最終章 『生まれることの意味』②
午前七時五十五分。首相官邸五階、総理応接室。
吉川長官へと向かって、憎々しげな口調で韮沢総理が口を開いた。
「それで、その警察官、停止を命じられ怒っていたという一般車に、何と説明を?」
「はい、本日十一時五十一分より日本武道館で全国戦没者追悼式が執り行われますので、そのための検問だと話したそうです」
「それでいい」
小さく頷き、韮沢総理は溜め息をついた。
それから、
「普段は会社の上司に媚びへつらっているような輩だろうに、国の行う検問には平気でクレームをつけてくる。まったく、近ごろの国民は本当に扱いづらくなった。そうは思わないかね? 吉川君」
続けてそう愚痴を溢した。
「誠に、仰るとおりです」
吉川長官が同意する。
「そうだろう。だからこそ、そんな国民が増長している現代だからこそ、『MC』計画が必要なのだよ」
総理は、口の端を上げてにやりと笑った。その笑みは、警察庁長官という警察組織最高の地位まで登りつめた吉川長官でさえも、戦慄を覚えるものだった。
「それで、あくまでも“因みに”で聞くが、その一般車の運転手のことは、何か分かっているのかね?」
「はい。車両ナンバーから個人を特定しております。総理の政権が発足されて以降、国へ意見を訴える者たちは、メディアを通じての発言は勿論、ネット掲示板やブログへの書きこみ、ツイッターへの呟きに至るまで、全て個を特定し、ブラックリストへ送りこむようになりましたから。車の運転手は山田貞夫、四十三歳。区役所勤務です」
「公務員? ……身内か?」
韮沢総理の声色が変わる。
すぐさま彼は、
「“飼い犬に手を咬まれる”とはこのことだ。しっかりとした躾が必要だな」
と吐き捨てた。
そこに、襟を正しながら吉川長官が尋ねた。
「それはそうと、追悼式には総理もご出席なさるのでしょう?」
「無論だ。天皇皇后両陛下がご臨席なさる場だからな、何があろうとも外すわけにはいかん」
「間に合うのですか?」
「時間か? それは問題ない。日本武道館が同じ千代田区であることが幸いしたよ。断言してもいい。三時間後の午前十一時までに『MC』の件は全て終わっている。そして、私は、予定どおりに追悼式で式辞を述べている」
そう告げられ、吉川長官は腕時計を確認した。
時計の針は、八時ちょうどを指していた。
午前八時。トラックの荷台から降りた六人の子供たちは、中央玄関に向かってゆっくりと歩いていた。
七月七日。全国各地から集められた六人。
召集された理由は様ざまだが、今、胸に秘めた思いはひとつだった。
それは、生きて再びここに戻ってくること。
恭也がそっと振り返り、トラックを見る。彼の脳裏に、黒崎との別れ際の会話が浮かんだ。
「そしたら、『MC』ば連れてくるけん」
潜水艇を降りる時と同様に、軽い口調でトラックの荷台を降りようとする恭也を黒崎が呼び止めた。
「なぁ、恭也」
「ん?」
「俺はお前に、剣道ば教えてきたよな?」
「何や、今更……」
「教えてきたよな?」
「あ、あぁ」
いつもと様子が違う黒崎に、恭也は動揺を隠しながら返事をした。
「剣道は、読んで字の如く、剣の道たい。剣の道は、葉隠の道とも言われとる」
「はがくれ?」
首を傾げる恭也に清次郎が教えた。
「葉隠ってのは、江戸中期に山本常朝が“武士道”として説いた言葉を、田代陣基が書き写した記録だ。“武士道と云うは死ぬことと見つけたり”の一文が有名だじゃ。知らねぇか?」
「あぁ、その言葉は知っとる。何となく、恰好よかねぇっち、思っとった」
その返答を聞いた黒崎は、
「恰好よか、か」
と、苦笑いした。
「何や? 悪かや?」
恭也が黒崎を睨む。
「いや、悪くはなか。ばってん、それが伝えられたとは、もう三百年も昔の話たい。平成の今の世に、葉隠はいらん」
「どういう意味や?」
「死ぬことに意義を見出す時代は終わったっち言いよるとたい。よかや? 六人ともよう聞け。絶対に死んだらいかんばい。死んだら、それで終いなんやけん。たとえ、みっともなく逃げ帰ることになってもよか。全員、生きて再びここに戻ってこい」
正面玄関の扉へと体を向け直し、恭也は努めて明るく五人に言った。
「そしたら、行くばい!」
六人は、滑りこむように正面玄関の隙間に身を投じた。
玄関の先は、地図どおりの階段になっていた。階段の中央には赤い絨毯が敷いてある。足音を消すために六人は、絨毯部分だけを踏みながら慎重に階段を上がって行った。
そして、無事、目指す中央広間へと辿り着いたのだった。




