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Nobody  作者: 零千 涼
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Episode4:その森、惑わす故に-上-

 本部から全速力で車を走らせて三時間。辿り着いた森の前に車を停めて、快晴だというのに中は光が届いていなさそうな鬱蒼と生い茂った森を眺めれば、ここまでイメージ通りだと笑えてくるなと、本当に笑っていた。



「結局、道中でも本部からの連絡はなしか……この森に入って、探すしかなさそうだな」



 もらった資料の文面を眺めていたノーボディも、その森を見上げれば心配そうな声でそう言った。あの二人に限って、死ぬなんてことは考えられないが、連絡できない状況に陥っていると考えれば心配だった。



「まあ、あんまり気負うと足元すくわれるから、ほどほどにしとけよ」



「ああ、すまない。それにしても、レガートがそんなまともな心配をするとはな」



「いや、あんまり気負った様子を見せられると、俺が足元をすくいたくなるんだ」



「……まあ、そんなやつだよな」



 そんなノーボディを見れば忠告をするレガートに、素直に感謝しつつも意外だと小さく笑えば、レガートは意地悪く笑いながら返す。一瞬でも感謝した自分が馬鹿らしいと思いつつ、関われば損しかないと考え、ノーボディはため息をつくだけに留める。



「じゃあ、とりあえず探索といこうか」



「いや、ちょっと待て」



 とりあえずそれは置いておいてと、やはりレガートは軽く流して中へと入ろうとするが、そんなレガートを呼び止めて、ノーボディは通信機を取り出せば、どこかと通信を始める。



「……アギストか。今森の前についた」



「分かった。私の能力でも二人の存在が確認できた。気をつけて森の中に入ってくれ」



 本部のアギストと通信を繋いだらしく、手短に辿り着いたことを報せれば、アギストも手短に返し、その短いやり取りで通信を切った。



「アギストの能力、森付近でならまだ正常に働くか?」



「ああ、そうみたいだ。私達の姿を確認できたと言っていた」



 通信を切れば、レガートが大丈夫そうかと訊ね、ノーボディはそれに頷きながら応える。



 アギストはオラクル保持者で、能力は「神のゴッドアイ」と名づけている。地図を見れば、どんな遠くでもその場所を隅々まで見ることができるし、相手を睨めば幻を見せることができる。更に地図の一点を睨めば、そこにいる者に幻を見せることができるのだ。



 欠点としては、地図を使って幻術をかける場合、特定の相手にかけるといった範囲指定ができず、そこにいる者全員にかけてしまうということだ。



 しかし、かける幻術は強力なもので、解くのは至難の業だろう。しかし、前線向きの能力ではないのは自他共に理解しているため、戦場には立たずに、こうして事務職ばかり行っている。



「さて、アギストの能力の発動も確認したことだし、森の中に入るとしよう」



「まあ、森の中に入った途端に能力が効果を発揮しなくなるとかは、勘弁して欲しいよなぁ」



 連絡を取れば、これで準備は万端だと、ノーボディは森に足を踏み入れるべく歩き出し、そんなノーボディに続きながらも、いつもと変わらない笑みを浮かべたまま不吉なことを言うレガート。そんなレガートに、なるべく考えたくなかったんだがと返しつつ、二人は森の中へと入った。



「外から見て、大体こうだろうなというイメージはしていたが……」



「中に入ってみれば、尚更っつー感じだな」



 森の中は二人の言葉通り、外から見て抱いたイメージよりひどかった。まるで熱帯のジャングルだ。足の踏み場もないくらいに、膝くらいの高さまである植物が生い茂り、夜ではないのかと思うくらいに明かりは射してこない。ひんやりとした空気の、薄暗い森の中は、いるだけでも不安にさせるようだった。



「あの二人が、本当にここにいるのかと思うような場所だな」



「んなことより、アギストに俺達の位置が補足できてんのか確認しろよ」



 その森をぐるりと見渡しながら、こんなジメジメしたところは二人とも嫌いそうだしなと呟くノーボディに、レガートは他に気にすべきことがあるだろと言えば、それもそうだなと通信機を取り出してアギストに繋ぐ。



「…………駄目だ、繋がらない」



「能力が無効化される以前の問題か。予想の斜め上をきたな」



 ツー、ツーと短い無機質な音が聞こえてくるだけの通信機に、ノーボディがため息をつきながらそれをしまえば、レガートはまさかこうなるとはと、微塵もそうは思っていなさそうな笑みを浮かべていた。おそらく、レガートはある程度予想していただろう。



