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0004シフラの物語03

 シフラは「そうだ」と膝を叩いた。


「忘れていたよ。このカルダ王国には今、危機が迫っているんだ。未曾有の危機がね」


(へえ、何だそりゃ)


「もう聖暦407年の第180日なんだ。いつ奴が復活しても不思議ではない、と、皆ひそひそ噂しあってるよ」


(奴……)


「そう、奴さ」


 シフラは意識的に声量を抑えた。


「……『魔王』さ」


 そのとき扉がノックされた。ズキャムローの錆びた鉄骨のような声がくぐもって聞こえた。


「シフラ様、バイス様がお見えになっておられます。火急の用件とかで」


(バイスって……)


 シフラは細い声で答えた。


「キラトラム守備隊の隊員だよ。つまりは僕の弟子の一人」


 今度は裏返る一歩手前まで声を高くし、ドアをその標的とした。


「ちょっと待ってて」


「かしこまりました」


 が、老人はすぐに重い驚きと軽い怒りとで喚くこととなった。


「バイス様、シフラ様はまだお休み中ですっ。こんなところまで来て……っ。お待ちくださいと申したはずですよっ」


「それどころじゃないんだっ」


 ズキャムローより遥かに若く活力に満ちた返事だった。シフラはベッドから下りるとドアのかんぬきを外す。部屋と外界とを繋ぐと、汗だくの30代とおぼしき小さな男が顔を赤くしてこちらに向いていた。剣山のような黒髪だ。


「どうしたんだい、バイス。まだ夜が明けたばかりだよ」


「時刻なんか関係ないんです、シフラ教官。大変なことが起きちまいました」


「大変なこと……」


屍者ししゃが――屍者が出たんですっ」


 俺はその意味不明な一言と、さっと緊張したシフラとに目を丸くした。


(シシャ……。新しい魚なのか)


 シフラは答えない。召し使いズキャムローと守備隊員バイス、二人の前で俺に返事はできないのだろう。俺がシフラの意識に訴えるには「そう思う」だけで事足りる――といってもそれしかできないんだけど――が、シフラが俺と話すには口から言葉を出さなければいけない。少なくとも、短いが濃かったこれまでの対話ではそうだった。


 近くに人がいるときは応じない。周囲から狂人と見なされないための、それは既に確立した方法なのだ。


「屍者が……。本当なのか」


「間違いねえです。現在、フィータス教自治区の墓地で我ら守備隊と交戦中でして……。トルケス隊長がシフラ教官を呼び寄せるよう俺に命令なさった次第です」


 シフラは沸き上がる興奮を隠せない。自分を落ち着かせるように腹に力を込めた。


「そうか、分かった。……遂に魔王のお出ましか。伝説は本当だったんだ」


(トルケス隊長、屍者、魔王……。さっぱり分からん単語ばかりだ)


 シフラは口の中でもごもご呟いた。


「いずれ話すよ」


 シフラは扉から離れると、大急ぎで壁にかかった長い剣を鞘に収め、腰にいた。そして片隅に置かれた箱を開けると、中から取り出した両足のみの板金防具を装着した。膝当て、脛当て、鉄靴が一体化している。


(何だ、何の装備だ)


「『閃刃剣』だよ」


 そう独語を漏らすと、バイスの待つ扉の向こう側へ歩を進めた。


「疲れてるところを悪いけど、行こうバイス。道案内してくれ」


「承知しましたっ」


 バイスと共に廊下を小走りに進む。


(それにしても、これは……)


 俺はてっきり、現代にある外国の少年の心に憑依したものだと思っていた。しかしシフラといい、バイスといい、ズキャムローといい……もっと言えばこの建物といい、その格好は現代どころか中世ヨーロッパのそれに近かった。いや、そのものとさえ言っていい。


(どうなっちまったんだ、俺は……)


 シフラたちがやたら広い居間に出ると、恰幅のいいおばさんが食事の支度をしているところに衝突した。


「エジート、悪い。朝食は抜きだ」


 シフラはそれだけ言い捨てると、後はもう振り返ることもなく外への扉を開けた。鶏の甲高い、空気を切り裂くような鳴き声が耳の奥に飛び込んでくる。シフラは前方をひた走るバイスに楽々追走しながら、俺に説明した。


