異常事態
「⋯⋯お、おお!?力が湧いてくるっス!!」
肉体へと浸透していく微かな力を感じ取り、マリーナは興奮の声を上げる。
「来るぞ!迎撃!!」
「おいっサー!!」
その横で座り込むリアンが指示を出すと、マリーナはそれに合わせて迎撃を始める。
「次、左!!」
「⋯⋯っの!!」
魔物達はマリーナを最も危険な敵だと判断したのか、隣で動けなくなっている三人に目もくれずにマリーナになだれ込む。
「あの魔法⋯⋯。」
その奥で立ち尽くすトールが釘付けになって見ていたのは、マリーナでも魔物でもなくリアンの方であった。
「やはり間違いない⋯⋯!」
マリーナの背中で黄金色に輝く紋章を見て、トールはある会話を思い出す。
それは出発前のフェンリルナイツ本部での会話。
「——私が、監視⋯⋯ですか?」
「そう、ちょっと調べて欲しい人がいるの。」
目を見開いて問いかけるトールに、ギルドマスターであるクインは手元にある分厚い資料をパラパラとめくりながら返事をする。
「構いませんが⋯⋯その、なぜ私が?」
はっきり言ってそんな面倒な仕事はやりたくは無かった、が上の命令となるとやらざるを得ない。
「別に誰でも良かったんだけどね、なるべく信用出来る人間に任せたかったの。」
「ウェンディ様では駄目だったのですか?」
信用出来る、と言われるとなんとなくむず痒い気持ちになるが、それと同時に自分が一番信用されているわけではないことも分かっていた。
「彼女は彼女で私の補佐の仕事があるから。」
「なるほど、分かりました。それで、ターゲットは誰です?」
もはや断る手段も理由も無くなってしまったトールは吹っ切れたかのようにすんなりと命令を受け入れる。
「飲み込みが早いわね。まあいいわ、ほら彼よ。」
そんなトールに多少の感謝の念を持ちながらクインは両手で資料を抱えながらその中の一ページをトールに見せる。
「⋯⋯この男は?」
資料の写真には、黒髪でそこそこ顔立ちの整った、以外の感想が出てこない至って普通の青年姿が写っていた。
「前にアークに新しい冒険者が入ったのは言ったわよね?」
「ええ、聞きました。」
もっと言ってしまえば、フェンリルナイツで一二を争うほど真面目であるトールは、いつ聞いたかすらも正確に覚えていた。
「それが彼よ。名前はリアン・モングロール。あの名門、ペルフォードを首席で卒業した後、一般企業で四年間働いて、今はアークのギルドに所属しているの。」
「四年前のペルフォードといえば⋯⋯彼女が首席ではないのですか?」
首席と聞いてトールの脳内には真っ先にギルドの後輩でありエースである女性の顔が浮かんでくる。
「ウチのエリンちゃんは総合科、彼は普通科の出身なの。」
「普通科は確か魔法分野の必修科目はなかったのでは?」
「そう、つまり魔法科や総合科の指導方針が戦士の育成なら、普通科はいわゆるそれ以外の分野での活躍を目的として作られているの。」
雑な言い方をすれば一般人を育てるのが普通科というのが彼ら冒険者達の中での共通の認識であった。
「なぜそんな男が冒険者になったのかを調べろ、ということですか?」
だからこそ、その結論に至るのは当然の話であった、
「その辺は大体予想がつくわ。安定したサラリーマンから冒険者になる理由なんて大金を積まれたか、必要になったかの二択よ。」
「そして人一人買い取るくらいの金額ならあの女狐なら簡単に準備できるでしょうし。」
クインの散々な物言いに、少しばかり頬を引きつらせる。
「では一体何を⋯⋯?」
「調べて欲しいのは彼の使う魔法よ。」
「魔法⋯⋯?」
先程よりも一層真剣な表情で食い気味に答えるクインに気圧されながら小さく眉をひそめる。
「そう、私の考えが正しければ、彼はおそらくある特殊な魔法を使えるはずなの。」
「⋯⋯それは、何ですか?」
そこまで思い出してトールの意識は今に戻ってくる。
「——あれが、契約魔法⋯⋯。」
その恩恵があるようには見えないが、それでもトールの目にはクインから教えられたその魔法が確かに発動していた。
「⋯⋯キリがないっス!!」
マリーナが魔物を次々と薙ぎ倒していくが、それでもなお数が減らずにいた。
「分かってるさ、だから俺の言う通りに戦ってみせろ。」
そう言ってリアンは先程まで考えていた理屈を戦法に当てはめるために思考を巡らす。
(あいつの戦闘スタイルはあくまで超接近型、いくら俺の力を上乗せして魔法が使えるようになっても本人のスタイルが崩れちゃかえって弱体化しちまう⋯⋯。)
下手に遠距離攻撃を使って本来の間合いが疎かになれば、それはマイナスにしか働かない。
(けど、スタイルを崩さずに能力だけを底上げできれば、そういう戦い方が出来れば⋯⋯。)
「マリーナ、拳を突き出す瞬間に魔法を撃て!」
その結果思いついたのがこの戦法であった。
「撃ち方分かんねえっス!!」
「握りしめてる魔法を手放すイメージだ!!」
その返事も織り込み済みであったため、すぐさま分かりやすい表現を使って説明し直す。
「手放す⋯⋯?」
(⋯⋯こうかな?)