「……まあ、もし迷ったらという事態に備えたものが無力化されたのは痛いが、果たすべき目的は変わらないんだ。二人を探すために、先に進もう」



 白々しい様子のレガートに、今度は違った意味合いのため息をつきつつ、どっちにしろやることは変わらないさと頭の中を切り替え、奥へと向かって歩き出す。レガートも、警戒するというよりは好奇心に満ちたような様子で、時折辺りを見渡しながら奥へと進む。



「それにしても、草木が邪魔だな」



 ノーボディが先導しつつ、ナイフで邪魔な草木を切り分けながら進んでいく。歩くのに困らないくらいのスペースを開けるようにして進むノーボディの後ろを、特に何もせずに悠々とした様子でレガートがついてくる。



「一体どこの王様気分だよ。レガートも手伝え」



「はっはっは、ご苦労ご苦労。くるしゅうないぞ」



「それは王様じゃなくて殿様だ」



 悠々とただついてくるだけのレガートに、道を確保するのを手伝ったらどうだと抗議するように言うものの、軽くふざけた返答で流されてしまい、律儀にノーボディはツッコミを入れつつ、やはり言うだけ無駄なのかとため息をついた。



「まあ、いいじゃねえか。道の確保はお前に任せる。俺は、もし敵が襲ってきたら戦ってやる。こういう役割分担でいこうや」



「そうは言うけど、お前本当に敵が出れば戦って──」



 ため息をつくノーボディに、自分が原因だということを棚上げにして、軽い調子でそう提案するレガートだが、ノーボディはその言葉を信じることができず、問い詰めるように訊ねようとした時だった。



 二人の右手側、明かりもない状態で僅かに薄暗く見える辺りから、草を掻き分けるようなガサガサという音が聞こえてきたのだ。もしや、キリカとリィサかという可能性も一瞬浮かんだのだが、もし人だとすれば姿が見えないのはおかしい。



 なら、そこにいるのは敵かと身構えた時、それに応えるように草木を掻き分けて、ノーボディがナイフで切って捨てることによってできた前方の僅かなスペースに躍り出るように、それが正体を現した。



「魔物、か……」



 噂をすれば影というやつだろうか。そこには赤黒い毛で全身を覆い、頭から雄牛のような緩やかな弧を描いた上向きの角を生やし、濁った真紅の瞳をした猪のような魔物がそこにいたのだ。



「早速だが、レガート。さっきの発言通り、敵はお前に、任せ、た……」



 まあ、何はともあれ敵は敵だ。役割を果たしてもらおうとレガートに言おうとするのだが、振り返った先には常時ニコニコ顔の、聖職者のナリをしたド外道の青年、レガートはそこにはいなかった。



「……あの腐れ神父」



 言っても無駄だ、言っても無駄だと諦めていたところはあったが、今回ばかりはさすがに言わなければ気が済まないと、行き先のない握り拳に更に力を込めつつ、僅かに怨嗟を孕んだ声で毒づく。こんな自分を見て、実に楽しそうに笑っているんだろうなと考えてしまい、余計に腹立たしかった。



 しかし、この怒りを今は姿をくらませている相手にぶつけようとしている暇はない。向こうの魔物も、どうやらノーボディの存在に気付いたようだ。



「結局こうなるのか……」



 敵の相手は任せろと豪語した仲間は今おらず、それどころか自分以外は人っ子一人もいない状況。そして向こうは臨戦態勢とくれば、こうするしかないかと、草木を切り分けるのに使っていたナイフでそのまま応戦しようと構える。



 そのノーボディも臨戦態勢に移った様子を見れば、猪のような魔物は何の躊躇いもなしに、突然突っ込んできた。



「な──!?」



 まさか躊躇いもなく突っ込んでくるとは思っていなかったため、その魔物の動きに不意を突かれてしまい、迎え撃つこともできずに懐に入られてしまう。その鋭い角に突かれるのか──そう思い、思わず身を固くしてしまったのだが。



「…………ん?」



 鋭い痛みが自分を襲うのかと考えていたが、実際あるのはふわふわと柔らかい感触が軽く脚の辺りに押し当てられるのみだった。予想していたものと違う現実に、ノーボディは不思議に思いながら視線を下に向ける。



「プギー♪」



 すると、先程までぶつかった全てを跳ね除けてしまうのではないのかというぐらいの勢いで突っ込んできた魔物が、ノーボディの脚に甘えるように擦り寄ってきていたのだ。その姿は魔物というよりペットのようで、どこか可愛らしくも思えた。



