孤軍奮闘
リアンはレイチェルの指示通りの方向へと走っていると、数分としないうちにその姿を視界に捉える。
「——いやがったな⋯⋯。」
位置を捕捉されぬよう少しだけ地形が盛り上がったところへ移動すると、近くの木に手をつきながら乱れた息を整える。
「⋯⋯⋯⋯。」
そしてあてもなくフラフラと周囲を徘徊するだけの巨大な蜘蛛を強く睨みつけると、リアンの身体はカタカタと指先から震え始める。
「⋯⋯っ!!」
それに気がつくと、恐怖を振り払うように自らの両頬に掌を打ち付ける。
「根性見せろよリアン・モングロール、お前のせいでアイツは傷ついた。」
目の前でやられてしまった彼女の姿を思い出し、歯を食いしばりながら、怒りによって自らを奮い立たせる。
「回復も使えねぇ。」
「血も止められんねぇ。」
「痛みを和らげてやることも出来ねぇ。」
自分は今、彼女の為に出来ることは何もない。
分かっていたからこそ、どうしようもなく悔しかった。
「けど、守ることなら出来るだろ。」
それすらも他人と手を組まなくては出来なかったし、今だって成功する可能性が高いとは決して言えなかった。
「⋯⋯いや、出来なくてもやるんだ。じゃなきゃ男が廃る。」
それでも、そうするしかないのであれば、それを全力でするだけ。
もう迷わないし退くわけにもいかない。
そこでようやく彼の覚悟は決まった。
「⋯⋯⋯⋯っ!?」
——その直後、リアンは背後から強烈な力の流れを感じ取る。
視線をそちらに送ると、一瞬遅れて水色の閃光が天を衝くように迸る。
「始まったか⋯⋯。」
それがなんなのか、リアンはすぐに理解出来た。そして、その使い手が誰なのかもすぐに分かったからこそ小さく口角を吊り上げる。
「⋯⋯ッ、⋯⋯⋯⋯ッ!!」
リアンの真下でふらふらと彷徨っていただけの魔物は、カサカサとその形にあった動きで光が射した方向へと進んでいく。
「動いたな。」
その動きはリアンの予想通りであった。
エリンの回復には特殊な魔法が必要で、その魔法はとても目立つ為敵に狙われやすい。そして、リアンの役目はそれを妨害すること。
その為にはまず魔物の注意をプリメラ達から放す必要があった。
『わが身に宿る炎のマナよ、その力を以って、敵を食らえ。』
リアンは掌に魔法陣を作ると、小さく呟くような声で詠唱を始める。
『ノスフレイム!』
「いけっ!」
掌に現れたのは小石ほどの小さな小さな炎の球。リアンは魔物に向かってその球を全力で投げ飛ばす。
「⋯⋯カッ!?」
(くっそ⋯⋯やっぱり弱え⋯⋯!)
