28−初詣
亜美の独立宣言から二ヶ月が過ぎようとしていた。尚人は彼女が言ったことを忠実に守り通し、
一切話しかけなかった。ここまで意固地になったのは初めてのことだった。学校で亜美とヒデと
すれ違っても、全く知らない人物であるかのように過ごし、まわりが二人のことを心配しても意に
返さなかった。
「本当にびっくり。亜美がここまでするとは思わなかった。これも愛の形なのかな?」
清水弥生に誘われて、尚人は近所の神社に初詣に来ていた。志望大学の合格を祈願してから、
二人は露店が出ている参道を歩いていた。
「完全無視でしょう。僕は亜美の中で、何の記憶にもない人になっている」
「それはないよ。だったら私も記憶のない人の中に入ってしまう」
「卒業まで続くんですかね、この扱い」
「さあ、私もわからない。だけどこれだけは言える。会話の中で尚人くんのことは一切出てこない」
「そうなんだ。すごい徹底ぶり」
尚人は苦笑いするほかなかった。
「亜美の中で何があったんだろう。少しでもわかることがあれば、尚人くんに教えてあげられる
んだけど。私から切り出すわけにもいかないし」
「清水は気にしなくていいんだよ。これは二人の問題なんだし。たとえ亜美が無視し続けて、一生
口を利かなくたって僕は平気だから」
弥生はとても考えられないといった表情で尚人を見た。亜美も亜美だが、尚人も尚人だ。この
異常な状態で、よく平静でいられると感心する。
「二人の関係ってそんな希薄なものだったの?」
「さあ、希薄かどうかは知らないけど。何にせよ僕からは何も行動は取れないわけだし。ボールは
向こうが持っている。こっちに投げ返した時に、考えればいいことだよ」
「へえ、達観しているね。ここまで行くとすごい限り」
クールな態度を見せた尚人だが、これはヒデや弥生に余計な心配を掛けたくなかったからだ。
本当はヤキモキしていた。最近ではこの扱いにも慣れてきたけれども。
「何か変化があった時に、報告してくれればありがたいです」
「かしこまりました。では亜美が尚人くんについて何か話し掛けたとき、報告しましょう。ところで
私から尚人くんのこと、話題に出さなくていい?」
「ああ、それはいい。むしろ止めてもらいたいくらい。何か僕から頼んだみたいな空気感が嫌だか
ら。ケンカするなら最後までガチンコでやらないと」
弥生が尚人の顔を見て、フフフと笑う。尚人は何かおかしなことを言ったかと尋ねた。
「別に何も言ってないよ。ただ私じゃ亜美に無視されたりするの、無理だなと思って」
「亜美が無視するわけないじゃん。親友だって言っているんだから」
「わかんないよ。亜美が尚人君を遠ざけるくらいだもの」
一瞬無言になった尚人。すかさず弥生はつっこんできた。
「ねえ、わからないでしょう。人間の感情ってなかなか読めないものね。読めないからまた面白い
んだろうけど」
「今日は誘ってくれてありがとう。久々に人と話せて良かったよ」
「いいえ、どういたしまして。風の噂で尚人くんが勉強ばかりしているって聞いたから。気分転換
も必要よ。でないと本番前に燃料切れしてしまう」
「肝に銘じます」
弥生と別れると、尚人は大きく深呼吸した。正月三が日くらいは休んでみようか。冷たい手に
白い息をかけながら、自宅に戻った。
一方亜美とヒデも別の神社に初詣に来ていた。かの有名な北野天満宮だ。まわりには二人と同
じような受験生と思われる学生や、浪人生が入り混じっていた。
二人は境内で合格祈願のお守りを購入した。ヒデは自分の分、亜美は二枚購入した。
「誰かにあげるの?」
「ああ、これ?これは弥生の分。彼女から頼まれていたから」
穏やかな笑顔で返答した亜美。これがヒデの心をほぐしたり、不安にさせたりとコロコロ変化
させたりする。ここ二ヶ月彼女は尚人の話題を一切出してこない。そして誓った通り、無視し続け
ている。これはいいことなのか、ヒデにはわからない。答えを知っているのは、亜美だけだ。
彼女のことを信じる。
思い続けるのは今年も同じだ。ヒデにとって、亜美を信じるしかない。自分が惚れた女だ。信じ
て信じて最後がどうなろうと、信じ抜くしかないのだ。
「みんな合格するといいね」
「そうだね」
受験なのだから皆が合格するわけではない。それがわかっていて言えるのは、亜美の優しさだ。
「卒業って本当慌しいよね。受験なんてなかったらいいのになと思う。そしたらもっと高校生活を
味わって卒業できるのにね」
亜美は日本の大学を受験しないと決めていた。それほど海外留学の意志は固かった。年末にアメ
リカへ飛んで、正芳と受験する大学の見学を行ってきた。どんな街か、治安がいいか細部まで確認を
して決定したのだ。
もはやヒデは反対することを諦めていた。正芳から独り身の寂しさを訴えられたが、亜美の意志は
非常に固い。覆すことは不可能であった。
「そうだね。僕もそう思う。せめて中学と高校は一貫している方がいいよね。高校受験ってよくわ
かんないし」
教育論について語った二人。ヒデは将来サッカーの指導者も考えたりしているので、教育のこと
はうるさかったのだ。