者、つまり被害を受けたと申告している人間には会えませんでした。結局向こうの弁護士の言葉と君たちの証言を比較審議するしか出来ません。言い分は平行線、普通なら起訴されるところでしょうが、先方は何故かそれはしようとしません。起訴されればこちらも弁護士を立てるつもりでしたが・・・、この件はよく解りません。のらりくらりとこっちの言い分を躱しながら、向こうの主張だけを通そうとして・・・」

「あっちの要求は?」

代わりに倉橋部長が説明した。

「・・・一、加害者を該当業務全般から外し、今後委託業者への接触を禁ずること。二、工事入札制度の全廃、以下に上げる法人を専任委託先として指定すること。ここには市内八社の名前が記されている。もちろん村山組の名前もな。そして・・・慰謝料は要求しないとある」

「滅茶苦茶な要求ですね。普通ハラスメント訴訟の目的は慰謝料でしょう? それなのにそれを要求しないなんて・・・」

「そもそも入札制度で市が予算を決めるから、市と委託業者に上下関係が生まれる。これを全廃しない限りハラスメントはなくならない、って言うのが向こうの言い分だ。まったく納得できん」

苦虫を嚙み潰したような部長の顔。それを同じように堪えている課長。部長は首を左右に振ると私たちに向かってこう言った。

「甚だ遺憾ではあるが、こちらは君たちの異動という形で折衷案を申し入れる。浅見、真鍋の両名は三月付で、自然災害未然対策課準備室への出向を命ずる」

一瞬何のことか判らなかった。それは浅見さんも同じだったようで。

「何ですか? 自然災害未然対策・・? そんな課、ありましたか?」

「市役所内に防災課が出来たのは知っているだろう?」

課長が口を開いた。

「ええ。五年前、でしたっけ? 地震、津波被害の軽減対策で市民課から独立した部署ですよね」

戦後の二回の大震災の経験を踏まえ、ウチの市でも遅まきながら出来た部署だ。

「元は市民への防災への啓発啓蒙活動が中心だったんだが、土木課から地震や台風、ゲリラ豪雨による湖河川の治水対策の連携要望、山間部沿岸部の地盤危険地区の対策要望、いろいろあってな、今の防災課だけでは手が回らんのだ。それで人員と予算を増強し、防災課をベースに自然災害未然対策課として再来年度新設することが決まった」

「再来年度・・・」

「その立上げとして準備室を用意する。防災課の片手間にはできないんでな。それで市長から招集の人選依頼があったんだ」

「まったく、ウチのエースを引き抜かれて、三課の人手不足は深刻なんだが・・・・しかしこう言ってはなんだが、タイミング的には丁度良い」

「吉野課長、三課には一課二課から応援を出しますよ。それと来期の新人も配属しますから」

人事異動って、こんな風に決まるのか・・・。私は自分のことなのに何故か他人ごとのように聞いていた。浅見さんは天井を向いている。

「あと一ヶ月ちょっと。その間に応援の人間に業務を引き継いで。それから四月と五月は新人教育に一時的に戻ってもらうから」

「私もですか?」

「浅見だけだ」

 席に戻ると、榊原さんがそーと話し掛けて来た。

「洋子ちゃん、異動だってね」

「な、なんでそれを⁈ 私だって今さっき聞いたのに」

「噂はね、本人だけが知らないもの、なんだよねー。でも寂しくなるなあ、三課の紅一点だったのに。・・・送別会は任せてね。しっかり幹事やらせてもらうから」

ああ、もう送別会の話まで出ている・・・。一体どんな情報ネットワークなんだろう。


 三月、異動と共にジムカーナ練習会は再開すると、最初の練習会でガミさんに早速言われた。

「なんだ、異動するならウチに来れば良かったのに。ウチだって募集してたのに、つれないなあ」

勿論ハラスメントの話はできない。異動の話だけが独り歩きしていて、説明が苦しい。

「希望異動ではありませんから。上司からの職務命令です」

「で、また浅見と一緒なんだ?」

「ええ、それも業務命令なんで。でも聞いて下さいよ。今度の職場はまだ準備室なんで、土日祝日が完全休日なんです。夜勤もないし。毎週練習に来れますよ」

「いい心掛けだね。でもあんまり入れ込まなくてもいいんだよ? たまにはツーリングに出掛けたりとかさ」

「浅見さんを負かしたら、ゆっくりツーリングに行って来ます」

「負かしたら、なんて言わずに二人で楽しんでくれば良いのに・・・」

「そんな! まるで付き合っているみたいに言わないで下さい!」

「え? 勤務ではいつも行動を共にして、休日もここに来るか、ツーリングに行くか、バイクのメンテするか、いつもペアで行動しているじゃない。そーゆーの、付き合っているって、言うんじゃないの?」