「……どういうことだ?」



 何もかもが予想外すぎると、状況を理解できずに困惑したような響きのこもった声で呟けば、そんなノーボディの背後から再び草を掻き分けるような音が聞こえてきて、ノーボディが目を向ければ、どこか可笑しそうな笑いを堪えるようにしながら、レガートが出てきた。



「よかったな、お前。懐かれたみたいで。めっちゃビビッて身構えてたけど」



「……そういうことで別に構わないから、とりあえずこれはどういうことか分かるか?」



 笑いを堪えるようなレガートに、色々と疲労が窺えるような重いため息をつきながらも、これが一体どういうことなのか理解できるかと訊ねれば、徐々に笑いを落ち着かせつつ、レガートは頷いた。



「多分、この森の力だろうな。まだ魔境か能力者の力かは分からないが、ここに足を踏み入れたものに、当人が楽しいと思えるものの幻術を見せて混乱させるみたいだ」



 周りの草木を眺め、次にノーボディの脚に擦り寄っている魔物に目を向けつつ、レガートはそう答えた。おそらく、魔物の目にはノーボディが、その魔物の好物に見えているのだろう。襲われなかったのはいいが、それもそれで複雑だった。



「それにしても、随分確信を得たかのように言い切ったな。推測じゃないのか?」



「そりゃ確信得てるさ、現に俺が幻術見ているわけだし」



「……は?」



 推測を言っているようではないと判断すれば、そこまで言い切るのも珍しいなと訊ねれば、何でもなさそうにさらっと答えるレガートに、ノーボディはその言葉の意味が理解できないというような様子で疑問符を浮かべる。



「だから、今まさに俺がその幻とやらを見てるんだよ」



「ちょっと待て、じゃあなんでお前は平気そうにしていられるんだ?」



 そんなノーボディの反応に、一回で理解しろと面倒くさげにレガートは返す。そんなレガートに、いや、言っていることは理解できるのだが、訊きたいのはそこじゃないんだと返した。



「別に、俺にとっては楽しげでも何でもない、くだらない幻しか見えてないからな。惑わされようがない」



 むしろ、こんな安い幻術にかかる方がおかしいと、つまらなさそうに言うレガートを見れば、常識が通じないような相手には効果がないのかとノーボディは考えた。



「……ん? じゃあ、私が幻術にかかってないのはなんでなんだ?」



「まあ、お前って生物らしいけど、らしいっていうあやふやな存在だし、能力が働く対象の範囲外なんじゃねーの?」



 そう考えれば、じゃあ自分が幻術にかかっていないのは何故なんだと考え、まさか自分もレガートと同じような常識外れに知らず知らずになってしまっていたのかと、ショックを受けていたのだが、多分お前の存在が認識されてないだけじゃねぇの? というレガートの推測に、それはそれでショックだとノーボディは軽く落ち込んでいた。



「まあ、いいじゃねーの。能力効かねえっていうなら、都合いいじゃねーか」



「……確かにな。敵は襲ってこないし、楽々探索できるし」



 軽く落ち込む様子のノーボディを見れば、愉快そうに笑うレガートだったが、かといってここに長居するのはつまらないと、落ち込んでいる暇があるならさっさと済ますぞと、めんどくさげに言えば、それもそうかと考え直し、一息つくように小さくため息をついて、ひとまず懐いている魔物はどうしようかと考える。



「考える必要ねぇだろ。さくっと殺すぞ」



 そんな考えている様子のノーボディに、何を考える必要があると、レガートはオラクルを発動させて棺桶を喚び出せば、蓋を開けた棺桶を振り下ろすようにして、躊躇なく魔物を棺桶の中に放り込む。



 棺桶の中に入ってしまえば、その中に満ちた死の気配に魔物は怯えたような絶叫をあげるも、重く湿った、何かが潰されたようなグシャッという音がしたかと思えば、すぐに静かになった。棺桶から赤い血が溢れて流れる。



「……ホントにさくっと殺したな」



 その躊躇いなく殺してみせたレガートに、幻術が原因だとしてもあれほど懐いていたため、僅かながら情が沸いて抵抗を感じていたノーボディは、そうしなければならないのだと分かってはいるのだが、えげつないなと言う。しかし、レガートはそれにただ笑みを返すだけだった。



「……まあ、今のでこの場所の特性が分かったことだし、よしとするか。見せられる幻術も、大きな害があるものとは思えないし」



 気持ちを切り替えるように一息つきつつ、そう言うノーボディだが、まだ安心できないということは理解していた。見せる幻術が一種類のみだという確証はなく、もしかしたら害を成すようなものを見せられる可能性だってあるのだ。二人が安全だろうという確立が上がっただけであって、まだ油断はできない。



