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深夜、二人、秘密の時間

 白い太陽が大地を染める。

 その日差しが緩やかに陰る時刻まで。マリーは毎日、人形になる夢を見る。



「……以前より、楽しそうな顔をしておられますね」 

 外は冷たい風が吹き始めたが、暖炉の火に温められた室内は春のようなあたたかさだった。

 ぱちりとはぜる火の音を心地よさそうに聞きながら、サムが微笑んだ。

「あなたの目元が、会うたびに明るくなっている。よほど、うれしいことがあったらしい」

 突如彼から放たれたその言葉に、マリーの淡い眠気は一気に吹き飛んだ。膝がふるえ、スカートが乱れた。

「え、なんで」

「マリー様……どうぞじっとなさって」

 サムは皺に埋もれた目で、マリーを鋭く見つめた。優しい声だがその目だけは常に鋭く、冷静だ。

「……ごめんなさい」

 長らくじっと固められていた膝は、少し動かすだけで甘く痺れた。

 乱れたスカートを直し、肩の力をぬいて、ソファの肘掛けに腕をおき。マリーは再びポーズを取った。

「こうかしら」

「すばらしい」

 毎日数時間。マリーはこうして、おとなしくソファに腰をおろして人形のようにポーズを作る。

 サムがマリーの絵をかきはじめて、もう一週間近くになるだろうか。絵はいまだ完成していない。

 ただサムは毎日毎日、時計のように正確にこの屋敷に現れてはマリーの絵を描くのである。

 最初は木炭の香りだった。

 今は油の香りが強い。

 サムは長い絵筆をパレットに刷り込み、時に油を落とし、くるくると混ぜる。その動きを見ているだけでマリーは幾度もうつら、と眠りかけあわてて目を見開く羽目になる。

 そんなマリーに、サムが話しかけてくることなど、これまで一度もなかった。

「うれしそう。って、なぜ?……別に、なにもないわ、これまで、これからも」

 マリーは歯切れも悪く、そうつぶやいた。 

 あの不思議な……秘密の庭を発見したのは数日前のこと。あの庭を見つけ、セージと出会ったことはマリーの毎日に彩りをあたえた。

 つまらない勉強も、絵を描かれる時間も、不思議とすべてが彩りをもちはじめた。

 しかしそのことを、周囲に知られてはならない。ケイトにも、サムにも気づかれてはならない。

 うれしそうな顔など、してはいけない。ケイトは鋭いのだ。しごく真面目にマリーは喜びをひた隠しにしていた。

 それなのに、サムに見抜かれるなんて。

「こう向かい合って絵を描いていると、不思議と些細な変化が分かるものでしてね」

 絵筆がゆれる。彼の中で色が生まれる。指についた色を、手慣れた様子で茶色のコートの隅でぬぐう。

 そして、彼は微笑んだ。

「ほら、今の顔なんてマリアにそっくりだ」

「……お母様?」

「私はね、マリア様の絵も描きましたよ」

 サムはマリーの動きをじっと見つめる。視線で体に穴が開いてしまいそうなほど、強く、強く。 

「そうだ、ちょうど……今のあなたくらいの頃の、マリアを」

 サムが見ているのはマリーの顔や体の表面ではない。ずっと奥、マリーさえ覗いたことのない深淵を、サムはのぞき込んでいるようだ。

「うれしいことがあったとき、楽しいことがあったとき、わざと我慢をするように口の端を噛む癖は、マリアと同じだ……お母様の絵を、今度お見せしましょう、お嬢様」

 サムは色に納得ができないのか、幾度も幾度も筆を動かし、やがて親指の汚れをコートになすりつけた。

「今日はここまでにしておきましょう。どうもお嬢様はお疲れのようだ」

 彼のコートは赤に緑に、黄色。まるで花畑だ。あの秘密の庭も、これくらい極彩色であればどれほど美しいことだろう。と、マリーは思う。

「ねえ、サム」

 画板をはずし絵の具の片づけをはじめたサムを眺めながら、マリーは膝をゆっくりと動かす。

 絵をのぞき込もうとしても、サムは巧みにその絵を隠した。いまだに、マリーは絵を見せて貰えていない。

 そこにかかれている自分は微笑んでいるのか、母と似ているのか。

(……お母様の顔なんて、もう覚えてもないけれど)

