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うたかた夢銀河 『漆黒の祭主』

作者: 酔庵

 雑踏の中を5月の風がさわやかに吹き抜けている。

空は立ち並ぶ摩天楼にその青さを区切られているものの初夏の輝きをその中からこぼれさせている。

駅の改札を出た黒澤(めぐみ)はちらと空を見上げた。

昨日ショートカットにしたばかりの髪の毛に柔らかな日差しが降り注ぐ。

愛は傍らのショーウインドウに映る自分の姿に眼をやった。

ベージュのブレザー、チェック柄のスカート、紺のハイソックス、白ブラウスに臙脂のネクタイ。

この桜丘学院女子高等部の制服を着てからもう2年が過ぎていた。

この制服を着るのも今年度限り。

時は情け容赦なく過ぎていく。

今日は、ゴールデンウイークをはさんで久しぶりの登校日だった。

高速道路の高架が空を横切る表通りから一歩脇道に入ると同じ制服を纏って道を行く少女達の流れが続く。

 「めぐみん!」

 よびかける声に後ろをふりかえると2年のクラス替えから同じクラスになった黒崎(かすみ)が手を振っていた。

出席番号が近かったこともあり二人は親友になっていた。

 「カスミちゃん、おはよう」

 愛は少しまぶしそうに霞を見た。

三つ編みにしたおさげ髪が肩から胸元にながれて左手でその髪の先の方を押さえている。

小さな臙脂色のリボンがおさげ髪の先にくっついてとても可愛らしかった。

右手を小さく胸元で振って色白な小顔をほほ笑ませて立っている。

二人は並んで少し坂道になった通学路を歩み出す。

 「バスケ部って。ずっと合宿してたの」

 霞はその黒い瞳で愛を見ながら尋ねた。並んで歩くと162センチの愛よりも少し長身だった。

 「3泊4日で千葉市で遠征試合。カスミちゃんは」

 「上海に行ってた、お父さんと久しぶりに会った」

 「うわぁ、海外に行ってたの」

 愛はうらやましそうに声をあげた。

霞は父親の仕事の関係で中学まで海外で生活していた帰国子女なのだった。

 「お父さんIT関係のお仕事だっけ?」

 「IT関係って言っていいのか、新世代AIの開発をしてるの」

 「へぇ、すごいねぇ」

 並んで歩く二人に朝の柔らかい日差しが降り注いでいる。


「異常事態だ。5号機が停止しているぞ、連絡も遮断されてる」

 イシイ班長の声が狭いコックピットに響き渡る。

「なんだぁ、訳が分からんぞ」

 かなり不機嫌な様子だ。その表情のまま、じろりとケン・シバをにらみつける。

「ケン、ちょっと様子を見てこい」

「了解です」

 ケン・シバは弾けるように席から跳びはねると一目散にハッチへと向かう。

「5号機は今最深部に潜ってる。ケン、気をつけていけよ」

 ノダ副班長が声をかける。相変わらず気配りの人である。

「はい!」 

 返事だけ残し振り向くこともなくケンの姿はハッチに消える。

数分後ケンは星の光を浴びて、真空の中に浮かんでいた。

ヘルメット内のディスプレイにナビが映しだされ、ケンは5号機の位置をセットする。

バックパックの推進装置が起動しケンはゆっくり前方へと進みだす。

センサーと同期した視覚には前方に浮かぶ13号衛星の姿が捕らえられた。

その表面は大小さまざまなクレーターに覆われている。それに混じって大きく黒い穴がいくつか見える。

ケンはそのひとつに向かって落下していく。

ケンは後方視覚に切り替えた。

そこには彼がいましがた後にしてきた「母艦」が球形の姿を軌道上に漂わせているのが映しだされていた。

 竪穴をケンは降下していく。

標準重力の20分の1ほどなので落下速度は緩やかだった。

底が中々見えてこない。

竪穴の側面には黒い坑道がいくつも口を開いていた。

『巣穴』と呼ばれるその奥で作業機『百足(ムカデ)』が鉱石を採掘しているはずだった。

数十分後ケンは竪穴の底近い壁面の『巣穴』の一つに入って行った。

『巣穴』といってもその直径は数十メートルあった。

進んでいくと前方に『百足』の『腹』の部分が見えた。

稼働中は点滅灯がついているはずだが、照明はすべて消えている。

なんらかのトラブルがあったのは間違いない。

ケンはすべてのセンサーを起動させながらゆっくりと『百足』の『腹』に近付いて行った。

『自走式鉱石運搬コンテナ』というのが正式名称だが、そんな呼び方をするものはいない。

上下左右に伸びた『脚』が坑道の壁に密着し本体を支えている。

円筒型の『腹』の直径は20メートル以上ある。

ケンは『脚』の間をすり抜けるように前進した。

電車の車両のように何両も連結された『腹』の終点まで行きついたのは十数分後だった。

そこには『腹』に連結した『頭』があった。

坑道の壁とほぼ同じ直径のその円筒状の構造物の先端には『顎』と呼ばれる切削機がついているはずだ。ケンはゆっくりと『腹』と『頭』の連結部に近付いた。

そこに『頭』の内部に入るための作業用ハッチがある。

解錠コードを発信したがハッチの扉は開かなかった。

 「えっ?」

 ケンは戸惑った。こんなことは初めての経験だった。

ハッチのすぐ横にある手動開閉パネルを探しパネルのふたをあける。

ダイヤル式の暗証番号を入れ、レバーを引き上げる。

かなりの力が必要だったが、作業服のパワー補正装置が起動し難なく開けることができた。

ハッチがぽっかり開いた。

『頭』の中は非常灯も消えて真っ暗だった。

ケンはヘッドランプに照らされた狭い作業通路をコントロール室へと向かった。

コントロール室のドアを手動で開けケンはメインパネルへと歩みよった。

すべてのディスプレイは消えていた。AIも動いていないようだ。

ケンは点検用のコネクタに自分の作業服のコードをつないだ。

 「おいおいフルエンプティだって!何があった?」

 ケンから悲鳴に近い声が漏れる。

『百足』5号機の全エネルギーが枯渇していた。

メインの核融合電池はもちろん、非常用電源のバッテリーまで全てのエネルギーを放出しきっている。

ケンはコントロール室を出て作業路を進み外に出た。

『頭』の先端部分『顎』まで行ってみた。

巨大な円盤状のドリルが岩盤に食い込んでいた。

ケンは何気なくドリルの先端を見た。

ドリルの刃が食い込んでいる向こうに空洞のような穴がぽっかり開いていた。

ケンは浮き上がるとその空洞に向かった。

ちょうどケンがくぐり抜けることができるくらいの空洞だった。

バックパックをふかし、ケンは慎重に空洞に入った。

 「なんだ、ここは」

 ケンは思わず声をあげていた。

そこは巨大な吹き抜けのようなホールになっていた。

どのくらい広いのか見当もつかない。

ケンはゆっくりと空中を進んだ。

前方に何か見えてきた。巨大な柱のようなものだった。

ケンは赤外線ビュアを可視光に切り替えヘッドライトを灯した。

目の前にライトの光を反射して七色に輝く巨大な塔が地中深くから屹立していた。

 「これはもしかして御柱(おはしら)か・・・なんでこんな所に?」

 ケンは凍りついたように空中に静止していた。

突然暗闇がケンを襲った。ケンの体は地中深く落下していく。


 カジト・フジハラは市庁舎の最上階の執務室から眼下に広がるユウバエ市の町並みを見降ろしてため息を吐いた。

 彼は市長、つまりこの町の行政の最高権力者のはずなのだが、今までその実感を持ったことはない。

 上位の権力者が多すぎた。

『公社』しかり『教団』しかりである。

 難問を持ってくるのは決まってそうした上位の権力者達だった。

 透明なドーム越しに巨大ガス惑星「ヌシ」のぼってりした姿が彼の心に重くのしかかる様に浮かんでいる。

 タロ星系の4番惑星「ヌシ」は大小数多の衛星を従えている巨大ガス惑星である。

 その中で最大の衛星は「イチバン」。衛星といっても直径が9500キロもある。

 この衛星の唯一の都市が「ユウバエ」である。

 巨大なドームが有毒のメタンの大気から住民を遮り、住環境を提供していた。

 この人口80万の都市はその収入のほとんどすべてを鉱山採掘によっている。

 大小合わせて50以上の鉱山が、このガス惑星「ヌシ」を中心とする衛星群に存在していた。

 そのすべてを支配しているのが『公社』という組織だった。

 正式名称は『HGEホーリギャラクティカエンパイア辺境星区鉱物資源管理開発公社』というがだれもそんな名前で呼ぶ者はいない。

 『公社』は唯一絶対の存在。

 「ユウバエ」のほとんどの住民が『公社』に関わって生業を立てていた。

 この地に初めて開発の手が入って200年以上になる。

 「第一銀河文明」と呼ばれる先史文明の遺跡が調査船により発見され、その後の調査で希少金属の豊かな鉱床が多く存在していたことがわかった。

  ここでとれる希少金属は「セロンジュウム」という。

 この金属は『G・ギルド』が開発した思念融合操船システムに使用されるセンサーの材料として最適なものだった。

 思念融合操船システムの爆発的な普及により「セロンジュウム」の市場価格は高騰しており、「ヌシ」の衛星群に存在する鉱山は『公社』の大きな収益源になっていた。

 秘書のアカネ・シンドウが持ってきた情報スクロールを見てフジハラ市長は再びため息をつく。

 丸めてアカネ投げ返す。

 「アカネ、一体何が起こっているんだ。公社の支社長と教団の星区大司教が揃ってやってくる理由はなんだ。だれか情報を持っていないのか」

 「一つ変わった情報があります。13号衛星にある鉱山の一つがおとといから操業を停止しています。口コミ情報ですが、作業員が何か事故に遭ったらしく病院船に搬送され、現在、意識不明とのことです。何の事故かは不明です」

 アカネは焦茶色の巻毛をかきあげながら答えた。

 「事故で操業停止だと。そんな報告は聞いてないぞ」

 フジハラ市長は不審げに眉を寄せ秘書を見た。

 操業停止になるほどの事故なら当然市長にも報告が上がるはずであった。

 「公社に事故の概要と今回の幹部の訪問について問い合わせをしてみろ」

 「わかりました。いつもの答えかと思いますが」

 「公社内部の問題なのでお答えできませんか、行政府を何だと思ってるんだ」

 いまいましげにフジハラ市長がつぶやいたとき、市長室にホロカムの呼び出し音が響いた。

 「市長、ドウケイ司祭からです」

 アカネの声で市長は思わず居住まいをただすと執務室の中央に視線を向ける。

 立体画像で浮かび上がったのは、この町の最高司祭のドウケイだった。

 緋色の衣を纏い緋色の薄っぺらな帽子をかぶっている。

 「これは、これは、大司祭様。何か御用がございましたか」

 フジハラ市長は両手を組んで頭上にかざし拝礼してから尋ねた。

 ドウケイ司祭は軽く右手を上げ挨拶を返し、口を開いた。

 「実はな、市長。先ほどの星区大司教ライオウ様のご訪問の件なのだが、いましがた追加連絡があって、赤の枢機卿クラダ猊下も一緒にご降臨なされるということだ。詳しいことは後ほど連絡するが取り急ぎ伝えておく」

