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0006シフラの物語05

「来やがれ、こん畜生めがっ」


 屍者という惑星が剣という衛星を振るう。その速度は桁外れで、俺はかろうじて受け止めるのが精一杯だった。


 それまで凝結していた守備隊員たちは、ラゴールの口や腹部から青い液体がほとばしるのを目の当たりにし、ようやく事態の容易ならざるを悟ったようだ。次々と俺を守護するように前へ出てくる。


 だが俺にとっては邪魔でしかなかった。それに今まで垣間見た彼らの実力では、残念ながら屍者ラゴールに敵しえない。


「すっこんでろっ」


 俺は声を張ると、ラゴール相手に隙を探した。シフラの剣は竹刀と違って危険な諸刃なので、気をつけて屍者の攻撃を受け流さないと、かえって自分が傷ついてしまう。


 ラゴールはそれを知ってか知らずか、問答無用の強靭な剣戟を仕掛けてくる。俺は無慈悲な濁流に逆らって孤立する一個の岩だった。それは押し流されるかもしれないほど、脆弱な基盤に支えられている。


「シ、シフラ教官……っ」


 はらはらした声が背中にぶつかった。俺は屍者の怒涛の攻めに押され、一歩また一歩と後退する。このままでは殺されてしまう。俺は全身の感覚を鋭利なまでに研ぎ澄まし、ラゴールの剣の軌跡とその限界を必死に計った。


「ここだっ」


 俺の籠手打ちが吸収されるように屍者の手首を斬り裂く。ラゴールの手から長剣が零れ落ち、墓石に当たって乾いた音を立てた。


 次の瞬間、気合と共に屍者の喉を貫く。剣先が脊椎を突き破る感覚があった。人の成れの果ては瞳孔の開いた目をそのままに、何の表情も飾らず脱力した。数瞬の後、相手の首の皮が引き千切れて、胴体と二分される。隷属下にあった体は垂直に崩れ落ち、剣に乗りかかった頭は地べたに転がった。


「危ねえ、危ねえ」


 俺は両腕を下ろし、ぴくりとも動かなくなった屍者の体を眺めた。冷や汗と脂汗を同時にかく。


「凄いなシフラ、今の突きは見たことねえぞ。『閃刃剣』の奥義か」


 トルケスが二重の意味で脱帽した。バケツのような兜を小脇に抱え、俺を見やる目に賛嘆と興味をちらつかせる。


「剣道だよ、剣道。知らないの」


 トルケスは禿げかけた茶髪で、顎を覆う髭がたくましい。岩のような顔つきで、横に大きい巨漢だ。年齢は50歳ぐらいだろう。俺の答えに目を白黒させていた。


「ケンドウって……」


 そのとき、他の隊員が意見を具申した。


「トルケス様、ラゴールは死んですぐ屍者になりました。クストリーもこのままではまずいかと思います」


 俺を――というかシフラを呼びに来たバイスだ。確かに、ラゴールに斬り捨てられたクストリーは死に、放置すればいずれ屍者になってしまう。ラゴールと同じように。


「仕方ねえ」


 トルケスは無念という名の苦虫を噛み潰すと、剣を握り締めてうつ伏せのクストリーに近づいた。


「シフラ、確かザクラ教の教えでは、死体の首をあらかじめ切断しておけば屍者にはならないんだったな」


 その真贋を知らない俺は肩をすくめるしかなかった。


「まあ、屍者の倒し方からいけば、それはそれで説得力はあるね」


 返事になっていない台詞で誤魔化した。トルケスは迷路を抜け出るように頭を振ると、剣を大上段に構えた。


「すまん、クストリー」


 心情のこもった一言を放つと、部下だった者の首筋目掛け、凶器を一気に振り下ろした。真紅の液体を若干噴き出しながら、新たな屍者が未然のものとなる。


(やれやれ、これでおしまいか)


 急に景色が遠ざかった。手足の感覚が末端までこそぎ落とされ、再びただ一人、暗闇の映写室に舞い戻る。


(あれ……)


