29−お守り
センター試験前日。自室で苦手科目の猛特訓を行っていた尚人の元に、お届け物が送られてきた。
小包の中に入っていたのは、北野天満宮の合格祈願お守りだった。送り名は清水弥生となっている。
意外だった。さっそく尚人はお礼の電話を掛けた。
「あっ、もしもし。尚人だけど……」
「お守り届いた?明日センター試験でしょう、頑張ってね」
受話器の向こうの声は随分と明るかった。尚人は拍子抜けした。ちょっと緊張した自分がバカに
思えた。
「このお守り、わざわざ買って来てくれたんだ?」
「そうなんだけど……これには色々と訳があって……」
言葉に詰まる弥生。何か隠し事があるようだ。
「訳ありのお守りなんだ。だとしたら効き目はあるのかな?」
「効き目は抜群よ。それは私が保障する」
「そうなんだ。何だかよくわからないけど、受け取っておくよ。明日の試験には絶対持っていくから」
「尚人くんなら大丈夫だよ。頑張って」
弥生に励まされて、尚人は再び猛特訓を開始した。
「これで良かったの?別にお守りくらい、亜美が渡したことにしても良かったのに」
「ダメなの。今は尚人と絶交状態になっているんだから。私がお守りを渡したことをあいつが知っ
たら、付け込んでくるだけなんだから」
亜美がお守りを渡してほしいと頼み込んできたのは、昨日の夕方だった。弥生は当初断っていた
のだが、どうしてもと亜美が懇願するので渋々了承したのだ。
「尚人くんとの絶交、もう2ヶ月以上になるんでしょう。このままでいいの?尚人君初詣で言って
いたよ。ボールは持っているのは亜美だって。無視するのもいいけど、何らかメッセージは発信し
てあげなきゃ」
「ねえ、弥生には私達の関係はどう思える?滑稽だって笑う?」
「別に笑わないわよ。私が思うには、今まで二人は親密過ぎたのかなって思う」
「でしょう?だから冷却期間を今置いているだけなの」
「二人の間ではそれでいいんだけど、周りに心穏やかでない人がいること忘れてないか、亜美さん」
探偵のように問い詰める弥生に、亜美はたじろいだ。
「ヒデが可哀そうだよ。亜美は冷却期間の間、どれだけヒデのことを考えた?正直に答えなさい」
弥生は本気で怒っていた。亜美は真剣にそして客観的に、自己分析してみた。そして弥生にこう
言った。
「あんまり考えてなかったかもしれない。ゴメンなさい」
「ほらやっぱり。一見ヒデのために距離を置いたように見えるけど、根本的な解決にはなってない
の。頭の中は尚人のことでいっぱいなんでしょう?」
ズバズバ言い当てる弥生の姿に、さすがは親友だと亜美は思った。
「亜美に二人の男を追うのは無理よ。どちらかは完全に手を切るべき。私としてはヒデの方がいい
と思うけどな。尚人と違って浮気しないから」
頷く亜美に、弥生は手を叩いて笑った。
「ヒデのことよく考えてあげて。私からのお願い」
弥生の言葉を亜美はよく噛み締めた。ヒデに気を配っているつもりだったけれど、配慮が足りな
かったようだ。亜美は西の空に沈む太陽を見つめながら、大きくため息をついた。
センター試験当日。いい目覚めだった。今日は何だかいけそうな気がする。会場へ向かう電車は
緊張した女子高生や、参考書を読みふけっている浪人生と思われる人達を出くわした。
自然体。サッカーで培った精神力が、尚人には宿っていた。あの試合でゴールを決めたことが、
大きな自信となっていた。やることはやった。だから不安はあまりなかった。己を信じて試験に挑む
だけだ。
初めから苦手科目英語。これを乗り越えられれば、うまくいく。試験官が注意事項を説明してい
る間、尚人は目を閉じていた。
思えば苦手克服のために家庭教師としてやって来たのが、明日香だった。彼女の教え方は自分に
合っていて、ぐんぐんと成績は向上した。最後は恋愛まで発展して残念な形に終わったけど、今と
なってはいい思い出だ。彼女のためにもいい結果を残したいと思う。
開始の合図。いよいよ進路を占う試験が始まった。
無事一日目の試験が終了して、上機嫌で尚人は会場を後にした。明日残りの試験科目を受験して、
ひとまずセンターは終わりだ。明日への思いを巡らしていたところで、尚人は目を丸くした。何と
大学の正門前に明日香がいたからだ。
彼女は黒いコートを着ていて、誰かを待っているようだった。尚人は彼女に気づかれないように、
視線を落として彼女の前を通り過ぎようとした。別に見つかっても構わないけれど、今は顔を合わ
せたくなかった。しかし明日香は目ざとく尚人を発見した。
「待って、尚人君。私、明日香よ」
「ええ知っています。だけど僕とはもう関係ないでしょう」
「ここなら会えると思ってずっと待っていた。一度尚人君と話がしたかったの」
今さら何があると言うのだろう。自分から別れると切り出したのに。
「明日試験がまだ残っているんです。話したいのなら。また明日ここへ来てください。今日はこれ
で失礼します」
明日香は追い掛けて来なかった。帰りの電車の中で、忘れたはずの明日香との記憶が蘇ってきた。
タイミングが悪すぎる。尚人は懸命に切り替えようとしたが、無駄なことだった。