だから嫌いなんだよ
「魔法を使った、って⋯⋯アイツの親そんなすごい人なの⋯⋯!?」
「はい、二十年前は大魔導士って呼ばれたくらいですから。」
予想を上回るエリンのその発言を聞いて思わずその場で立ち上がって声を張り上げると、その発言の主は淡々とそう答える。
「大、魔導士⋯⋯。」
あまりにも予想外の回答に頭の処理が追いつかず、今度は呆然とした態度でその場に座り込む。
「そんな血筋の影響かはわかりませんけど、昔は私よりもアイツの方が魔法を使えたんです。」
「七歳の頃には今と同じくらいの魔法は使えてたんです。」
エリンは自分のことではないのにも関わらず、少しだけ誇らしげに幼馴染の昔の話をし始める。
「七歳で三属性と浄化魔法まで?」
レイチェルは今のリアンの能力を確認する意味を含めてそう問い返す。
もしもその歳でそれだけの技量があるのであれば、それは才能云々を超越した次元の話になる。
「はい。そして、九歳の頃には契約魔法も習得したんです。」
エリンはそんな質問をまるで当たり前だと言わんばかりにそう答える。
「そんなの天才じゃない⋯⋯。」
「はい、だから昔は〝神童〟なんて呼ばれてたんです⋯⋯けど。」
それまで雄弁に語っていたエリンは、その言葉を呟いた瞬間、人が変わったように下を向いて暗い雰囲気に切り替わる。
「⋯⋯けど?」
「十二年前のあの事件で全て変わってしまった。」
少しだけじれったくなったレイチェルが問い返すと、エリンは覚悟を決めたようにはっきりとした口調でそう呟く。
「事件⋯⋯?」
「知ってると思いますけど、契約魔法っていうのは元々精霊という特殊な種族だけが使う秘術なんです。」
レイチェルがその言葉に引っかかっていると、エリンはリアンが使う契約魔法の話をし始める。
「そういえば言ってたわね⋯⋯。」
少しずつ難しくなっていくその話になんとかついていきながら、記憶の片隅にあるオリヴィアの言葉を思い返す。
「それだけ特別な魔法の使い手となれば、当然それを狙った人間も出てきます。」
「どういうこと?」
「殺されたんです。アイツの父親は。」
その言葉の意味が分からず問い返すと、エリンはそんなレイチェルでも一発で分かるよう即答でそう答える。
「⋯⋯っ!?」
「犯人は不明、死んだって情報は当時、彼の仲間の発言からです。」
「ちょ、ちょっと待って!」
スラスラと言葉を紡ぐエリンを制止させると、完全に追いつかなくなった脳みそで必死に話をまとめようとする。
「殺されたって、大魔導士なんて呼ばれてたのに?どうして?死因は?」
「とある依頼の最中、襲撃を受けて、それで⋯⋯。最期は巨大な魔法で、自分の身体ごと⋯⋯。」
矢継ぎ早に繰り返される質問に答えるため、エリンは淡々と言葉を紡いでいく。
「自爆、ってこと?」
「⋯⋯結果的にはそうなります。」
レイチェルがそう尋ねると、エリンは抑揚のない声でその言葉を肯定する。
「それからアイツは⋯⋯いいえ、あの家族は変わってしまったんです。」
そう言ったエリンの表情は今までよりも遥かに辛そうなものだった。
「アイツの母親はアイツを女手一人で育てて、アイツはそんな母親の苦労をずっと見てきた。」
(アイツの冒険者嫌いはこの辺からか⋯⋯。)
確かにリアンは自分の命をかける事には人一倍真剣で、そして他人が簡単に命をかけようとすることも強く嫌っていた。
「そしてアイツは、その頃から、魔法が上達しなくなってしまった。」
その言葉を聞いても、レイチェルはさほど驚く事は無かった。