 暁闇ぎょうあんのときもそうだった。どうやらシフラが眠っていると俺が前面に出て、起きると引っ込むようだ。


 シフラが後頭部を撫でながら状況の把握に全神経を集中させる。


「僕はいったい……」


(シフラ、お前がやられて気絶していた間に、屍者は全部葬ったぞ)


「本当かい」


 トルケスが目をしばたたいている。


「何一人でぶつぶつ言ってんだ、シフラ。打ち所が悪かったのか」


 シフラの頬を汗が伝う。


「いや、何でもないよ。ラゴールとクストリーは死んでしまったんだね」


「ああ」


 感傷に浸って自失しているのもそう長いことではなかった。トルケスは持ち前らしい勤勉さを取り戻すと、意気消沈している部下たちへ矢継ぎ早に指示を出した。堂に入った姿だ。


(トルケスって偉いのか)


「港湾都市キラトラムの防衛の要、3000名の守備隊の頂点に立つ隊長だからね。果たすべき任務が山積みなんだよ」


 ほう、そんな重要人物なのか。


(シフラは守備隊員たちから「教官」って呼ばれてたけど、やっぱり週一の剣術指南の賜物なんだな)


「うん。少なくともここに集まった守備隊員たちとは全員顔見知りだよ」


「すまなかったな、シフラ。朝早くから……」


 トルケス隊長が鎖帷子の胸元辺りをさすりながら――屍者に殴られでもしたのだろう――遥か年下の教官に謝する。


「でも助かったぜ。頼りになるな、お前は」


「トルケスのためなら何でもするよ。父さんの義弟なんだからね」


 あれ、そうなのか。3年前に死んだシフラの父ルスフェルと、このトルケスとは、義兄弟の契りを交わし合う間柄だったのか。


 父を憎悪するシフラは、対照的にこのトルケスには全幅の信頼を寄せている。何より声が明るかった。


「トルケス、それにしても一体どうしてここで戦ってたんだい」


 トルケスは雄弁なため息をついた。


「今朝方キラトラムの街に屍者が現れてな。恐らく魔王が復活して、その影響で貧民通りのむくろが二度目の生を得たんだろう。警備していた兵士たちはどうにかそいつを撃退して、俺に一報を寄越した。俺は部下に装備を整えるよう指示し、自身も鎧を着込んだ。だがいざ視察に行こうとしたところ、今度はフィータス教自治区の墓から不気味で巨大な震動と物音がし始めたって連絡が来てな。俺は手勢を引き連れて急行し、土葬状態から地上へ這い上がってきた屍者たちと交戦状態に入ったというわけさ。思ったより苦戦したので、近くにシフラの家があったことだし、呼んでくるようバイスに命じたんだ」


 にやりと笑ってシフラの頭を撫でる。ごつく、温かだった。


「俺たち守備隊はこれから手分けして、街中を巡察して屍者の発見と撃滅を行なう。……シフラ、俺たちについてきてくれないか」


 シフラは二つ返事で了承した。


「いいよ。どうせ今日は特に予定もなかったし」


「本当は歴史書の執筆がしたかったんだろう」


 シフラの声が触れがたい熱を帯びた。


「そうでもないよ。僕はね、トルケス、興奮しているんだ。伝説の存在だった屍者が現れた。それも、様々な人があらゆる手段で後世に残した伝説の通りにね。僕は今日この日あることを確信して、守備隊の皆に対策を教えてきたんだ。その授業が正しく報われるかどうか、教壇に立ったものとして見届ける必要がある」


 話している傍らで、ラゴールとクストリーの遺体が運び出される。


「それに、僕の『閃刃剣』が実戦で通用するのか試す、これはいい機会だよ。屍者となったラゴール相手に不覚を取ったのも、また一回り成長する糧になるし」


「そうか。お前がいれば鬼に金棒さ。じゃ、一緒に行こう」


 そこで教会のある側から怒声が巻き起こった。


「ふざけるなよ、この野郎っ」


 守備隊の一人が黄土色の衣をまとった老人に掴みかかっていた。


(あのじいさんは誰だ)


「フィータス教教会の司祭だね。首から提げている『フィータスの顔』と称される銀の板が目印だよ」


 シフラは駆け寄り、兵士の肩に優しく手を置いた。


「やめるんだ」

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