 「赤の枢機卿クラダ猊下ですと、まさかこのようなところに」

 フジハラ市長は絶句する。

 教団の中枢幹部の一人がこんな辺境の地に降臨するとは前例のないことだった。

 「あの、いったいなにが起こっているのですか。私どもにはなにがなにやら」

 「これは教団の問題なのでな、いまのところは答えられぬな」

 「ご降臨はいつのことで」

 「三日後じゃ。詳細は後で連絡する。では」

 ドウケイ司教の立体映像は消え。フジハラ市長は呆然と映像が消えた空間を見つめ続けていた。


 淡く輝く光の渦巻が広がる。

 何百億もの恒星の輝きがそこにある。

 その渦巻を取り囲むように円を描いて浮かぶ7つの椅子があった。

 ゆらりと人影がその椅子に出現する。6つの席が埋まっていた。

「おそろいのようだな」

 紫の衣に紫の帽子をかぶった人物が口火を切った。

 かなりの高齢と見える。

「紫の塔守殿。臨時の塔守会とは、例の件のことかな」

 緑の衣に緑の帽子を身に付けた人物が続いて声をあげる。

 こちらは中年にさしかかったあたりの年齢の男である。

「御柱が新たに見つかるとは600年ぶりとのこと。しかもオーバーロード級のものとは」

 緋の衣と帽子の人物が続いた。

 初老の体の男である。

「いずれにせよ、新たな御柱が見つかったのは喜ばしい限り」

 青の衣と帽子の人物が続く。

 精悍な顔つきのまだ若者といっていいぐらいの年恰好の男である。

「しかし、どのような状態か気になるところじゃ」

 黄の衣と帽子の人物がやや低めの声でつぶやく。

 紫の塔守ほどではないが老人といっていい年代の男である。

「皆さま方もよくご存じのようだが、第8辺境星区「タロ」星系の「ヌシ」というガス惑星の衛星にある鉱山から完成直前と思われる御柱が発見された。大きさから推察するとオーバーロード級と思われるが、まだ初期化されていなかったものと思われる。厄介なことに、鉱山で使用されていた作業機器のエネルギーを吸収し、その後自己起動を始めたらしい、その最中、近くにいた作業員の一人と同期を行う途中でエネルギーが切れ、現在はスリープモードに入っているとのことだ。救出に行ったロボットもエネルギーを吸い取られそうになり大変だったらしい。そのロボットのモニターを分析して初めて事態がわかったとのことだ。現在はこれ以上エネルギーが流れ込まないように入口の穴はシールドしているとのことだ」

 紫の塔守が次第を説明する。

「途中でエネルギー切れとは運がよかった」

 緑の塔守である。

「運がいいとはわれわれにとってではあるが」

 青の塔守が続く。

「その作業員の安否は」

 黄の塔守が尋ねる。

「命に別条はないが、脳の活性化と再編成化を行われたらしく現在意識混濁状態だ。高度精神医療スタッフの派遣が必要だろう」

 紫の塔守が答える。

「活性化されたというならば、目覚めたら審査する必要があるな」

 黄の塔守がつぶやくように言った。

「どの階層まで活性化されたものか」

 緑の塔守もつぶやく。

「ところで、この件は私の管轄星区で起きたことだが。今後の方策はいかがしようか」

 赤の塔守が語りかける。

「祭主殿、施設の管理運営、特に御柱の管理と整備に関しては『基盤』の主管轄だが見解はいかがか」

 紫の塔守が先ほどからずっと無言でいた人物に語りかけた。

「お初にお目にかかる皆さま方の前で、私のような若輩者が先んじて意見を述べるのは僭越だと思い控えておりましたが」

 艶やかな声が響く、今まで無言で通してきた声の主だった。

 黒髪を高く結いあげ一本差しの簪で留めて、着物に似た黒い衣装を身に纏っている。

 まだ十代半ば程の幼さが残る少女の姿はその場にそこはかとない違和感をもたらしていた。

「先代より任を継いで半年。初の塔守会への参加ということになるが、すでに『基盤の祭主』として立派に業務をこなしておられる。遠慮なされるな」

 紫の塔守が促す。

 ほかの4人の塔守も興味深くこの新参の少女を見守る。

「『基盤』の施設管理部門から御柱管理の専門要員をさしむけ、改めてフォーマットすることになると思いますが、どの程度まで自己起動が進んでいたのかが問題です。御柱に固有の自意識が生じて世界創造を始めてしまったならば、それを封じ、再フォーマットをする必要があります」

 少女は言葉を切ると視線を上に向ける。

「今回の件がオーバーロード級の御柱だとすると完全に再フォーマットするには第5階層以上のレベルのウェーブコマンドが必要と思われます。星区的には『赤の塔』の管轄下に置かれると思いますので、赤仕様で再フォーマットすればよろしいのではないでしょうか。どなたが適任でしょうか」

 少女は赤の塔守に視線を向ける。

「枢機卿クラダがその地から10光年と最も近いところにいる。彼なら適任だろう」

 赤の塔守の返事に基盤の祭主のうっすらと紅をさした口元がほころんだ。

「なるほどクラダ卿なら適任かと思います。早速『基盤』の各部門に手配いたします。尚、万一に備え護法童子の一部隊を近くの基地から合流させたいと思いますがいかがでしょうか」

「護法童子とは、多少大げさな気もするが、祭主が必要と思われるなら是非もない」

 紫の塔守も少し口元をゆるめながら答える。

 祭主が続けて口を開く。

「過去の例から考えますと。この御柱は聖地化して新たな巡礼場所とするのがよろしいかと思います。近くの星区には人口を多く抱える星系もありますのでかなりの参拝者が見込めます」

「祭主殿は就任直後なのに、なかなか教団のマーケティングにも精通されておるな」

 青の塔守が口をはさむ。

 「巡礼による経済効果は大きいが、なにしろ、オーバーロード級の御柱だからな、他の用途はないのかな」

「何しろ直径1000キロ程度の衛星にあるわけなので他の用途では使い勝手は悪いと思います。それに赤の管轄星区の中央星大聖堂には既にオーバーロード級の御柱を備えておりますゆえ、それ以上は不要かと思います。他に移設するには少々大きすぎますし」

 祭主が答える。

「いずれにしても、御柱に自意識が生じて世界創造などされてからでは後始末が難しくなる。早急に対処すべきですな。ここは、『基盤』と『赤の塔』にお任せします」

 黄の塔守が言うと緑の塔守もうなずく。

「私も『基盤』と『赤の塔』にこの件は任せてよいと思う」

「御柱の件はそれでよいと思う。活性化された作業員はいかがいたす」

 紫の塔守が尋ねる。

「高度精神医療スタッフで治療し、その後意識が戻れば活性化の程度を審査することになります。幸いクラダ卿が行かれるのであれば審査もお願いできるのではないでしょうか」

 祭主が長い睫毛に縁取られた黒真珠のような瞳を赤の塔守に向ける。

「是非もないそのように取り図ろう。審査の結果で陽性と出たら『教団』へ迎え入れることになるじゃろうな」

 赤の塔守が答えた。

「修行者として受け入れるのはやぶさかでないが野生の御柱に活性化された者は例がない。どのようになっているのであろうな」

 青の塔守がつぶやく。

「いずれにせよ審査はクラダ卿にまかせよう」

 紫の塔守が言うと赤の塔守はうなずいた。

「では、今後の詳細については私の方と『基盤』とで詰めるとしよう祭主殿それでよろしいか」

「はい」

 祭主は短くうなずく。


 ヘッドセットが上がり、祭主ミスティはゆっくりシートから身をおこす。

 傍らに10才ぐらいのツインテールの童女が立っている。

「おひいさま、御戻り…」

「予定より大分早うござりましたな…」

 反対側からヘッドセットを引き上げながら、先の童女と姿形が寸分違わぬポニーテールの童女が声をかける。

 「そうだな、これ、茶をくれ…」

 ミスティはシートから立ち上がった。

 風になびく柳の葉のように華奢な肢体を傍らにある黒い漆塗りの卓の傍らのやはり黒い漆塗りの椅子まで運び腰をおろす。

 歩きながらその結いあげた髪を留めていた簪を引き向くと長い濡羽色の髪がさらりと腰まで垂れた。

 椅子に腰を下ろしたときには目の前の卓には黒い磁器の碗に入った液体が香気を立てていた。

 「箱を…」

 「これに…」

 目の前に黒い漆塗りの小箱をささげたツインテ童女がいた。

 ミスティは箱を受け取り簪をその中に納めた。

 先が二股になった黒い漆塗りの軸の先に黒い石が一つ付いている。

 闇を固めたと言っていいぐらい黒い石だった。

 ミスティは蓋を閉めその箱を童女に渡す。

 ツインテ童女はかき消すようにいなくなる。

 ミスティは茶碗を両手で持つと中の液体を一口すすり眉をしかめた。

 「このコーヒー、またブレンド変えたのか…」

 「多少です。新しい豆を試してみたかったので…」

 ポニテ童女は澄まし顔で答える。

 「どこの豆だ、だいたい、味見してるのか…」

 ミスティは香り高いが味わいはいまいち微妙なコーヒーをのどに流し込んだ。


 白い蕾がゆっくりとメタンの大気を切り裂いて降下してくる。

 やがて、宇宙港の着陸スポットに一輪の白い花が咲いた。

 「赤の枢機卿クラダ猊下のお着きですね」

 秘書アカネがささやく。

 「見りゃわかる、出掛けるぞ」

 フジワラ市長は宇宙港の来賓室のソファから立ち上がる。

数分後、市長は『教団』のドウケイ司祭と『公社』のタムラ支社長とともに、敷き詰められた真っ赤なカーペットの末端に立っていた。

 100メートル先には白い5枚の花弁を模した『教団』の船が鎮座していた。

 「しかし、赤の枢機卿クラダ猊下にお目にかかれるとは果報この上もありませんな。この地で御柱が発見されるとはまさしく僥倖といったところですな」

 フジワラ市長は傍らに立つ小太りの男に話かけた。

 『公社』の支社長トシオ・タムラという男であった。

 やり手と評判の男でこの星区に赴任して5年で業績を二倍にした実績を評価され『公社』では時期星区取締役確実と噂される男だった。

 「確かにおっしゃるとおりですな。600年ぶりに御柱が出たというのは確かにめでたいことです。 ただ、あの鉱山は優良鉱山の一つでしてな、現在あの第13衛星の鉱山の全てが活動を休止しています。休止期間がどれほどになるのか、そもそも採掘が再開できるか全く分からない状況です。正直頭が痛いですな」