九歳の頃には既に今とほとんど変わらない種類の魔法をマスターしていると言う事は、それ以降の成長はほとんどなかったとなんとなく予想はできていた。
「それは父親を失ったショックで?」
「分かりません。けど、それまで冒険者の父親を尊敬していたアイツは⋯⋯。」
そしてさらに深く追求するが、エリンも確証のある答えは出せずに口をつぐむ。
「少しずつ父親を、そして冒険者を恨むようになったってこと?」
その間を埋めるようにレイチェルが尋ねると、エリンは黙って首を縦に振る。
「はい。その結果生まれたのが、冒険者嫌いの契約魔法使い。リアン・モングロールです。」
「私は、そんなアイツを見てることしか出来なかった。」
全ての説明を終え、エリンはもう一度下を向いて俯くと、いつも以上に覇気のない声で小さく呟く。
「⋯⋯つまり、アンタの自信のなさは、アイツの影響なのね。」
それを見てレイチェルはため息混じりにそう呟く。
「人見知りなのは生まれつきですけど⋯⋯。でも、確かに今でも思います。」
するとエリンは反論する訳でもなく、苦笑いを浮かべながらそう言葉を紡いでいく。
「チェインおじさんが死んでなかったら、今私が立ってる場所はアイツのものだった、って。」
今自分が立っている場所は本来はリアンが立つべき場所であった。
謙遜でも過大評価でもなく、それがエリンの正直な考えであった。
「⋯⋯⋯⋯。」
レイチェルはそれを聞いて何を言うわけでもなくただ黙り込んでその横顔を見つめる。
「⋯⋯けど良かったと思うんです。アイツが入ったのが〝アーク〟のギルドで。」
空気がほんの少しだけ湿っぽくなると、エリンはその顔に笑顔を貼り付けてそう切り出す。
「⋯⋯?なんで?」
突然のそんな発言に呆気にとられると、レイチェルは魔の抜けた表情でそう尋ねる。
「個人技主体のドラゴスパーダや規則の厳しいフェンリルナイツじゃアイツは輝けないですから。」
「だから、アークの自由さがアイツにはちょうど良いと思うんです。」
だからこそエリンは、〝アーク〟とリアンの相性は悪くないと考えていた。
「⋯⋯それ聞きようによっちゃ皮肉にも聞こえるんだけど⋯⋯?」
が、本人達からしてみればその言い方はどうも引っかかるものがあり、レイチェルも素直に喜べずにいた。
「⋯⋯っ、ごめんなさい、そんなつもりじゃ⋯⋯っ!?」
エリンはその言葉を聞いて慌てて取り繕おうとすると、コンコンとその言葉を遮るようにドアがノックされる音が聞こえてくる。
「おーい、見舞いに来たぜ。」
その奥から聞こえてくる声は、二人ともよく知っている男のそれだった。
「リ、リアン!?わわっ⋯⋯どうしよう⋯⋯。」
それまで平静を保っていたエリンは、その声を聞いて一気にその表情を強張らせて忙しなく独り言を呟き始める。
「はぁ⋯⋯ちょっと待ちなさい!」
その様子を見てレイチェルは呆れた様子で大きくため息をつきながら扉の向こうにいるリアンにそう声をかける。
「⋯⋯?レイチェル、中にいるのか?」
「ええ、開けるのはちょっと待って。」
レイチェルはボサホザの髪のまま慌てふためくエリンを横目に、扉の向こうから返ってくる間抜けな声に念を押すように入室を拒む。
「⋯⋯なんでだ?」
「アンタには関係ないことよ。⋯⋯とにかく今入ったら斬るから。」
「恐ろしいなお前!⋯⋯よくわからんけど、早くしてくれよ。」
それでも深く追求しようとするリアンを、レイチェルは少々強引な手を使って黙らせる。
「あ⋯⋯。」
「あ、じゃないわよ。ほら、髪くらい直しなさいよ。ハネてるわよ。」
エリンがその光景を見て呆けていると、レイチェルはまるでお姉さんのように仕方なさそうにエリンの髪に手を伸ばす。