「それに、今俺やノーディが効いてないだけで、そのうち効果が出始めるかもしれねぇしな」



 ノーボディと考えていることが同じだったのか、それに補足するようなレガートの言葉に、ノーボディは頷いた。こちらもあくまで推測であって、効かないという保障はない。



「迅速に終わらせるしかないな。ミイラ取りがミイラになるという結果は回避したい」



 そうと決まればすぐに終わらせるべきだと、二人はまず先に、この森のどこかにいるであろうキリカとリィサを探すべく、再び歩き出した。



「それにしても、お前は幻術に惑わされていないというだけで、見えてはいるんだろう? 本当に大丈夫なのか?」



「なんだ、じゃあ俺が幻術に惑わされてお前が女に見えて、お前を口説きに口説いた後に襲った方がいいのか?」



「いや、それは激しくお断り願いたい」



 鬱蒼とした草木を、再び掻き分けるようにしながら進みつつ、ふと先程の会話で幻覚が見えていると言っていたのを思い出し、心配するように訊ねてみたのだが、返ってきたのはいやらしい笑みと軽いジョークで、しかしジョークと分かっていながらもその展開になるのは考えるだけで嫌なため、ノーボディは全力で拒否した。



「でも、お前って男か女か分かんねぇじゃん。別にいいんじゃねぇの?」



「私も一時期どっちか分からずに悩んでいた時期があったが、今は男でありたいと思っている。というか、お前その発言は危険な解釈にとられるから止めてくれ」



 その拒否っぷりが面白かったのか、更に続けるレガートに対し、ノーボディは拒否しつつも、その言い方ではもし自分が女ならば、問題なく襲えると言っているようなものだと考え、その考えを払拭するように頭を軽く左右に振って返す。



「いや、でもお前って色んな女に化けれるんだよなぁ……これで中身も女に目覚めれば──」



「よくは分からないが、とりあえずお前は最低だということが再認識できた」



 何やら深刻な様子で考えているようで、何を言おうとしているのか分からないなりにも、言おうとしているものが最低な発言だということは察し、そう言い捨てて歩く速度を速める。



「なんで歩く速度速めてんだよー」



「お前の近くにいれば、身の危険を感じるからだ。今まで以上に、更に」



 同じく速度を速めてついてくるレガートに、素っ気無く返しつつ、ノーボディは更に速度を上げる。早足というか、競歩の域に到達していた。草木をナイフで掻き分けるほうが雑になっているのだが、それでも進む速度は上がっていた。



「ジョークに決まってんじゃねーか。マジであんなこと思ってねーって」



「お前の場合、本当にジョークなのかそうじゃないのか安易に判断すれば命取りだ。つまりは信用できない。だから、安全確保のためにとりあえず離れる」



 ついていきつつジョークだとレガートが言うのだが、ノーボディはその言葉を一切信用する気はないらしく、そう切って捨てる。ばっさりと即一刀両断されたにも関わらず、終始変わらずにニコニコと笑みを浮かべているレガートを見れば、やはり信用できなかった。



「……まあ、もうそれは置いておくとしよう。それにしても、キリカとリィサはどこにいるんだろうな……」



「かなり深いからな。ま、セオリー通りいくなら最深部じゃねぇか?」



 ふと、競歩のような歩きでレガートを避けていたが、今はこんなことしている場合じゃないんだと再認識し、ペースを乱されたなとため息をつきつつ、今すべきことを改めて口にする。もう何度も同じことをしたような気がすると、疲労を感じていたノーボディに、やはりレガートはいつもと変わらない軽い調子で返した。



「深いし、広さもある。二手に分かれた方がいいと思うか?」



 そんないつもの調子を崩さないレガートに、ある意味羨ましいなと嫌味まじりに内心で呟きながら、効率を上げるには一緒に探すよりならいいのではと訊いてみる。幻術に惑わされない自分達なら、その方がいいのではないかと思えたのだ。すると、レガートにしては珍しく、真面目な表情を浮かべて答える。



「まあ、もし幻術にかかってしまえば近くに誰もいない方がいいかもしれねぇが、いなければ幻術にかかった片方を正気に戻せず、それこそミイラ取りがミイラになっちまうかもしれない。俺は、このまま一緒に行動した方がいいんじゃねぇかと思うが」



