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02. 奥様は油断する





安斎家の金で心置きなく三年に進級し、いつの間にか夏だ。とても暑い。

季節は変わったが尊様との関係に特に変わりはなく、ある意味とても安定しているのではないだろうか。

夫婦関係を継続させるには適度な距離感が大切だとどこかで聞いたことがあるが、確かにそうかもしれんと思う今日この頃だ。その提言に、ほぼ交流のない我々夫婦が賛同していいかはわからんが。

そんな変わらぬ快適ライフを送るなか、一人でも生きていけるようにそろそろ就活を考えねばと思っているのだが、どうにもやる気が出ない。

暑さ半分、面倒臭さ半分だ。


「……おい」


なんか聞こえた気がするが、たぶん気のせいだろう。

なぜなら今は平日の真っ昼間で、私の所在地は自宅リビングの高級ソファだからだ。

新生活にもだいぶ慣れてきた今日この頃、家政婦さんの訪れがない日は、座り心地も転がり心地も極楽なこのソファでダラダラ過ごすのが私の癒しとなっている。

上質な肌触り、程よい弾力とふかふかの上、キャミと短パン姿でゴロゴロしながら食べるアイスキャンディのなんと美味いことか。


「おい」


またなんか聞こえた気がしたので、そろそろ現実逃避をやめなければならないだろう。

一応これまで淑やかで慎ましい女を演じてきたというのに、これではいろいろ台無しかもしれない。


「おい、雪子」


ひとまず残り少なかったアイスを口に放り込み、何事もないように居住まいを正して声の主を見上げた。

久しぶりにまともに見たが、相変わらず美丈夫そうで何よりだ。

しっかりとスーツを着込んでいるにも関わらず、私より涼しげな佇まいなのはいったいどういう仕組みになっているのか。


「おかえりなさいませ、尊様」

「……ああ。こんな時間に何をしている。サボリか」

「大学は夏休みに入りましたので……尊様こそ、お仕事は」

「資料をとりにきただけだ」

「そうですか。…あ、アイスキャンディ召し上がります? バニラとチョコとスイカとソーダと…変わりダネ系でいくとコンポタなんかも」

「いらん」

「そうですか」


その後はとくに何も言われることなく、尊様はさっさと会社に戻っていった。良かった。

ああいう時は下手に焦らず、何もオカシイことはございません顔で堂々としているに限る。

しかしこういう不意打ちがあるのなら、これからは少し気をつけたほうがいいな。

いや、一度見られてしまったものは二度も三度も同じというやつか?

とくにつっこまれなかったし、意外と尊様は細かいことを気にしないタチなのかもしれん。

そうだったら大変助かるのだが、本人に確認できないのが困りどころだ。

次の日、食べようと思っていたコンポタ味のアイスキャンディが消えていた。泥棒だ。

まあ犯人は一人しかいないんだが……たぶん味が気になっちゃったんだねわかります。



* * * *



なんだかんだで結婚して半年が経った。バリバリ残暑だ。

次男とはいえ名家の男に嫁ぐからには社交や家のことを手伝わされると思っていたのだが、私が学生だからか何も期待されていないのか、今までにしたことといえば親族の集まりに顔を出したくらいである。

楽で大変ありがたいので、どうかこのままでと願わずにはいられない日々だ。

そんな感じで相変わらずの悠悠自適生活なのだが、尊様に昼間出くわしてから一応私も反省して、(なるべく)リビングでのダラダラを控えたり、身なりに(なるべく)気をつけるようになった。

もともと尊様の前では淑女っぽい言動や服装を心がけていたのだが、住処を共にしている限り気をつけていても前回のような不意打ちがないとも限らない。

とはいえ、実家で出来なかったラフな服装は一度覚えてしまえば手放し難く、一人でいる時でも、自室から出る時に(なるべく)うえに一枚羽織るようにしているくらいだが。

隠しきれないむっちり感は気にならないでもないが、そもそも滅多に会わない人との不意打ちはもっと滅多にないので、その場しのぎの目くらましさえ出来れば問題ないのである。