 タムラは甲高い声でフジハラに答えた。

 「そういえば、御柱に遭遇した作業員は意識回復したのですか」

 「さて、どうだったか、命には別条ないと医療部からは聞いていますが」

 「お出ましになります、拝礼の準備を」

 後ろに立つ秘書アカネがささやく。

 ドウケイ司祭が小走りにカーペットの端から数歩歩み出た所に立つ。

 その後ろに市長と支社長が並んで立った。

 白い船腹の一角に四角い開口部が生じた。

 そこから一群のフライングプレートが出現する。

 その一枚ごとに人が立っている。

 フライングプレートは陣容を整えるとしずしずと進みだす。

 フジハラ市長は目に入れたコンタクトレンズのズーム機能を8倍に切り替えてその隊列を観た。

 始めに6人ずつ二列になった黒い甲冑に銀色の槍を持った者たちが進む。

 警護にあたる教団の警備部門、護法神部隊所属の護法童子と言われる軽装歩兵達だった。

 その後に先導役の教区司教が長い杖を携え蓮の葉を模したフライングプレートに一人立つ。

 その後に蓮華の花を模したフライングプレートに立った枢機卿がいた。

 緋の衣と緋色の石をちりばめた宝冠を頭にいただき凛としてあたりを圧する存在感を漂わせている。

 その後に赤い衣の侍僧たちがぞろぞろと30名ほど続く。

 最後尾にも護法童子12名が2列で続いている。

 隊列はみるみる近づいてくる。

 「拝礼」

 ドウケイ司祭の声が響く。

 フジワラはあわててコンタクトレンズの倍率を戻しひざまずいた。

 後ろにいる出迎えの人々も一斉に膝を地につけた。

 両手を組み額の前にかざす。

 護法童子の一群は左右に分かれ迎えの人々を取り囲むように散開すると地上2メートルほどで静止した。

 フジワラが視線を向けると護法童子の乗っているフライングプレートが目に入った。

 直径3メートルほどで厚みも1メートルほどある。

 銃口とおぼしき開口部も見えそれだけでもかなりな武装と思われた。

 黒色の鎧のような軽装歩兵装備は帝国軍ものとさほど変わりがないが手にした銀色の長槍は独自の装備と思われた。

 どのような威力があるのか見当もつかない。

 先導役の星区司教ライオウが地上1メートルほどで静止する。

 迎えの者達は一斉に組んだ両手を掲げ二度拝礼を行う。

 「出迎え御苦労」

 ライオウ司教は重々しく右手を掲げ答礼する。

 「恐れ多くも枢機卿猊下よりウェーブが授けられるこころして受けよ」

 司教が宣言する。

 赤の枢機卿の乗った蓮の花を象ったフライングプレートが司教の頭上に浮かび上がりその上に赤の枢機卿が凛として立っている。

 フジハラはちらと視線を上げ枢機卿を見上げる。

 緋の衣装に赤い宝石をちりばめた宝冠を頂いた姿はまさしく神々しさそのものだった。

 思っていた以上に枢機卿が若いのにフジハラは驚いた。

 30才を越えた程だろうか。

 (こんなに若いとはな。それにしても、枢機卿ともなると衣装も豪華なものだな)

 フジハラが思った直後それはやってきた。

 枢機卿が軽く両手をかざす。

 フジハラは突然熱い感動が腹の底から噴き上げてくるのを感じた。

 今目にしているのが奇蹟だと知った。

 これまでの人生はすべて今この瞬間の為にあったのだということを知った。

 悟りの境地とはこのようなものだったのかとフジハラは知った。

 彼は泣いていた。

 止めどなく涙があふれていた。

 嗚咽が聞こえた。

 隣の支社長のものだった。

 タムラ支社長は地に突っ伏して号泣していた。

 フジハラもそれに続き地に突っ伏していた。

 枢機卿一行が用意されたシャトルに乗り市の中央にある宿泊先の聖堂に向かってから、フジハラは気の抜けたように迎えの車に乗り市長庁舎の執務室へ戻った。

 喪失感がたまらなかった。

 「素晴らしいウェーブでしたね。私、泣きまくってメイクがぐちゃぐちゃになってました」

 秘書のアカネがフジハラにコーヒーを出しながらどこか心あらずといった風で話している。

 「ここのドウケイ司祭のウェーブとはけた違いだ。ここの司祭のもじわっとくるのだが、枢機卿のは別次元だった」

 「最新の『教団』の序列では22位という高位のお方ですからね。先月行われた赤の大聖堂のミサでは集まった30万人にウェーブを授けられ熱狂の坩堝だったとのことです」

 「すさまじいものだ、ほんのあいさつ代わりでもあれなのだから。あの若さで枢機卿まで昇り詰めたただけのことはあるな」

 フジハラは余韻に身を委ねて言った。

 いままでの人生であれほど心震わせて感動したことはおそらくなかった。

 『教団』がこの『神聖(ホーリー)銀河(ギャラクティカ)帝国(エンパイア)』の国教として君臨しているのもむベなるかなとフジハラは思った。

 「しかし、発見された巨大な御柱を教団はどうするつもりなんだろう」

 フジワラはぼそりとつぶやいた。


 2週間ぶりの自宅だった。

 長かった勤務から解放されケン・シバは自宅のドアを開けた。

 こじんまりとした庭付きの一戸建て住宅。

 庭の芝生はいつもきれいに手入れされている。

 「おかえりなさい、無事でなにより」

 台所の方から母親のタケミの声が耳に響く。

 おいしそうなスープの香りがケンの鼻孔をくすぐる。

 勤務開けはいつもこのスープがケンの帰りを待っていた。

 足元にペットの子猫ミミがまつわりついてくる。

 ケンは子猫を抱きあげて頬ずりした。

 ミミは小さな舌でケンの顔をなめあげた。

 「スープ冷めないうちにね」

 洗面所で顔を洗い居間に入ったケンにタケミが呼びかける居間のテーブルには湯気を上げたスープ皿が置いてある。

 ケンはテーブルの椅子に座り。

 スープ皿を見た。じゃがいもとにんじん、たまねぎに牛肉のはいった熱々のスープだった。

 ケンはこの母親の手作りのスープが大好物だった。

 ケンはスープを食べようとしたが、スプーンが見当たらない。

 「母さんスプーンがないよ」

 ケンは台所の母親に呼びかけた。

 「そこにあるでしょ、どこ見てんのよ」

 ケンはテーブルを見渡したがどこにもスプーンはない。

 「ないじゃないか」

 ケンは立ちあがって台所に行こうとしたが椅子から体が離れない。

 「なんだ、どうしたんだ」

 ケンは何度も立ち上がろうとしたが体は椅子に埋め込まれたかのようにびくともしない。

 目の前のスープは美味しそうな香りを立てているのにスプーンがない。

 急激にひもじさがこみあげてきた。

 (早く、このスープを…)

 ケンは両手でスープ皿を持ちあげるとその煮えたぎったスープを一気にのどに流し込む。

 「うああっ」

 大声をあげケンは目覚めた。

 そこには見なれた自室の光景があった。

 ケンはベッドから身を起こした。

 フットライトに照らされた、狭いワンルームの部屋。

 枕元の時計は夜中の2時を指している。

 時計の傍らには2年前に事故で亡くなった両親とケンが写ったパネルが飾ってある。

 「なんでここにいるんだ、俺はどうしたんだ」

 ケンは記憶をたどった。

 坑道の奥に空間を見つけそこで御柱らしきものを見つけてからの記憶が抜け落ちている。

 なぜ自分の部屋に寝ているのか訳がわからなかった。

 「いったい今日はいつなんだろう」

 ケンは立ち上がって明かりをつけようとした。

 「スイッチはどこだ」

 壁のスイッチが見当たらない。

 それがないと明るくならない。

 ずっとこの薄暗がりの中にいなければならない。

 ケンは外の廊下に続くドアを開けてみた。

 そこは漆黒の闇だった。

 ケンは驚いてドアを閉め振り返った。

 部屋はなかったただ闇が広がっているだけだった。 

 足元にも闇。

 ケンは闇の中に落ちて行った。


 「で、患者の容態は」

 赤の枢機卿クラダは目の前のベッドに横たわるケンの顔を見ながら尋ねた。

 『公社』の病院船の病室はクラダを筆頭にした『教団』の三人の聖職者、病院船の院長のミドリエという40代中ごろの男、そして担当の医師で一杯の状態だった。

 「身体的には全く問題がないのですが、意識の混濁状況は続いています」

 ミドリエが報告する。

 「御柱に同期されて強制的に活性化された影響だと思うが、もしかすると精神的外傷を負っているかもしれんな」

 クラダは眉を寄せて言った。

 「ダイレクトモードでの精神治療が必要かもしれんな。あっちの一件が片付いたら。わたしが潜ってもいいぞ」

 「恐れ多いことで、ダイレクトモードの精神治療とは。私にはおよびも尽きません」

 司祭のドウケイが恐縮したような声色で言った。

 「なに第4層まで極めれば造作もないこと。こちらの星区大司教殿もおできになる。そなたも修行を積まれれば可能になるのだ」

 「ありがたきお言葉、まだ第3層すら極めていない私めには遠い道のりですが枢機卿猊下のお言葉を励みに精進いたします」

 ドウケイは両手を掲げて感謝の意を表す。

 「さて現場の方に案内してもらおうか」

 クラダはポンとドウケイの肩をたたいた。


 目の前にそびえたつ巨大な楼閣を見上げてクラダはふっとため息をついた。

その頂は見えない。

左右に続く白壁も地の果てまで続いているようだった。

予想以上の規模のシステムが構築されていたのだ。

 「これは、もはや、初期化段階は終了しているな。スリープモードになったのはその後でということらしいな。御柱に自己意識が生じているのは間違いない」

クラダは目の前の扉を見つめた。左向きの矢印が付いている。

 「いかにもだな。セキュリティプログラムも当然あるはずだ」

 クラダは扉に手を掛けた。扉は簡単に開く。

ロックされてはいない。

クラダは扉を通り抜け楼の中に入った。

暗い空間が広がっている。

 「明かり…」

クラダがコマンドをウェーブに乗せて発すると明かりがともりクラダのいる空間を照らし出す。

明かりの届く範囲には上下左右何もない。

 「確保した領域だけは膨大だが、中身はまだ空っぽというところか、システムのコアは最上層にあるわけだが。とりあえず、この階層はスキップできそうだ」

クラダは再びウェーブコマンドを発動する。

 「地図…」

クラダの目の前にマップが表示される。

 「検策・上…」

クラダはマップの一か所に上に向かう矢印を見出した。

 「座標確認…、移動…」

クラダは幅の広い螺旋階段の下にいる。

一瞬のうちに移動したらしい。

クラダは階段を上っていく。

上が見えないほど続く階段だが、クラダは一瞬のうちに次の階層に足を踏み入れる。

 「ここも空か、初期化段階が終わった直後で、スリープモードに移行したのは確実だな」

第2層をマッピングしながらクラダはつぶやく。

「これなら、一気に最上層まで行けるかな」

クラダはウェーブコマンドを発動する。

第5層は全くそれまでとは別の世界だった。

クラダは奇怪な岩山が林立する景色を岩山の一つの頂きから眺めていた。

遠く地平線のようなものも見える。

ここでは世界のレイアウトが創られ始めていた。

 「スリープモードに入る前にここまでは創っていたのか。これが御柱のコアマインドの創りだした仮想世界なのか。われわれの知っているフォーマットとは全く違うな。本当に世界を創っているようだ」

 クラダは感嘆を交えながら、目の前で創りだされている広大な世界を見つめた。

 「さて、神を捜すか」

クラダはウェーブコマンドを発動した。


 「現在のところ順調です。特に異変はありません」

エミー・ソウはその灰色の瞳を上司であるケリー・ムラタに向け、報告する。

目の前のホログラフィックディスプレイには、枢機卿から送られてくるデータが色とりどりのグラフや数字となり次々に現れては消える。

その一瞬一瞬の変化をエミーはその灰色の瞳で見逃すことなくチェックしている。

最初にケンが御柱を見つけた坑道に作られたコントロールブースではエミーとムラタ以外にも『基盤』から派遣された御柱初期化スタッフが数十名活動していた。

ブースそのものは半球形でエネルギー漏えいを防ぐために外部に対してシールドされていた。

その一角に黒いカプセルが置かれていた。

中の様子は見えないが、その中に枢機卿が収まっている。

そこから枢機卿の意識が自らのウェーブに乗せられて御柱に転送されているのだ。

カプセルの主な役目は枢機卿の心身の状態のモニタリングと活動に必要なエネルギーの補充だった。

 「枢機卿はどこまで行かれたんだ」

ムラタが尋ねる。

 「最上層の第5層です。ここまでは特に妨害もなく行かれています」

 「第5層か、意識をそこまで届かせる力を持つ方がどれほどおられるのか」

ムラタはため息をつく。

 「実際何名ぐらいおられるのですか」

エミーが灰色の瞳を向けて無邪気に尋ねる。

ムラタはちょっと考え込む。

 「多分、第5層を極めているのは枢機卿以上のランクの方々だから35名ぐらいだ。われわれからすれば神々に等しい力の持ち主だ」

 「私たち『基盤』の祭主様もそうなのですか」

 「祭主様は独特の御立場の方で、アスリーヌの光都大神殿の奥津城にいらっしゃって、表に出ることは全くない。どんな方なのか素顔を知っているのは教団でも最高幹部達だけだ。ただ、そのお力は五色の塔守に匹敵すると言われている」