「言いません! たまたま職場が一緒で、上司命令で彼が私の指導員で、そのせいで私は自由に休みが取れずにいて、ここに練習に来たら彼が同じ場所にいるだけです」

「浅見の入院中、身の回りの世話に行ってたよね?」

「あれは私を庇って負った怪我ですから、人として当然です」

「一緒に清里でジェラート食べたんだよね?」

「彼のリサーチ結果が偶然そうなっただけです」

「サスペンションの設定、浅見にしてもらったんだよね?」

「あれはオイル交換のついでに。私、工具持ってないもので」

「北陸へ、蟹食べに行かなかったっけ?」

「あれは美味しかったぁ。蟹があんなに甘いものだとは知りませんでした」

「他にも二人でツーリング行ってるでしょ?」

「平日休みの時に伴走車がいなくって・・・。それなら俺が一緒に走ってやるって、彼がコースを勝手に決めるんです。強引なんです」

「初詣だって一緒に行ったんでしょ?」

「あれは外回りのついでに水神様へお参りに行っただけです、業務関連です」

「・・・うーん。そういうの、世間では付き合っているって、言うんじゃないのかなあ?」

「付き合ってなんかいません!!」


 三神塾の定例草レース、春の陣。気温はグングン上がったものの午前中は路面温度が上がらず、後発有利の展開になった。皆午後の第二ヒートに入れ込み、ほぼ全員員が第一ヒートのタイムを更新し、何故かガミさんだけは第一ヒートのタイムが抜群に良かった。コースとの相性が良かったね、そう言っていたけれど、ガミさんほどの人でも得手不得手があるのだろうか。でもスリッピーな路面で速いのは、本当の意味でマシンコントロールが上手い証拠だと思う。路面条件に左右されず安定したタイムを叩き出す地力、凄い。でもガミさん、第二ヒートではコースミスを犯して・・・ムラっ気のある人だ。


 トップはガミさんで一分二十八秒五六、二位は田中さんが一分二十九秒〇七。三位は山岸さん、一分二十九秒九一。あいつは一分三十四秒三三。私は一分三十九秒一七で九位。私にしては会心の走りだった。それでも・・・。

「凄い! ヨーコさん、凄いタイムですよ、C2昇格レベルですよ!」

マリナちゃんの興奮した声、うわずっている。

「それはこれが公式レースだったら、の話でしょう? 実際にはクラス認定される公式レースにはもっと強者が出て来るはずだし、トップタイムがもっと速ければ・・・」

「ヨーコさん! 今度の公式レース、一緒に出ましょう! エントリーしましょう! デビュー戦でC2昇格なんて、めっちゃ凄いですよ」

「ははは・・・」

正直、私はクラス認定には興味がない。あいつのタイムを抜いて、あいつを見返してやるのが目的だから。それにあいつも何故か認定レースには出ていないし・・・。

「浅見さんも嬉しいでしょう? 愛弟子のタイムが上がって」

ふんっといった顔であいつは、

「まだまだ甘いさ。突っ込みも加速も。排気ガス規制前の59psモデルだからな、もっと速くたっておかしくないんだ」

悔しい! こいつの、したり顔のコメント一つひとつにむかつく。こいつは、他人を不機嫌にさせる天才に違いない。いつか、いえもうすぐ抜いてやる。この嫌みの天才との差は五秒を切った。

 レース後の慣熟走行は、無理言ってあいつの後ろに入れてもらった。五秒の差が知りたかったから。ジムカーナ特有の変態チックなセクションは交錯の危険があるから走れない。それでも回転やタイトなターンの度に差が少しずつ開く。あいつの苦手なS字やクランクでもその差が広がった。小回りとショートスパンでの切り返しはあいつ以上に私が苦手なのだ。これをなんとかしなければ、抜くなんてできない。一周の慣熟走行で間を開けてしまったので、私は走行順序を下げなければならない。私は生馬さんの後ろに入った。

