Episode:3その組織、帰る家故に-上-
「……朝、か……」
自室のカーテンから漏れる朝日がちょうど目の辺りに当たっていたらしく、ノーボディはゆっくりと体を起こす。淡い青の、無地の寝巻きを着ていて、その寝巻きに合わせた同じ色の三角帽を被っている──のだが、体が透明な彼が着ているため、ワイヤーで吊られた服が操られて動いているようにしか見えなかった。
「……今日は、少し寝すぎたみたいだな」
しばらく上体を起こしたまま動かず、ぼんやりと霧がかかったような頭の中がはっきりしだせば、枕元に置いた時計に目をやり、いつも起きる時間より遅いことに気付く。結局、昨日はギルド本部までの道程をほぼ自力で移動したのだから、疲れていたのだろうと判断する。特に早く起きなければならないような予定もなかったのは幸いだろう。
「本当に、レガートのやつときたら……いや、私が騙されやすいのか?」
だからといって、一日ぐーたらと寝ててもいいわけではないと、ベッドから降りて一度大きく背筋を伸ばし、寝巻きを脱いで服を着替えようとしながら、昨日の仕打ちについてぶつくさと文句を呟くも、自分には原因があるのではないかと、はたと気付いて少し気分が落ち込みかけてきていた時だった。
「ぐっもーにーん、おにいちゃーん! ささ、早く起きようよー!」
ノーボディの自室の扉が、ノックもなく突然勢いよく開け放たれ、そこには金髪を赤い蝶々のような大きなリボンでツインテールにした、くりくりと人懐っこそうな、小動物を思わせる可愛らしい新緑のような色の瞳をした少女がいた。
「……リィサ、部屋に入るときはノックしろ」
その少女の突然の来訪に不意をつかれて驚いたようだったが、慣れているのか、ため息をつきつつ、何度も言った注意をすれば、その少女──リィサ・インクルードは「ゴメンゴメン」と、反省しているようには思えない軽い謝罪を返していた。
白いワイシャツに水色の長袖のブレザー、胸元には頭につけたものと同じような、大きな赤いリボンを着けている。少し渋めの深緑のスカートを履き、黒のニーソックスに茶色のローファーといった、どこかの学園の制服のような格好をし、腰に茶色のポーチを着けた彼女は、遠慮なくノーボディの自室へと足を踏み入れる。これまたいつものことだ。
「これも毎回言っているが、人の部屋に入るなとは言わんが、状況を考えて入ってきてくれないか?」
どうせこれも言ったところで流してしまうんじゃないかと思いつつも、再度ため息をつきつつ注意すれば、案の定リィサは何故と言わんばかり首を傾げている。
「……状況を考えろって、今は入っちゃまずい状況なの?」
「当たり前だ」
不思議そうに首を傾げるリィサに、当然だろうとノーボディは間髪いれずに答える。その返答を受けて、リィサは改めて部屋を見渡す。
きれいに整理整頓がされて片付いている部屋のベッドの前に、ノーボディは立っている。先程起きて着替えようとしていたため、上は脱いでしまい下だけ履いているような状態で、リィサの突然の来訪で驚きつつも、咄嗟に手繰り寄せた掛け布団で何も着ていない上半身を隠している状態だった。
今の状況を文章で説明するならば、確かにリィサは状況を弁えるべきだろう。しかし、この状況を目の当たりにしてみれば、ノーボディの体は透明なのだから、ただ服と掛け布団が宙に浮いているようにしか見えず、見られて困るものがないどころか、まず見えないという前提があるのだ。
「……というわけで、別に何一つ困ることはないと思うけど。そもそも、お兄ちゃんだって自分の体を目で認識できてないんだし、恥ずかしがる必要ないんじゃない?」
「それはそうだが、もしも実体を得た時に、今の状況に慣れてしまえば羞恥心を忘れ、私は変態じゃないか」
何を恥ずかしがる必要があるのかなと、肩をすくめやれやれとため息をつくリィサに、先をよく考えてみてくれと、何やらよくない未来でも想像してしまったのか、心底嫌そうな声で応えていた。
「もし私が実体を得たとして、今日みたいにいきなりドアを開けて着替え中、しかし当の私は隠すこともなく平然としている状況だとしたら、リィサはどう思う?」
「……じゅるりそ」
「よく分からないが、とりあえず言っても無駄そうなのは分かったから、涎拭いて外に出ろ」
