第二章 『召集令状』①
第二章 『召集令状』
福岡市中央区天神は、九州で一番の繁華街である。福岡といえば歓楽街の中洲が有名だが、中洲が福岡の夜の顔であるのに対し、天神は昼の顔だ。地理的には、中洲は市の中央を南北に流れる那珂川を挟んで東、天神は西に位置している。天神地区の中央から南は、百貨店やオフィスビルが建ち並び、若者のファッションや情報発信基地としての役割を担っている。一方、北は、近年、アニメショップやメイド喫茶などが集い始め、そういった趣味を持つ者の姿も、多く見かけるようになった。
この天神地区の中央に、公園がある。名前は単純に“天神中央公園”だ。この場所には、元は県庁があったのだが、その移転に伴って公園が作られたのである。そのため、公園のシンボルである噴水の石柱や石材は、県庁のものがリユースされている。
七月七日。竹田恭也は、その“天神中央公園”にきていた。噴水広場の石畳に腰をかけ、携帯電話で確認した時刻は、午前十一時だった。
「……さて、と。どっちにするかねぇ」
そう呟き、石畳の上にごろりと横になる。
恭也は、二つの選択肢のどちらを取るかで悩んでいた。
即ち、このまま学校へ行くか、それとも、帰って寝るか。
もし、今から学校に行っても着くのは昼近くだ。そして、昼休みに担任の黒崎から呼び出され、「補習を受けろ」だの「剣道部の稽古に出ろ」だのと言われるに決まっている。
……面倒だ。彼は、学校に行くという選択肢を削除した。
では、家に帰るか?
家に帰った場合、母親は仕事に出ているので口喧しい者はいない。だが、家という閉鎖的な環境の中で独りいるのは、別の意味でつらいものがある。まるで世の中から自分だけが置き去りにされているかのような気がして、不安になってくるのである。
「あーあ、“しろしか”ねぇ」
恭也は、“ウザい”という意味の博多弁を空に向かって吐き出した。彼は、家に帰るのも嫌になっていた。
いったい、いつからこうなってしまったのだろうか?
少なくとも、一昨年までは違った。全国少年剣道大会で、中学一年生にして初優勝した一昨年までは……。
がむしゃらに剣道に打ちこみ、何とか手に入れた優勝だった。
ところが、同じ練習を重ねて大会に臨んだ去年、自分でも驚くほどあっさりと二連覇を成し遂げてしまった。それは、同じ中学生に敵がいなくなった瞬間であり、同時に、目標をなくした瞬間でもあった。
次の日から恭也は部活に顔を出さなくなった。それとともに、生活も不規則になっていった。学校に行く回数が減り、代わりに、平日昼間に当てもなく街を徘徊する回数が増えた。
「このままでは駄目だ」という気持ちはあるのだが、何もやる気が起きない。放っておいて欲しいのだが、置いて行かれるのは嫌だ。そんな矛盾した葛藤の中で、恭也は、今日も何となく生きていた。
「学校も家も“しろしか”けん、ここで寝よう」結局はそう判断し、彼は瞼を閉じた。
梅雨明けし、夏本番を迎えた福岡の日差しは強い。だが、この公園は、周りを大きな公共施設が取り囲んでいるため、幾分ましなのだ。
恭也が眠りに落ちて一時間あまりが経ったころ、彼の携帯電話が鳴った。
「せからしかね、誰ね?」
寝ぼけ眼を擦り、携帯を手に取る。剣道部の友人からのメールだった。まだ半分寝ている恭也は、欠伸をしながらメールを開いた。
……と、次の瞬間、彼は、大きく目を見開き、辺りの者が驚くほどの大声を出した。
「う、嘘やろ! な、な、な、何で?」
勢いよく上半身を起こし、もう一度読み直す。
そこには、“黒崎が学校を辞めた”と、確かに記されていた。
「今、何時?」そう思い、携帯の画面を確認する。
表示されている時刻は、十二時三十分。学校は昼休みだ。
詳しい話を聞こうと彼は、メールを寄越した友人に電話をかけた。
……ワンコール。……ツーコール。やきもきしながら恭也は、相手が出るのを待った。
しかし、スリーコール目の途中で、携帯は、突然彼の手を離れた。
何者かによって、いきなり横から奪われてしまったのだ。
「ちょ、ちょっと……」
そちらを睨み、文句を言いかける恭也。
だが、彼は、言葉の途中で口を噤んだ。携帯を奪った犯人は、黒スーツにサングラス姿の、どう見ても堅気だとは思えない男だったのである。
しかも、その後ろには、同じ恰好をした男がもうひとりいた。
「な、何ばすると……ですか?」
思わず恭也は、語尾を敬語に変えた。久し振りに使った敬語だった。
黒スーツの男は、何も言わずに携帯の電源を切ると、恭也へと投げ返した。
それを受け取りながら恭也は、「これは、やばか。絶対に関わっちゃいかんばい」と、逃げ出す算段を始めた。
しかし、彼が行動に移るよりも先に、男は口を開いた。
「竹田恭也だな?」
「は、はぁ。そうですけど……」
「召集令状だ」
男は、一枚の紙を恭也の眼前に突きつけた。
「……え? しょーしゅー、れーじょー?」
訳が分からない恭也は、瞬きも忘れてその紙を見つめた。
「とにかく、一緒にきてもらおう。話は車の中でする。母親の許可は既に取ってあるから安心しろ」
男は、有無を言わさぬ様子で恭也の右腕を掴んだ。すかさず、もうひとりが左を固める。
そして、彼は、半ば引き摺られるようにしながら、公園脇に止めてある車へと押しこめられた。
恭也を乗せた車は、何事もなかったかのように、福岡空港方面へと走り去って行った。
十二時三十四分。福岡県福岡市にて竹田恭也確保。