瞬間、打ち出された魔法は直撃を受けた魔物の胴体を穿ち、その背後にいた魔物達の体ごと消し飛ばす。
「「「⋯⋯⋯⋯!?」」」
「⋯⋯⋯⋯はぁ!?」
そのあまりの破壊力に放った本人すらも目を見開いて素っ頓狂な声を上げる。
「次来るぞ!もう一回魔法を展開しろ!!」
その中でリアンだけがニヤリと笑って次の指示を出す。
「お、おいッサ!」
(いつも通り⋯⋯拳に魔法を纏わせて⋯⋯。)
自らの放った魔法の威力に動揺しながらも、リアンの指示通りに両手に風の魔法を展開する。
(インパクトの瞬間に⋯⋯⋯⋯手放す!!)
すると風の魔法は再びドリルのように螺旋回転しながら魔物達の肉を削りながら貫通していく。
「⋯⋯ははっ!!すげえっス!!」
(これなら、この数でも負ける気がしない!)
「全員まとめて、かかってこい!!」
高揚した気分のままにマリーナは大きな声で叫ぶように宣言する。
「——逃げるわよ!!」
「ふぐぬっ!?」
が、直後に襟首を掴まれて容赦なく止められる。
「無茶はすんな、こいつみたいになられたら困るからな。」
気を失っている冒険者を担ぐレイチェルの横で、リアンは自らの背にもたれかかるノアに小さく愚痴をこぼす。
「またそうやって問題児みたいに⋯⋯。」
グッタリとリアンに身体を預けるノアは動かないなりに頭をグリグリとなすりつけて抵抗する。
「文句があるなら自分の足で逃げれるようになってから言え!!」
「⋯⋯走るペース落ちてるよ?」
反論する事が無くなったノアは少しずつマリーナ達と距離を離されていることを指摘する。
「魔力はあっても身体能力は完全に一般人なんだよ!女一人抱えて全力疾走なんて無理!!」
「代わるっスか?」
「いえ、もう追手は来ていないようです。」
マリーナの問いかけに答えるトールの声を聞いて、リアン達はようやくその場に立ち止まる。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。助かった。」
「そっちの方はどうっスか?」
「外傷はないみたい。気を失ってるだけみたいね。」
レイチェルは気を失っている冒険者を横にし、生存確認をするとトールやマリーナに向かってそう言う。
「よかった⋯⋯。」
「命張った甲斐があったな。⋯⋯っ、とと⋯⋯⋯⋯。」
安心して気が抜けた瞬間、同時に身体から力が抜けその場でフラリと小さく立ちくらみのように体がグラつく。
「リアンさん、大丈夫っスか!?」
「ああ、悪い俺もちょっと限界みたいだ。解除するぞ?」
マリーナに受け止められると、リアンは再び指先に力を込める。
「分かったっス。」
マリーナは言われるがままに小麦色の背中を差し出す。
『——契約を解除する。』
マリーナの背に触れてゆっくりとそう呟くと、先程まで煌煌と輝いていたその光が消え、痣のような紋章だけがマリーナの身体に残った。
「⋯⋯力が、消えたっス。」
「⋯⋯⋯⋯ふぅ。」
解除し終えると、リアンは額の汗をぬぐいながら大きく溜息を吐く。
(契約してた時間はノアとマリーナ、合わせて十分くらいか?)