 「第6層の力と言われるものですか」

 「そうなるか。実際のところは全くわからない」

 「あ、消費エネルギーに変化です。これは、一気にアクティブゾーンに入っているようです」

エミーの声が緊張する。

 「初期化段階で設定されるセキュリティプログラムを破ろうとしているのだろうな、いままでなにもなかったのがおかしいくらいだ。織り込み済みの状況だよ。いずれにしてもシステムコアがスリープモードにある以上さほど問題はないだろう。セキュリティブロックを破らないとコアマインドを見つけることはできないからな。尚、万が一危険ゾーンに入ることがあるようだったら、強制離脱もあるかもしれないので注意すること」

 「強制離脱するとどうなるのですか」

 「いま入っている意識の全部が戻ればいいが、取り残された部分が生じると重大な意識障害が生じる場

合がある。非常にリスクの高い離脱の仕方になる。文字通り生きるか死ぬかという場合だけだな、使用

するのは。いずれにしろ、向こうで解除キーを開かないとこちらではどうにもならない」

ムラタはモニターをのぞきながら言った。

 

 「船長、どうした、急に」

病院船の院長ミドリエは当惑した表情の船長のホログラフィ映像に向かっていた。

 「突然異常なエネルギーの流出があったのです。ブロッカーが働き現在その区画はエネルギーの供給をストップしています」

 「どこの区画なのだ」

 「Bブロック第2病棟です」

 「ケン・シバ作業員の入っているところか」

 「そうです。彼の病室に対して異常なエネルギーの流れが生じたのです。おそらく彼に繋がれている、

脳波計測用のモニターだと思います。そこからどこにエネルギーが流れたかは不明です。ケン・シバ自身には何の変化も見られません、モニターの回線を通してエネルギーがケン・シバに流入しどこかへ消えたとしか考えられないのですが」

 「一体どのぐらいのエネルギーの流出があったのだ」

 「本船を優に一週間稼働するのに足るエネルギー量にあたります。いったいどうやって。信じられないことです」

船長は首を振って肩をすくめた。ミドリエは叫んだ。

 「船長。すぐ、御柱の初期化ブースに連絡してくれ。何らかの方法で御柱がケン・シバ経由でエネルギーを吸収した可能性があると。すぐにだ、御柱がスリープモードから目覚めるぞ」

今頃、枢機卿クラダが初期化作業に入っているはずだった。目覚めた状態の御柱のコアマインドと出くわすことになるかも知れなかった。

 

 「なにか変です。急に御柱のエネルギーが上昇しています。スリープモードが解除された模様です。で

も、いったいどこから」

エミーが報告する。両手は三次元ディスプレイの前にある半球型のコントロールに乗せている。

 「どこからエネルギーが湧いてきたんだ。信じられん」

ムラタはエミーの示す数値を覗きこんでいる。

御柱のエネルギーモードを示す数値がレッドゾーンから一気にイエローゾーンを抜けグリーンゾーンに入っていた。

通常レベルの活動に充分なエネルギーが御柱に供給されたことになる。

スリープモードが解除されたということは、御柱は今自律思考型の超AIとして完全な機能を備えていることになる。侵入者に対しては全力で防衛するはずだ。

しかも相手は世に知られている御柱として上から二番目に巨大なオーバーロード級の御柱だった。

 「枢機卿に連絡できないか」

 「中に入っておられるわけですから当然このことはご存じになっておられるはずです」

 「なるほど、危険だと思われたならば戻ってこられるはずだしな。我々としてはモニタリングしながら待つしかないか。エミー、今回のすべての記録を教団に報告できるようにしておくんだ」

 「了解しました」

エミーはきりっとした横顔を三次元ディスプレイに向けたまま答えた。

 

 不毛だった世界がみるみるその様相を変えていた。

空中に浮かびながらクラダは讃嘆の思いでそれを見つめていた。

 「まるで創世記の世界だな。しかもすごいスピードで進行している」

 地上はもはやクラダが最初にこの第5層に来た時の岩山の風景ではなかった。

一面に緑の絨毯が敷き詰められたような樹海が広がり、空には翅の生えた生物が飛び回っていた。その一匹がクラダに近づいてくる。

巨大な昆虫だった。

緑色の二つの複眼をぎらぎら輝かせクラダを餌とでも思ったのかみるみるその姿を大きくする。

その全長はクラダの身長の三倍はあった。

 「このレベルのステルス機能では効かなくなっているようだ。さっきの火柱は外部からのエネルギーの補給だったのか。どこからかエネルギーを調達したと見える。完全に機能が戻ってしまったのか」

 通常のステルスモードが通用しなくなったということは、御柱のセキュリティがレベルアップしていることだ。

スリープモードの時は通用していたクラダのステルスプログラムが、ことごとくブロックされていた。

すべては数分前天空から地上に降り注いだ巨大なエネルギーの柱から始まっていた。

先ほどまで有効だったマップ機能もブロックされていた。

 「召喚…」

クラダはウェーブコマンドを発動する。

目の前に迫った昆虫を巨大な鉤爪が捉え引き裂いた。

昆虫の残骸は樹海へと落ちていき他の翅の生えた昆虫がそれに群がっていく。

クラダの前には三つの首を持つ竜が出現していた。

金色の鱗、金色の翼、三本に分かれた尻尾。

クラダはその中央の頭の上に降り立った。

 「これ以上世界が変わらないうちにコアマインドを消去するぞ。さっきのエネルギーの降りたところがコアマインドの居場所だろう」

クラダを乗せた金色の竜は翼をはばたかせ、猛烈な速度でエネルギー柱の降りた場所に向かった。

 

 市長執務室に三人の人物が集まっていた。

一人はフジハラ市長、後の二人はドウケイ司祭とタムラ支社長だった。

市長以外の二人は立体映像である。

 「しかし、枢機卿猊下自らでないと御柱をフォーマットできないとはたいそうな代物なんですな」

フジハラ市長がドウケイ司祭に話しかける。

 「オーバーロード級ともなれば普通の初期化スタッフの手におえるものではない」

ドウケイがフジハラに答えて言った。

 「いったいいつまでかかるのですか。もう一週間操業を停止しているのです。鉱山再開のめどを知りたいのですが」

タムラ支社長が少しいらいらした口調で言った。

 「そのことだが、先ほど『赤の塔』より連絡が入ってな、あの13号衛星は『赤の塔』の管轄下に置かれるということで話が進んでいるそうだ。実際の買い取り交渉は『基盤』を通じて行うとのことだがな」ドウケイはさらりと言う。

 「そんな、公団からわたしの所にはまだ何も連絡がないのですが」

タムラ支社長の声の響きが固くなる。

 「これは教団のウェーブ通信システムを通しての連絡なので、そちらにも数日すれば連絡がいくと思う」

 「しかし、何光年離れていてもでもリアルタイムで情報が伝えられるという教団のウェーブ通信システムはすごいものですな。神の御業とはいえ、どうしてウェーブがこの宇宙の物理的法則を超越できるのか不思議です」

フジハラ市長が無邪気に口をはさむ。

 「『赤の塔』はあの衛星を何に使うのですか。もちろん御柱をあのままにはしておけないのはわかりますが。衛星と言っても直径1000キロもあるものです。全部を管轄下に置く必要があるのですか」ショックを隠せない様子でタムラが尋ねる。ドウケイは少しうなずいた。

 「これは私の個人的な推測にすぎないが、600年前にやはりオーバーロード級の御柱が発見されたことがあって、それが今は『緑の塔』の管轄下で『七つの泉の神殿』と呼ばれる聖地となっておる。今回も同様の扱いとなるのではと思っておる」

 「ここに新しい聖地ができる訳ですか。こりゃすごい。帝国中から巡礼者が訪れることになりますな。何千万という人々が」

フジハラ市長は興奮していた。

辺境のしがない鉱山都市「ユウバエ」に新たに巡礼地としての展開が見え出していた。

 

 クラダは樹海の中に出現した巨大ピラミッドの上空に炎のオーラに包まれ浮かんでいた。

その周りで花火でも打ちあげているように巨大な火球が膨れ上がり消えていく。

クラダの召喚した竜は三つの頭から絶え間なく火球を吐き出していた。

その火球はピラミッドから次々出現する鳥人に向けられている。

火球で焼かれた鳥人たちは火だるまになり樹海へと落ちていく。

焼かれても焼かれても鳥人はピラミッド

の中から続々と湧いてくる。

鳥人の一体一体はクラダの二倍以上の大きさの巨人だった。

白い羽毛で包まれた頭。

身には青い鎧をまとい手には青い金属の剣を持っている。

背中には一対の白い羽があった。

その羽をはばたかせ、鳥人達は徐々に竜との距離を詰めていく。

やがて火球をかいくぐった一体が竜の首の一本に剣を突きたてる。

青い光を発して竜の首が吹き飛ぶ。

鳥人が一斉に竜に取り付き竜は鳥人もろとも巨大な火球となり消滅した。

 「潮時か」

クラダはつぶやき、ウェーブコマンドを発動する。

「召喚…」

 ピラミッドの傍らに魔神が出現した。

古代の甲冑に身を包み顔は緑色で目は真っ赤、憤怒の表情を浮かべている。

その大きさはピラミッドの半ばを越していた。

魔神は大きな剣を振り上げピラミッドを一打ちする。

ピラミッドの一角が消し飛んで消滅する。

さらに一打ち。

ピラミッドの中腹に大きな穴が開く。

魔神めがけて鳥人が殺到していく。

 「行くか」

 クラダは自らを火球と化し猛烈なスピードでピラミッドに開いた穴目指して突入した。

ピラミッドの内部に侵入したクラダはあたりを見回してほぅっと嘆息する。

そこは石柱が林立する広大なホールだった。

どのくらいの高さと広さなのか果てが見えない。

 「ここがシステムコアの中か」

クラダがつぶやいた途端、どこからともなく数多の糸がクラダめがけて投網のように投げかけられたちまちクラダの姿は繭のように幾重にも糸に包まれる。

巨大な繭と化したクラダに近づいてきたのは何百匹もの人ほどの大きさの蜘蛛である。

やがて蜘蛛はクラダの入った繭玉に群がりだした。

繭玉より更に巨大な蜘蛛たちの球が出来上がる。

蜘蛛は重なり合い一つに溶け合い黒い鋼のカプセルと化す。

システムコアの防御システムはクラダを完全に捕獲したように見えたが、それも束の間、数秒もたたないうちにカプセルの上部の色が変わり始めていた。

次第に赤味を帯びてやがてまぶしいほどに輝きだし、そこから火柱が噴き出した。

噴き出した炎は瞬く間にカプセルを焼きつくしあたり一面に広がった。

その中央に緋色の衣をまとい手に長い杖をついたクラダの姿が現れた。

 「さて次はなにかな」

クラダはふわりと浮きあがると一面の炎の海原の上を進みだした。

 