 マリーは母の姿を、記憶にとどめていない。

 母は、マリーがまだほんの幼い頃……赤ん坊の頃に、天への道を駆け抜けていった。あまりにも早い別れのせいで、マリーの中に母の記憶はない。父もケイトも祖父さえも、みなが母のことをひた隠しにした。

 そのせいで今も、母の存在はマリーの中で遙か遠い。

「……お母様はどんな人だったの?」

「……マリアは」

「お嬢様、時間です」

 サムが口を開く寸前、ケイトの鋭い言葉が割って入る。

 彼女もまた、サムと同じく正確な時計のようにかっちりと、マリーの前に現れるのである。



 絵の時間を過ごしたあとは、たっぷりの紅茶と些細な夕食の時刻。

 ケイトに見つめられたまま、マリーはうまくそれをやり過ごし、日記を描いて夜の紅茶を飲んでしまえば、あとはマリーだけの秘密の時間が訪れる。

 ケイトが完璧に去ったことを確認し、マリーはいそいそとベッドから抜け出した。

(今日は大収穫ね。オイルのランタンを見つけた)

 机の上には、少しずつ秘密の道具が揃っている。ここのところ毎日、ケイトの目を盗んでは台所や物置部屋から冒険に似合う道具を集めているのである。

 頑丈な紐、革の袋、スコップ。古いアイロン、紅茶の缶。何に使うか分からないものまで。それは全てベッドの下の隙間に、そうっと隠す。大変な冒険をしているようで、マリーの胸が高まった。

(今日持っていくのは……汚れ落としのハンカチに、温かい膝掛けに、ガウンに)

 マリーは枕の上に身代わり人形をおいて、ベッドの内側に小さな膨らみを作る。この作業ももう手慣れたものである。

 そして静かに部屋を抜け出すと、月明かりを踏みながら軽やかに廊下を駆け抜ける。

 小さなランタンを手に、静かな夜の廊下を駆け抜けるのにもずいぶん慣れた。なんといっても三度目だ。四回、五回と繰り返せば、今よりずっとうまくなるだろう。


「……また来てくれたね」


 庭の戸を開くと、柔らかい声がマリーの耳に届く。その声を聞いた途端、マリーははじめて息を付くのである。

 ちょっと湿った空気、圧倒的なハーブの香り、土と、地面から沸き立つ雨の香り。

 ここにたどり着き、その声を聞くとマリーの中に何かが満ちるのだ。太陽の光を受けて開く花のように、心のどこかが解けるのだ。ここは、マリーをはぐくむ栄養に満ちている。

「セージ。あなたの言うとおり。たしかに、表にある書斎の机の中に鍵があったわ。庭から見える、光取りの窓もふさいでおいた」

 木靴で庭を駆け抜け、マリーは手にした金属をセージに向かって差し出す。

 それはずっしりと手のひらに食い込むほどに重い真鍮製の鍵だった。

 セージのいうとおり、鍵は机の引き出しにそっと隠されていたのである。扉の鍵穴に通してみれば、それはおもしろいほどぴったりと収まった。

 しっかり扉を閉めてしまえば、扉は壁に同化してしまう。薔薇の花を象ったドアノブも、鍵がなければ回したって動かない。

 ごてごてと装飾されているおかげで、ノブさえもただの飾りの一部に見えてしまう。

 仮に階段脇の扉に気づかれたところで、この庭に繋がる入り口までは発見できないだろう。

「すばらしい。鍵は君が管理をしておくんだ。そうだね……もし、君が日記をつけているのなら、日記の後ろの方のページをくりぬいて小さなポケットを作り、その中にしまっておくといい。いつか読んだ冒険小説に、そんなことが書いてあったよ……えっと、あとは……そうそう、光苔を机の上に置いておくことをお忘れなく」

 彼は相変わらず首のまま。しかし不思議と、マリーから恐怖がかき消えた。その顔も、瞳も、なんら恐ろしいものではない。じかに触れることができないことだけが、ただ残念ではあったが。

「光苔……ああ、これね」

 セージはぱちぱちと目を閉じては開き、本を読みふけっていたようである。 

 マリーはその本の隣を通り過ぎて、庭の真ん中にある石碑へ急ぐ。いまだに不思議な音を響かせてはいるが、当初の頃より恐ろしさはない。恐怖の元を見てしまえば、恐怖など掻き消える。祖父の言っていた通りに。

