35−卒業式
「もちろんよ。日本に、京都にいたから今の私があると思う。あの時の私はまだ判断する力が不足
していた。あのままアメリカへ行っていたら、足元がおぼつかない不安定な人間になっていたと思
うから」
亜美の言葉を聞いて、尚人は心をなでおろした。あの時の自分の判断は親子を日米で切り裂く、
誤った判断ではないかと思っていたから。
「それを聞いて安心したよ。今回アメリカへ行くことになったのは、亜美自身が決めたことなんだ
よね?」
「もちろん」
その言葉は力強かった。尚人は落胆する。素直に応援する気持ちにはなれない。
「どうしたの、尚人?随分暗い顔しているけど」
「ああ、大丈夫だよ。報告も済んだし、そろそろ帰るわ」
亜美が日本からいなくなってしまう。その事実が尚人の中で、新たなエネルギーに変わろうとし
ていた。
卒業式。長かったようで短かった高校生活も今日で終わりだ。アメリカから亜美の父、正芳さん
も来日して式に参加することになった。
「ヒデ、亜美と付き合っているんだって」
「亜美はヒデのために、尚人の家から出たんだろう」
久々の再会とあって、サッカー部員の仲間達が集まって話していた。話題は自然と恋愛の話に
なる。
「それじゃヒデは尚人から強奪したってワケか。お前やるじゃん」
部員の一人がヒデの肩をポンと叩いた。ヒデは穏やかな様子で、苛立ってはいない。きっと卒業
式なので、事を荒立てたくないのだろう。
「強奪じゃないわよ。私と尚人は付き合っていたわけじゃないから」
男だらけの会話の中に、マネージャーだった亜美が紛れ込んできた。彼女はヒデの腕に手を回し、
付き合っているのだという証明をする。
「恐れ入ったよ。こんなラブラブぶりを見せられちゃたまらんわ」
男子部員達は三人を置き去りにして、どこか違う場所へ行ってしまった。残された三人。気まず
いのは尚人だった。
「明日、来てくれるよね?」
昨日亜美から電話があった。ぜひ見送りに来てほしいと。私にとって明日が本当の卒業式なのだ
と。正直尚人は戸惑った。回答は保留のままだ。
「僕からも頼むよ。明日来てくれよな、絶対に」
同じような口調でヒデにも頼まれる。
「考えておくよ」
そう言って尚人は傍を離れる。何度も亜美が絶対来てよと叫び続けていた。
式が始まった。厳かな雰囲気で淡々と進んでいく。今日で高校生活が終わるとはとても感じられ
ない。明日もふらっと登校してしまいそうだ。サッカーと勉強に身を捧げた三年間。有意義な時間
を過ごせたと尚人は感じている。しかし彼には一つ大きな問題が残っていた。それが亜美の言う、
彼女の卒業式。
どういった形で迎えたらいいのか尚人はこの二週間あまり、ずっと思案してきた。ただ見送るだ
けではつまらない。何かサプライズなことをしようかとも考えた。けれどもある一つの揺るぎない
思いによって、それらの計画も中断された。
ヒデは校長の長い挨拶の間、昨晩の亜美とのやり取りを思い出していた。最後の思いをぶつけた
のだが、あっさりと断られてしまった。
「アメリカへ行くこと止めることは出来ない?僕のことを支えてほしいんだ。僕のわがままだって
ことは承知している」
「ゴメンね、ヒデ。それはできない、私にも将来の夢があるから。それに三年間父を独りにさせて
いた後悔もあるの。だから私を行かせて、ねえお願い」
ヒデの耳元で囁いた亜美の言葉は、非常に悲しそうだった。ヒデは仕方なく、うんと答えるしか
なかった。やはり遠距離恋愛は避けられないようだ。
卒業する生徒の代表として、ヒデは登壇する。サッカーで貢献したと校長から認められたからだ。
緊張した空気の中で、校長から卒業証書を受け取る。高校生活としては充実していた。誇りとどこ
か寂しげな思いが、ヒデを包んだ。
「亜美がいなくなったら、私どうしたらいいの?」
「大丈夫だって。夏にはこっちに帰ってくるから」
「私、絶対連絡するから」
いつも強気な弥生がワンワン泣いているのが印象的だった。亜美と弥生は小学生からの付き合い
になるから、相当長くなる。まわりは無二の親友に見えるだろうが、二人はずっと順風満帆な仲だ
ったわけではない。尚人はそれを知っていた。
中二の時だった。二人は別々のクラスになり、それぞれクラス専属の友人を作った。つまり一年
間、うまく関係をやり過ごしていく一年間限定の、薄い付き合いの女仲間だ。だが亜美と弥生の所
属していたグループの中心的存在の二人の折り合いが悪く、亜美と弥生は自由に会話が出来なくな
っていた。会話をすればリーダーから目をつけられた。ある日弥生はリーダーから、亜美と話すと
仲間から外すと通告された。
悩んだ弥生。尚人も彼女から相談を受けた。尚人はそんな関係は絶ってしまった方がいいとアド
バイスしたが、彼女が選んだ決断は「無視」だった。
そんな仲間なら友達にならなくてもいいと一人で一年間過ごした亜美は大したものだった。そん
なわけで、中二の時は尚人と過ごした時間が多かったことを、尚人は記憶している。
中学三年になって再び同じクラスになった亜美と弥生の二人。亜美は彼女を無視することなく、
これまでどおりの友達でいようと、始業式の日に自ら言った。尚人はほとほと感心した。この時か
ら弥生は亜美に頭が上がらなくなった。そんな二人の深い絆を、尚人は羨ましいと感じていた。
尚人はサッカー部員の仲間達と正門を出る。この後打ち上げがあると聞いている。まだ明日のこ
とは考えていない。ただサプライズだけは実行させるつもりだ。今晩になるか、明日になるか。尚
人は仲間達と談笑しながら、校門前の坂を下って行った。