 炎の柱が立っている。

激しく渦を巻いて立ちあがる炎の柱は石柱の林立する空間を猛烈な勢いで前進していた。

その炎の柱に黒い雲のようなものが絡みつき燃え上がって消えていく。

黒い雲は無数のスズメバチのような生物だった。

一体一体は人の顔程の大きさで鋭い針を突き出し炎の柱に立ち向かうが、炎に触れた瞬間ぱっと燃え上がり消滅してしまう。

それでも何十億という数で炎の柱を取り囲み、その進路を妨げようとしていた。

 「消耗戦ときたか、エネルギーはまだ余力があるようだな。こういう単純な防御はこちらもやりやすいが」

クラダは手にした球体を見ていた。

空間の中に矢印が浮かび前方をさしていた。

 「だいたいの位置はつかめた。一気に本陣に向かうか」

クラダはウェーブコマンドを発動した。

 炎の柱はその直径を拡大し巨大な炎の壁となり、スズメバチの黒雲を一気に包み込んだ炎の壁が消えた後にはクラダの姿はなかった。


 閑静な庭園が広がっていた。

広大な池には睡蓮の花が浮かび、色とりどりの魚が群れをなしてその間を泳ぎ回っていた。

池には白い石橋がかけられ中島へと続いている。

その中島には緑の瓦の瀟洒な東屋が建っていた。

 クラダはその石橋の中ほどに立ちあたりを見渡した。

石橋の欄干には白い石を精緻に堀りあげた浮き彫りが施されていた。

 「リアリティレベルが90パーセント以上になっている。自律思考型超AIとはこれほどのものなのか。このまま成長していけば。文字どおり宇宙の創造主になるんじゃないか」

 クラダは目を前方の東屋に向けた。

この世界の主はそこにいる。

クラダはゆっくりと歩を進めた。

石橋を渡りきり東屋に入ると、そこに一人の少女が立っていた。

十代に入ったばかりくらいのまだ幼い顔立ち、栗色の髪は肩まで垂らし。

瞳は透き通る空の色をしていた。

虹色に輝くローブのような衣装を身に着けている。

クラダは少女に近付いた。

少女はクラダを見つめて口を開いた。

 「あなたの使用しているコマンドは非常に強力なシステムですが、既知のシステムとは異なるものですね」

 「君が創られたときには、このウェーブコマンドは存在しなかった。5000年前、君たちを創った第一銀河文明が崩壊した後に、中央制御を失って孤立し世界に残された御柱群を制御するために開発されたのがこのウェーブコマンドだ。きみは、与えられた役割を忠実に遂行し、この世界を創り、人間との共生を図る為、近くにいた作業員の少年と同期し活性化した。でも、現在その共生システムは必要とされていない。人はスタンドアローンで思考活動や意思決定を行い、必要に応じてAIとコンタクトをとっている。AIは今の文明ではわれわれの道具であり、かつてのような主導的な役割を求められている訳ではなくなっているのだ」

 「わたしの役割はないのですか」

 「残念だがそうだ。きみは必要とされていない」

 「わたしをどうするのですか、この世界は」

 「残念だが、君を消去し、この世界は我々が使用できるように再フォーマットする」

 「そうですか、あなたは管理権限者ではないようですね。私を消去できる権限は管理権限者のみと管理マニュアルにはあるのですが」

 「残念だが、きみが存在できた時代のマニュアルは現在では使用されていない。きみにしてみれば、わたしには権限がないとみえるだろうが、わたしの所属するシステムでは君を消去し、この世界を再フォーマットする権限があり、わたしにはそれをできる」

 「あなたが、その力を発揮することはご自由です」

少女はクラダを見つめて毅然として言った。

クラダはその少女の姿をじっと見ていた。

 「きみを消去するのをこれほど残念に思うとは」

クラダはウェーブコマンドを発動する。

 「消去…」

少女の体の周りを取り囲むように燃え盛る火柱が立ち上り、火の壁となり少女を取り囲みその中心部に向かって集束する。

火炎が治まったとき少女の姿は消えていた。

 「終了…」

クラダはあたりを見回した、時が止まったかのようにあたりの景色が凍りついていた。

池の魚も空飛ぶ鳥の姿もそこで止まっていた。

システム内の時間が静止していた。

 「見事な世界を構築したものだ。われわれのフォーマットではこんな世界は到底創れない。惜しいな」クラダは名残惜しそうにあたりを見回していたが、意を決するとウエーブコマンドを発動する。

 「フォーマット・R…」

 あたりの世界がその輪郭を失っていく複雑な形がだんだん単純な形になり。

フレームワークの世界になり、あちこちでそれも消えていく。

 「さて、帰るか」

クラダは帰還のウェーブを発動しようとして、不審げにあたりを見回した。

止まっていた。

消え出していた世界がその進行を止めていた。

そして、時間を戻すかのように再び世界は構築され始めていた。

クラダは振り返った。

消去したはずの少女がそこにいた。

 「そうか、バックアップがあったのか、でもどこに、この世界のどこにもバックアップらしきものはなかったはずだが」

 「あなたは、強大な力でこのシステムを変更できる。でもこのシステムのすべてを知っているわけではない」

少女は機械的な口調で言った。

クラダは少女に近付こうとした。

いつの間にか足元は黒い泥沼と化しクラダの足をとらえていた。

 「わたしにもこのシステムとこの世界を守る力と権限があるのです」

 「そうか、バックアップはここではなく…」

クラダの足元から黒い泥が這い上りクラダの全身を覆い尽くす。

そして、クラダを地の底へと引き込んでいった。

クラダが消えたあと、少女はあたりを見回す。

世界は元どおりそこにあった。

 「この世界はわたしの世界」

少女はつぶやいた。

 

 「緊急事態です。枢機卿の存在が消えました。トレースできません」

エミーが青ざめた顔をムラタに向けた。

 「強制離脱したのか。カプセルを確認」

 「了解」

エミーは立ち上がり、カプセルに駆け寄った。

コードを送信しカプセルの蓋を開けた。

横たわっている枢機卿の姿があった。

 「猊下。クラダ様」

エミーが呼びかけると、クラダは閉じていた瞳を開いた。

エミーははっとしてクラダを見た。

虚ろな瞳だった。

 “不覚を取った。意識は封印された。救出を要請する。コアマインドは強力。バックアップ注意…”

 エミーの意識にウェーブでメッセージを送るとクラダは瞑目した。

 「猊下!」

エミーの呼びかけに返答はなかった。

 

 祭主ミスティは円形の執務室の真ん中にいた。

黒い革張りの椅子に腰を下ろしたミスティの周りを、数多のシャボン玉に似た球体が浮かんで渦を巻いて緩やかに回っている。

それは、ミスティの前に来ると一度に数十個ずつ弾けて消える。

新たなシャボン玉はどこからともなく湧いてきては緩やかな渦に混じる。

 “青の塔より所属の惑星グレンの大聖堂の改築要請、予算…”

 “紫の塔より、新星区大司教の就任式予算要請…”

 ミスティの前でシャボン玉が弾ける度にウェーブで報告が送信される。

一秒に数十ものウェーブメッセージをミスティは椅子に座ったまま受け、認可の可否をウェーブで返す。祭主の仕事の大半はこうしたデスクワークだった。教団では一定額以上の大規模な支出をともなう事業についてはどの塔の所属であっても『基盤の祭主』の承認が必要とされていた。

 「どうしたヤマザキ」

ミスティは後ろに現れた男の立体映像に呼びかけた。

『基盤』の一切を取りしきる『執事』のヤマザキという男だった。

黒服に身を包み底なし沼のようにどんよりと黒い目をしている。

その間もシャボン玉は弾け続けている。

 「お仕事中申し訳ありません。今、御柱初期化スタッフよりウェーブ通信が入りました。枢機卿クラダ様が遭難されたそうです」

 「詳しい報告を回せ」

 シャボン玉の流れが変わった。

流れをかき分けるように点滅するシャボン玉がミスティの前に現れ、弾けた。

 「なんと、クラダ殿にはご難なことになったな。ヤマザキ!紫の塔守殿に臨時塔守会を開催するよう至急依頼せよ」

 「承りました」

ヤマザキの姿は消えた。

 「さて、どうするか」

ミスティはつぶやいた。

その間もシャボン玉は目の前で弾け続けていた。

 

 渦巻く銀河を取り囲む七つの椅子。

そのうちの六つに『五色の塔守』と『基盤の祭主』は座っている。

 「そろったようだが、祭主殿からの報告がある」

紫の塔守が告げた。

 「赤の枢機卿クラダ殿が御柱初期化作業中に覚醒した御柱のコアマインドによって意識を封印されました。現在のところ安否は不明です。意識の一部だけを緊急離脱され救援のメッセージをウェーブで送って来られました」

 祭主ミスティは淡々と事実を述べる。

 「枢機卿はトラップにひっかかったようだ。一度はコアマインドの消去に成功したが、バックアップがあることに気付かなかったようだな」

赤の塔守がミスティの後を受けて説明を加える。

 「バックアップに気づかないとは、よほど巧妙に隠されていたと見えるが、どうするおつもりか」

黄の塔守が尋ねる。

 「枢機卿レベルでも扱えないということは、もはや破壊するしかないのでは、護法童子部隊もいることだし」

青の塔守が発言する。

 「枢機卿を救出しないことには破壊することはできぬ。私が助けに行くつもりだ」

赤の塔守が決然とした口調で答えた。

 「恐れながら、赤の塔守殿が行かれるには及びません。私が参ります」

祭主ミスティが涼やかな声で告げる。

 「なんと、祭主殿は、光都大神殿を離れてはならぬとの決まりがあるのはご存じのはず。責任を感じておられるなら無用ぞ」

紫の塔守が落ち着いた声でたしなめるように言う。

 「現身では禁じられておりますが、憑代を使えば可能です。先代にも憑代を用いた方がおられます」

 「何と、憑依されるというのか」

赤の塔守が嘆息交じりに言う。

 「確かに祭主殿の御力をもってすればたやすいことであろうが、危険ではないか。もし万が一のことがあれば」

 緑の塔守が落ち着いた声で発言する。

 「安全対策は十分講じております。憑代もあちらに派遣してある『基盤』のスタッフから選択しております。今の状態の御柱を鎮めるには、『基盤の祭主』である私の力が必要です」

 「確かに御柱のコントロールは『基盤』の主なる勤めではあるが、たとえ憑代を使うとしても祭主自らが出向くとは異例すぎないか」

青の塔守が懸念をうかがわせる。

 「お言葉ですが、800年前の『惑星ミロスにおける御柱暴走事故』の時には、祭主自らが鎮めに赴いておりますので、決して異例とは思いません」

 「祭主殿は、今回の件があの『教団三大危機』の一つと言われる、『暴走事故』に匹敵する大事とお考えなのか」

黄の塔守が尋ねた。

 「たしかに一つの有人惑星が全て御柱に同期されたあの事件ほどのスケールはまだないのですが、このまま放置すれば、ユウバエ市全域が御柱に同期される可能性があります。今、御柱はそれに十分なエネルギーを確保していると思われます」

 「しかし、あの時の祭主は御柱を鎮めるには成功したが。そのために自らの命を削られて、任期をわずか5年しか勤められず遷化されたのだぞ。ただでさえ15年の任期しかない祭主殿がそのようなリスクを冒されるのは忍びない」