もしそうなったらどうするんだと問いかければ、ノーボディの予想とは違い、リィサは顔を僅かに赤らめて涎を垂らしつつ、ある意味純粋ながら汚れたような、嬉しそうな笑みを浮かべ、それに言いようのない不安を感じつつも、とりあえず着替えてしまうからと、リィサを部屋から追い出した。
「お待たせ」
「全然待ってないよー」
身支度を整えて自室から出てくると、リィサが明るい笑みを浮かべながら出迎えてくれた。リィサの言葉通り、時間はそんなにかかっていなかった。髪はウィッグで寝癖を直す必要性もないといううか、まずつくことがない。顔を洗っていつもと同じ格好に着替えてしまえばいいだけなので、人より準備が早く済むのだ。
「うむむ、透明な体って不便だなーって思うし、リィサも早く実体を得ることができたらって祈ってるけど、準備に時間がかからないっていうのは羨ましいなー」
「まあ、朝はもう少しゆっくりできる時間が増えるからな」
少し悩むように首を傾げつつ、唸るように利点もあるからなと言うリィサに、リィサらしいなと微笑ましい気持ちで、声にもそんな柔らかな響きを込めて返す。すると、ふと思い出したかのように、リィサの腹部から弱った獣のような、くぅ~……という小さな音が聞こえてきた。
「なんだ、リィサ。まだ朝食を食べてないのか?」
「うん、一緒に食べたいからっていうのもあるけど、今日はリィサも寝坊したから。だから、今日起こしに行った時、もしかしたらもういないかなーって思ってたけど、一緒に寝坊してたからよかった」
その音を聞けば、もう食べたのだと思っていたとノーボディが訊ね、それを受けて照れ臭そうに笑いながらも、誰かと一緒に食事を取るのは楽しいしと答える。その気遣いが嬉しくて、「ありがとう」と優しくリィサの頭を撫でれば、とろけそうなくらいの嬉しそうな笑みを浮かべていた。
そんな他愛のない話をしながら歩いて、二人は食堂へとついた。ギルド「悠久の旅団」は、全ギルドの中でも最も多くの人々が所属しているため、本部はかなり大きいし、施設も充実している。ギルド員全員の自室を完備している上に余裕があり、こういった食堂等、全員が利用できるような場所もある。
食堂に入れば、本来の朝食時の埋もれてしまうのではと思える人数と比べればかなり少なく、ちらほらとしか人がいない。任務があった等、そういった理由がある者でなければ、早めに済ませてしまうからだ。
「まあ、あと少しで十時になりそうだしな。もう済ませているやつの方が多いのも当たり前か」
「とりあえず、お昼も近いことだし、軽めに済ませちゃおっか」
いつもはそんな人が多い時間帯に訪れていたから、どの席に座るか選択できる自由があるほどの空きがある食堂を見れば、なんだか新鮮な気分だと苦笑気味にノーボディは言い、リィサも同意するように微苦笑を返せば、カウンターへとノーボディの手を引いて、急かすように歩く。
リィサの言う通りだなと、ノーボディはカウンターにつけば、メニューの中から軽く済ませるものをと考えて、サンドウィッチを選び、その隣でリィサはホットケーキを注文していた。
「ハチミツ~、たっぷり~♪」
即興のオリジナルソングを口ずさみつつ、受け取り口の近くに設置された調味料のコーナーから、食堂の窓から射す光を浴びて黄金に輝く蜂蜜の入った瓶を手に取る。そのまま受け取り口付近で待っていると、人が少ないこともあり、すぐできたらしく料理を手渡された。
「席選び放題だし、テラス席の方で食べようよ!」
料理を受け取れば、どうせだからと天気の良い日は人気なテラス席に座ろうとリィサが言う。窓から見える空は真っ青で、暖かな太陽の陽射しが降り注ぎ、気持ちよさそうに鳥が飛んでいる。こんなよく晴れた日は、確かにテラス席で食べるのもよさそうだ。
「そうだな、それじゃあテラス席の方に──」
早く行こうよと、目を輝かせながらノーボディをテラス席に誘うリィサに、微笑むように小さく笑いつつ、テラス席に向かおうとするノーボディだったが、ふと見知った顔が食堂に入ってきたことに気付いた。
「あれ、キリカ?」
黒いキャスケットを被り、白の長袖シャツに黒いベストを羽織っていて、ジーンズ生地のホットパンツに黒のニーソという服装の、真紅の腰まであるロングヘアーをした深い青の瞳の少女──キリカ・セヴァンヌだった。首に着けている、赤い帯のチョーカーについた、鐘のような鈴が、飾りでしかないため音は鳴らないのだが、動く度に小さく揺れた。
