0007シフラの物語06
「だって教官、だって……。こいつらが埋葬の際、ザクラ教の教え通りに死者の首を切断していれば、それが屍者となって復活することはなかったんだ。そうなればラゴールやクストリーが殺されることもなかった。全てはこの馬鹿司祭のせいだっ」
司祭はシフラにすがるような哀訴の目を用いている。シフラはよそを向いた。
「やめるんだ」
同じ言葉を今度は重々しく告げる。今にも司祭の顔に拳骨を食らわせそうな兵士だったが、寸前で思いとどまったらしく、哀れな老人から手を離した。フィータス教の司祭は這うようにして逃亡する。
「畜生……」
兵士はしゃがみこんで号泣した。シフラも俺も、何も言えなかった。
その後、シフラはトルケスと共に各地区を見て回った。トルケス直下の守備隊は人数が増強され、100人を超える規模にまで膨れ上がった。今頃は他の上級隊員たちも、徒党を組んで警戒に当たっているはずだ、とトルケスは明言した。
屍者は土葬の墓でよく見つかった。数人で一人を取り囲み的確に頭を潰す戦法が取られ、負傷者は出ても死者は現れなかった。
「人が亡くなったら即刻その首を刎ねること」
その宣布が隅々まで行き届いたか、夕暮れどきまでに街は完全に落ち着いた。もっとも多神崇拝のセゴン教自治区に限っては、火葬であるため、少なくとも墓から屍者が蘇生するはずもなかった。
「よし、もう大丈夫だろう」
広壮な守備隊詰め所の内部で上級隊員たちの報告を受けながら、トルケスはそう推測を述べた。巡回を締めくくり、今は疲れた体を休めている。シフラは手当てや情報交換に忙しい数百人の隊員たちに混じり、剣を拭っていた。
「『自殺宗教』ことザクラ教聖王派の信者たちがどう動くか心配だったけど、彼らも命は惜しいと見えるね。あるいは弾圧に辟易して、もうただの一人もキラトラムに潜んでいなかったのかも」
(シフラ、確かお前はザクラ教パムア派だったな。聖王派って何だったっけ)
「前にも言ったけど、25年前の革命戦争で、パムア派連合に敗北した異教徒たちだよ。もっともそのときは国教、つまり主流派だったんだけどね。魔王を神と崇め、その配下の屍者たちに殺されると魂が浄化されるとか何とか言っていたんだ。僕もその時代に生きてないから、よく分からないんだけど」
(魔王、魔王か。いったい魔王ってのは何なんだ。屍者とどう関係するんだ。訳が分からないことばかりだ)
「そうだね、説明が必要だね。でもここでそれをやるには人目が多過ぎる。帰宅するとしようか」
指揮卓に座って指示を出すトルケスに、シフラは近寄って挨拶した。
「トルケス、僕はもうお邪魔するよ」
疲労の色濃いトルケスは、それでも精一杯目尻に皺を寄せた。
「そうか、色々悪かったな。ありがとう。気をつけて帰るんだぞ」
「やれやれ、トルケスはまだ僕を子供扱いするのかい。……じゃあね、トルケス」
天蓋の果てで西日が傾き、万物をだいだい色に染め上げている。きらめく美麗な海上で、各種帆船が続々帰港していた。漁師たちが魚や積荷を陸揚げし、この日最後の仕事に精を出している。一般家屋では洗濯物が取り込まれたり、帰宅した夫の頬にキスする妻の姿があったりした。浜風はかろうじて涼しく、人々の心に慰めをもたらしている。
「ご無事でしたか」
ズキャムローとエジートの召し使い夫婦は、帰ってきたシフラに緊張を解いた。何しろ早朝に家を飛び出し、この時刻になるまで一切連絡が途絶えていたのだ。心配になるのも当然といえた。
シフラはにこやかに二言三言話すと、食事と着替えの用意を言いつけて自室に戻った。鞘と足鎧を外し、剣を壁の木枠に掛ける。万歳しながらベッドの上へ腰を下ろした。
「ああ、疲れた。……なんて一日だろう。それでも太陽は昇り、また沈むんだな。何も変わることなく」