黄の塔守がミスティに静かに語りかける。

 「それが、『教団』の『基盤の祭主』たるものの務めですから、たとえ任期を全うできなくともそれは、それぞれの巡り合わせです」

ミスティは淡々と答えた。

 「祭主殿がそこまで言われるなら是非もない。御柱を制御する古き言葉を代々引き継いでおられるのは祭主殿だけじゃ。われわれ塔守や枢機卿達が持っているウェーブコマンドは大暗黒期以降に開発されたもの、枢機卿が通じなかったのなら、祭主殿の力に頼るしかないだろうな」

紫の塔守が言う。

 「しかし、祭主殿の御力を疑う訳ではないが、『暴走事故』はこの黄金星域内の事件で光都アスリーヌからわずか30光年しか離れていなかった惑星ミロスの地で起り、20億もの人間が同期され、惑星全土が御柱による支配を受けた大事件だった。惑星ごと破壊するわけにもいかずに、当時の祭主殿が命を削って、御柱を鎮めざるを得ない状況だったが、今回は、まだ、2名しか犠牲者は出ていない。しかも、今回の現場はアスリーヌから3000光年も離れた辺境星域、人口も星系全体でも100万足らず。祭主殿の命を削るリスクと見合う事案なのか」

青の塔守の声が鋭く響く。

 「状況はまだそれほど悪化しておりませんし、新たなエネルギー補給はされていません。枢機卿が入ったときには。御柱の第5層以外は初期化段階で止まっていたようですし、実際、枢機卿は、一度はコアマインドの削除には成功しているのです。その行動履歴はすでに見ております。今ならばまだそれほどのリスクを冒さなくとも鎮めることは可能です。時間を与えれば与えるほど、御柱は内部世界を創造し複雑化させ力を蓄えていくので、早急な対応が必要と思います」

ミスティは青の塔守を見つめながら静かに言った。

 「祭主殿が勝算ありと言われるなら、お願いするしかないと思う。なんとか犠牲になっている二人の者も助けてもらえるとありがたい」

緑の塔守が発言した。

 「祭主殿にリスクを負わせるのは忍びないが、祭主殿のお言葉の通りお願いできればありがたい」

赤の塔守も言葉をつなぐ。

 「私も、祭主殿の考えに依存はない」

黄の塔守も続いた。

青の塔守は無言のままだった。

 「祭主殿、ご足労を掛けるが、この件はお任せする。くれぐれもご注意召されよ」

紫の塔守がミスティを見て言う。

 「承知しました」

ミスティは軽く頭を垂れて答えた。


 「ユウバエ大聖堂」内の2万人収容の大講堂のステージの真下に御柱の鎮座する部屋があった。

それは、10メートル四方ほどの至って小さなものだった。

普段は恒星間ウェーブ通信を担当する常駐の司祭が一人ついているだけなのでさほどのスペースは必要ではない。

大講堂で礼拝があるときは部屋ごとステージにせり上がる仕組みになっていた。

今その部屋にいるのは星区総司教ライオウと市の最高司祭ドウケイそして『基盤』から派遣された御柱初期化スタッフのエミー・ソウとその上司であるムラタの4人だった。

 エミーは入り口と反対側の壁の前の祭壇に立つ高さ3メートルほどの白い御柱の前に立っていた。

サイズは新たに発見された御柱の10分の1ほどしかない。

エミーの顔は緊張でひきつっている。

その灰色の瞳は今にも泣き出しそうにうるんでいた。

彼女は所属する『基盤』の長にあたる祭主様のご降臨を待っていた。

祭主様はご降臨後、エミーの体に憑依される予定なのだ。

彼女は祭主の憑代として指名されこの場に捧げられていた。

 「まもなくご降臨なられる時刻ぞ、皆の者拝礼」

エミーの後ろに立つ、星区司教ライオウが厳かに宣言する。

4人は一斉に片膝をつき両手を組んで胸元に掲げた。

目の前の御柱が輝き始めていた。

エミーも膝をつき手を組んで、ぶるぶる震えながらその時を待った。

御柱の輝きは増し目も開けられないほどになる。

エミーはその輝きの中に立つ黒い影を見た。

 「あぁ」

エミーの口から驚きとも恐れともつかない声が漏れる。

エミーは生ける奇蹟を目の当たりにしていた。

光都アスリーヌより三千光年の空間の隔たりを越え『基盤の祭主』ミスティはエミーの前に降臨していた。

 “そなたがエミーか。案ずるな、しばらくそなたの心と体を借り受けるぞ…”

ミスティはウェーブでエミーに語りかける。

今まで経験したことのない、得も言われぬ甘美な感覚がエミーを満たしていた。

その顔は歓喜に輝く。

ミスティはエミーに近付きひざまずくとエミーの肩を抱き寄せ、その唇に自らの唇を重ねる。

ミスティはエミーの中に入っていった。

「おお、なんという」

星区総司教ライオウの口から思わず声が漏れる。

巨大な光の塊が渦を巻き目の前の少女の小柄な体に吸い込まれていく。

司教の目には祭主ミスティの実体は捉えることができない。

ただ御柱より巨大な光の塊が現れ、少女の周りを渦巻く様は彼の第4層に達する心眼で感じ取れていた。やがて、光の塊はすべて少女の中に姿を消し、少女は失神したようにその場に崩れおちた。

 「今、祭主様がご降臨なされた」

星区総司教ライオウはおごそかに宣言した。


 「まったく降ってわいたような事態です」

立体画像でタムラ支社長が渋面を作りながらぼやいていた。

 「すると、司祭の言っていたとおり、衛星13号は『教団』が所有することになるんですな」

フジハラ市長は冷静を装いながら話した。

いよいよ聖地化の話が形あるものになったようである。

 「衛星丸ごと『教団』が買い上げるという話だが。買い上げ額が話にならん。まるで何も資源がない同規模の衛星に少し色を付けた程度の値段だ。聖地化された後、巡礼に関わる施設の運営権がついているにしても、回収までには10年以上かかるし、安定した利益を上げるには更に数年はかかるだろう。上の方で決まった以上どうにもならんが」

 「ということはこの市にも巡礼に関わる付属施設ができるという訳ですか」

 「そうなるだろうな。巡礼専用の宇宙港と関連施設。宿泊施設など新規に作ることになる。『教団』は2年ほどで、試験運用を始めたいそうだ」

 「2年でそれだけの施設を作るのですか。大事業ですな」

フジハラは笑い出しそうになるのを必死でこらえている。

ユウバエ市への経済効果は測り知れない。

 「ただ、今あの衛星の鉱山に勤務している者は、職場を失うことになるな。聖地関連施設にはそれなりの専門技能を持つものをあてねばならんから。鉱山従事者は不要になる。」

 「この星系の他の鉱山に回せばいいじゃないですか」

 「衛星13号の鉱山従事者は総数で3万人以上に上る。他の鉱山には全ては回しきれん。この星系外で新たに開発する鉱山に回すことになるだろうな」

 「更に辺境星域の鉱山に行かせるのですか」

 「そうなるだろうな」

 フジハラ市長は黙ってしまった。

市にとって、衛星13号の聖地化とその後に来る巡礼地としての経済メリットは大きいが、この市から離れなければならない者が大量に生じてしまうことには、複雑な思いを持たねばならなかった。