ノーボディ、レガート、リィサ、そして彼女──キリカの四人が、ノーボディが組んでいるパーティーだ。そんな彼女だが、どこか疲れたような様子だった。
「おーい、キリカー」
疲れていてノーボディ達に気付いていないようなので、キリカに向かってノーボディは声をかけつつ手を振れば、それでようやく気付いたらしく、ゆっくりと俯きがちだった顔を上げて、声をかけてきたのがノーボディだと分かれば、驚いたように僅かに目を見開いた。
「あれ、ノーディ? 今ご飯ですか?」
いつも早起きで規則正しい生活を送っているノーボディが、遅すぎるとは言わないにしろ、こんな時間に見かけるのは珍しいと、キリカが歩み寄ってくる。
「ああ、昨日はどこかの誰かのせいで、疲れていたみたいだからな……」
歩み寄ってきたキリカに、ノーボディは苦笑を返せば、それだけでなんとなく察したらしく、キリカも乾いたような苦笑いを返していた。
「まあ、なんにせよ……おはようございます、ですね」
「ああ、おはよう」
被害に遭ったことに関してはご愁傷様だと、切り替えるように軽く咳払いをすれば、気を取り直して笑顔で朝の挨拶をして、ノーボディもそれに柔らかな口調で応える。
「キリカー、リィサのこと忘れてないかなー?」
「ああ、すみません。リィサもおはようござ──ちょっと待ってください?」
二人で話を進めるなと言うように、リィサが口を挟めば、そこでキリカはリィサの存在に気付いたらしく、同じように朝の挨拶を交わそうとして、動きを止めた。どうしたのかと不思議に思っていると、構わずキリカはリィサの手を引いてノーボディから距離をとる。腕を引かれるリィサは、何を言われるか察しているようで、特に抵抗はしなかった。
「……あなた、ノーディの部屋の前で張ってましたね? ──私に仕事を押し付けて」
「だって、もしかしたら起きて先に行っちゃってたかもしれないしさー」
「あのですね、私だってノーディと──!」
「でも、そのお陰でうまく調節されたみたいで、こうして一緒になれたんだから、結果オーライじゃない? リィサに仕事押し付けられてなければ、今頃一人じゃない?」
ノーボディには微かな声しか届いておらず、立ち聞きはしない方がいいだろうかと意識を二人の会話に向けないようにはしていたため、内容はまったく把握していないが、何やらキリカは怒っているようで、しかし余裕の笑みを浮かべるリィサに言い負かされたらしく、言葉に詰まっているようだというのはなんとなく理解できた。
「くっ……まあ、目的は果たしたわけですし、今回のことは水に流しましょう」
「それでこそキリカだよ♪」
どうやら話は済んだらしく、どこか腑に落ちないといった様子のキリカと、上機嫌な様子のリィサが戻ってくる。
「何の話をしていたんだ?」
「いえ、なんでもありません。それより、私も朝ご飯、ご一緒してもいいですか?」
「ああ、もちろんいいよ」
立ち聞きをしないようにと気を付けてはいたが、やはり会話内容が少し気になったため訊いてみると、キリカは僅かに頬を赤く染めながらも、口調は冷静に返しつつ、一緒に食事してもいいかと訊ねれば、ノーボディは快く承諾する。
「それじゃあ、私は料理を注文してきますので、お二人は席をとっておいてください」
ノーボディが承諾すれば、キリカは嬉しそうな笑みを浮かべつつ、カウンターの方へと向かっていく。それを見送りつつ、それじゃあお言葉に甘えてと、テラスの方に出れば、手近にあった席に座った。
「じゃあ、あとはキリカを待つとするか。リィサ、今日の予定は?」
「今日は特にないよー。受けようかなっていう仕事もないし、回された仕事もキリカと一緒に明日行くし」
「そうか。じゃあ、今日は一日ゆっくりできるな」
キリカが来るまでの間、二人は他愛のない話で談笑していると、そう時間もかからずに、お盆に乗った料理を持ってキリカが二人の元に歩み寄ってくる。どうやら、キリカはうどんにしたようだ。
「それじゃあ、いっただきまーす!」
みんな揃ったことだしと、待ちきれないような様子だったリィサが、元気よく手を合わせてそう言えば、ノーボディとキリカもそれに倣っていただきますと言い、三人は料理に手をつけた。
「ハッチミツ、ハッチミツー♪」
