0001プロローグ
1話3200文字強、全104話予定です。
それではごゆるりとお楽しみください。
■プロローグ
失意と落胆で虚脱状態だった。
バスは長いトンネルに入ったところだ。オレンジのランプが幾つも闇を駆け抜ける。俺はその様を無心に眺めながら、疲労に蝕まれた体を椅子へ半ば埋まらせていた。分け難い分身とも言うべき竹刀や防具は、バスの下部に格納されている。
『全国高等学校剣道大会』。たった数時間前に終わったその闘いで、俺は去年に引き続き、全国二位の結果に終わった。またも二位である。周囲に才を認められ、奢っていたのだろうか。慢心ゆえに練習の手を無意識に抜いていたのだろうか。
答えは否だ。俺は一位になりたかった。子供の頃からてっぺんを取ることに憧れ、そのためなら何でもしてきた。都道府県大会を勝ち上がり、今日の会場である岡山県体育館の門を潜ってもなお、オレの心には一片の柔弱もなかった。人事を尽くして天命を待つ。まさにその境地にあったのだ。
これで取れなければ間違っている――そこまで思い極めていた。そして俺は白星を積み重ね、決勝の舞台へ突き進んだ。8月5日。今日という日を執念の雪崩れ込む先と見定め、俺は相手に向けて竹刀を構えた。
勝つ、勝つ、勝つ。もう二位は御免だ。昨年の悪夢のような敗戦は真っ平だ。今日こそ俺は、日本一の座を掴むのだ――十年前に死んだ、あの自慢の父のように。
だが運命という巨大な歯車は、俺のちっぽけな野望を轢殺した。白光の元、開始三十秒。俺は鋭い面を許していた。一斉に旗が上がる。昨年と同じ結果――全国二位が決まった瞬間だった。父の背は遠ざかり、湧き上がる歓声が驟雨となって俺の肩を痛打した……。
窓ガラスに映り込む俺は、その頰に涙を流していた。気づいて慌てて制服の袖で擦る。くそ、情けない。万年二位でもいいじゃないか。ただ相手の方が自分より上手だっただけだ。めそめそ泣くな、みっともない。
「滝嶋先輩」
熱湯につま先を浸そうとするような、そんな声で話しかけてきたのは三日月葵だった。
「何だ、葵」
「元気出してください」
俺は無理矢理笑った。
「俺は元気だぞ。それよりお前こそそんな暗い顔するな。全国女子団体優勝なんだ。もっと明るくしてろ」
葵は一個下の一年生で、その剣の才は万人が認めるところだ。そしてそれが間違っていなかったことが、今回の団体優勝で白日の下となった。剣道部期待の星なのだ。
「先輩、また明日から一緒に頑張りましょう。私は応援してますから」
葵は誰にでも優しい。しかし、それが俺に対してだけ特別なものを含んでいると気づいたのは、つい最近のことだ。俺の、万年二位の俺なんかのどこがいいのだろう。
「ありがとうな、葵」
不意に菓子袋を突き出される。
「この飴、お裾分けします」
「ああ、悪い」
気乗りせぬまま、俺は礼を失さぬよう一つ飴玉を取り上げた。包み紙を外し、口の中に放り込む。芳醇な味が口中の砂漠に潤いをもたらした。
「美味しいですよね、先輩。私も一つ舐めようっと」
ビニールの騒々しい音が遠く聞こえる。揺り椅子のようなバスの振動が心地よい。
(あれ、なんだか……)
意識を水平に保てなくなった。睡魔の蔦が全身に絡みつき、甘美な夢の世界へ俺をいざなう。俺は一つあくびをし、背もたれに頭を預けた。まるで椅子に真綿で縛り付けられたかのように動けなくなる。
(一眠りするか……)
暗黒が翼を広げて俺を包み込む。意識はゆっくりと四分五裂し、ついにはぷつりと途絶えた。