「港湾都市キラトラムは、元々は漁師たちの寄せ集めの村だったものが、貿易商人たちの協力と援助を得て膨張してできたものなんだ。それで街は外敵侵入に警戒して密集して造られていて、家々は傾斜地に階段状をなして並んでいるというわけさ。港と外壁のちょうど中間にある住宅街に僕の居宅は建てられてる。ほら見て、下から伸び上がってくる街の景観は絶景でしょう」


 シフラの視界にはすり鉢の斜面のような居宅の群れが、海の水平線と共に輝いて映っている。俺はそれを共有した。


(凄いな)


 遠くからドアの開閉する音、人々の笑いさざめく声、鐘の響きが伝播してくる。シフラはバイスとともに、蘭の花に水をやる貴婦人、坂をのたりと進む幌馬車、買い物に向かう召し使い、などの傍らを全速力で駆け抜けた。


(しかしあれだな。本当に俺、このわけの分からん世界に存在しているんだな――意識だけだけど)


 異国情緒溢れるこの街が、シフラにとっては当たり前の光景なんだ。シフラもズキャムローもバイスも、今この街で通り過ぎていく人々も、全員日本人ではないし……。葵や先生、仲間たち――俺の周囲から忽然と消えてしまった人々は、今頃どうしているだろうか。


「今日はしかし、朝から異変ばかりだね。雄一は入り込んでくるし、屍者は現れるし……」


 走ること数分。やがて高い壁で区分けされた一角に躍り込んだ。


(ここは……)


「フィータス教自治区だよ。カルダ島から海を挟んで北にあるのがフィータス教国家群で、その一部がこのキラトラムに密集して住んでいるんだ。カルダ島は含海がんかいに浮かぶ島国で、周辺国家にとっては貿易の要になっている。この港湾都市キラトラムは特にね。だから連絡や協力を密にするため、中継地であるこの街に教会を置き、他教徒といざこざが起きぬよう壁を築いたんだ。もちろん、キラトラム市参事会の裁量下において、だけどね」


(てことは、他の宗教の自治区もあるわけか)


「うん。ナバタ教やセゴン教のものもあるよ。ただ、カルダ王国やキラトラム市、キラトラム守備隊や僕自身は、あくまでザクラ教パムア派でね。自治区に組織立った犯罪を起こさせぬよう定期的に視察したり捜索したりしているんだ」


(ザクラ教パムア派か……。さっき言ってたな。『25年前にザクラ教パムア派の軍勢がザクラ教聖王派のそれを駆逐し、体制が大転換された』とか。ザクラ教パムア派とやらが、25年前の革命に乗じて、この島国の主流派宗教に躍り出たってことか)


「当たりだよ、雄一。……そういえば君の宗派を聞いていなかったね。何だい」


 すっかり打ち解けたシフラは、そんな質問を俺にぶつけてくる。でも、宗派って……。


(俺は何も信じちゃいないぞ)


「…………」


 正直な答えは意味ありげな沈黙で報いられた。ややあってシフラが口を開く。


「父さん以外に、そんな奇特な人間がいるなんて……びっくりだよ」


 無宗教は奇特なのか。


(お前の死んだ親父さんも、何も信じていなかったのか)


「いや、表面上は信仰心があついように見せていたよ。ただ自分の立場でころころ宗派を変節してたね。父さんにとって、宗教は立身栄達の道具としてしか価値がなかった……」


(ん、何か聞こえるぞ)


 シフラはバイスと共にフィータス教自治区の墓地の入り口を視覚に捉えた。命懸けで野次馬をしている群集の先から、悪態や面罵、怒号、さらに剣が肉を裂く音が聞こえてくる。人の壁を掻き分けたシフラは、眼前で展開される戦闘に思わずうめいた。


「何だあれは……」


 10人ほどの鎖帷子の兵士たち――キラトラム守備隊員か――が各々剣を振り回し、闘っている相手は、悪夢を極彩色で具現化した存在だった。

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