「⋯⋯ありがとう⋯⋯ございます。」
「⋯⋯これで大丈夫ね。⋯⋯入っていいわよ。」
ある程度髪を直し終わると、レイチェルは今度は小さくため息をついてリアンに声をかける。
「⋯⋯そんじゃ、失礼して⋯⋯お、元気そうだな。」
リアンはドアを開けて顔を覗かせると、真っ先にエリンの顔を見つけてホッと安心した表情を浮かべる。
「⋯⋯う、うん。」
エリンは照れ隠しなのか伏し目がちに顔を逸らしながら小さな声で返事をする。
「⋯⋯傷はどうだ?」
そんなエリンとは別な意味で静かなリアンは、悲壮感漂う表情でそう尋ねる。
「もう大丈夫。跡も残さず塞がってる。」
「⋯⋯良かった。」
そしてその返事を聞くと、今にも泣き出しそうな声で噛みしめるようにそう呟く。
(本当に気にしてるし⋯⋯。)
その横に座るレイチェルは、予想が当たり呆れたような、嬉しいようなむず痒い表情を浮かべる。
「悪かったな⋯⋯俺たちのせいでこんなことになっちまって⋯⋯。」
「大丈夫、そのことならレイチェルさんにもう謝ってもらったから。」
そして、リアンが先ほどのレイチェル同様に頭を下げると、エリンは今度はさっきよりも余裕のある態度でそれを受け入れる。
「それでもだ。こればっかりは俺の口からも言わなきゃ気が済まねえ。」
「なら、なおさら大丈夫。リアンが無事でよかった。」
深々と頭を下げるリアンを見て、エリンはニッコリと笑って素直にそう返す。
「⋯⋯そうだ、お土産持ってきたんだけど。」
リアンはハッと、その事を思い出すとポケットの中から紙袋で包装された例のキーホルダーを取り出す。
「⋯⋯っ、これって⋯⋯!」
エリンはその袋を開けて中身を見ると、緊張していた顔色が柔らかくなり、少女のような表情へと変化させる。
「これ、昔好きだっただろ?」
「⋯⋯うん!ありがとう。」
リアンがそれを見てニヤリとはにかむと、エリンは今日一番の笑顔でニッコリと笑みを返す。
「喜んでもらって何よりだ。」
「そういえばアンタ、ギルマスと何話してたの?」
そう言ってリアンは満足げに答えると、レイチェルはふとそんな質問を投げかける。
「ん?⋯⋯ああ、大した事じゃねえよ。」
リアンはその問いに一切の表情の変化もなく視線を逸らしながらそう答える。
「ギルマスと?」
「ああ、なんか呼び出されてな。⋯⋯結局したのは世間話だけなんだけどさ。」
その話にエリンも食いつくが、リアンは頑なに何も無かったの一点張りで話を通す。
「⋯⋯あのさ——」
そんな雰囲気に違和感を持ったのか、エリンはリアンの顔をじっと見つめながら口を開く。
「——入るよ。」
が、そんなエリンの言葉を遮るように部屋のドアが開かれる。
「⋯⋯っ、先輩。」
入ってきたのは一人の女性、エリンの反応
や戦闘に向かうような服装を見る限り、フェンリルナイツの冒険者の一人であると予想できた。
「エリン、着替え持ってきたわよ⋯⋯って、あら、お客さん?」
女性は入って来てすぐにエリンに手に持った着替えをヒラヒラと見せつけると、そこから一瞬遅れて二人の存在に気がつく。
「「お邪魔してます。」」
二人は意図せず同時に同じ言葉を発する。
「こんにちは、えっと、着替え持ってきたよ。」
「⋯⋯あ、ありがとうございます。」
先輩冒険者は、リアン達に軽く会釈した後に、すぐさまエリンに向かって歩み寄り、そして手に持った着替えを手渡す。
「着替え⋯⋯⋯⋯となると、俺たちはお邪魔だな。」
「⋯⋯そうね。」
リアンがそんな事を口にし、椅子から立ち上がると、レイチェルは一拍ほど置いた後に同調するようにそう続ける。