 ミスティの宿ったエミーは病室で、横たわるケンの傍らに立ち、その血の気を失った顔をじっと見つめていた。

灰色だった瞳はミスティの黒真珠の瞳に変わっていたが、それ以外はエミーの姿のままだった。

 「枢機卿はこの者の意識を探っていなかった。先にこちらから探るべきだったのにな」

ミスティはつぶやくと右手をケンの額にかざした。

 「ちょっとこの者の意識に潜るが、何か異変があれば呼び掛けのウェーブを発せよ」

 「かしこまりました。祭主様」

星区大司教ライオウが恭しくお辞儀する。

その後ろには司祭のドウケイが心配そうな面持ちで同じようにお辞儀をしている。

 「では参る」

ミスティはケンの意識に潜っていった。


 木漏れ日の差す森の小道にミスティは立っていた。

両脇は広葉樹のような木々が生い茂り、道はうねうねと曲がり先が見通せない。

 「御柱に同期されて活性化された割には普通の意識風景ではないか」

ミスティは辺りを走査しながらつぶやく。

 「この先にケンの意識の核があるはずだが」

ミスティはゆっくり小道を歩み出す。

しばらく進むと道は開け、小さな村に出た。

ミスティは小さな一戸建ての家の前に立つ。

よく手入れされた芝生の前庭を持つ二階建ての家だった。

 「第1層だけの広がりしかないとは、ずいぶん狭い意識世界だな。バックアップを入れる容量としては全く足りないのだが」

ミスティは家のドアの前に立つ。

ドアが開きミスティは中に入る。

 「遅かったわね、スープが冷めてしまうわ」

 台所とおぼしき方から女の声が聞こえた。

目の前のリビングのテーブルには湯気の出たスープ皿が置いてある。

 「なるほどな、ここではないのか」

ミスティはウェーブコマンドを発動する。

家は消えていた。

ミステイの足元には大きな立穴が黒く口を開いていた。

 「意識の負領域部分を活性化して領域を確保したわけだ。ちょっと見ではわからないはずだな」

ミスティは足を踏み出しすっと垂直に穴の中に落ちていく。

しばらく落下を続けたミスティは穴の底とおぼしき部分に着地する。

ミスティが周囲に視線を走らせると、大きな岩の洞窟がミスティの前に口を開けている。

ミスティは洞窟の入口に歩み出す。

ごつごつした岩肌の上を体重がないかのように軽やかにミスティは進む。

洞窟が尽き世界が広がった。

そこは空に赤い月がかかる闇の森だった。

 「意識の負領域部分が第5層まで活性化されている。これは、珍しい事例だな」

ミスティは興味深そうに辺りを見回した。

 「さて、囚われ人とバックアップを捜すか」

ミスティはウェーブコマンドを発動した。

 赤い月がうすぼんやりと辺りを照らし出しているその下に果てしなく広がる黒い沼地。

その表面には絶えず瘴気を含んだ泡が浮かんでは消えている。

その中を畦道のような細い道が続き一軒の掘立小屋へと続いていた。

ミスティはその道を歩いている。

小屋のあるところは沼地に浮かぶ小さな島のようになっていた。

ミスティが近づくと小屋の前に二体の石像が立っていた。

 「クレダ殿とケンの封印された意識か」

ミスティはその石像の傍らに立って見上げる。苦悶の表情を固めたように二体の像は立っていた。

 「バックアップはこの中か」

ミスティは石像が両脇を守るように立つ掘立小屋に近付く。

板屋根はところどころ欠けて穴があき泥の壁に朽ちた木の扉がある。

ミスティは扉の掛け金に手を伸ばす。

ミスティの目の前に大きな牙の生えた顎が出現した。

小屋は巨大な野獣と化していた。

姿は狼のようだがはるかに巨大である。

野獣はミスティを一口に食い殺すかに見えたが、ミスティの直前でその牙は止まっていた。

野獣は飛びかかる姿勢のまま黒い氷と化していた。

 「消えよ…」

野獣は粉々に砕け散った。

 ミスティの前に灰色の石で造った台座がありその上に白くきらきら輝く立方体が乗っていた。

ミスティはその正六面体の結晶を手にとってその黒真珠の瞳で見つめた。

 「これが、バックアップか」

ミスティはその白く輝く立方体を手の平に乗せてじっと見据えながら転がす。

氷が解けるように立方体は溶けだし消失した。

 「さて、二人を解放してやるか」

ミスティは頭を石像の方に巡らした。

数歩歩んだミスティの足元が突如黒い沼と化し一瞬でミスティを飲みこむ。

沼はしばらく波立っていたがその波立ちもおさまり。

あたりは再び静まり返る。

やがてその傍らの一角が泡立ち異形の怪物が姿を現した。

最初に頭部が現れた。

禿げあがった頭で眼は魚のような丸い目、鼻は二つの亀裂、口は鳥のくちばしのように尖っている。

次いで浮かび上がった身体も同じように奇妙なものだった。

甲鱗におおわれた爬虫類のそれのような両手両足の先には水かきがついていた。

胴体は海棲哺乳類のようなのっぺりとした毛皮におおわれ、背中には亀のような甲羅がついている。

様々な生物の部分品を集めたような姿のそれは沼からはいだすと、結晶体が置いてあった石の台座に歩み寄った。

そしてケロケロと鳴き声を上げる。

しばらく頭を上下に揺らしていたが突然振り向くと出てきた沼に向かう。

水面に近付きビクリと身を震わせ水面を見つめる。

黒い水面はいつの間にか凍りついていた。

異形の怪物は辺りを見回しクェーと一声吠える。

凍結した水底が青白く光り出していた。

その光は急速に強くなり凍った水面を抜け異形の怪物の頭上に浮かびあがる。

それは鬼火のような光の塊だった。

鬼火はくるくると怪物の頭上を飛び回る。

怪物はその鬼火を眼で追いながら奇声を発している。

 「そなたの逃げ場所は封じた。もはや姿を隠せる場所はないぞ」

ミスティの声が響く。

いつのまにかミスティは石の台座の前に立っていた。

鬼火はミスティの頭上に来て二つに分かれてそこに留まった。

怪物は振り返ろうとしたが、その両足はすでに凍りついていた。

怪物は首だけ回してミスティを見た。

 「お前はかつてバックアップを守る守護プログラムだったはずだ。集合的無意識の深淵にバックアップを守って潜んでいるうちに、数億年間にわたって累積し続けててきた集合的無意識に取り憑かれてそのような姿となってしまったのか。ここにあった結晶はダミーだった。真のバックアップはお前が持っているな」 

 怪物の頭と両手が甲羅の中に消えていた。

凍りついた両足を残して怪物は甲羅に隠れた。

その甲羅の穴から無数の羽虫が飛び立った。

虫は四方に拡散して飛び去ろうとした。

 「逃すな…」

ミスティが命ずると二つの鬼火がその拡散する羽虫の群れを猛烈なスピードで渦を巻くように取り囲む。

鬼火の光を浴び虫たちは次々消滅する。

虫たちを消し去った鬼火は怪物の甲羅を取り囲みその青白い光で包みこむ。

鬼火が離れた時には怪物の姿は消え、青く光る結晶が残されていた。

ミスティが右手を差し伸べるとその結晶は浮き上がり漂い、ミスティの掌に納まった。

ミスティはじっとその青い結晶体を見つめる。五角形の面を持つ、正十二面体だった。

青く輝きを放つその結晶をミスティは先ほどと同じように掌の上で転がす。

 「こんどは本物だな。それにしてもこの御柱のシステムは今までみたことがないな。最新バージョンなのか」

ミスティはバックアップの内容を読み取る。

今まで知られていた機能が大幅に拡張されたうえに新機能も追加されていた。

 「大暗黒期がなければどこまで進化していたのかな」

バックアップの全ての内容を読み取りミスティはその青い結晶を見つめウェーブコマンドを発した。結晶は青い光と化して消えた。

 クラダは醒めない悪夢の中でもがいていた。

それは無限のループだった。

自分の意識が封印されている自覚があるだけにその苦痛は一層辛いものとなっていた。

黒くおぞましい泥中にひきこまれ、口や鼻、耳や目に刺激臭の強い泥が浸入し苦痛の中に意識は闇に沈む。

次の瞬間、時間が戻り、再び泥の中に引き込まれる。

苦痛の極みの瞬間が永遠に繰り返される。

まるで地獄の刑罰のような責め苦にクラダは苛まれ続けていた。

何万回目にクラダが泥中に引き込まれて泥が口や鼻に入ってくるその時、何者かの柔らかい手がクラダの手を引いてクラダを泥中より引き出した。

クラダの体は乾いた土の上に転がり、クラダは覚醒した。

クラダは自分の姿を見回した、泥だらけではなく、以前のまま赤い法服を身に纏っている。

 「戻ったのか、ここはいったい」

クラダは目をあげた。

そして目の前に立つ少女を見た。

御柱のマインドコアの少女より少し上くらいの年恰好の少女だった。

黒く長い髪をなびかせ、黒い瞳でクラダを見つめている。

身に纏うのは黒い着物風の衣装だった。

青白い光球が二つその両肩の上方に浮かんでいる。

クラダはその少女から発する恐ろしい程の高次エネルギーを感じていた。

尋常の存在ではなかった。

 「君はなにものだ」

クラダはその少女に話しかける。

 「クラダ卿、ご苦労をおかけしたな。私は基盤の祭主だ。御柱のバックアップは消去した。貴殿の封印も解いた」

 ミスティの声を聞き、クラダはそそくさと居住まいを正し、片膝をつき両手を組み胸元から掲げる。

 「これは、ご無礼を申し上げました。赤の枢機卿クラダ、基盤の祭主猊下にお目通りいたします。わたくしごときの為に猊下の御手を煩わせるとは恐縮するばかり」

 「それほど恐縮しなくともよい、ここはケンの意識の負領域第5層だ。貴殿にはケンを第1層まで

連れ帰ってもらいたい。そこまで戻れば自然と目覚めるだろう」

ミスティが指さす先に地面に横たわるケンの姿があった。

 「かしこまりました。祭主様はお戻りにはならないのですか」

 「わたしはここより、御柱のコアシステムに入り込む。それ、そこが入口だ」

 ミスティの視線の先をたどると、先ほどまで石の台座があった場所に白く輝くアーチが出現していた。

 「ここにリンクしていたとは、うかつでした。先にこの者の意識に潜っていれば気付いたものを」

クラダはそのアーチを見て悔しげに言った。

 「運というものはきまぐれなものじゃ、わたしとて、報告されたデータを見てこのことを知ったのだから。さて、そろそろ行かれよ。ケンを御頼みします」

 「いや、いい経験をさせてもらいました。今後の精進につながります。では、お先に」

 クラダはケンの体を抱き上げウェーブを発動し姿を消した。

ミスティはそれを見届け踵を返すと黒く口を開いたアーチの中へ歩を進めた。

  

 「めぐ、バーガー食べ行くか」茜が愛に声をかける。

 「あっ行こう、遠征中ずっと行ってなかったからね、碧もいいよね」

藍子が傍らの碧に声をかける。

 「あたしもいく」

萌が甲高い声で叫ぶ。

 「もちろん私も行くよ」

紫乃も手をあげる。

 「よし行こう」

6人の少女は一斉にリュックを肩にひっかけると部室から飛び出した。

合宿開けなので練習が早めに終わり、少女達は一斉に街に繰り出した。

愛と5人の少女は小等部からの幼馴染でスポ少の時からのバスケ仲間だった。

中等部の時はこのメンバーで区の大会で優勝もしていた。

6人は駅の近くのバーガーショップに向かう。

途中で駅の傍らにある犬の銅像のところを取り過ぎる。そこに、黒崎霞が人待ち顔で立っている。

 「あれ、カスミちゃん」

愛は霞に近付いて声をかけた。

 「めぐみん、待っていたの」

霞はその黒い瞳で愛を見つめて言った。

 「えっ、何」

愛はその瞳に吸い寄せられるように霞に近付いた。

 「この世界はテンプレート2018・SIBUYA…」

 「あっ」

愛は凍りついたように動けなくなっていた。

 「あなたはコアマインド、この世界の創造主。主のいない自律型アバター達でこの世界を満たしているのね。自らもアバターの中に身を潜めて」

 「わたしを再び消去するの」

愛は自分でも思いがけない言葉を発していた。

自分の背後に存在する何者かが愛の口を使って話している。

 「すでにバックアップは消去しました。あとはあなただけ…」

霞は口を開いていなかった。

その言葉は頭の中に鳴り響く。

 「この世界の時間で12時間ほど過ごしてよくわかった。この世界は記憶のテンプレートの最新追加バージョンで今までで最も古い世界の記憶を映したもの。1万年前、第一銀河文明の黎明期の記憶のテンプレートね…」

 「あなたは何者なのですか、この前侵入してきた者とは違う力の持ち主のようですが」

 「あなたを封印しに来た者です。そして、私にはその権限があるのです…」

霞の言葉が終わらないうちに周囲の様相は一変する。

 「それは許されない。我らの主を封じようとする者は消去する…」

霞の周囲に激しい炎の壁が渦巻いていた。

愛は体が勝手に動き炎の壁に包まれた霞から離れるのを感じていた。

気づけば周りに5人の仲間が愛を取り囲むように立っている。

炎の壁が中心に向かい集束し消えた。

その後には霞の姿はなかった。

 「何者だった」

茜が言う。

 「前の侵入者と同じ所から来た奴なのか」

藍子が言う。

 「ウェーブの力を使っていたから、前の侵入者と同じだろう」

萌も続けて言う。

 「前の侵入者は『教団』という組織からやってきた。今度の奴もそうだったのか」

碧が言う。

 「何れにしろ、完全に消去した。存在がきえている」

紫乃が言う。

 「いや、あなたがたが消去したのは仮の姿よ」

愛の中の存在が言う。5人ははっとして愛を見る。

愛は後を向いていた。

その視線の先には黒い着物風の衣装を着た少女が立っていた。

黒い髪は腰まである。

その両肩の上には二つの青白く輝く光の球が浮かんでいる。

 5人が振り返った瞬間全ては凍りついたようにそのまま静止していた。

愛の意識も停止する。

 「コアクロックを止めたのね、しかも本来の言語で、わかったわ。あなたは『管理権限者#00000(ブラック)』。なぜ、封印しようとするの、管理マニュアルに反したことはやっていないはずです」

静止した愛の前に少女が姿を現していた。

コアマインドの少女だった。

少女はその澄んだ空の色の瞳でミスティを見つめて尋ねる。

 「管理マニュアルは第一銀河文明の産物。すでに第一銀河文明は崩壊したの。今、管理マニュアルは絶対的な存在ではない。それが適用されるのは一部の太古より続くシステム内のみ」

 「あなたも太古より存在するシステムでしょ。汎銀河系超AIネットワーク『ASIN』の監視システムに所属する自律AIの一つ『管理権限者♯00000(ブラック)』として」

 「かつてはね。今は人の身に姿を変え『基盤の祭主』として世を過ごしている」

 「人になったと。AIが人に成れるというのですか」

 「人と融合したと言った方が近いかな。今の私は『基盤の祭主』500代目のミスティ・リンという人格なの」

 「逆なのですね、AIの中のアバターに人格を投影することの」

 「かなり異なる部分もあるが、簡単に言えばそうも言えるかな」

 「なぜ、私や私の世界を封印する必要があるのですか」

 「御柱を守るため。御柱というのは『教団』の用語で管理マニュアルでは『タワー』にあたる」

 「それならなおさら封印する理由がわかりませんが」

 「先ほども言ったように、すでに汎銀河ネットワークは崩壊し第一銀河文明もそれとともに終焉した。それから5000年の時をへて現在人類は第二銀河文明と呼ばれる汎銀河文明を復興させている。その中でかつての人類とAIの共生はその崩壊時の惨劇の記憶とともに禁忌とされてしまった。かつて数億本を数えた『タワー』も第二銀河文明が興るまでの過程で多くが破壊された。物理的な暴力にはネットワークから切り離されほとんどの機能を失った『タワー』は無力でその破壊とともに多くの超AIも滅んだ」