瓶に入った蜂蜜をスプーンですくい取って、上機嫌な様子で鼻歌を歌いながら、ホットケーキにかけていく。
「……こうしているところを見ると、ホント子供みたいだな」
「え、ちょっと待って、ホント子供みたいって言った? ねえ、それどういう意味? リィサ、子供じゃないよ?」
それを見て、微笑ましいなと思いながら呟くと、耳聡くそれが聞こえたらしい当の本人がノーボディに詰め寄る。リィサは子供扱いされるのが嫌いなのだ。本当は十五歳なのだが、言動や雰囲気からよくて十二歳、悪くて八歳に間違われてしまうことがあり、それが原因なのだろう。身長も微妙なところだし、仕方ないだろうが、十五歳もまだ子供なんじゃないかとノーボディは思い、苦笑した。
「言っとくけど、実年齢とか関係ないんだからね。中身は立派なレディなんだからっ」
すると、その苦笑からノーボディの考えを悟ったようで、頬を軽く膨らませて怒っていることをアピールする。だが、そんなリィサを見れば本人は真剣だろうが、不謹慎にも可愛らしく見えてしまう。こういった仕草が似合ってしまうのも、子供らしいからなのだろう。
「ごめんごめん。そうだな、レディに対して失礼だったな」
その様子を可愛らしいとは思うのだが、拗ねてしまっては後が大変だと考え、ノーボディは機嫌を直してくれないかと謝る。リィサはそれを横目で見て、まだ怒っているというようにそっぽを向きながら、フォークで一口サイズに切り取って、ホットケーキを食べていたが、しばらくするとおずおずと、少し遠慮がちにノーボディへと目を向ける。
「……頭撫でてくれたら、許す」
「ああ、いいよ」
その遠慮がちに提示してきた条件に、小さく可笑しそうに笑いつつ、ノーボディはリィサの頭を優しくを撫でた。可笑しそうに笑ったことにムッとしたようだったが、それも一瞬のことで、撫でられているのが心地いいのか、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
自分がどのようにして生まれたのか分からないため、家族の有無に関しての情報もなく、しかしこんな異形の存在に家族なんているわけがないだろうと半ば諦めていたが、リィサと接していると、こんな妹が欲しかったなとノーボディは思うことがあった。
「……頭を撫でて欲しいっていうお願いが、十分子供っぽいと思いますけど」
すると、そんな二人のやりとりをうどんをすすりながら見ていたキリカが、不意にそう言った。それはノーボディも思っていたが、敢えて黙っていたものだ。そんなキリカの目は、どことなく面白くなさげで、じとっとしたものだった。
「そんなこと言ってるけど、ホントは羨ましいんでしょ? ヤキモチ?」
「べ、別に、そんなつもりでは……ありませんがっ?」
そんなキリカの様子に、リィサが確信を得ているかのようにニヤニヤと笑いながら指摘すると、キリカは顔を赤らめ、それを誤魔化すかのようにうどんを食べるスピードを速めていた。リィサの頭を撫でている際に、ちらちらと見てきたことから、まず間違いないだろう。
「そうか。キリカの頭も撫でたいと思っていたんだが……」
「えっ」
そんな二人のやりとりを見て、ふとイタズラ心がわき、残念そうな響きを込めて呟けば、失言だったかというようなショックと、本当にしてくれるのかという驚きが入り混じったような表情を浮かべてノーボディを見る。
「……いや、冗談のつもりだったんだけど」
「~~~~~~~~っ」
まさかそこまで過剰に反応するとは思っておらず、気まずそうな様子で頬の辺りを指で掻きつつ、素直に白状すれば、先程までより顔を一層赤らめながら、ぺちぺちと軽くノーボディを何度も叩く。耐えられないほど痛いというものではないが、地味に痛かった。
「えっと、本当にすまない」
とりあえずと、謝罪の意味も込めて、ノーボディは自分を叩き続けるキリカの頭にポンと手を乗せ、優しく頭を撫でる。すると、乗せられた時はビクリと驚くように肩を小さく跳ねらせてはしたものの構わず叩き続け、撫でられると次第に弱くなっていき、最終的には撫でられるだけ撫でられている、なすがままの状態になっていた。
「……ほら、やっぱりヤキモチじゃん」