炎の球は魔物へと当たり、反応こそしたが、その体には火傷の一つもついてはいなかった。
「けど今は⋯⋯。」
「カカキャァ!!」
だがそれでも、魔物は目的通りその狙いをリアンへとシフトする。
「⋯⋯充分だ。」
リアンはそのリアクションを確認すると満足気にニヤリと笑みを浮かべる。
「⋯⋯来やがれムカデ蜘蛛野郎!テメエの相手は、俺だ!!」
挑発するように盛大に啖呵を切ると、くるりと踵を返して全力で走り出す。
「⋯⋯カァ!!」
「うおっ!?⋯⋯と、あぶねぇな!」
予想外のタイミングに放たれる攻撃に、体勢を崩しながら、リアンは魔物に背を向けて走り出す。
リアンはもともと真正面から戦うつもりは毛頭なかった。
「レイチェルの攻撃が効かない時点で俺の攻撃なんか食らうはずもない。」
「アイツが一撃でやられた攻撃なんて、俺が食らったら間違い無く即死だ。」
「だから俺がやるべきは、一定の距離をとって、ノーダメで、助けが来るまで逃げ切る。」
何度かバランスを崩しながら走り続けると、ひらけた空間へと出る。
視界の奥に伸びていた地面はある一点を境に途切れているのが見えた。
「⋯⋯カカカカ!」
余裕を持って背後を見ると、魔物はリアンの予想以上の速度で迫って来ていた。
「うおっ!?速え!?」
(けどそれも⋯⋯。)
リアンには想定済みだった。
とすれば当然その対策も考えていた。
時間も能力も経験も足りない中、考えられる対策は自然や地形を生かすことくらいであった。
「根性見せろよ、ヘタレ野郎ぉぉぉぉ!!」
リアンは走る速度を緩めることなく予め準備しておいた一本の蔦を握りしめると、絶叫を響かせながら躊躇いもなく崖の下へと飛び降りる。
「⋯⋯⋯⋯ッ!」
リアンも、そして彼を追っていた魔物も同時に崖の下へと落ちていく。
「ぐっ⋯⋯ああぁぁ!!」
リアンは重力に逆らう様に掴んだ蔦を強く握り直す。
凹凸の少ない蔦では踏ん張りが利かず、リアンの落下の速度は本人の予想とは反してゆっくりとしか落ちなかった。
掌には激痛と摩擦の熱が迸るが、それでも彼の身体は蔦の中心あたりでその動きを停止する。
そしてその直後に真下から爆発音にも聞こえる衝撃が周囲に轟いた。
「いってぇぇ⋯⋯!」
握り締めた拳の中からは、真っ赤な鮮血が滴り落ちてくるのが見えた。
「カカカッ!」
が、それでは魔物の動きは止まることはなく、諦めることなく崖を駆け上がってリアンを追いかけてくる。
「知ってたよ、その程度じゃ止まらないのは。」
「だがこれで、また距離が出来た。」
リアンは動揺することもなく崖を登り切ると来た道を戻る様に再び森の奥へと駆け出していく。
「手⋯⋯痛えぇ。」
リアンは走りながら、その痛みに耐えかねてふと自らの掌に視線を移す。
「⋯⋯うわっ、グロッ⋯⋯。」
すると、彼の手は皮がめくれ上がり、所々の肉が裂けており、想像以上にグロテスクな状態になっていた。
「指輪は⋯⋯あった。」
ボロボロの手をバッグの中に入れると、魔法が込められた指輪を取り出してすぐさま回復魔法を発動させる。
リアンの掌は柔らかい光に包まれると、血に染まった傷がみるみると塞がっていき、やがてその手は完全に元の状態に戻る。
そして直後に指輪に嵌められていた宝石が音を立てて砕け散る。
「治ったが⋯⋯⋯⋯壊れちまったか。」
(残り七つ⋯⋯うち一つは一度使用済み、二つは回復魔法入り、あと四つは空の指輪、か。)
それが今リアンが持つ手札の全てであった。
結局、リアンは自らの指輪が壊れるのを危惧して、回復の魔法しか指輪に入れてもらっていなかったのである。
「クソッ、攻撃魔法の一つでも入れときゃよかったぜ!」
リアンは詰めの甘かった過去の自分に対して荒々しく愚痴を吐き捨てる。
多少指輪が壊れてもトールやエリンから攻撃魔法を借りていれば今よりも幾分楽に立ち回れたに違いない。
「カカカッ!!」
そんな思考を遮るように、リアンの背後からカサカサと魔物が再び接近してくる。
「速えぇよ!!」
予想以上の速度で追いかけてくる魔物に対して、リアンは真剣な表情で情けない叫び声を上げる。
「くっそ⋯⋯次は⋯⋯っ!」
それでも次の手を打つために周囲を見渡すと、案の定、次の目標地点が視界に映る。
「⋯⋯見つけた。」
それは先程火を付けた草木の山であった。
火を付けたまま放置された木は大きく燃え上がり、炎の壁を形成していた。
「もう少しだけ付き合ってもらうぜ。」
「とうっ⋯⋯!」
リアンはそう言って魔物の方を向くと、目を瞑りながらその炎の壁の隙間へと飛び込んでいく。
「⋯⋯⋯⋯ッ!?」
するとそれまでリアンを追っていた魔物の動きがピタリと停止する。
「ゴホッ、ゴホッ⋯⋯。」
「核モンスターって言っても、元を辿れば自然動物⋯⋯山火事に突っ込むほど馬鹿じゃねえよな?」
舞い上がる黒煙に咳き込みながら、リアンは虚ろな視線で小さくそう呟く。
「⋯⋯ッ!」
「まだだぜ?」
『アクアバレット!』
魔物が諦めて退こうとすると、リアンは炎の壁の横から抜け出し、再び魔法で挑発する。
「カッ⋯⋯!」
魔物は再びその挑発に乗ると、一気果敢にリアンに向かって突撃してくる。
(俺が考えついたのはここまで⋯⋯後は⋯⋯!)
