第一章 『“神”との取り引き』①
第一章 『“神”との取り引き』
今年、六月二十三日。内閣府特命担当大臣の林田基弘が死去した。彼は、防災と沖縄及び北方対策を担当しており、国家公安委員会の委員長も兼務していた。
テレビのニュースや新聞は、林田大臣の死因を心不全、つまり、病死だと伝えた。
しかし、実際は違っていた。大臣は殺されていたのである。
同日、午前三時。世田谷区の一等地にある林田大臣の自宅で事件は起きた。犯人は外壁を乗り越えると、中庭を抜け、一階リビングの窓を割って押し入った。不審者の侵入を告げるアラームが屋敷内に鳴り響いたが、犯人はそれを気にすることなく、二階の大臣の寝室へと一気に駆け上がった。そして、そこで、「何事があったのか?」と、ベッドから起き上がろうとした大臣の胸を、ナイフでひと突き、刺したのである。
目的を果たした犯人は、往路と同じ経路で逃走を図ったが、中庭まできたところで駆けつけた約二十名の警察官に包囲された。
「何故、こんなに早く警察が?」そう思い舌打ちをする犯人の顔を、複数のライトが一斉に照らした。
その途端、警察官の間にざわめきが起きた。
闇夜に浮かび上がった犯人の顔。それは、まだ中学生であろう少年だったのである。
最早逃げられないと覚悟したのか、少年はその場に立ちどまった。警察官は、じりじりと包囲網を狭めていった。
「ナイフを捨てなさい」
ひとりの警察官が、少年に警告した。
だが、少年はそれを無視し、徐に周囲を見回した。それから、
「内閣総理大臣に伝えろ。俺たちをとめたければ、“俺たちが生まれた意味”を教えてくれ、と」
との言葉を残すと、ナイフで自らの頸動脈を切り、果てたのである。
警視庁刑事部捜査第一課は、この事件を、被疑者死亡のまま書類送検する予定でいたが、その直前に極めて異例だともいえる通達が出た。
事件の全権を警察庁が引き継ぐことになったのである。
警視庁が東京都の警察本部であるのに対し、警察庁は全国の警察を指揮監督する立場にある国の機関だ。その警察庁が出てくるほど、この事件は大きなものだったのだ。
事件を引き継いだ警察庁は、少年の遺体を秘密裏に処理し、関係書類についても全て破棄した。林田大臣殺害の事実を隠匿したのである。それから、大臣宅に居合わせた警察官に固く口どめした上で、マスコミには林田大臣の死を「心不全」だと伝えた。無論、それはメディアを通じて全国に報道された。そのため、「林田大臣は病死した」は“真実”として広く世間一般に浸透していくこととなったのである。
大臣の通夜がしめやかに行われる中、水面下では、警察庁だけでなく国の重鎮だと言われる者たちまでもが、慌ただしく動き始めていた。
林田大臣の死から二週間がすぎた七月七日。今年はまだ梅雨明けしていない東京だが、この日は快晴だった。
午後二時を少し回ったころ、千代田区霞が関のとある施設に、一台のリムジンが姿を現した。
車は、施設の正面玄関に横づけされ、出迎えの女性が後部ドアを開けた。
「はい、どうも。ご苦労さん」
そう挨拶をして車から降りたのは、上は半袖のポロシャツ、下はジャージ、履物はサンダルという、およそ高級車リムジンには不釣り合いな恰好をした三十歳ぐらいの男だった。
「ようこそおいでくださいました。黒崎先生」
女性が丁寧に頭を下げると、黒崎と呼ばれた男はポロシャツの胸元を態とらしく扇ぎながら言った。
「暑かねぇ、東京も」
「はい。日中の最高気温は、三十二度だそうです」
言葉とは逆に、涼しげな表情で女性は答えた。
扇ぐ手をとめることなく黒崎は、
「こげん暑かとにスーツとか着て、あんたも大変やねぇ」
と顔をしかめた。女性は、薄い青のブラウスに、黒の上着、同色のスカートを身に着けていた。
「仕事ですから。あ、こちらです」
開いた手で先を促しながら、女性は、施設内へと黒崎を案内した。その顔は、先ほどと変わらず涼しげなままだった。
「仕事、……ねぇ」
囁くような声でそう呟くと、黒崎は、女性の後ろについて施設内へと入って行った。




