リアンという男
東の大国イスタル
冒険者、商人、農民、その他諸々の遍く職業の人間が生活し、豊かな農作物や研鑽された工業技術を用いて平和な日常を謳歌する豊穣の国。
ある日の朝、そんな平和の国で、彼もまた平和を謳歌していた。
両手に大量の食材の入った袋を持ち、モダンな建物がひしめく大通りの道を抜けて、その男はレンガ造りの一軒家の前に立ち止まりチャイムを鳴らす。
「はーい。今行きます。」
チリンチリンと子気味の良い音に、家の中から若い女性の声が返ってくる。
「初めまして!家事代行サービス、パンダドミノのリアンです!」
ドアが開いてその奥からエプロン姿の女性が現れると、制服を纏ったその男はニッコリと営業用の笑みを浮かべて小さく頭を下げる。
「あら、待ってましたわ。ささっ、中へどうぞ。」
「では失礼します。」
促されるままにリアンは立派な家の中に足を進める。
「⋯⋯本日は四人前の昼食の準備ということですが。」
玄関から廊下へと歩きながら、両手に持った袋を見つめてそう問いかける。
「ええ、実はこの後、夫の両親が来るんですけどね?そこで昼食を振る舞うことになってしまって⋯⋯。」
「奥さんは料理の腕前は⋯⋯?」
苦笑いを浮かべる女性に対して、リアンはそう問いかける。
「練習はしているんですけど、あまり上達しなくって⋯⋯。」
よく見るとその指先には夥しい数の絆創膏が貼られているのが見える。
「それで今回我々に依頼したのですね。」
女性の努力の鱗片と、そこから想像できる光景を思い浮かべるとリアンは苦笑いでそう答える。
「はい。⋯⋯あ、ここがキッチンです。」
そう言って案内されたキッチンを見ると、そこには巨大な空間が広がっていた。
「⋯⋯っ、広いですね!?」
「夫と夫の両親が料理人をやっているんで⋯⋯。」
驚きの声に対して帰ってきた返答を聞いてようやくその光景に納得する。
「実は結婚する時に、彼の両親が料理ができる女じゃないと認めないと言ってて⋯⋯。」
「嘘ついて出来ると言ってしまったと。」
この仕事をやっていればそこそこ出会うような案件に呆れながら、小さくため息をついてそう続ける。
「はい。それで今回はそれを確かめるために来るんです。」
「ですから依頼内容に上手すぎない家庭料理と書かれていたんですね。」
キッチンの近くにあるテーブルにあらかじめ買ってきておいた今回の食材の入った袋を置くと、胸元に入ったメモに目を通す。
「はい。あまり上手に作ると夫が作ったものだと思われちゃうんで⋯⋯。」
(上手すぎず下手すぎず、か。⋯⋯まあ家庭料理なんて普通に作れば大抵そこそこの出来になるか⋯⋯。)
それを聞いて即座に作るメニューを頭の中で思い描く。
「⋯⋯分かりました。それではキッチンお借りしますね。」
そう言うとリアンは深く息を吐いて気合いを入れ直す。
夕方——
空が橙色に染まる頃、リアンはその日の仕事を終え、自らの勤めるオフィスへと帰ってくる。
「お疲れ様でーす。」
誰に言うのでもない気の抜けた呟きとともに事務所のドアを開ける。
「あら、リアンくんお疲れ様。」
すると誰も居ないと思っていたオフィスの中から女性の声で返事が返ってくる。
「ああ、ソンジュさん。居たんですね。」
「ええ、今日は書類の整理だけだからね。それにしても今日は早いわね?」
明かりのついていないオフィスの一際大きなデスクに腰掛けながらその女性はリアンに書類を見せつけてそう答える。
「今日の仕事は三件だけでしたからね。ハイ、報告書です。」
「⋯⋯⋯⋯ええと、今日の仕事は⋯⋯四人前の昼食の準備に留守中の子供の世話、後は部屋の掃除、早かったのは三つ目のコレが原因かしら。」
ソンジュはリアンから書類を受け取るとその内容を読み上げ、ニヤリと笑って問いかける。
「まあ、そっすね。予定より三十分くらい早かったですから。」
リアンは書類を手渡すと、デスクの奥にある簡易的なロッカールームに入っていく。
「また使ったの?魔法。」
ソンジュは受け取った書類にチェックを入れながら短くそう問いかける。
「当然です。その為に資格まで取ったんですからね。」
リアンは白と黒を基調とした会社指定の制服を脱ぎ、ロッカーの中にあるワイシャツに手を伸ばす。
「まったく、せっかく倍率十四倍、国一番の魔法の名門ペルフォード高校まで卒業して、魔法使いの資格まで持ってるのに、なんでこんなところで働いてるかなぁ⋯⋯。」
「そりゃ、自分は家事が得意ですし、何より給料がいいですからね。」
「そもそも卒業したのだって魔法科でも技能科でもなく普通科ですしね。」
頭を抱えて残念そうにするソンジュに、リアンはネクタイを締めながら自嘲気味にそう答える。
「給料で言ったら冒険者だってもっと貰えるんじゃないの?」
「確かに貰えるかもしんないっすけど、アレは論外ですよ。仕事は自分で拾ってこなきゃなんないし、所得は安定しない。おまけにいつ死ぬか分かんないとか、正気な沙汰じゃない。」
リアンは着替えを終えるとロッカールームの隣にある給湯室にあるやかんを取り出して水を入れ、指パッチンでコンロに火をつける。
「——時代遅れなんすよ。あんなの。」
火にかかるやかんをボンヤリと眺めながら無感情な声でそう呟く。
「それに、そもそも俺にはそこまでの才能はありませんからね。出来るのは精々風魔法で手の届かない所の埃を払う程度ですし。」
足元に小さな竜巻を作り出して遊んでいると、愉快な音を立てて沸騰を知らせるやかんを火から外し、自らの名前が書かれたカップにお湯と粉末のコーヒーを注いでいく。
「才能ないって⋯⋯あんなトンデモ魔法まで使える癖に⋯⋯。」
「⋯⋯まあ、君がそう言うならなんも言わないけどさ。明日はそんなこと言ってらんないかもよ?」
否定の言葉を途中で飲み込むと、ソンジュは手元にある資料を見てリアンにそう言って笑う。
「明日、ですか?」
「うん。明日の仕事内容は二つだけ。ほら⋯⋯。」
コーヒーを口に含みながら、苦笑いを浮かべるソンジュから一枚の紙を受けとる。
するとそこには明日の仕事内容が書かれていた。
「えっと⋯⋯庭の掃除と⋯⋯⋯⋯町の郊外への買い物の護衛?」
「そ、頑張ってね。」
リアンが不快な表情で首を傾げると、ソンジュはニッコリと笑ってウインクを飛ばす。