「……不思議……明るい」

 その石碑の根本をみれば、確かにそこに緑色に光る苔がある。おそるおそる手でつかみあげると、こぽり。と苔はたやすく地面から離れた。

 ふかふかと柔らかく、温かい。そっと鼻を近づけると、土の香りと古い本の香りがする。暗がりにさらすと、それは確かにぼうぼうと、薄い緑色に輝くのである。

「土を少しつけてもっていくんだ。水を時々与えてあげれば、いつまでも光るよ。暗い部屋なら、それでじゅうぶん」

「私の部屋にもほしいくらい。すごく、柔らかいのね」

 急ぎ足で外に駆け出し、扉の向こうにある机にそっと乗せてやる。と、薄暗い部屋が緑に輝いた。

 壁も机も扉も時計も、みんなみんな淡く輝く。

(これが、おじいさまの見た風景……)

 祖父はここでなにをしていたのだろうか。毎日、毎日、彼はここにこもっていたのだ。

 誰にも漏らすことなく。そして、毎日セージと語りあい、そしてそのあと、この椅子に腰をおろして……日記でも書いていたのか。

 その古びた椅子に祖父の背が見えた気がして、マリーは一瞬、涙ぐみそうになる。

 祖父はなにも言わずに去っていった。もし一緒にここへ訪れることができたなら、どんなにすてきだったろう。

「他にしてほしいことはある?」

 セージのもとに駆け戻ると、彼はやはりうれしそうに笑った。

「君が来てくれることかな」

 歌うような彼の言葉に、マリーは思わず照れた。赤い顔を隠すように、彼の乗る机を背もたれ代わりに腰を落とす。

「これくらいの時間になら、毎日だってこられるわ」

 セージの目は、じっとマリーを見つめている。眉が、ちょっと困ったように下がった。

「僕はそれほど眠らなくてもいいけれど、君は睡眠不足じゃつらいだろう?」

「でもね、昼はなかなか来られないの。ケイトが見張ってるし。それに最近は毎日、絵を描いて貰っているから、昼から数時間は身動きもできないの」

「ケイト? 絵を描いて貰っている? 誰に? マリーが?」

 彼は新しい言葉を聞くたびに、パッと表情が変わる。その顔を見ているだけでマリーは嬉しくなってしまう。

 彼はあまりにも、素直なのだ。

「ケイトはメイド。絵は私がモデルで、絵師が描くのよ。10歳のお祝いに、お父様からのプレゼント」

「すごいな」

「ずっと座ってるだけなのよ。こう、ポーズを付けて」

 腕を広げ、ポーズをとる、と、セージの目が見開かれ、その頬が赤く染まった。石碑もそれに連動するように、ぶぶ、とふるえる。石碑の底に埋められていた機械人形の体をマリーはふと思い出す。

 不気味にねじくれた……腕に、足。体もあったが、たしか首はなかった。おそらくあれは、彼のものなのだろう。

 この美しい顔には似合わない無機質な体だ。

 それを言い掛けて、マリーは口を閉ざす。なぜか、言ってはいけない気がするのだ。

 もし、あの体の存在を彼に教えてしまえば、セージはきっとひどく気にするだろう。体を持ってみたい、と言うかもしれない。そうなれば、彼は歩き出してしまう。この庭を出て行ってしまう。

 ……マリーはそれがひどく、恐ろしい。なんという自分勝手な考えだろう。そんなことを考えてしまう、自分自身が恐ろしい。

「完成したら、見てみたいな」

「……え、なに……」

「絵に描かれる君もきっと素敵だ」

 花が咲くように、セージは笑う。

 マリーは立ち上がり、彼の顔を真正面から見つめた。

 皺一つない美しい額に、大きく輝くグリーンの瞳。その目がぱちくり、と上下した。

 そのつど、彼の赤いまつげがゆれ、そしてマリーの背後でページがめくれる音がする。

 振り返れば、彼の前にある小さなテーブルには、一冊の本が置かれていた。文字ばかりの本ではない。華やかな彩りの挿し絵がちらりとマリーの目に入る。

 のぞき込もうとすると、彼はあわててそれを閉じた。

「ねえ。なんの本を読んでいるの?」

「……女の子と話ができるようになる本」

「女の子はここにいるのに?」

 ふう、とセージは小さな息をつく。と、口から泡がプクプクと浮かぶ。

「……マリーは笑うかもしれないけど、僕はこうして君と話をするだけで、ひどくそわそわするんだ。女の子と話をするのがはじめてだから」

「そうはみえないけど」

「僕は外の世界を知らない。なにも知らない。見えているのはこの庭と、ジョージの語る世界と、あとは本だけ。誰かと話す機会なんてこれまでなかった。君が来たときはうれしくって勢いがあったけど……こうして向かい合うと、頭の芯がふわふわとするんだ。そう……見られると、ひどく、緊張してる」