(学生時代なら倍以上は持ったはずなんだが⋯⋯。)
「くそっ、やっぱ衰えてたか⋯⋯。」
予想以上の弱体化に思わず拳を強く握りしめる。
「こればっかりはどうしようもねぇか⋯⋯。」
と、同時に自らのこれまでの生活を振り返り、仕方のない事だと半ば諦めながらその手をゆっくりと開いていく。
「——あの⋯⋯。」
「⋯⋯はい?」
「今の魔法は⋯⋯?」
気の抜けた表情で返事を返すと、トールは大真面目な表情でリアンに問いかける。
「あー⋯⋯。」
(咄嗟の事とはいえ迂闊だったな⋯⋯。こんなことなら最初から三人とも付けておくべきだった。)
「⋯⋯っと、企業秘密で⋯⋯。」
自らの取った選択を呪いながら引き攣った笑みで苦しそうに言葉を濁す。
「⋯⋯分かりました。言えないのであれば深くは聞きません。」
「⋯⋯助かります。」
潔く諦めてくれて助かったのだが、あまりにも簡単に引き下がられると、なぜか申し訳なくなってしまう。
「いいえ、そもそも冒険者同士のそういった詮索はマナー違反ですから。」
「今はとにかく、助けていただいた事の礼を言わせてもらいたい。ありがとうございました、部下を助けていただいて。」
トールは首を左右にに振った後、深く頭を下げる。
「そういう事ならコイツらに言ってください、俺はほとんど何もしてませんから。」
「それより急ぎましょう。そろそろ探索を始めないと本当に帰れなくなるわよ。」
そうやって話を振られたレイチェルは既に次の目標を見据えていた。
「ああ、分かってるよ。」
「それなら、もうすぐそこにあるはずですよ。偶然ですが逃げて来た道が丁度最短ルートだったみたいですから。」
「ちょうどそこの傾斜を越えた辺りにあるはずです。」
そう言われて地図を見るとトールの言った通り目標の第二拠点は既に現在地から目と鼻の先であった。
「おう、じゃあ早速行こうぜ!いい加減もう腕が限界だぜ。」
「限界って言ってた割にノアさんはしっかり担げてるっスね。」
「まああの子軽いしね。⋯⋯待ちなさい!一人で勝手に進んで行くんじゃ無いわよ!」
一人ズカズカと進んでいくリアンを制止しようと声をかけると、リアンは素直にピタリと立ち止まる。
「⋯⋯⋯⋯。」
「⋯⋯どうしたのよ?⋯⋯っ!?」
あまりに素直な対応に違和感を感じて歩み寄ると、レイチェルは目の前の光景に言葉を失う。
「どうしただと?⋯⋯そんなもん、こっちが聞きてえよ。」
「⋯⋯どういうことだこれ?」
リアンは真下に広がる拠点のあるはずの場所を見下ろしながらその光景を見て呆然とする。
「⋯⋯嘘でしょ?」
「⋯⋯レイチェルさん、一体何が⋯⋯っ!?」
その後ろから後を追ってきたトールも、同じようにその光景を目にする。
「⋯⋯第二拠点が⋯⋯⋯⋯消えてる⋯⋯。」
「⋯⋯いや、それどころか、辺り一帯の木が枯れ尽くしてやがる。」
ボロボロになっている訳でも壊されている訳でもなく、その場にあったはずの何かが、周囲の木々や植物と共に完全に消え去っていた。
川が干上がった時のように横一直線に森の一部分だけが異質に削り取られたその空間には、剥き出しになった土のみが残されていた。
「一体ここで何が起こってんだ!?」
その場にいる全員が思ったその言葉を、リアンは苦々しい表情で吐き出す。
次回の更新は三月十八日になります。