 生馬さんの走りは独特だ。一見乱暴にしか見えないようなマシン操作でMT03を押さえ込む。転倒も多いライダーだけどツボにハマるとめっぽう速い。各ターンはラインが違うから参考にならないけれど、直パイスラローム、S字、クランクの切り返しは圧巻だ。

 休憩の時に私は生馬さんに話し掛けた。

「ねえ生馬さん、切り返しのコツ、教えて下さい」

「ええー? いいのかなあ、浅見さんに怒られない?」

なんであいつに怒られるのよ、と思いつつ、生馬さん、S字の切り返しなんて芸術ですよね、そう言うと彼はニコニコしながら教えてくれた。生馬さん、チョロイ。

「洋子ちゃん、逆ハンって知ってる?」

「? ターン前のきっかけ作りの?」

「そう、右に曲がるとき、一瞬少しだけ左に切るよね? あれ、ターンの終わりにマシンを立てる時にも使えるんだよね。こう、バイクがバンクして左に曲がっているとき、出口でハンドルを一瞬左に切るの、スパってマシンは立つよ」

ははあ、やったことある。アレだ。

「それをね応用するの。バンクしてるマシンを、一旦起こして反対に倒すのではなくて、ハンドルを使ってバンクから反対のバンクへ一気に持って行くの」

「アクセルは?」

「パーシャルでいいよ。元々バンク中のバランス速度だから、そのバンクが左から右へ変わるだけ、だからアクセルの開け閉めもなし」

「ありがとうございます。やってみます」

「転けないでね? それで洋子ちゃんが転けたら、俺、浅見さんに叱られちゃう」

会話にあいつが入って来た

「なんで真鍋が転ると俺が生馬を叱るんだ? そんなの、転倒するこいつが下手なんだろ?」

また下手って言った!

「もうサスの設定変えなきゃ駄目だな。速さが今のセッティングを追い越してる。今度の休み、エンジンオイルの交換とフロントサスペンションのセッティングし直すから、ウチに来いよ」


 四月の後半からあいつは三課に一次復帰し、新人さんの教育係をしている。それまで毎日毎日毎日毎日あいつの顔を見てきたから、正直顔を見ない日があるとほっとする。それでも、朝のコーヒーを二杯入れてしまう癖が時々出てしまう。


 三神さんは五月の公式レースで思うような戦績を残せなかったようだ。珍しく元気がない。リザルトは公式ホームページで見ていたけど、まさか落ち込んでいるとは思わなかった。

「そろそろ引退かな・・・」

歴戦のパートナー、VTRを眺めながらガミさんはぽつりと呟いた。

「まさか。引退なんて、まだまだ現役でイケますよ。塾のレースじゃトップの人が、塾長が引退なんて、そんな・・・」

「・・・真鍋君、何か勘違いしているようだね。引退を考えているのは儂じゃなくてVTRの方。最近は大型SSとモタードの軽量単発がジムカーナ上位の双璧だろう? 以前のようにNSR、VTRの時代ではなくなったと感じざるを得んのだ。儂もレースをやっている以上、勝ちたいからな。勝つためにベースマシンを考えるのは当たり前だよ」

そう言いながら、寂しそうにVTRを眺めた。

「昔はオールマイティ、モトジム最強と呼ばれた優秀なマシンだったんだよ・・・」

その目は慈愛に満ちている。私もしんみり胸が熱くなる。渡辺さんが会話に加わり、

「で、次は何にするの? 三神さんのことだから実はもう候補絞っているんでしょ?」

感傷に浸っているのかと思ったら、そうでもないらしい。ガミさんはにやっと笑った。

「ハスクバーナのTE250 キャブモデルが第一候補」

「最新鋭だね」

「いや、今のはFIになってしまったから、その前のモデルだよ」

私はスマホで検索してみた。ハスクバーナなんてどこの国のメーカなんだろう? 検索結果はチェーンソーと出てきた。これ、バイクじゃないよね? スマホを見せたらガミさんいに笑われた。