「……そうか。じゃあ、今まで通り二人で行動しよう」



 なんだ、真面目にやろうと思えばやれるんじゃないかと、今度は嫌味なしで感心しながらも、探索を続けようと歩き出す。そんなノーボディの背中に、レガートは声をかける。



「まあ、一人だとからかうやついねぇし、やっぱこのままでいいだろ」



「よし、別行動にしよう」



 その背後から聞こえてきた能天気な声に、感心したそばからコレだよと、ノーボディは再度ため息をつく。これを狙ってやっているのだと分かっていても、落胆せざるを得ない。



「つれないねぇ、何をするにも楽しい方がいいじゃんかよ」



「それには同意するが、TPOをわきまえてくれ」



 つまんねぇなと不満をもらすレガートに、ノーボディは限度というものがあるだろうとため息をつきつつ返す。もう関わりたくないという疲労が全体から滲み出てるというのに、それでもレガートの言葉にちゃんと返すところが、ノーボディの律儀さが窺えるだろう。



「……別行動にするというのは冗談だから、頼むからもう少し大人しくしてくれ」



「はいよー」



「……言っておいてなんだが、絶対大人しくしてくれる気はないな」



 このままじゃ埒が明かないと、ノーボディは再度ため息をつきつつ、念のために釘を刺しておくのだが、やはりというかなんというか、レガートのその返事にまともに応えようとする意思が感じられず、一応釘は刺したことだしと、大半は諦めのこもったような声で呟きつつ、先へと進んでいく。



 そんなやり取りを交わしているうちに、森の半ばまで来たのだろうか。どうやら草木が鬱蒼と生い茂っているのは外側だけらしく、半ばは自然が豊富ではあるのだが、庭園のように整えられていて、歩くのに厄介なほどの草木はないどころか、歩道が確保されているようだった。



「さしずめ、草木の城壁ってところかねぇ」



 なんの気なしに、レガートが今まで自分達が通ってきた外側の草木の方を一瞥しつつ呟いた。確かに、他者の侵入を拒むように生い茂った草木は、城壁といった表現がぴったりだろう。森の中心部に入ってみれば、そのイメージは一層強くなる。



 中心部を「庭園のように」と表現したが、本当にどこかの王城の庭園のようなのだ。色とりどりの草花が咲き誇り、先程までいた場所と違って陽の光も木々の合間から差し込んできて、木漏れ日に照らされたその場所は輝いているように眩しく見えて、御伽噺でしか見れないのではと思えるくらいに、どこか幻想的だった。



「なんか、この木漏れ日の下に聖剣がささった台座とかありゃ、しっくりくるような場所だな。魔境とは思えねぇよ」



 両手で小窓を作り、その小窓越しにここの風景を眺めるようにしながらレガートがそう言った。レガートの言う通り、どこか神々しささえ感じさせるこの風景には、そういったものも雰囲気に合っているかもしれない。しかし、あったとしてもそれは待っているのではなく、平和を取り戻した後のワンシーンといった、この森の穏やかさを強調させるワンアイテムくらいにしかならないだろう。



「……まだ魔境と決まったわけじゃない。それより、この光景は幻術だと思うか?」



 しかし、この場所が魔境なのかという確証は得ていない。レガートもそれは理解しているだろうが、自分にも言い聞かせるつもりで、念のために釘を刺すように言いつつ、ノーボディは訊ねる。いきなりと言っていいほど風景が変わったのだ、幻術に一度もかかっていない自分よりならば、幻術にかかりながらも惑わされていないレガートの方が状況を正確に理解できるだろう。



「幻術にかかっていないことが分かって何よりだが、お前はそれで大丈夫なのか」



 ノーボディの問いかけに対し、お宅の眼は正常に働いておりますよとジョーク混じりに答えるのだが、その中にしれっと混じったものを聞けば、それは果たして別の意味で、レガートにとって大丈夫だと言えるのだろうかとノーボディは返すが、本人は変わらず平然としている。



「……まあ、本人がいいならいいか。それより、これでかなり奥まで来たと言っていいのだろうが、相変わらず二人の姿が見えないな」



 平然としている様子に、心配するだけ無駄かとノーボディは一つため息をついて、ゆっくりと辺りを見渡した。二人の姿どころか、草木が鬱蒼としていた場所の方がそれなりに他の気配がしたというのに、魔物の気配すら感じられなかった。



「……静か過ぎるな……」



「これなら、奥まで声が通りそうな気がすんな。試しに大声で呼んでみれば、すぐに出て組んじゃねぇの? おーい、飯だよーってな」



「犬じゃないんだからさ……」



 あまりの静けさに、神々しさを感じるこの場所と相まって、逆に不安や恐怖を感じさせるなと思っているノーボディを尻目に、レガートは冗談っぽく言いつつも、実行しようとしているかのように大きく息を吸い始めたのを見れば、呆れたようにノーボディが止める。気配がないというだけで何かが潜んでいないというわけではないし、そういう面倒事は避けたい。



