最終章 『生まれることの意味』⑪
八月十六日。
国会議事堂爆破から一夜が明けた。
テロリストの犯行として片づけられた今回の事件でマスコミは、「人質となっていた六人の子供たちが無事生還できたことは、国の対応の迅速さにある」と褒め称えた。また、この事件を境に内閣の支持率は、三十パーセント台から八十パーセントを超えるまでに上がり、支援者は政治資金団体へと寄付のために列をなした。
まさに、韮沢総理の思い描いたとおりに事が進んでいたのである。
そのような中、首相官邸の総理応接室に、ひとりの訪問客が現れた。
それは、午後八時を少しすぎたころのことだった。
「韮ちゃん。久しぶりやなぁ、元気やったか? まぁ、元気な姿は、いつもテレビで見てんけどな」
関西弁で話す訪問客は、そう言って愉快そうに笑った。
「早坂君、韮ちゃんはやめてくれ。私はこれでも……」
「首相さん、やもんなぁ」
早坂と呼ばれた男は、再び笑った。
「変わらないな、君は」
つられて総理も笑顔になっていた。
「変わらんか? 嬉しいこと言ってくれるなぁ。でも、韮ちゃんは、だいぶ変わったで」
「そうかな?」
「あぁ、変わった。初めて選挙に出る時、資金がないから言うてワシんとこ泣きついてきた韮ちゃんとは、大違いや」
「……」
総理は黙って早坂を見た。
「それが今では首相さんなんやから、立派なもんやで」
早坂はまだ笑っていた。
「……で、今日は何の用だ?」
総理は尋ねた。
「ん? あぁ、そうやった。同級生との懐かしい再会で、忘れるとこやったわ」
そう呟くと早坂は、急に真顔になり、続けた。
「今日は、韮ちゃんとビジネスの話をしにきた」
「ビジネス?」
「そうや。まぁ、取り引きって言うてもええ」
「どんな取り引きだ?」
総理は、目をすうっと細めた。
「今回の件が終わったら、孫の千鶴を戻してもらう約束はしてたな?」
「あぁ」
「それに加えて、他の五人もそれぞれの親許に帰して欲しいんや」
「見返りは?」
「すぐにでも海外に拠点を移す予定やった早坂カンパニー及び系列会社の全てを、千鶴が一人前になるまで日本に置いておく」
「なるほど、……そうきたか」
「選択の余地はないはずやで、韮ちゃん。ワシの会社が国にもたらしとる経済的価値は、GDPの約二十五パーセント。つまり、単純に計算して、日本で働いとる人間の十人に一人は、ワシの会社の社員ちゅうこっちゃ。そんな会社がそっくり椅子空けてみい、どうなる?」
「……国が滅ぶ、な」
総理は、天井を見上げてその瞳を閉じた。
そして、もう一度それを開くと彼は告げた。
「分かった。取り引き成立だ」
「そうか、そうか」
満足そうに頷く早坂に、総理は尋ねた。
「なぁ、教えてくれないか? その話、五人の保護者たちが依頼してきたのか?」
「せやで。今回の件、彼らの親たちはひたすら反省してたみたいや。軽率な行動を取ってしまった自分が情けない、そう言うて慟哭しとったわ。我が子に会いたい、我が子に会って謝りたい、ってな。それで、こうしてワシが出向いたっちゅうことや」
「その親たちには、山瀬亜依の保護者も?」
「入ってた。あの二人な、研究所の仕事辞めたいって言うてたで。認めてくれるか? その代わり、“あの事”は一切口外せず、これまでどおり、親として亜依を育てるんやて」
「分かった。認めよう」
韮沢総理は、小さく溜め息をついた。
「そういや、ちらっと耳にしてんけど、亜依の本当の母親が、最後までそれを彼女に伝えんかったっていうんは、ほんまか?」
「あぁ、真実だ。産みの親より育ての親。現状での山瀬亜依の幸せを考え、澪君がそう判断したのだろう。まぁ、山瀬亜依を『MC』計画の“最後の希望”だと考えていた私にとっては、大きなな誤算だったがね」