「お前、その格好で宅配を受け取っているのか」


食事と風呂を終え、夕方に届いていた地方特選缶詰セットのラベルを熟読していた時の事である。

キッチンでしゃがみ込んでいた私がハッと振り返ると、帰宅直後らしい尊様が凛々しいスーツ姿で立っていた。

時間は二十一時過ぎ、わりと早めのご帰宅である。

立ち上がって己のキャミ&短パン&ゆるふわボディを見下ろし、そういや上着を着てねぇやと気づいたが、後の祭りというやつなので言い訳だけははっきり口にしておくことにした。


「……お帰りなさいませ尊様。いつもはちゃんと上着をもう一枚羽織っています」

「いつも? 俺は羽織っていないその姿をよく目にするが」

「それは、たまたまです。今もたまたま、お風呂上がりで上着を着る前に、たまたま尊様がお帰りになっただけです」

「そもそもなんでそんなに薄着なんだ。空調は効いているだろう」

「普段は平気なのですが、私は人よりも少し暑がりみたいで……動いた後や、今のようなお風呂上がりはこの格好がちょうど良いのです」

「それなら温度を下げればいい」

「いいえ、エコを求められる今の時代、自分が出来ることから始めなければ」


堂々と言い訳をした私に尊様はとても物言いたげな顔をしていたが、ここで怯んではいけない。

しばしの無言をスン顔で乗り越え、尊様はなにやら諦めたように息を吐いた。


「……普段は好きにしていいが、外の人間に会う時は絶対にその格好で出るな。あと上着だけじゃなくて下もどうにかしろ」

「はい、気をつけます」


相手が宅配の兄ちゃんだとしても、どこから洩れるかわからぬ名家の妻としての外聞は理解できるので、特に反論はない。面倒ではあるが。

尊様は素直に頷く私をじとりと見下ろし、でっかい溜息を吐き捨てて自室に入って行った。

難が去ったキッチンで、ふむと頷く。

今回も油断が招いた失敗だったが、普段は好きにしていいという言質をとれたので、これはこれで良かったのではないだろか。

最初はとんだ俺様野郎だと思っていたが、どこぞのクソ親父と違って尊様は案外心が広くて助かる。

干渉を拒む代わりにこちらに対しても必要以上の事は口を出してこないし、十分な衣食住を提供してくれているし、今のところDVの気配もないし、もしや尊様は私にとって理想の旦那様なのではないだろうか。


後日、下も隠せという尊様の言いつけを守るため、宅配が来る前はゆるめのロングワンピースをかぶって対処することとした。

なお、その際は上着ナシでOKにしたのだが、これについては面倒が勝った末の自己判断だ。

袖が肩半ばなので二の腕は丸出しだが、部屋着にはよくあるデザインらしいし、着脱が楽だし身体の締め付けもないし、これはこれで重宝している。脱ぐのが面倒でそのまま過ごすこともあるくらいだ。もう少し涼しくなったらこれを常服にしても良いやもしれん。

それにしてもだ。

滅多に帰ってこないと思っていた尊様だが、上着を着ていない私をよく見かけると言っていた通り、言われてみれば最近よく家で見かけるなと気がついた。

改めて意識を向けてみれば、時間は遅いものの、どうも週の半分は帰ってきている気がする。

これは気がするどころじゃない気がするなと首をひねったが、まあいるものは仕方がない。滅多にいなかったとはいえ、この家の主は尊様だ。

それにともない、なるほど通りでここ最近、作り置きのおかずの減りが早かったはずだと理解する。

勝手に食べられることに文句を言うつもりはないが、あてにしていたものがなくなっていると、食事の予定が狂うことがあるので不満はある。

そんなわけで、ならばいっそと親切ぶって「夕食を作っておきましょうか」と訊いたら「夕食はいいから朝を用意しろ」と言われた。

いらんことを言ったと後悔した。

せっかくの夏休みに早起きをせねばならんとはどういうことだと内心憤慨したが、淑女の私はもちろん顔には出さない。多分出ていないはずだ。

ちなみに作り置きのおかずは酒のお供にしているらしい。

気を利かせてシャレたつまみ系を増やしてみたのだが、そっちはあまり減らなかった。

どうやら普通の家庭料理(煮物や酢の物や和え物など)の方がお好みのようである。

こちらとしては作り慣れてるからありがたいが、尊様もそろそろ胃に優しいものが恋しいお年頃なのかもしれん。








お読みいただきありがとうございます。

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