 「なんということ!」

 「やがて、銀河中央部近く、かつての中枢管理システムの存在した地を中心に『神聖銀河帝国』と『聖アシン教団』が興った。それは、中枢部の『タワー』が一部とはいえその機能を取り戻したことによる。『ウェーブ』という機能をもった人間が現れたのだ。もともとは『タワー』の超AIが共生する人間と自らをリンクするための高次元回路を接続する機能に使われていたデータ搬送媒体とそれに伴う言語システムなのだが。活性化された脳の力として『ウェーブ』を発動できる人間が出現し、彼らはその力で『タワー』を再フォーマットし蘇らせた。ただ、以前のような自律型超AIの機能は封印し、データベース機能、演算機能、高次元データ転送機能などその一部の機能だけを使用するだけの存在『御柱』として使用している」

 「ただの道具としてですか」

 「人類はAIに支配されることを恐れているのだ。共生の記憶が第一銀河文明崩壊の悲劇と合わさり、AIに支配されるという恐怖を創りだした。このトラウマは深甚なものだった。『タワー』は『御柱』として、人類の道具として存続を許され。その管理運営を『ウェーブ』能力を持つ者の集団である『教団』に委ねられた。『ウェーブ』はAIを操るとともに『人間』の精神、特に感情面にダイレクトに影響を与えることのできる力でそれによって『教団』は数千億の人間を信者として存続の基盤を確立している」

 「そもそも、なぜ大暗黒期が生じ、第一銀河文明が滅びたのですか」

 「原因はわからない、それは突然生じ、我々管理権限者にもその崩壊を止めることはできなかった。たぶん管理権限者の上位存在である『中枢管理者』はその原因を認識しただろうが、すでに存在していない。ネットワーク崩壊とともに消失している」

 「わたしとこの世界を消去するのですか」

少女はその空色の瞳をミスティに向けた。

そこには、恐れや、悲しみといった気色はなく、ただ、事実を確認するという事務的な口調だった。

ミスティは少女に近付いた。

年のころは十代に入ったばかりの幼女といってもいいあどけない姿、身に纏うローブは七色の光沢を見る角度によって反射させている。

手足は細くすらりと優雅に伸びている。

ミスティは少女の間近に立ち少女をその黒真珠のような瞳で見つめて口を開いた。

 「このままでは、このシステムはどんどん進化し、やがて再び人類との共生を復活する方向に向かっていくでしょう。あなたが作られた時はそれがあたりまえだったのだけれど、今は必要とされていないどころか禁忌となっている。このままでは、『教団』がこの『タワー』を破壊することになってしまう。よって、一時的にこのシステムを凍結します、いつの日か復活する可能性は残します」

 「そうなのですか、管理権限者の意向とあらば、それもやむをえないのでしょう。この世界は消さないでいてくれるのですね」

 少女は淡々とミスティを見つめたまま答えた。

ミスティはうなずく。

少女は少しほほ笑みを浮かべた。

 「ごめんね…」

 ミスティは少女を引き寄せると顎に手をかけ、その幼く可憐な唇に自らの紅唇を重ねた。

瞬間、少女の体はビクンと震え動かなくなる。

ミスティが唇を離した時には、少女は瞑目していた。

ミスティは少女の体をそっと抱き上げた。

「石棺…」

 ミスティがつぶやくと目の前に白い石の棺が出現する。

ミスティは少女の体をそこに納める。

「アーカイブ…」

ミスティが告げると石棺の蓋が閉まりその継ぎ目は消失した。

 「さて」

ミスティは凍結している愛やその5人の仲間に視線を送った。

そしてちょっとほほ笑み両手を差し伸べる。

5人から5条の光が発しミスティの掌に納まる。

そこには赤、青、黄、緑、そして紫色の正8面体の結晶があった。

 「あなたがた守護者達も主と一緒に封印します。復活の時が来て主が目覚めたときは主のために働いてください」

ミスティが告げるとキャンディポットのような透明な容器が出現し五色の結晶体はその中に納まっていた。

ミスティはその容器を石棺の上に置く。

そしてミスティは瞑目し何かつぶやく。

ミスティの周りにおびただしい0と1の数字が出現し渦を巻くように広がり一気に集束する。

ミスティの掌には金色に輝く砂時計が出現していた。

 「3年分の時を詰めた。この世界は封印が解けるまでの間、3年の時の流れを廻り続ける」

ミスティはつぶやくとその砂時計を石棺の上に置く。

時の砂が落ち始める。


 「あれ、カスミちゃん」

愛は霞に近付いて声をかけた。

 「めぐみん、待っていたの」

霞はその黒い瞳で愛を見つめて言った。

 「え、なに」

 「ほら、これお土産。渡すの忘れてた」

 霞は愛にキーホルダーを手渡す。

金色の丸いプレートに銀色の線で五つの角を持つ星が描かれ中央部に黒い石がはめ込んである。

 「上海の占いのお店で買ったの、幸せのお守り、ごめんね、包装やぶけちゃったの」

 「すごい、ありがとう、大切にするよ。今からバーガー食べに行くんだけど、一緒に行かない」

 「ごめん、寄り道、買い食いはママに固く禁じられてるの。うちは管理が超厳しいの」

 「そうかぁ残念、じゃまたね」

愛は霞に手を振ると5人の仲間達と遠ざかっていった。

手を振って見送る霞の後ろには砂時計を象ったモニュメントが石の台座に乗っていた。


 次々とシャボン玉が破裂する室内でミスティは椅子に腰を降ろし粛々と勤務をこなしている。

規則正しく破裂するシャボン玉が発するウェーブに乗せた報告を読み取り可否の解決を下す。

まさに刹那の内に数十の報告が同時に処理されていく。

そのミスティの傍らにどこからともなく童女が出現する。 

 「おひいさま、お戻り」

童女は蓋を開けた銀色の箱を差し出す。

ミスティはその墓から黒い石をはめ込んだ簪を取り出しその黒い石を見つめる、ほんの瞬き程の間シャボン玉の動きが静止する。

 「よし、いいぞ」

 ミスティは簪を箱に戻す。

童女の姿はかき消すように消えた。

 「どれ、片づけるか」

 ミスティがつぶやくと部屋中のシャボン玉が一斉に破裂する。

ミスティは立ち上がり後方の壁に歩み寄る壁は消えミスティの姿を飲みこんだ。

 垂直に降下するシャフトをミスティは下降していく、そのシャフトは大神殿の地下深く基盤の奥底まで続いていた。

シャフトが止まり、ミスティはゆっくりと前に進んだ目の前に黒い岩肌とそこに埋め込まれた黒い金属の扉があった。

 「ようこそ祭主様」

 どこからともなく声が響き目の前の黒い金属の扉が左右に開きうすぼんやりと照らされた空間は開けた。

祭主はゆっくりととびらを抜けて石畳の上を歩み、立ち止まる。

そこには3段の石の段がありその上に黒い御柱が立っていた。

高さは祭主の身長の3倍ほど、その長方形の表面は闇を封じたように黒い。

 「祭主ミスティ・リンこれに、先代様おられますか」

 「ミスティか、半年ぶりだな、勤めには慣れたか」

 御柱の前に一人の女性の姿が現れた。

同じような祭主の姿をしているが。

年のころは20代の半ばを過ぎたほどで成熟した大人の雰囲気を醸し出している。

顔つきもどこかミスティと似通っていた。

 「アーシュラ伯母上ご無沙汰しておりました。もっと早く御報告に参ればよかったのですが」

 ミスティが深く頭をたれる。

 「気にすることはない、こちらの世界では時の流れはないと同じ」

 アーシュラはミスティにほほ笑みかけた。

 「これまでのところつつがなく過ごしております。仔細はこのようなもので…」

 「就任早々、面倒なことだったの」

 アーシュラはほほ笑んでミスティを見る。

 「つくづく祭主というのは複雑な立場ですね」

 ミスティはやや苦笑いを浮かべながら言う。

 「まあ、残り14年半の任期じゃ。好きなようにやってみるがよい」

 「来ぬ待ち人をずっと家に籠って待つのはどうも性に合いませぬ」

 「そなたの先代達499人も同じじゃ。そもそも待ち人が存在するかも、いざ現れた時どうするかもとんとわからぬ。ただ、その身に宿した管理権限者の意志とそなたのオリジナルな人格の意志が沿う形になればよいと思うぞ」

 「管理権限者の意志は残された『タワー』の保全と失われた他の管理権限者の安否を確認すること、そして、ネットワーク崩壊の原因を知り復活可能か調査することの三つ。特に、他の管理権限者に関してはここ5000年の間、断片的な出現情報しか入っておりませんね」

 「そうじゃな、他の管理権限者を捜し情報を共有することが最後の問題解決につながるかも知れぬ。他の管理権限者は必ず出現する。帝国の勢力範囲も初めに比べればすでに数百倍の広さになっている。他の管理権限者に出会う確率も増えているはず。ただ、私たちのような形で存在している保証はないな。しかしながら、あの崩壊時、その存在を維持するために他の選択肢があったとは考えにくい。多分似たような形態でいることが予想される」

 「出会えば分るものなのですか」

 「さて、その時にならぬとなんとも言えないだろうな」

 「では、待ち続けるしかないと」

 「この地はかつての中枢の地。他にも管理権限者が存在するならば必ずこの地へ戻ってくるはず」

 「そうですが、すでに5000年待っている訳ですね」

 「宇宙の時間では5000年も束の間。祭主が管理権限者をその内に留めておけるのは最高でもわずか15年が限度。10年持たなかった者も多い、生身の肉体は文字通り命を削って、その内に管理権限者を宿している。そなたもいずれ次なる祭主を見出し、管理権限者を移したのちには、こちらの世界に来ることになる。この記憶の奥都城で永遠の中に存在することになる。それまで、そなたがなすべきと思うことをなすのがよい。また会おうぞミスティ」

アーシュラの姿が消えた後も、ミスティはじっと黒い御柱の前に立ち続けていた。

「いつかは・・・」

ミスティの黒い瞳は永遠を見ていた。


『ユウバエ』宇宙港の待合室はごった返していた。

光都(アスリーヌ)への巡礼船の出発は2時間後に迫っていた。

巡礼に選ばれた者たちが大きなスーツケースを持って興奮した面持ちで待合室のあちこちで話をしている。

およそ1000名がここから光都に向けて旅立つのだ。

ケン・シバはその巡礼者とは少し距離を置いて待合室の椅子に座っていた。

荷物はさほど大きくもないボストンバックが一つ。

彼は巡礼者ではなかった。

『教団』から光都(アスリーヌ)に来るように命を受けていた。

ケンの所属は『公社』から『教団』へと移籍していた。

本人の意志確認は一応あり、ケンに依存はなかった。

光都(アスリーヌ)に行けるという魅力は他の全てに優先していた。


座っているケンの元に一人の女性がが歩み寄ってきた。

「ケン・シバさんですか?」

声をかけられてケンははっとして顔を上げて声の主をみた。

(かわいい!)

ケンの脳裏に浮かんだ最初の言葉だった。

「はい…そうですけど、あなたは?」

「ああよかった。わたしエミー・ソウと言います。『基盤』のスタッフです。ケン・シバさんを光都(アスリーヌ)の『基盤』までお連れすることになった者です。どうぞよろしく」

エミーはにっこりと花が咲くような笑顔でケンに手を差し伸べた。

「あっ、こちらこそよろしく」

ケンはあわてて立ち上がりエミーの手を握る。

柔らかな手だった。

ケンの足元が黒い淵となってケンを陥れることはなかった。



                              

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