「実際やってみた方が早いじゃんか。これで二人が出てくるもよし、敵が出てくれば俺は逃げて、一人で慌しく応戦するお前を見て、ニヤニヤするのも――」



「よくないからな?」



 いいことづくめだと言うようにメリット(?)を語るレガートに、それはお前にあるだけであって、私にはデメリットしかないじゃないかと返しながら、ノーボディはもう先に進もうと歩き出した。



「前から言ってはいるが、お前はもう少しまともな会話ができるようにならないのか?」



 何度と言ってきて、結局テキトーに流されてきたが、毎回思わずにはいられない。駄目元で言ってみれば、レガートの表情がいつものニコニコ顔ながらも、どこか真剣味を帯びた。



「うむ……考える必要もなく、無理だ」



「そうくるとは思ったがな」



 キリッとした顔付きで言うレガートだが、そんな女性が見とれてしまう表情で言った言葉は台無しにさせるほどの返答で、その返答を予想していたノーボディは対した落胆などは見せず、ただため息をついた。



 そんなイマイチ真剣味が出ないレガートに改めて呆れていると、ふとどこからか声が聞こえたような気がした。



「今の、聞こえたか?」



「聞こえたっちゃあ、聞こえたわな」



 その木々の隙間から微かに聞こえてきた声に、ノーボディはレガートに訊ねてみると、レガートは曖昧な返答を返す。ノーボディよりはっきりと聞き取ることができたのか、よくは分からないが、ノーボディは首を傾げつつも、確認すべきだと聞こえた方へと向かって急ぎ気味に歩き出す。



 ずっと喋っているのだろうか、聞こえてくる声は間を空けるものの、途切れることなく聞こえてくる。徐々に近付いているらしく、聞こえてくる声も徐々にはっきりし出せば、それが聞き覚えのある声だということが分かった。



「この声……リィサだ!」



「ああ、リィサだなぁ」



 その声がリィサのものであると分かり、二人は進む速度を更に速める。見つけることができたのだと嬉しく思うノーボディの隣で、レガートはどこか間延びしたような口調で返しつつ同意するのだが、微かに口角と肩が震えているようで、それが気になったが、それよりもリィサだとノーボディは半ば走るように木々を抜けた。



 木々を抜けた先は、また一つの庭園のように草木が整えられている場所だった。木々で区切られた庭園が、複数存在しているようになっているのだろう。別区間に移動するためには、木々の間を抜けなくてはならないようだ。まるで決まった道がない迷路のようだと思った。



 そんなことを考えるのはひとまず後にして、それよりもリィサの安全を確かめなくては──そう思い、身体についた木の葉を払うこともせず、リィサの姿を探そうとして、その姿を見つけたノーボディは安堵するよりも、思わず動きが固まってしまった。



「お兄ちゃ~ん♪」



 そこにいたのは、間違いなくリィサだ。見たところおおきな外傷もないし、おそらく怪我はないのだろう。それはよかったのだが、猫撫で声で甘えている仲間を見れば、どうすればいいか一瞬戸惑ってしまうものではないかと、ノーボディは思っていた──甘えている相手が枯れ木ならば、尚更だと思う。



「ぶふっ……」



 どうしたものかと固まるノーボディをよそに、レガートは小さく吹き出しつつもどこからかカメラを取り出し、全身で擦り寄るようにノーボディと同じくらいの枯れ木に甘えるリィサを、何度もシャッターを切って写真に収めていた。正気に戻った時にからかうために撮っているんだろうなとぼんやり考えれば、ノーボディはハッと我に返る。



「ああ、いい方法あるぞ」



 いい加減にしろと注意をしつつ、どうやって正気に戻すかと考えるノーボディに、満足がいく分写真を撮り終えたらしいレガートは、カメラをしまいつつも、いい方法があるとノーボディに答える。



「本当か? 手荒なものじゃないよな?」



「ダーイジョウブだって。まあ、任せな」



 一瞬すぐにそれを実行しようと言いかけるも、相手がレガートならば可能性はあると思い、一応釘を刺しておけば、そんな方法じゃないと自信ありげに親指を立てて答えつつ、脚も巻きつけて半ばコアラのようになって甘え続けているリィサに近付いていく。



 一体どんな方法だろうと見守るノーボディの前で、レガートはとろけそうなくらいに幸せそうな表情を浮かべているリィサに、耳打ちするように顔を近づけた。



「抱き付いているのがノーディだと思った? 残念、俺だよ!」



「イヤアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアッ、レガートーーーーーーーーーーーッ!?」



 ぼそりと、近くにいたリィサにだけしか聞こえないように言ったため、ノーボディはなんと言ったのか聞き取れなかったが、レガートが何やら言った途端、リィサはすぐに抱き付いていた枯れ木から離れ、更にその枯れ木に蹴りをお見舞いしていた。



