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0003シフラの物語02

 どこからか鐘の音が聞こえてきた。鳥のさえずりが朝のしじまを弱々しく破っている。シフラはごくりと唾を飲んだ。


「……随分冷静なんだね、滝嶋雄一君」


(雄一でいい。お前がうろたえ過ぎているだけだ)


「ちょ、ちょっと気を静めるから待ってくれないか」


 正直、俺もうろたえたい気分だった。何しろここはどこで、このシフラとかいう奴は誰で、なんでその心の一隅に席を与えられて強制的に座らされたのか、ちんぷんかんぷんなのだ。二位の座に甘んじたときと同じぐらい泣きたい気分である。だがシフラの狼狽振りが、返って俺を沈静化させた。状況を正しく理解し、整理すれば、この異常な事態だって切り抜けられるはずだ。それにはまず、このシフラって奴を正気に戻さないと。


「シフラ様、お水でございます」


 ズキャムローがもろそうな杯をうやうやしく差し出した。シフラはそれを受け取ると、浴びるように一息で飲み干した。冷たい清流が喉から胃袋へ落下する。美酒でも飲んだかのように、シフラは盛大なため息をついた。


「どうですかシフラ様。まだ声は聞こえますか」


 シフラは首を振った。


「いや、勝手なことばかり言って悪いけど、少し一人にしてくれないか」


「かしこまりました」


 ズキャムローは不安と心配の混合した視線をこちらに投げかけながら、部屋から退出した。


「まだいるかい、僕の中の人」


(いるよ)


 シフラは深呼吸して高ぶった気を押さえ込んだ。


「僕はシフラ。君は雄一だったね。……なんで雄一は、僕の頭の中にいきなり現れたんだい」


(さっきも言ったけど分からないんだ)


 本当に分からない。五里霧中とはこのことだ。


(それよりここはどこだ。お前は一体何者なんだ。教えてくれ)


「そうだね、今はお互いが何者であるか知る必要がある。雄一、それじゃ僕から話し始めるね。まずは……」


(待った。シフラって何歳なんだ)


「僕は17歳だよ」


(タメか。じゃお互い敬語はなしで……まあ、さっきから使ってないけど)




「僕の名前はシフラ。歴史家志望なんだ」


 再度様子をうかがいに来たズキャムローを帰らせて、あくびをしながら話す。


(ここはどこなんだ)


「カルダ島西南に位置する港湾都市キラトラムだよ。そこの一隅にこの家があるんだ」


(ふうん。聞いたことないけどどこぞの外国なのかな。それにしても歴史家か。じゃ、あの本の山は……)


「うん。参考資料と執筆中の戦記さ」


 シフラは得意げに胸をそらした。俺は感心する。


(まだ17歳だろ。もう作家として働いてるのか)


 シフラは不思議そうに首を傾げた。


「何言ってるの、雄一。17歳じゃ働いていて当たり前だよ。まあ僕の場合、働いてるんじゃなくて、親の遺産を食い潰して好きなことをやってるだけなんだけど」


(遺産って……。両親はいないのか)


 シフラの心に季節外れの寒気が及んだ。


「母も父も病気で死んだんだ。今はこの家に召し使いのズキャムローたちと住んでる」


(半分は俺と同じだな。俺も親父が十年前に交通事故で死んじまってる)


 シフラが親しく言った。


「そうなんだ」


 シフラはベッドに腰掛け、爪先で靴をもてあそんだ。


「でも別に稼ぎが全くないわけじゃない。一応このキラトラム市の守備隊の皆に剣術を指南してる。週に一回で薄給だけどね」


(剣術を……。剣なら俺も使うぞ。それなりに腕は立つ)


 言い終えて寂寥の風を素肌に感じた。万年二位だけどな。


「へえ、雄一も。ただ違うのは、僕は守備隊の皆に普通の剣術を教えてるけど、実際に僕が習得しているのはそれとは異なる技術だってことさ」


(どういうことだ)


「僕は『閃刃剣せんじんけん』という新興剣術の継承者なんだ」


(『閃刃剣』……)