「アドリブ!ひたすら逃げまくる!!」
ここからは完全な脚力勝負。耐え切れは助けが来るし、追いつかれれば死ぬ。
「カカッ!!」
その瞬間、魔物は左の前足を大きく振り上げてリアンに振り下ろす。
(来る⋯⋯ココを、避ける!)
「⋯⋯ッ!」
リアンは先程とは違い、冷静にその動きを捉えると、大きく前方に飛び込むようにその攻撃を回避する。
「うぐっ⋯⋯!?」
が、完全に避けきることはできず、魔物の前足は、リアンの背中を掠める。
出血はなく、傷もついてはいなかったが、ミシミシと全身が鈍い音を立てて悲鳴をあげる。
「がはっ⋯⋯ゔゔ⋯⋯ああ⋯⋯。」
(掠った⋯⋯だけで、コレかよ⋯⋯!?)
息が出来ず、身体中が焼けるように熱い。
動くこともままならず、リアンにはその場でのたうち回ることしか出来なかった。
「このっ⋯⋯まだだ!!」
それでも諦めることなく、炎の魔法を放つと、油断からか、その魔法は魔物の眼球へと衝突する。
「⋯⋯ッ!?」
大したダメージではなかったが、それでも眼球は小さく焼け爛れ、魔物はその場で激しく暴れまわる。
「⋯⋯このままっ⋯⋯っ!?」
ラッキーパンチで出来た大きな隙を突いて立ち去ろうとするが、起き上がろうと地面についた手は、電池が切れたかのように一気に力を失ってしまう。
(くそっ⋯⋯身体動かねぇ⋯⋯。)
朦朧とする意識の中で、それでも必死に抗おうと地面を這って前に進む。
「⋯⋯っ!?」
その瞬間、リアンは自分達に接近してくる何かを感じ取りその動きを止まる。
「ははっ⋯⋯。」
ピクリと小さく反応すると、小さく笑みをこぼしてそのまま仰向けになって空を仰ぐ。
「間に、合った⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯ッ!!」
もはや抵抗も何もしないリアンに、魔物は前足を振り下ろそうとしたその瞬間、リアンの後方から金髪の女性が飛び出してくる。
『——第一抜刀術、華見裂!』
女性がリアンの前に立つと、リアンはすぐさまその姿を見てそれが誰なのかを確信する。
「⋯⋯⋯⋯ッ!?」
女性が剣を振るうと、振り下ろされた前足は、細切れになって弾け飛ぶ。
「⋯⋯遅かったな。」
一瞬遅れて彼女の金髪がふわりと下に落ちると、リアンはニヤリと笑ってそう呟く。
「こっちも、最速で終わらせてきたんだけど?それに、まだ三分ちょい、しか⋯⋯経ってないわよ。」
そう言って悪態をつくレイチェルの表情に余裕はなく、額には汗が滲み、肩で息をしながら言葉を紡いでいた。
その姿だけで彼女が全力で助けに来たのが分かった。
「はっ、俺の命懸けはカップ麺レベルかよ。ダメダメだなやっぱ⋯⋯。」
リアンは彼女の言葉を聞いて、自らの弱さに嫌気がさす。
「そうね⋯⋯けど、今はそれで充分よ。」
「⋯⋯後は私に任せなさい。」
レイチェルはその言葉を否定するわけでもなく、受け流すと、ニヤリと笑って剣を鞘へと納める。
「⋯⋯おうよ。」
「⋯⋯クク⋯⋯カッ⋯⋯。」
レイチェルが数歩前に出ると、魔物は呻き声を上げながら三度前足を振り上げてレイチェルへと振り下ろす。
『第二抜刀術——』