「⋯⋯えっ!?」
すると予想外のその言葉を聞いて、エリンは思わず声を上げる。
「じゃあな、また今度。」
「あ、あの⋯⋯。」
そんなエリンの心情を知ってか知らずか、二人は何のためらいもなく部屋の外へと出て行ってしまう。
「⋯⋯話してくれてありがとう。」
リアンも部屋から出て行き、部屋の中に残されたエリンに向かって、去り際にポツリと呟くと、レイチェルはそのままゆっくりと扉を閉める。
「ああ⋯⋯。」
二人きりになった部屋の中で名残惜しそうな声が響く。
「⋯⋯えっと、タイミング悪かったかな?」
「ううっ⋯⋯。」
「⋯⋯ごめん、ほんっとごめんね、エリン。」
涙目になるエリンを見て、先輩冒険者はただひたすら謝ることしか出来なかった。
——ギルドハウスを出て、帰路につくために昼間の街道を歩く二人の間には、微妙な沈黙が流れていた。
「⋯⋯⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯。」
それは仲の悪さからくるいつものそれとは少しだけ違い、居心地の悪さがいつも以上に際立っていた。
「⋯⋯アンタさ。」
「⋯⋯ん?」
そんな沈黙に耐えられなくなったレイチェルは、視線を合わせぬまま不機嫌そうに口を開く。
「なんかあった?」
レイチェルから見て、ギルドハウスに行くまでのリアンの雰囲気と、今の雰囲気は明らかに違った。具体的に言えば、大人し過ぎたのだ。
原因として考えられるのはやはりギルドマスターとの面会であった。
「⋯⋯どうした急に。」
突然のそんな言葉に戸惑いながら、誤魔化すような笑みを浮かべで問い返す。
「こっちのセリフよ。早々に出て行こうとしたり、出てくるなりずっと黙り込んで⋯⋯。」
「何言われたの?」
クインの人間性やリアンの抱えているものを加味して考えてみれば、まず間違いなく何か余計な事を言われたのが予想できた。
「⋯⋯いや、本当に大したことないんだ。」
「⋯⋯⋯⋯。」
リアンはそう言って再び黙り込むと、先程のクインとの会話を思い返す。
「——俺の話なんて大して面白いもんでもないですよ。」
リアンがクインに対して、真っ先に言ったのはそんな言葉だった。
「それでも気になるから呼んだのよ。」
クインの言うことはもっともであった。本人の考えと、クインの興味が連動しているわけがないのは少し考えれば分かることだった。
「予想はついてると思うけど、私はあの時、貴方の父親の死を目撃した一人なの。」
「⋯⋯っ、やっぱそうですか。」
クインの言う通り、ここに呼び出され、そして父親の名前を出された時点で予想は出来ていた。
出来てはいたが、やはり動揺は抑えることが出来ず、表に出てきてしまう。
「昔から親交はあったんだけど⋯⋯まさかあんな最期になるなんてね。」
「⋯⋯俺も親父の死については調べられる限り調べました。」
クインが昔を懐かしむようにしみじみと語っていくと、リアンは対照的に近寄り難いような雰囲気で言葉を返す。
「敵の正体や目的は不明、死因は自爆魔法。遺言の類は無し。そして、敵の生死すら不明。」
「⋯⋯全部知ってます。」
そこまでの情報リアンはよく知っていた。そして、どの目撃者に聞いても、そのくらいの情報しか得られないこともよく知っていた。
「ならやっぱり、私がこれ以上教えれることはないと思うわ。」
結局クインもそのうちの一人に過ぎなかったのであった。
「⋯⋯私が聞きたいのはさ、そういうことじゃなくて、やっぱり貴方のことなんだ。」