(そりゃそうだ)
「雄一の世界にも太陽はあるのかい」
(当たり前だろ。今の状態はともかく、俺は元はれっきとした人間なんだ)
「そうなんだ」
(それにしても、8月に入った割には皆厚着だな。季節が逆行したのか)
「ハチガツって何……。今は第180日だよ」
シフラの世界の暦は俺のそれと異なるらしい。でも、180日か。
(一年は何日あるんだ)
「第365日までだよ」
おお、結構正確だ。てことは、180日は6ヶ月だな。今は7月1日周辺ということだ。
(つまり初夏だな)
「うん、そうだよ。……ああ、説明だったね。どこから話そうか」
(まず魔王について、頼む)
「分かった」
シフラは両手を後ろにつき、上体を支えた。
「このカルダ島には約100年単位で『魔王』が降誕するんだ。魔王はもともとはただの人間で、『魔王の塊』と呼ばれる黒い煙を吸い込むことで、虐殺の悪魔へと変貌する。『魔王の塊』の発生時期や出現条件は一切不明なんだ。ただ突如として現れたそれを吸収した人物は、両目が真っ赤に輝き、それまでの人格を豹変させて人間惨殺の凶行へと疾走するんだ」
(たった一人でか)
「まさか。魔王には従者がいる。それは蘇った死体――『屍者』と呼称される青色の悪鬼たちさ。屍者は元は人間の死体で、魔王の降臨と同時に復活し始める。屍者に生前の記憶はない。ただただ魔王を守り、人間をほふる。老若男女関係なく、いたいけな赤子だろうがか弱き妊婦だろうが見境ない。屍者は目にとまった人間をひたすら殺す。そこに一切の情はないんだ。とにかく無慈悲に、際限なく殺し尽くす……」
俺は今朝の屍者との闘争を思い起こしていた。自らの力で墓をはねのけ、地上に出現し、守備隊員たちに襲い掛かってきた屍者たち。確かに彼らには、最初ただの人間だったという面影はもちろん、普通の死骸だったという残影すらなかった。
「屍者は青い液体、通称『腐液』を絶えず体内から湧き起こして、受けた傷や欠損を修復する。だから腕や足を斬っても時間が経てば腐液により再生してしまうんだ。この屍者を倒す方法は三つある。一つは『頭を砕く』。一つは『首を刎ねる』。最後の一つは『魔王が死ぬ』。そう、魔王が倒れれば、全ての屍者は活動を停止するんだ。それは逆説的に次の事実を証明することになる。つまり、屍者が現れれば、それは魔王がこの世に生誕したことになる。屍者が全て動かなくなれば、それは魔王が死んだことを意味する。ここまでは分かるかい」
(大丈夫だ。続けてくれ)
「そう、だからこそ聖暦407年現在、皆は恐れているんだ。屍者が棺を蹴破って墓地から這い出てきたということは、それは魔王が再びこのカルダ島の大地を踏みしめた、ということになる。あの伝説にある無慈悲で凶悪な存在が、人間屠殺に動き始めたわけだ。恐怖を覚えない人はいないよ」
(なるほどな)
「一応カルダ王国国教のザクラ教パムア派は、島内全ての街に教えを発布してる。『死者を埋葬する際は、その首を切断せよ』とね。先人の残した文献によれば、それで死人が屍者として復活することを阻止できるらしいんだ」
(ああ、ラゴールは死んだ後、首を落とされなかったんで屍者になって襲い掛かってきたんだったな)
「そうだよ。一方クストリーはトルケスが適切に頭部を除去したため屍者にはならなかったんだ。……ともかく今日の巡察では、屍者はほとんどこのキラトラムに出現しなかった。フィータス教の一部の粗相者と違って、皆がザクラ教の教えを守ったからだね。街中が屍者だらけになることを未然に防いだってわけさ。ちなみに僕の父さんも母さんも、病死した際に首を切断してある」
(なるほど、魔王と屍者についてはよく分かった。でも100年単位で降臨するって事は、以前にも魔王はこのカルダ王国に現れたってことか)