 底抜けに明るく見えるセージだが、マリーが近づくとほんの少しだけ、瞼がふるえる。

「私だって、男の人とお話しすることなんて、ないのよ」

 途端、セージが愛らしい生き物に思えてマリーはそのガラスにそうっと触れた。冷たいが、温かい。不思議な感触だ。

「おじいさま、それとサム……さっきはなした、絵師のおじいさん。それだけ。昔はずいぶんと使用人が多かったらしいけど……今はケイトしかいないし」

 マリーはセージをのぞき込み、つぶやく。

「セージのような男の人と話をするなんて、たぶん、人生ではじめてじゃないかしら」

「マリーはなんて、勇気のある女の子だろう」

「セージもね」

「じゃあ僕たちは似たもの同士だ」

 顔を見合わせ、笑う。セージの声を聞き、顔を見るだけでマリーは不思議と勇気づけられるのだ。セージはマリーを見上げて微笑んだ。

「聞かせて、マリーのことを。たとえば……好きなもの嫌いなもの」

 セージの声は、柔らかく暖かい。まるでじんわりと染みこむ、春の雨のようだ。

「好きなものは……楡の並木道。外の庭はとても広くて、迷路みたい。その庭の、木立とそこに当たる日差し……嫌いなものは……一人で食べる食事の時間」

 マリーは机に肘をついて、目を閉じる。浮かんできたのは、屋敷の中のあれこれだ。庭に部屋に階段に、祖父の絵。あとは、毎日のテーブルで食べる、さまざまな食事。

「それに、バターがたっぷりのお魚料理も大嫌い。ケイトは大好きらしいわ。子供の口には合わないって、そんな嫌味を言うのよ」

 舞踏会でも開けそうなほどに広い部屋の真ん中に大きな机が置かれている。それはマリーの為だけの机なのだ。

 ケイトはけしてマリーと同じテーブルには着かない。彼女はマリーが去ったあと、一人で食事をするのである。

 マリーの食事中は、隣に立ったまま、マリーの所作を鋭く見つめるのだ。紅茶が切れるやすぐに手元のカップにそそぎ入れることも忘れない。

 そしてマリーが好き嫌いなどすれば、鋭い言葉で責めるのである。

 食べなければ大きくなれませんよ。淑女になりなさい、マリー、マリー、マリー……。

「この地方の魚は小骨が多いのよ。バターでこってり味付けされて……この地方は寒いから、なんでも油が濃いの」

 広いテーブルで一人きり、食べる食事はむなしく悲しかった。

「じゃあ人間のことも教えて欲しい。僕はたぶん人の事をあまり知らない」

「私も人のことなんて知らないわ。だってずっと子供の時から屋敷の中にいるから」

 マリーは情けなさに、思わず笑った。10歳になるというのに、マリーが知る世界はあまりにも狭い。

「淑女はあまり外を出歩かないもの。お屋敷にずっとこもって、字を綺麗に書く練習と、お勉強に銀の食器の見分け方、お料理の丁寧な食べ方に、それとドレスの綺麗な着方と歩き方、ダンスのお勉強をして過ごすの。あとは紅茶の淹れ方くらい」