これ以上話していても互いに得るものはないと感じると、クインはすぐさま本題とも言える話へ切り替える。
「どうして貴方はあんな偉大な父親がいるのに、今の今まで冒険者になろうとしなかったの?」
クインのがリアンに聞きたかったのはそのことであった。
最低限とはいえ、冒険者になるに足る実力があるにもかかわらず、その魔法を便利道具程度にしか扱ってこなかったのはとても勿体無いように感じたのだ。
「⋯⋯俺には才能が無かったからですよ。」
「そんなことはない。貴方の持つ契約魔法は使いようによってはウチのエリンよりも価値のある力よ。それこそ、それ一本で戦っていけるわ。」
事実、現状リアンは契約魔法一本の価値のみで戦場に立っているに等しかった。
「⋯⋯⋯⋯。」
「私が聞きたいのは、何故なろうとしなかったのか、って話。」
偉大な冒険者を親に持てば、その子供は憧れている、いないに、関わらず子供も冒険者を目指すものであるとクインは経験上知っていた。
それはまさに線路に引かれたレールのように、真っ直ぐに引かれ、才能という速度で持って走り抜けるのが血筋というものだ。
が、リアン・モングロールという男は違った。
優秀な親を持ち、目指すに足る力を持ち、真っ直ぐにお膳立てされた道があるのにも関わらず、この男はアリシアによって買収されるまで、その道を目指そうともしなかった。
だからこそクインは疑問に思ったのだ。
「⋯⋯嫌いなんですよ。冒険者って人種がどうしようもなく。」
「⋯⋯嫌い?」
帰ってきた答えは、クインが想像するよりもずっとシンプルで、そして解決し難いものだった。
「父親が死んでから、母親は俺を一人で育ててくれた。」
「一応父親が稼いだ分もあって金には困らなかったけど⋯⋯。」
お金は余裕があったし、母もさほどハードな仕事をしていたわけでは無かった。
けれど、だからこそ、その悲しむ姿をずっと見させられることになった。
「俺の記憶の中にあるお袋は、心の底から笑って無かった。そして、幸せを失ったまま、二年前に病気で死んじまった。」
泣いてはいなかった、泣くまいとしていたのかもしれない。けれど、それ以上に時折見せる母の悲しげな顔が脳内に張り付いて離れてくれない。
頭の中にいる母の顔はいつも空っぽになったように虚ろにどこかを見つめる、そんな顔だった。
「⋯⋯⋯⋯。」
「俺の親父が命をかけた理由って、お袋を傷付けてまで通すものだったんですか?家族を、愛する人の笑顔を奪ってまで命を賭けるようなものだったんですか?」
だからこそリアンは、残されるもののことなど考えず、自らの偽善に従って簡単に己の命を賭ける。それが冒険者であるという考えに至ったのだ。
「そんな奴を好きになれますか?」
それがリアンが抱える冒険者という存在そのものに対する怒りと憎しみであった。
「⋯⋯それが貴方の考えなのね。」
全てを聞き届けたクインは、何を言うでもなく、否定も肯定もせずにそう呟く。
そして、クインが何気なく言ったそんな言葉が、今もリアンの頭に気持ちの悪いもやを残していた。
「⋯⋯⋯⋯。」
(大したことは無いんだけど、なんか辛気臭くなっちまったな。)
クインに言った言葉に嘘はなかったし、間違っているとも思っていなかった。
だがその反面、今まで見てきた冒険者達全てが軽々しく命を賭けているわけではないのも見てきてしまった。
だからこそ、分からなくなってしまったのだ。冒険者という存在を肯定する自分と、否定する自分、どちらが本心あるのかが。
「はぁ⋯⋯分かったわ、なんでもないならいいわ。」