「それも同じ会社だけどね。ハスクバーナモーターサイクルズで検索してごらん? 世界最古級の古ーいメーカだよ、親会社は何度も変わったけれどね」

 改めて検索すると、白いオフロードマシンの写真が目に飛び込んで来た。これかあ。

「ただ難点はシート高が高過ぎるんだ、儂では足が届かんよ。まあこれはローダウンを組むしかないな。戦闘力は高いぞ、こいつは!」

目がキラキラしている。まったく子供みたいだ。

「第二候補は? あ、もしかして、アレ?」

「まあね。四年前にレースに復帰するとき探したんだけど、見つからなかったヤツ。程度の良いのはもう見つからないかも知れないな・・・」

「私も探しておきますよ」

渡辺さんはビンテージカーのカスタム屋さんで、旧車を買い取ってはオリジナルの車に仕上げて販売している。そのせいか二輪の旧車売買にも顔が利く。

「うん、頼みます」

二人には解っているらしいが、察するに絶版車らしい。絶版車と現役最新鋭なら最新鋭だろうと思うけど。


 六月になってあいつが準備室に戻ってきた。やれやれ、また朝のコーヒーが二杯になった。あいつは朝の挨拶もそこそこに、私の顔を見るなり三課の新人さんの話をしてきた。

「坂本って言ってな、ヤマハのYZF‐R25に乗っているんだと。今度ツーリングに行く約束をしておいた。お前も来るだろう? 来いよ、な」

「お前って言わないで下さい。まったく強引なんだから・・・。それ、いつですか?」

「今度の土曜日」

「なんでそんなに急な・・・。もう! 私の予定だって考えて下さい」

「どうせ休みだろ? ま、いいけどさ、行かないなら。半島に伊勢海老丼の安い店を教えてもらったんだが・・」

「行きます」

業務開始前の、毎回毎度お馴染みの会話。そこに内線電話が鳴った。

「はい、準備室、浅見です」

「浅見さんと真鍋さんにお客様です。村山さんとおっしゃる方なんですが」

「村山社長? 何だろう? こっちの業務には関係ないはずなのに・・・」

「それに私たち、会ってはまずい、ですよね」

「ふん! そんなの、向こうが訪ねて来たんだ。関係ないだろ」

 ロビーに行くと村山社長の懐かしい顔が見えた。随分久しぶりに思える。村山社長は私たちの顔を見て、いきなり土下座をした。あっけに取られる私たち。

「すまない! こんなことになっていとは、俺は知らなかったんだ。本当にすまない!」

あっという間に人だかりができた。朝の市役所の一階フロア。

「ちょ、ちょっと! 手を上げて下さい。ちょっとこっち来て!」

浅見さんは無理矢理村山社長を引き起こすと、フロアの奥に連れて行った。そのまま空き会議室に押し込んで、椅子に座らせた。強引だけど仕方がない。後で室長に怒られそうだ。

 村山社長はしどろもどろで、何度も話が行ったり来たりしたけれど、つまりは。

「つまり、昨年の七月、あの工事の後で佐々木さんが仲間と居酒屋で飲みながら愚痴をいっていると、弁護士を名乗る男が裁判を起こせば勝てる、と話を持ち掛けてきたってこと?」

「そうなんだ。それも慰謝料なんてセコイ話じゃない、これから上水管工事は必ず村山さんが受注できるように取り付けるから入札の心配はしなくて良い、なんて都合の良い言葉を並び立てて・・・。佐々木はすっかりだまされて委任状を書いちまったんだ」

「そんなことが・・・」

「それで今度は俺のところに来て、どうだ、浅見と真鍋は追い出した。入札なしで受注できるようになるのももうすぐだ。成功報酬で受注金額の一割を寄こせって言いやがってな、こっちは何のことか判らなくて、新手の詐欺だと思ったんだよ。無視していたんだがどうにもしつっこくって。そういや浅見さん、現場に来なくなったなあって話をしてて、先週、坂本って人に聞いたら、異動しましたって言うから、もしやあいつの言ったの本当だったのかって思って・・・」

「それでここに?」

「三課に問い合わせたら倉橋って人が出てきて、初めて解ったんだ。本当にすまない、いや、申し訳ない!」

「それじゃあ」

「パワハラもセクハラもなかった。そんなの、佐々木だって気にしていないんだ、ただの愚痴だったんだよ。件の弁護士ってヤツは、組合の、別の弁護士に頼んで詐欺と業務妨害と恐喝で訴えるようにするから。なあ浅見さん、真鍋さん、戻ってきてくれないか、頼むよ。俺はあもう寝覚めが悪くって・・・」