すっかり赤い顔で大人しくなってしまったキリカを見れば、最初こそはおかしそうに笑っていたリィサも、次第に面白くなさそうな表情に変わっていき、いつまで撫でられているつもりなのかと言うように声をかける。
「……はっ!? ノ、ノーディ、もういいですっ」
そのリィサの言葉に、ハッと我に返れば、恥ずかしそうにしながらノーボディの手から離れる。離れる際に名残惜しそうな表情をしていたのは、あんなことを言ったリィサの手前、離れないわけにはいかなかったからだろう。
「お兄ちゃーん、ほら続き続きー♪」
キリカが離れれば、もう一度撫でてもらおうと、リィサはノーボディに近付くが、ノーボディはじーっと自分の手を見つめていた。一体どうしたのかと二人が思っていると、ノーボディはポツリと呟く。
「……私には、兄の素質があるんだろうか」
そのどこか嬉しげな呟きに、二人は半ば呆れたようにため息をついた。リィサはともかく、キリカの反応は兄として慕う者の反応に見えるのだろうかと、二人は思っていた。
「まあ、分かってはいましたが……ホント朴念仁ですね」
「ホントホント。積極的にいっても流されるもんなぁ」
「……リィサさんがお兄ちゃんと呼んでいるのも原因じゃありませんか?」
「特別感出したかったんだけど、狙いすぎたかなぁ……それに、ホントにお兄ちゃんみたいだし」
呆れたような様子で、互いに何か言ってはその言葉に同意し、またため息をつくキリカとリィサに、一体どうしたのかと訊ねようとして、ノーボディの動きが止まった。
「あー……」
「ん?」
「どうかしましたか、ノーディ?」
「朝から両手に花で楽しく食事とは、いい身分だなぁ」
その厄介な出来事に直面したと言うようなノーボディの声に、キリカとリィサは不思議に思って訊ねれば、ノーボディが応えるよりも早く、ノーボディが向いている先──キリカとリィサの背後から、欠伸を咬み殺すような、しかし楽しげな声が聞こえてきた。
「……あ、なるほどね」
「……おはようございます、レガート」
その声で、なんとなくノーボディがそんな反応をした理由が分かったらしく、リィサはどこか不機嫌そうに、キリカは何とも言えなさそうな複雑そうな表情を浮かべながら、顔をその声がした方へと向けると、そこには今起きたばかりだと言うような、眠そうな顔をしたレガートがそこにいた。
「おいおい、ノーディ。こんな両手に花な状況なら、俺にも声かけろよ。ボディガートになってやるぜ? 朝から二人に襲われて食われんのも嫌だろ?」
「は?」
「リィサ達そんなことしないもんっ!」
「朝から何を言っているんですか、あなたは!」
三者三様のリアクションに、特に気にした様子もなく、ニヤニヤと笑みを浮かべながらノーボディに近付き、その肩にポンと手を置いた。その言葉の意味を、言われた本人は理解していなかったが、キリカとリィサは分かったらしく、顔を赤くして猛反論する。その様子に「おお、怖い怖い」と、まったく怖がった素振りを見せずに言ってノーボディから離れ、当然のように空いた席に腰掛けた。
「何当たり前のようにちゃっかり座ってるの? レガートが座る席なんてないんだから、地べたに這いつくばってなよ」
レガートのことが気に入らないらしいリィサは、今にも舌打ちしそうなまでに不機嫌な表情で毒づく。元々毒舌っ気があるが、レガート相手ならそれを控えようとする気もないらしい。
「いいじゃねぇか、仲間だろ? それより、ノーディだけじゃなくて、俺のことも兄のように接してくれたっていいんだぜ?」
「断る、腐った相手をお兄ちゃんなんて呼んだら、色々と腐りそう」
しかし、レガートはその毒をものともせずに軽く流して冗談めいた口調で言うのだが、そんなレガートの言葉に間髪入れず、一息で更に毒づいた。さすがにこの二人のやり取りに、ノーボディとキリカは苦笑するしかなかった。
「まあまあ……とりあえず、朝食すませようか」
レガート相手に何か言ったところで、全て流されてしまい、逆にストレスがたまるだけだと理解しているノーボディは、話題を変えようとそう言うと、リィサはその通りだねと笑みを浮かべて、露骨にレガートの存在を無視することに決めたようだ。
「……前々から思ってましたが、リィサは露骨なまでに避けてますよね? 何かあったんでしょうか?」
「レガートの場合、心当たりが多過ぎるからなぁ……」
