33−重大決心
「今日は無理。ヒデと約束があるから」
「約束?」
「私が夕食を作るの。だからスーパーに買い物に来ているわけ」
尚人はヒデと亜美の交際が進展している事実を、突きつけられる。やるせない気持ちになったが、
今となっては仕方ない。
「そうか、ならいいや」
電話を切ろうとすると、亜美が尋ねてきた。
「明日香さんと復縁したんだ?」
「いや断ったよ」
「どうして?試験会場まで来ていたのに」
「亜美の勘違いだよ。僕が彼女を呼んだわけじゃない。向こうが来たんだ」
亜美の頭は混乱した。もう一度状況を把握するために、尚人に尋ねる。
「明日香さんが復縁したくて、尚人に会いに来たってことなの?」
「そうだよ」
「だったらどうして?」
「いいじゃない、それは。まあ色々と事情があるわけだし」
「よくないよ。尚人はあんなに明日香さんのことを……」
「ごちゃごちゃうっせえな。事情が変わったんだよ、こちらの。でももういいや。電話切るね」
「ねえ、ちょっと……」
尚人はこれ以上、亜美とヒデの邪魔をしてはいけないと考えた。自らが手を引けば、すべてが
うまくいくのだから。
約束通りヒデを自宅に招待した亜美だったが、気分は晴れていなかった。先程の尚人の電話が
原因であった。一体事情とは何なのだろう。
「このシチューとってもおいしい。亜美って料理得意だったんだね」
満足そうに食べるヒデ。夕方までトレーニングしていたせいもあり、食がとにかく進む。亜美が
用意していた分はほんの15分ほどで平らげた。
「私が作った料理をこんなに早く平らげたのは、ヒデが初めてよ」
「亜美の料理を楽しみにしていたから、実は何も食べていなかったんだ」
尚人と違って、ヒデは作り甲斐があると亜美は思った。これからも時間があれば招待して、ご馳走
してあげよう。春にはアメリカと東京離れ離れになってしまうのだから、大事にしなければ。
「ねえ、今晩私の家に泊まっていかない?」
「えっ?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。それとも他に用事がある?」
「ううん、ないない」
ヒデの慌てぶりに、亜美はクスクスと笑った。
今晩はヒデの分厚い胸板に自らの身を沈めたい。そんな気分になった。熱い一夜を過ごせば、あの男
のことは考えなくなるかもしれない。亜美の重大決心だった。
「最悪な女だね、明日香って女は。まるで死神みたい」
痛烈に批判したのは、弥生だった。
「ちょっと口が過ぎるよ。明日香さんだってそんなつもりじゃ……」
「あの女のことは構わなくていいのよ。前の男と復縁したくて別れ話を持ち出したのに、それを蹴ってまた
尚人とやり直したいなんて。どういう神経してんだ、全く」
尚人は二ヶ月ぶりに亜美と仲直りしたことを、どうしても彼女に伝えたかった。弥生には色々とお世話
になったこともあり、これからのことも相談したくて出て来てもらったのだ。
「それで明日香とはどんな話したの?」
尚人は会話内容を、弥生に説明した。すると彼女は深くため息をついた。
「どうしてはっきりと言えないの?オレは亜美がいないと、うまくやっていけないって。二ヶ月間話
せずに我慢できたんでしょう。それくらい言えるでしょう?」
「ほら、ヒデとの交際のこと考えたんだよ。彼には色々と苦労を掛けてきただろう。これ以上迷惑
かけたら、本当神様の逆鱗にふれてしまうよ」
「そんな気遣い必要なの?恋愛はいつもバトルよ。奪われたり、奪い合ったりよくあることことじゃ
ない。それを遠慮するって。せっかく亜美の存在に気づいたんでしょう?本当にそんなことでいいの?」
熱を帯びている弥生の言葉。恋愛はいつもバトル。強気な彼女らしい言葉だ。
「いいんだよ。もう決めたんだ」
「私は納得いかないから。ずっと相談に乗ってきた身としては不本意」
尚人は運ばれてきたコーヒーをようやく口につけた。少し冷めていたが、喉が乾いていたことも
あり、非常においしかった。
「実は私、亜美にはヒデと付き合った方がいいって言ってきたんだ。実際に尚人は亜美が好意を寄せ
ていることを知っていて、明日香さんと付き合うし。まるで当て付けのように見えてさ。だけど今
の尚人は違う。本当に亜美のことを心から必要としているのに。今がベストタイミングなのに」
「ありがとう。その言葉胸にとどめておくよ」
感謝の言葉を伝えると、弥生と別れた。空はもう真っ暗だった。無数の星空が都会の闇を覆って
いた。田舎と比べて見晴らしはよくないけど、なかなかいいものだ。尚人は鴨川のほとりを三条
から四条へ向けて歩いた。真冬ということあって人はまばらだったが、何組かのカップルが身を
寄せ合って暖を取っていた。こういうのもいいもんだなと尚人は思った。