同時にレイチェルは小さく目を瞑ると、次の瞬間、目を大きく見開いて刀に手を掛ける。
『——月見裂!!』
「キシャアァァァァ!!」
二つの影が同時に交差する。
勝敗は一目瞭然であった。
魔物の攻撃はレイチェルの横数十センチほどの地面に突き刺さり。
レイチェルの斬撃は、一瞬遅れて魔物の前足が横一閃に両断し、その後に身体、そして背後の木々が倒れ落ちていき、数十メートル先の木まで薙ぎ倒していた。
「⋯⋯すげぇ。」
リアンはただ呆然とそれを眺めてそう呟くことしか出来なかった。
(認めたくないが⋯⋯やっぱりコイツ、強え。)
自分が命懸けで時間稼ぎをした相手を、たった一太刀で、一薙で葬り去ってしまった。
「ぷはっ⋯⋯はっ、はっ⋯⋯アンタ⋯⋯。」
レイチェルは天を仰ぎながら大きく息を吐き出すと、肩で息をしたまま、リアンに向かって声をかける。
「なんだ?」
「後⋯⋯何分持つ?」
それは契約魔法のことであった。
「二分くらいだ、逃げるのに魔法を使い過ぎた。」
先程の時間稼ぎで、予想以上に魔力を使ってしまった為、リアンの残り魔力は最初の想定よりも少なくなってしまっていたのである。
「そう⋯⋯私もそんくらいだわ。」
レイチェルはレイチェルで連戦の影響で心眼の状態が切れかかっていた。
「ならやれるな。」
「⋯⋯ええ。」
本来ならば二人とも限界間際であったが、それでも止まるわけにはいかなかった。
何故ならもう一体、敵が残っていて、そしてその敵が今現在、こちらに近づいて来ていることをレイチェルもリアンも分かっていたからである。
「——グルル⋯⋯。」
そして数秒としないうちに、二人の目の前に三つの頭を持った巨大な犬が草木を掻き分けて姿を現わす。
「さっきの炎、残してきた三人を囲むように火をつけた。」
囲むというよりかは、どちらかといえば彼女らに接近する核モンスターの進行を阻むように着火していた。
「つまりさっきの光を見てあそこに行こうとしても、燃え上がる木々に邪魔されて、炎の壁伝いに移動する。」
だから炎の壁の近くにいれば、いずれ敵の方からこちらにやってくる。
加減を間違えれば味方もろとも山火事に巻き込まれるリスクはあったが、それでも作戦自体は上手くいった。
「⋯⋯しっかり誘導出来てるじゃない。」
レイチェルは苦々しい笑みでそう呟くと、剣を構えて魔物を見据える。
「思った以上に強そうでビビってるけどな。」
気配を辿れないリアンは、今このタイミングでようやく敵の情報を得て、そして苦笑いを浮かべる。
「三つ首の狂犬、ケルベロス。さっきアンタが吹っ飛ばされた奴の上位種よ。普通二人で戦うような相手じゃない。」
それが最後の一体の正体であった。
「無茶でもなんでも、やるしかねぇ。もう一踏ん張りだ。」
ここを超えなくては背負ってる物全て失ってしまうから、だからこそ退くわけにはいかなかった。
「「「グルアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」」
三つの頭が同時に口を開くと、周囲にけたたましい咆哮が轟く。
「やるぞ!!」
次回の更新は七月十五日になります。