そのリィサの嫌いっぷりに、一体何があったのだろうかと耳打ちしてくるキリカに、ノーボディは苦笑気味に返した。相手がレガートとなれば、数え切れないくらいあるのではないだろうか。
しかし、レガートはレガートで無視されてもどこ吹く風と言わんばかりに、気にした様子はない。仕事中に、この不仲が原因で支障が出たということも今まで一つもないため、まあ本人達が気にしてないならいいかと考えるが、よくこの四人で組んでて今まで生きてこれたなと二人は思っていた。
「そういえば、さっき新しい仕事あるかどうか聞いてみたら、今は特に依頼ないってよ。しばらくは暇だな」
「そうか。まあ、キリカとリィサは明日から依頼の方に向かうらしいから、その間に依頼が来れば……またお前と組まなければならないのか……」
ふと思い出したように、レガートが今の依頼状況をノーボディに報せれば、最近はこの四人で組んでの仕事ってあまりしてないなと思いつつ、もしその間に依頼が来たことを考えて、その場合はまた昨日みたいに振り回されるのではないかということに気付き、憂鬱そうにため息をついた。
「なんというか……ドンマイです、ノーディ」
「なんなら、明日はリィサ達と一緒に仕事する?」
「……………………いや、いいや。明日依頼が来るかもしれないし」
「とか言つつ、すげぇ長い間考えてたな、オイ。みんなして冷たいねぇ」
憂鬱そうなノーボディに、どう声をかけようかと悩みながら慰めるように一言だけ言うキリカと、それならばと割と本気で提案しているように目を輝かせているリィサの言葉に、かなり思案しながら、依頼が来れば早くその依頼を片付けれるようにするべきだと返すノーボディ。その三人の反応に、ひどいなとか言いつつも、レガートはいつもと変わらず余裕そうな笑みを浮かべていた。
「それよりも、明日二人が向かう依頼って、どんな依頼なんだ?」
そんな話をしながら、ふとノーボディは会話にばかり集中していて、まったく食べていなかったことに気付き、食べるのに邪魔な仮面を取り外しつつ、受ける依頼の詳細を訊ねる。
「なんでも、人が入ると一生出てこれない幻惑の森っていうのがあるらしくて、それの調査依頼だよー」
「今まで誰一人として出てきた者はいないらしいので、被害者がこれ以上増えないように、何とか解決してください、というものでした」
ノーボディの質問に、簡単にかいつまんでリィサとキリカが説明するのだが、説明しつつノーボディが食事をしている姿が気になるのか、視線は手に持っているサンドウィッチに集中している。透明人間のようなノーボディが食事をすれば、何もない空間で徐々に手品のように消えていくため、それが今でも少し慣れずについつい見てしまうのだった。
「幻惑の森なー。そこに住み着いてる何かの仕業なら、まだ楽な方だけど、これが土地についてるものなら、結構めんどくさいよなー」
そんな視線が集中していることに気付かないノーボディのサンドウィッチを、気にした様子もなく一つ取り上げ、それを頬張りながらレガートは言う。
アクト、オラクルといった異能の力は、人間だけが使えるわけではない。その土地にさえ影響を与えてしまい、足を踏み入れた者に害をなすことだってあるのだ。そんな異能の力を帯びた土地を、魔境と呼んでいる。
「魔境だった場合、その力の源のコア探さなきゃなんないし、面倒だよねー」
「まあ、そこの問題を解決できれば、貴重なエネルギー源を確保できるわけですし、重要なことですよ」
レガートがもしかしたらと、可能性の一つとして上げれば、リィサはテーブルに突っ伏すようにして渋い表情を浮かべ、それを見たキリカがまあまあと微苦笑しながらも励ます。
この世界のエネルギー源は電気の他に、アクトやオラクルといった異能力を結晶化したもので、魔石というものが存在している。異能力者の血液から生成できる魔石だが、その魔境からそれとは比べ物にならないくらいの量が採取できるのだ。
この魔石を加工し、液体化させて燃料にできたり、固体のまま研磨してはめ込むことで機械を動かせたりと、用途や使い道は様々あるが、これは長くなるので割愛する。
「それに、まだ魔境と決まったわけじゃないし、そう落ち込むな」
キリカに続き、もしかしたらとノーボディは励ましつつ、優しくリィサの頭を撫でる。またキリカがそれを羨ましげに眺めていたが、今回は何も言わないようにしたらしい。