23−どしゃぶりの雨
亜美とヒデの交際がスタートした。亜美が尚人のことをまだ完全に忘れずにいることを、ヒデは
知っておきながら。ヒデは亜美が少しでも関心を持ってくれたことが、何より嬉しかった。
一方、尚人と明日香の二人は順調とは言えなかった。この頃明日香の様子が何だかおかしい。
隠し事をしていることが尚人にもはっきりとわかった。何度も問い詰めようとしたが、いつも何で
もないと言ってはね返された。年下だからというのもあるが、尚人は手のひらで明日香に転がさ
れている気がしていた。
「高校生だからってバカにすんな。悩んでいることがあるのなら、話してくれたっていいじゃな
いか。それとも僕に話せない内容なのか?」
何も喋らない明日香に、尚人がついにキレた。普段冷静な尚人が見せない態度だけに、明日香
はたじろいだ。しかしすぐに盛り返す。
「恋人同士だからって何でも話せるわけじゃないでしょ。尚人だって私に話せないことあるわけ
じゃない。それにお互いのために言わない方がいいことだってあるのよ」
「それなら言うけど、『いつまで言わない方がいいこと』で悩み続けているんだよ。明日香だけで
解決出来ないから、悩んでいるんだろう?だったらもう僕に話してくれもいいんじゃない?」
明日香はやはり黙ったまま。尚人はため息まじりに、オーダーしたジンジャイルを飲んだ。
「素直に話したら、尚人は聞き入れてくれるの?」
明日香がポツリと呟く。その言い方がとても嫌な気がした。
「ああ、もちろんさ。僕だって知りたいから」
「だったら話すわ。私、前の彼氏にもう一度やり直さないかって言われているの。まだ返事はして
いない」
ピクリと眉間の皺を動かした尚人。動揺を抑えようとしても、それは無理な話だ。
「ほら、怒っているじゃない。だから話したくなかったのよ」
「それで明日香はどうなんだよ。やり直したい気持ちはあるの?」
「ないわけじゃない。とても好きだった彼だったし」
頭を抱える尚人。彼女がこんな女性だとは思いもしなかった。ずっと信じていた自分がバカらし
く思えてきた。
「ずっと僕を騙してきたの?」
「騙してきたわけじゃない。それだけは信じて」
「騙してきたのと同じじゃないか。どちらが相応しい男か僕と前彼を天秤にかけていたんだろう」
「天秤にかけるなんて、そんな……」
乱している尚人を見て、明日香がもうどちらの男と付き合うのか、尚人は察しが付いていた。
けれども暴れないわけにはいかなかった。
「僕はただ前彼と別れた寂しさを取り繕うだけの男でしかなかったわけだね」
「誰もそんなこと言ってない」
次から次へと自らを破滅に追い込んでいく言葉が浮かんでくる。尚人はもう嫌になって、店を
飛び出した。外は雨が降っていた。まわりに人影はほとんどいない。尚人はどしゃぶりの街を一人
歩き続けた。
「あれ、尚人じゃない?」
図書館からの帰り、ヒデが見つけた。傘も差さずにどしゃぶりの雨の中を、彷徨い人のように歩
く尚人の姿。二人は顔を見合した。
「何かあったんじゃないかな?顔も真っ青に見えるし」
「わかりやすくていいね、尚人は。あの表情であれば、明日香さんに何か言われたんじゃない?」
「僕には全然わからないけど、尚人のことは」
さすがといった目で亜美を見つめるヒデ。慌てて亜美は首を振る。
「たまたまよ。でもあれは重症だね。死にまでは至らないけど、相当な傷を負ったみたい。散々
人のことを振り回してきたんだから、別にいいんじゃない?」
亜美はすまし顔で言っていたが、内心穏やかではなかった。すぐにでも飛んで行って声を掛けた
かったが、ヒデのいる手前そういうわけにもいかなかった。
「僕のことはいいから、今日は尚人の所に言ってあげて。あいつ、重症なんだろう?」
「でも……」
「ほらいいからさ、早く」
亜美の腕を引っ張るように、行くよう促すヒデ。彼の気遣いに。ようやく応えた亜美。
「ごめんね、じゃ行ってくるから」
ヒデの手から亜美の腕が離れる。それと同時に亜美の心も、ヒデから離れたような気がした。
付き合っているのにこの空しさは何だろう。初めてヒデは尚人に嫉妬した。
後ろの方から聞き覚えのある声がする。幼い頃に何度も聞いたような、懐かしい響き。幻聴かと
も思えたが、やがてその声の主が亜美だと気づくと我に返った。
「風邪ひくよ。服もビショビショじゃない。傘も差さずにどこへ行こうとしていたの?」
「ほっといてくれよ。オレは一人になりたいんだ」
「一人にさせらないわよ、こんな姿じゃ。尚人、今どんな姿かわかってんの?」
「さあ、どうなんでしょう。もうどうでもいいんだよ、着飾ったところで人の気持ちが変わるわけ
じゃない。もう何もかもが終わったんだよ」
「明日香さんと何かあったの?」
「あったりー。さすが亜美は鋭いな」
肩をポンと叩いた尚人。随分力強く叩いたので、すぐに痛みは治まらない。
「何かあったのかは知らないけど、もしかしてふられた?」
「まあほぼ正解だな。もうふられ掛けている」
明日香との恋が失敗してほしいと願い続けてきた亜美だったが、今日の尚人を見ていると非常に
痛々しかった。恋破れた男の表情は何だか哀れに見えた。