04. 奥様は現状維持を願う
実り豊かな食欲の秋を満喫し、季節は早くも師走である。
気がつけば週の半分以上帰って来るようになっていた尊様だが、ここ最近は仕事だか女だかに忙しいようで一週間ばかり姿を見ていない。
まあそれはいいのだが、いつ帰ってくるかわからない人の為、一応多めに作っている料理を消費する私の体重が増加するという弊害は発生している。悲しいことだ。
今日も今日とて調子に乗って寸胴鍋で作った豚汁を、ちょうど来ていた家政婦の吉田さんと晴見さんに食べてもらっていたところ、尊様に差し入れに行ってはどうかと勧められた。慎ましやかにお断りした。
面倒なのもあるが、あの都心にそびえ立つデカ会社に豚汁持って乗り込むとかどんな拷問だ。
そんなわけでのらりくらりと断固お断りしたのだが、さすがの私でも一人で寸胴鍋に太刀打ちできる気がしなかったので、小さめの鍋にわけて吉田さんと晴見さんにお裾分けした。
この後本家の屋敷へ戻ると言ってたから、家政婦の皆さんで消費してくれるだろう。
その夜、尊様から珍しくメッセージがきた。
『また届けろ』という意味不明の一文になんのことだと首をひねり、心当たりがなかったので人違いですよと心の中で唱えて寝た。
「また泊まり込みの時は頼む」
「……ええと、なんのことでしょう?」
数日後、知らんうちに帰ってきていたらしい尊様と朝食を食べていたら、そんな事を言われた。
「色々と差し入れてくれただろう。この時期は忙しい上に酒の席が続くからな。やたらと豚汁が染みた。ああ、筑前煮や厚焼き玉子も美味かったぞ。秘書の高田も感心していた」
豚汁以来、やたらと家政婦さんが食い物をねだってくるなと思っていたが、餌付けじゃなくて横流しだったらしい。しかも秘書にまで食わせていたとは何事だ。
「あの、私のはただの家庭料理なので、良ければ馴染みの料亭にお願いしま」
「いや、疲れている時は普段食べ慣れているものの方が、心身ともに癒す効果があるようだ」
「はあ、それはたぶん気のせいだと」
「年明けも忙しくなりそうだからその時は頼む。また家政婦に渡してくれればいい」
「いえあの」
「ああ、そういえば前に食べたおでんが美味かったな。できればそれも作ってくれ」
「いやあの」
「ところで雪子、俺のメッセージを無視するとは偉くなったもんだな?」
「あの、私、誠心誠意お勤めさせて頂きます」
そういえば届けろの後もなんか通知が来てたなと思い出して確認したら、トークルームが尊様の虚しい一方通行過ぎてウケた。
大晦日である。
家政婦さんが普段から家をピカピカに磨いてくれているので、ほぼ大掃除いらずなのが大変良い感じの年末だった。
かつてないゆとりを味わいながら、私は朝から割烹着(正装)を着ておせち作りだ。
日持ちのするものは昨日までに作り終えているので、今日は焼き物を作って重箱に詰めて終了。
尊様が(勝手に)手配した無駄にデカい伊勢エビのせいでなかなか蓋が閉まらんかったが、海老の姿勢を正したらなんとかいけて一安心である。
遅い昼食を適当に済ませて、リビングの高級ソファでだらだら茶を飲みながら年越し蕎麦に想いを巡らせていたら、尊様が帰ってきてアレ?となった。
昨日尊様の秘書を名乗る女から電話がかかってきて、(なんかゴチャゴチャ言っていたがまとめると)尊様は大晦日自分と高級旅館でしっぽりだから、本家への年始挨拶は私に迎えを寄越して現地集合と言われたのだ。
忘れ物でも取りにきたんかと内心首を捻りながら、とりあえず妻らしくコートと鞄でも受け取ってみようかと立ち上がったら制されたので遠慮なく座り直した。
「お前、正月は瀬野尾に行くのか」
「二日に挨拶だけ行こうかと」
瀬野尾とは私の実家のことである。
正直言えばバックレたいが、後からねちねち言われる方が面倒なので、さーっと行ってさーっと帰ってくる予定だ。
「二日か。時間は」
「予定では午前中に」
「午前なら調整できるから連れて行ってやる。時間は十時でいいか」
「いえいえ、お忙しい尊様にわざわざお越し頂かなくても」
「長居はしない。あちらにもそう伝えておけ」
えー?
さっさと自室に行ってしまった尊様にマジカヨと思っていたら、ラフな格好で戻ってきた尊様が隣で優雅に寛ぎだしたので更にマジカヨとなった。
とりあえず茶を淹れて、お取り寄せした好物の温泉まんじゅうをお裾分けしながら、壁に鎮座するバカデカいテレビでこの一年を振り返る系の年末特番を観るという謎の時間を一時間ほど過ごしたところでハッとなる。
「尊様、そろそろ日が落ちてきましたが、ご予定は大丈夫ですか?」
「ああ、今日はもう終わりだ。さすがに大晦日くらいゆっくりしたいからな」
「そうですか、いつもお忙しそうですものね……それで、何時頃出られます?」
私にもこの後、念願だった蕎麦打ちに挑戦するという予定があるので、そう悠長にしてはいられないのだ。
問いから一拍置いてデカテレビから視線を移した尊様は、おもむろに私を上から下まで見て言った。
「お前、やけに割烹着が似合うな」
「ありがとうございます。祖母から受け継いだものでして」
「そうか。明日は朝八時に母就きの者が来るから、お前を着付け終わったら出発だ」
「はい。…はい?」
なぜかじりじり近づいてくるご尊顔にじりじり仰け反っていたら、肘置きに後頭部が到着して謎の万事休すが完成した。微笑みの圧がすごいな。
「本当は今日もお前と一緒に本家に呼ばれていたが、俺たちは新婚だからな」
「新婚」
「ああ。新婚らしく、ふたりでゆっくり年を越そうじゃないか。なあ雪子?」
「え、はい……え?」
よくわからんが、美人秘書としっぽりはやめたということか?
まあそれならそれでもういいから、とりあえず、いいかげん鼻トゥ鼻の距離で喋るのをやめて欲しい。
こちとらバリバリの日本人鼻なんで、息が掛かるどころか唇の先っぽがカスカスしてくすぐったいってゆーかもう完全にくっついとるけどな!
最後にムチュッと吸いついていった尊様の、どこか得意げな顔をぶん殴りたい。
そんなに暇ならスレンダー美女のとこに行け。生娘で遊ぶんじゃない。
そのあと、心頭滅却を唱えながら打った蕎麦は初めてにしては上出来だった。
飯は美味いし、尊様秘蔵の日本酒も美味いし、デカテレビを観ながら世間知らずな尊様に歌手や芸人や格闘家の解説をして優越感に浸れたし、まあ多少のセクハラはあったが一人じゃない大晦日もなかなかいいもんだと思った。
今年は色々とめまぐるしかったが、実家にいる時よりもよほど心穏やかだったと一年を振り返り、初詣に行ったら現状維持を願おうと心に決める。愛されない妻も捨てたもんじゃない。
「明けましておめでとう。暇なら姫始めでもするか?」
「明けましておめでとうございます。新年早々痛いのも流血もイヤなのでもう寝ます」
「それもそうだな。まあ先は長い。ゆっくりいくか」
新年早々不穏な発言はやめろ。
いったんここで一区切りとし、以降のお話は一話完結の投稿とさせていただきます。
ここまで山も谷もない話にお付き合いいただき、ありがとうございました!