「な、バッチリだろ?」



「……何をしたんだ?」



「なに、幻術が見せるイメージを、ちょっと変えてやればいい。幻術っつーのは、外側から無理に解こうとしても効かないからな。内側をちょっと、幻術が覚めるほど強烈なインパクトのあるものに変えてやればいい」



「……強烈過ぎたんじゃないか?」



 枯れ木から離れたかと思えば、頭を抱えてうずくまっているリィサを見ながら、可笑しそうに笑いつつ、レガートはこれでよかっただろうと訊ねる。何をしたのかという問いに、大したことはしていないと答えるレガートだが、うずくまったまま泣いているんじゃないかと思えるくらいに小刻みに震えているリィサを見れば、大したことのようにしか思えなかった。



「……あれ、ここは?」



 しばらくすれば落ち着き始めたのか、ゆっくりとリィサが顔を上げ、涙の溜まったその眼で辺りをきょろきょろと見渡す。どうやら完璧に幻術は解けたようだ。



「大丈夫か、リィサ?」



「おっす、おはよう」



「え、あ、お兄ちゃんっ? 今すごく怖い夢見てたよーっ」



「はっはっは、意図的か無意識か、どっちにしても俺を無視とは、目覚めたてにしてはやってくれる」



 状況が理解できずに困惑した様子のリィサに、ノーボディは心配そうに、レガートはここまで怯えさせた原因は自分だというのに、無関係だと言わんばかりの軽い様子で声をかければ、よほど嫌なことだったのか、目に溜めた涙を堪えきれずに流しながら、ノーボディに抱き付いて、離すもんかと言わんばかりに、先程枯れ木に抱き付いていた時と同じように、脚までノーボディの身体に回してコアラのように抱き付いてくる。



「うぅ~、一体どういうことぉ? さっきまで確かにお兄ちゃんの部屋に……」



「そのことなんだが……」



 まだ困惑しているからか、それとも幻覚から覚めたばかりだからか、はたまたその両方が原因だからかは分からないが、依頼のことが頭から抜け落ちているようだった。そのことを説明しようと、ノーボディは落ち着かせるために頭を優しく撫でつつ、今までに分かったことを説明していく。



「……ということは、今までのは、幻……?」



 この森に入ったものは、そのものが楽しいと感じさせる幻覚を見せてくるということ、現に魔物が幻覚を見せられて敵意がまったくない状態にさせられていたこと、自分達には幻覚が効かずにここまで来て、幻術に惑わされていたリィサを見つけることができたのだという説明をすれば、リィサは絶望したような表情でがっくりと膝をついた。



「それなら、それでもいいからもうちょっと見ていたかったのに……ううん、覚めるにしても、見たくもない腐れ面見せられて覚めるなんて……」



「腐ってねぇよ? 俺の顔は崩れ一つもなく健在だろ?」



 よほど楽しい幻を見ていたのか、幻でもいいからもうちょっと見ていたかったと言いつつ、どこか怨嗟を感じさせる声で呟きつつ涙を流すリィサに、怨嗟を向けられているであろうレガートは、いつも通り笑みを浮かべている。そんな二人を見れば、ノーボディは苦笑するしかなかった。



「んで、夢ではどこまで進んでたよ? 事前? それとも事後だっ──」



「死ね」



 そんなリィサに構わず、レガートが耳打ちするように何かを訊ねれば、リィサの顔からスッと表情が消え、涙もぴたりと止まれば、抑揚のないながらも妙な迫力のある声で、短く返される。向けられたのは自分ではないのに、先程の怨嗟を孕んでいた時の方がまだマシだと思わせるくらいに、ノーボディの背筋に寒気が走った。



「あれあれ? そんなこと言っていいと思ってんのか? さっきまでのお前の醜態、ばっちりカメラに収めて俺の手の中にあるんだぜ?」



「リィサが可哀想だから、その写真は捨ててやれ」



「そうだな……俺もやられたらと思えば、これは手放すべきなんだろうな……だが断る」



「本当にクズだよコイツー!」



 そんなリィサの発言に、黒い笑みを浮かべつつ、その写真が収められたカメラをちらつかせているレガートに、いったいどんな姿を撮られたのか分からないにしろ、悪い予感しかしないため、泣きながらノーボディに助けを求める。ノーボディは少し怒っているような声で言うのだが、レガートは思わせぶりな様子を見せつつ、結局はひどい返答で、リィサはノーボディに泣きつく。