「⋯⋯気にして欲しくないなら心配されないようにしなさい。」
そうして再び黙り込むリアンを見て、レイチェルはあくまでいつも通りに振舞いながら短く警告する。
「心配してたのかよ?」
「⋯⋯⋯⋯してない。」
照れ隠しのようにレイチェルは視線を斜め下に飛ばしてその言葉を否定するが、その視線は照れではなく、もっと無機質な、静かなものであった。
「⋯⋯あっそ。」
それを聞くと深く追求することなくリアンのも同様に視線を逸らして冷たい表情を浮かべる。
「⋯⋯帰ろうぜ。俺腹減ってきたわ。」
しばらくして、このままではダメだとリアンは自らに言い聞かせると、多少無理をしながらいつも通りのテンションでそう呟く。
「そーね、あんたは昼食も作んなきゃだもんね。」
レイチェルはその言葉に、ニヤリといたずらっぽい笑みで言葉を返す。
「ああ⋯⋯、そうだっためんどくせぇ⋯⋯。」
それを聞くとリアンはその場に立ち止まり、ようやくいつも通りの雰囲気でグッタリと身体を折り曲げる。
「⋯⋯帰ろう。」
その様子を見て、レイチェルは小さく口元を釣り上げると、うっすらと微笑みながら短くそう呟くのであった。
リアンが去った執務室では、ギルドマスターであるクインが修練場でもある庭を眺めていた。
生温くなるまで冷やされたコーヒーを啜りながら一息ついていると、沈黙の流れる部屋にコンコンとノックの音が聞こえる。
「⋯⋯どうぞ。」
「失礼します。」
クインが短くそう返すと、資料を片手に持ったトールがドアを開けて入ってくる。
「ゴメンね。仕事中に追い出しちゃって。」
トールの手に持たれた資料の束を見て、クインは思い出したかのように苦々しい表情でそう呟く。
「いいえ、いつもの事ですから。」
トールは大して気にした様子も見せずに、うっすらと微笑みながら皮肉っぽくそう返す。
「あら?言ってくれるじゃない。」
それを聞いてクインも同じようにニヤリと笑って返事をする。
「ところで彼とはどんな話をしたんですか?」
冗談交じりのやり取りを終えると、トールはそのままの話の流れてそんな質問を投げかける。
「大した話はしてないわ。ただ、私が彼の父親と知り合いだっただけよ。」
「父親、ですか?彼の父上殿は有名な方なんですか?」
少しだけ雰囲気が暗くなるクインの答えを聞いて、トールは首を傾げてそう追求する。
「う〜ん、やっぱ世代かぁ〜⋯⋯。」
その反応はやはりリアンから聞いた通りのものであり、少しだけジェネレーションギャップを感じてしまう。
「⋯⋯⋯⋯?」
「⋯⋯何でもないわよ。ただ個人的な知り合いなだけ。」
そんなことを言っても伝わらないのはクインもよく理解しており、それ以上のことを言うこともなかった。
「大した話もしてないし⋯⋯。」
だからこそ、心の中で一人感傷に浸ることしか出来なかった。
「⋯⋯そうですか。なら聞きません。」
トールはそんなクインの表情を見つめると、小さくため息をついてそれ以上追求することなく引き下がる。
「⋯⋯⋯⋯。」
そんなトールを見て、クインは驚いたように黙り込む。
「⋯⋯?どうかしました?」
「本当、貴方は空気の読める男ね。⋯⋯大好きよ、そういうところ。」
突然のフリーズにトールが違和感を感じて声をかけると、クインはニヤリと笑みを浮かべてそう答える。
「やめて下さい、色々持て余します。」
トールはその発言に驚く訳でもなく、同じように冗談っぽくそう返す。
「ふふっ、でしょうね。」
湿っぽくなった雰囲気をほんの少しだけ明るくさせて、クインはニッコリと笑みを浮かべる。
次回の更新は九月九日になります。