「誤算はそれだけやないやろ? 結局、最後まで亜依は実戦で銃を使わへんかったしな」
窘めるように早坂が言うと、韮沢総理は頷いた。
「そうだな。今にして思えば、山瀬亜依という少女の心の強さを加味していなかったあの時から、既に、『MC』計画は綻びを見せていたのかもしれない」
「あ、それとな、国から金貰てた親は、それを返したい言うてたからワシが預かってる。あとで使いの者を寄越すさかい受け取ってくれ」
「承知した」
総理は頷いた。
「よし、これで取り引きの全てが、終了や」
ここを訪れた時と同じ笑顔に戻ると、早坂は目の前に置いてある緑茶を一気に飲み干した。
総理も湯飲みへと手を伸ばす。
それを眺めながら、早坂が聞いた。
「それにしても、今回は、ほんまご苦労やったなぁ。まぁ、それでも、支持率は鰻上りやし、世論も国をあと押ししとる。言うことなしやろ?」
「そうだな、現状に不満はない。だが、何かが違うんだ。……何かが」
そう答えると、総理は緑茶を啜った。
「なぁ、韮ちゃん。ちょっと、急ぎすぎたんとちゃうか?」
「ん? どういう意味だ?」
「確かに、今の国民は阿呆ばっかりや。目先のことに夢中で、先が見えてへん。人のことより、自分のこと。自分の能力のなさを棚に上げ、人を貶めることで自分の地位を守ろうとしとる。評価するだけの器がないさかい、批判することで勝手に納得しとる。せやけど、そんな国民でも票を持っとる以上は、味方につけとかなしゃあない。そこで、『MC』計画を利用して、民意を稼ぐ策を考えた。それが今回の一件や。そうやろ?」
「どうかな?」
総理は、早坂から視線をそらした。
「ところが、や。阿呆ばっかりと思てた国民の中にも、そうでない者もおった。他者と助け合い、己を磨こうと努め、時には愛する者のために自己犠牲さえ顧みぃひん。そんな者たちがおった。しかも、それは自分が利用しようとしてた若者や子供たちやった。そこがつらいもんやさかい、何かが違う、て思たんとちゃうか?」
「……」
何も答えず、総理は俯いた。
「ワシな、もうずっと前から、この国を、いや、国民を見捨てててん。会社、海外に移そう思たのも、それが原因や。せやけど、今回の件で気づいた。この国の子供たちには、まだ期待できる。せやから千鶴が成人するまで会社残そう考えた。待つことに決めたんや。韮ちゃんも、もうちょっと待ってみたらよかったんちゃうか? せめて、この国の根っこの部分を変えてくれる子供たちが成長するまで。ワシが、急ぎすぎたんとちゃうか言うたんは、そういう意味や」
「……そうだな、性急だったかも知れないな」
今も自分を見つめ続けている早坂に向かって、総理はそう言った。
「さて、と。折角、東京きたんやから、銀座にでも行ってくるわ」
早坂は、席を立つと、ドアへと足を向け始めた。
その背に向かって、総理が尋ねる。
「なぁ、早坂君。子供たちは、自分を裏切った親を許すと思うか?」
早坂はその場で足をとめると、くるりと振り返った。
「あのなぁ、韮ちゃん。子供にとって、親ってもんは、内閣総理大臣以上の存在や。そんな親が頭下げて反省してんのに、許さへん子供はいぃひん」
「そういうものなのかな?」
「あぁ、そういうもんや」
早坂はさらりとそう答えた。
「そうか。それならば、そんな子供たちが根を創るこの国の木には、さぞかし立派な花が咲くだろうな」
「あぁ。虹色に輝く、大輪の、夢の花や」
「見てみたいな。その時には、内閣総理大臣としてではなく、この国に希望を持つひとりの老人として、な」
総理は、窓の外に見える夜景に遠く目をやった。
「ほな、また近いうちに会おな」
軽く総理に手を上げると、早坂は総理応接室から出て行った。
静寂に包まれた応接室で、総理の耳には、早坂の靴音が遠く聞こえていた。