「レガート……本気で怒る前に、それを渡せ」



「おおぅ、怖い怖い。しゃーねぇーなぁ、返すよ」



 そんな本格的に泣き出し始めたリィサに、ノーボディの声に凄みが増す。表情が分からないため、変に迫力が増していたが、レガートはやはりいつもと変わらずにヘラヘラとしながら、それでも素直にカメラを手渡した。



「よし。これはリィサが処分してくれ、今日見たことを私は口外しないし、レガートも口外しないようになるべく目を光らせておこう」



「うん……ありがとう」



 そのレガートから受け取ったカメラを、ノーボディはリィサにそれを渡せば、今日あったことは忘れようと言いつつ、慰めるように優しく頭を撫でれば、リィサはそのカメラを受け取りつつ、嬉しそうにはにかんだ。



「よかったな、お前の兄ちゃんシスコンに目覚めたかもなぁ。俺がキューピッドだな」



「その一言がなければ、素直に感謝してもよかったかなと欠片ほどとはいえ思ったのに、本当にクズはクズだよね」



 その嬉しそうな表情をしているリィサに、レガートが近付いてニヤニヤと笑いながら耳打ちをする。その瞬間、リィサの表情がすっと消えて、露骨なまでに嫌そうな表情を浮かべてレガートを睨みつけていた。



「そうそう、さっき渡したカメラな。あれフェイクで写真撮ったのはこっち――おっと、なんだよ」



「何度も言うけど、ホントに下衆でクズだよ!」



 そんなリィサを嘲笑うかのように、レガートは懐からもう一つカメラを取り出してみせれば、リィサは言い終わるよりも早く、レガートに向かって蹴りを放つが、それを軽々と避けて逃げていく。



「……二人とも。あとキリカの救出と、この場所の調査をしなければならないっていうこと、忘れてないよな?」



 懲りていない様子のレガートに、殺気を込めて攻撃しているリィサを見れば、いい加減にしろと言いつつ、まだ目的は全て達成していないんだということを言えば、リィサは納得していない表情ながらも、渋々攻撃の手を止める。



「とりあえず、レガートはそのカメラを渡せ。今度はふざけるなよ?」



「へいへい、これ以上やればリィサに殺されかねんからな。ほらよ」



 しかし、被害者であるリィサがこのままでは可哀想だ。問題の元凶は没収すると強く言えば、レガートはすんなりと手渡す。そんなレガートを、とっくに殺す気満々だと言わんばかりの目で、リィサは睨んでいた。



 本当に晒すつもりだったのなら、フェイクを渡した後にそれをあっさりばらさないはずだ。あんなことを言ったのは、からかうことだけが目的だったのではないか──と思いたい。レガートならば、この後も平然と「まあ、それもフェイクだが」とか言い出しかねない。そんなことを思いつつ、ノーボディはリィサにカメラを手渡す。



「……うん、今回は本物みたい」



 カメラに入っている画像を確認したらしい。写っていた自分の姿に恥ずかしそうにしつつも、それがフェイクでないことが分かれば、リィサはそのカメラを帰ってからちゃんと処分しようと、腰についたポーチの中に突っ込む。



「さあ、それじゃあキリカを探しに行くとしよう」



「余計な時間食ったな。早く帰ってのんびりしたいっつーのに、ホントお前らしっかりしろっての」



「……ッ! ……ッ!!」



「リィサ、気持ちは分かる。分かるが落ち着け」



 気持ちを切り替えようと、ノーボディが改めて次の目標を口にすれば、レガートはやれやれとしばいがかった様子で肩をすくめて見せ、わざとらしいため息をついていた。それを見れば、リィサは拳を固く握り締めて今にも殴りかかりそうだったが、その手を掴んでノーボディが止める。



「それで、幻覚に惑わされるまでの間で思い出せる限りの範囲で構わない。キリカとはぐれたのがどの辺りか思い出せないか?」



 探すにしても、闇雲には探していられない。もしかしたらと思い、ノーボディはリィサに何か覚えていないのかと訊ねれば、リィサは考え込むように、難しい顔で首を傾げる。



「ちょっと待って……まだちょっと記憶にモヤがかかってるみたいだけど、思い出してみる」



「すまない。だが、無理はするなよ?」



 頑張って思い出そうとしているリィサを見れば、申し訳なさそうにしながらも気遣うようにノーボディは声をかけ、それを受けたリィサは満面の笑みを浮かべて、その言葉だけで頑張れるよと嬉しそうに言えば、再び考え込む。

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