 聞いたこともない。


「そう。独特なので使えるのは僕一人だけなんだけどね。これを我らがカルダ王国に広く伝播するのが、創始者である父さんの遺志というわけさ」


 その言葉には皮肉と慨嘆のスパイスが混じっており、俺は違和感を覚えた。


(『閃刃剣』の発案者――親父さんが嫌いなのか)


「僕は歴史家になりたいんだ」


 シフラの返答は一見無関係に思えた。


「父さんは戦争の達人だった。『戦鬼ルスフェル』とはよく言ったものさ。だから僕は今でもこう称されるんだ――『ルスフェルの息子シフラ』とね」


 シフラの声は絶対零度のそのまた下だった。


「冗談じゃない。あんな最低、最悪の父さんの固有名詞なんて、僕の紹介に付けてほしくない。真っ平ごめんだ。でも言われるんだ、どこに行っても。『ルスフェルの息子』とね」


 握った拳に力がこもる。


「だから僕は歴史家になって名を馳せたい。『歴史家シフラ』と呼ばれるように。栄光ある父さんの付属物でない、純粋に一個人として認められ、世に出るように。それが僕の念願さ」


 シフラは靴を履くと、机の上にある書物を手にした。表紙は……。


(何て書いてあるんだ、シフラ)


「『カルダ島革命記』だよ。僕の言葉が分かるのに、文字は読めないんだ。不思議だね」


(これがシフラの著書なのか)


「そうだよ。7割がた書き上げた。もう少しで完成するんだ」


 シフラはこらえ切れない、とばかりに笑みを浮かべた。まるでクリスマスのサンタを待つ子供のようだ。


「これさえ完成させれば……これさえ完成させれば……」


 夢遊病者のうわごとのように繰り返す。俺は首をひねった。シフラがたとえ命を燃焼させて執筆し終えたとしても、その成果がただちに世評に通ずるわけではない。むしろ17歳の子供が背伸びして著した、と酷評されるかもしれないではないか。


 シフラは夢を見ている。だが俺は、彼にとってどうやら唯一の希望でありそうなその夢を、現時点で破壊する気には到底なれなかった。


(『革命記』ってことは、この、何だっけ……)


「カルダ王国」


(そう、そのカルダ王国に革命があったってことか)


「うん、25年前にね。ザクラ教パムア派の軍勢がザクラ教聖王派のそれを駆逐し、体制の大転換が行なわれたんだ。その主役の一人が、死んだ父さん――ルスフェルだったんだ。僕が書いているのはその辺りさ」


 敗北感の重い枷がシフラの両足を捉えたかのようだ。


「悔しいけど、父さんは自他共に認める戦争の天才だった。傑物だったんだよ。ただ……」


 暗い情念の風が胸中に吹き荒れる。


「父さんは戦争しか興味がなかった。6年前にナタリア母さんが病没したときも、その姿勢は変わらなかったんだ。報を聞きつけ、王城から家に帰ってきたのは、母さんが土葬された十日後だった。王国常備軍の赤斧衆せきふしゅうの指導で忙しかったにしても、あんまり非情じゃないか」


 最後は叩きつけるような語勢だった。シフラはどちらかといえば大人しい性格だ、と俺は推測していたが、今の心の乱れは激情家のそれだった。


「……ともかく父さんもまた病気で死んだ。3年前、聖暦404年だから51歳のときだね。重荷が取れて清々したよ」


 俺は自分を顧みた。父の滝嶋信二は十年前に車に轢かれて命を奪われた。俺が7歳のときだ。父の面影は記憶巣をひっくり返してもほとんど出てこない。ただ優しく、強い父だったことは覚えている。


 それに対し、シフラの親子関係は秋風索漠としていた。同じ親子でこうも違うものか。会ったこともないシフラの父ルスフェルに対し、なんだか同情してしまうものがある。


「ええと、何の話だったっけ」


(歴史家として名声を獲得したい、とか何とか)


「ああ、そうそう。ともかく僕はそのために今を生きているんだ。カルダ王国の史実を筆記し、一冊の本として世に出すためにね」

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