「村山社長、その話が倉橋部長には?」

「倉橋さんって、部長さんだったのか? 勿論全部話した。なあ、頼むから・・」

「社長、お心遣いありがとうございます。でも異動については、私たちの意思ではどうしようもないので・・・」

必死に懇願されても、本当に私たちではどうしようもない。

「社長さん、ありがとうございます。私たちは無実が晴れたことで十分です。後は上の判断になりますから」

 まだ納得のいかない村山社長が帰って、二人。ちょっとしみじみとしていた。

「私たち、どうなるんですかね? 戻れるんでしょうか?」

「さあな。こんなケース、まったく解らん。ま、宮仕えの身としては次の命令が下りるまでここで仕事をするしかないだろ・・・」

 長い間、喉の奥に引っ掛かっていた棘が取れた感じだ。そうだね、今はこれでいい。そう思うことにした。


 土曜日、集合場所のコンビニに着くと、既に何台かのバイクが停まっていて、いくつかのグループが出来ていた。ここは国道とバイパスの交差点の近く、ツーリングライダーご用達のコンビニだ。あいつのNinjaの横にYZF‐R25が二台。これが坂本って人のバイクだろうか? 二台あることを不思議に思いつつ、私はFZRをその横に置いた。

 ヘルメットを脱ぐと、店舗から一組のペアとあいつが出て来た。手にはレジ袋。私を見つけて手を上げた。

「よお」

「おはようございます!」

はきはきとした青年の横で、会釈をする女性。たぶん彼が坂本さん、なのだろう。

「真鍋です、今日はよろしくお願いします」

「坂本健二です、よろしくお願いします。こっちは、優美です」

長い髪を揺らしてお辞儀をする彼女。サラサラの黒髪が雅美とよく似ている。

「じゃ、行こうか」

リアのバッグに買って来た、たぶん飲み物だろう、を仕舞うとあいつはNinjaのエンジンを掛けた。

挨拶もそこそこに私たちは走り始めた。Ninja、YZF、YZF、FZRの順だ。街中を抜けるとあいつはペースを上げ始めた。坂本さんたちはぴったりとついて行く。二回の休憩を挟んで、海鮮の食事処に着いたときは、十一時半だった。

「ここ、お昼を過ぎると行列になっちゃうから。今日は土曜日だし」

席に着いてメニューを見て吃驚した。写真が誇張なのだろうか、このボリュームでこの値段は破格そのものだ。そして運ばれて来た丼は写真以上に盛っていた。

「ここはさ、海老頭は丼に飾るんじゃなくて味噌汁の出汁に使っているから、その分映え度は低いけど、何せ身の量が半端なく多いから。で、ウニとの相性も抜群だし」

駄目、スマホで写真を取りながら口の中はよだれが・・・。

「いただきます」

そう言うが早いが、口いっぱいに伊勢海老のぶつ切りを頬張った。贅沢にウニも一緒に。

「美味し過ぎるー!」

 私は、何々過ぎる、という言い方が嫌いだ。でも、これは本当に美味し過ぎる。私は黙々と口に運んだ。伊勢海老は大味というが、ウニと合わせるとこれはもう、完璧だ。

 かなりの量が丼に盛られていたにも関わらず、あっと言う間に完食してしまった。もう空だ、無くなってしまった、そう思ったら、無性にがっついた自分が急に恥ずかしくなった。あいつも坂本さんも、優美さんも、おしゃべりをしながら食べていたから丼の中はまだ残っているのが覗き見える。

「洋子さん、凄い食べっぷりですねえ」

坂本さんにはあきれられたけれど、あいつは知っているさ、という顔をしていた。

 お腹が落ち着いて、ようやくおしゃべりに参加できる余裕ができた。が、何か少しおかしい。違和感に気が付くのが遅かった。

 坂本さんは私に話し掛け、あいつは優美さんに話掛けている。これ、逆じゃない? と思いつつ、いや、逆ではない、と思い返した。逆ではないけれど、あいつが優美さんにコナを掛けるのはちょっと違うだろうと思った。色違いのライディングジャケットは、それはペアルックでしょう? 後輩の彼女に手を出す気か、こいつ。しかも坂本さんはそれを横目に私に馴れ馴れしく話し掛ける。こいつら、おかしい。

「あ、あのね、坂本さん」

「あ、呼び捨てでいいです。後輩だし、年下なんで」

「いいの? こいつ貴方の彼女、口説こうとしてますよ?」

一瞬間があって、三人は大笑いした。

「優美は、妹なんですよ」

私は唖然とした。なんだ、だったら最初にそう言ってよ。まるで私がやきもち焼いたみたいじゃない。

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