「大変そうだ」

「そして20歳になるまでに、結婚をして……女主人として、メイドを動かす方法を学んで……子供を産んで……」

 マリーは自分の小さな手のひらを見つめて、つぶやく。幾度も、幾度も、ケイトから聞かされていたマリーの人生は、なんて夢のない未来なのだろう。

 木靴をはいて庭を駆け、お行儀悪く寝転がることも、馬に乗って走ることも、こんな秘密の冒険をすることも、マリーの人生には許されていないなんて。

「マリーのお母さんも、そうしてきたの?」

「……知らないの」

 マリーは小さく首を振る。

 母は淑女だと聞いて育った。

 ただ、それだけだ。

「うんと、小さな頃に母は死んでしまったから」

 ぱたん、とマリーの背で本が閉じる音がした。

「そうだね……実はベスもそうだった」

「ベス?」

「王冠を盗んだ男の妹だよ。彼女は兄のために、偽物の王冠を王宮へ戻しにきたんだ」

 セージの物語は、いつも唐突にはじまる。

 静かな語り口調を聞いた途端、マリーの頭の中に彼から聞いた物語が一気に蘇った。

 弟に騙されて王座を奪われた兄が、泥棒の手を借りて王冠を盗み出す。しかしそれは罠だ。早く王宮に王冠を返しに行かなければ、王宮の軍兵によって村が滅ぼされてしまうかもしれない……王冠を返しにいく、その大役を買って出たのが泥棒の妹、ベス。

「彼女は小さな村で育った。村は余りに小さくて、農業だけじゃ食べていけない。小さな弟や妹の面倒をみるために彼女とその兄は泥棒稼業に手を染めたんだ。でも実際は彼らは本当の兄弟じゃない。ベスは小さな頃に、村の裏に捨てられていた。拾ったのは多くの子供を持つ善良な夫婦だ。しかしその夫婦も、ベスが幼い頃に子供を残して死んでしまう」

「……かわいそう」

「いい人はみんな早く死んじゃうんだ。ベスは兄や村に恩義があった。命を救ってくれたお返しに、自分がみなの命を救おうってね」

 マリーは想像する。小さな村で力強く生きる少女のことを。同い年くらいだろうか。

 利発そうな少女に違い無い。赤くて太い髪を高く結い上げて、そばかすのある顔、きっと目の色は燃えるような赤の色。

「ベスは勇敢だ。そして強い意志を持つ。彼女はリンゴ売りに化けて、カゴの中にはリンゴの代わりに王冠を詰め込んだ。そうして忍び込んだのは、夜のお城。あちこちに、兵隊がいる。声がきこえる、鎧の音も」

 王冠を胸に抱きしめてベスは暗い城に忍び込む。今や城はどこも厳戒態勢だ。ドレス姿の夫人たちはみんな奥の部屋に引っ込んで、城内のどこを見渡しても兵隊ばかり。

「……剣を引きずる音、盾を持つ兵隊の影も見える。彼女は貧しい村で育ったから、そんなものまでわかってしまうんだ」

「……どうなるの?」

「偽物の王冠はもとの場所にそっとかえした。あとは本物の王冠の隠し場所、その鍵の在処だ。彼女は鼠のようにすばしっこくて子鹿のように細くて、猫のように柔らかい。秘密の通路や地下水路を巡り歩くうちに、彼女は王族の住居に紛れ込む」

 誰もいない暗闇の階段を、彼女は駆ける。

 リンゴ売りに化けて忍び込むことは成功したが、ここで見つかれば言い訳はできない。

 邪魔なエプロンは脱ぎ捨てて、スカートはぎゅっとたくしあげ、素足のまま彼女は駆け回る……。

「彼女は階段を上りかけて……足を止めた。そこにあったのは、一枚の絵だ。階段のところに……そうだ、階段の壁に、大きく掲げられている。おそらく王族の誰かだろうね。女性の絵がそこにあった」

 マリーが思い出したのは、祖父の絵だ。階段の上の壁、掲げられた祖父の絵は巨大である。

「そして彼女は、その絵を見てひどく驚く」

「……驚く?」

「絵にかかれた女性は……自分と、ベスとそっくりだったんだ」

「それから、どうなるの?」

 食い入るように、マリーは身を乗り出す。しかし、セージは小さく息を吐くなり、意地悪く片目を閉じてみせた。

「……今日はここまで」

「またいつも、いいところで」

「ほら、遠くから、ぼん、ぼん、ぼん。三回聞こえただろう。もう深夜の合図。マリー、君は眠らなきゃ」

 セージはマリーを急かすように、そう言うと切なそうに微笑んだ。

「話の続きが聞きたければ、また遊びに来て」

「セージ」

 マリーはガラスの器にそっと指をのせる。ひやりと冷たいその温度が悲しかった。

「話をいいところで止めたりなんてしなくても私はきっと、明日も明後日もずっと……ここにくるわ」

「でも僕は、君にそれを押しつけられない」

 セージの声は自信なげに揺れている。マリーは咄嗟にガラスの球体を抱きしめる。

「押しつけだなんて。私は……ここが、大好きなの」

 マリーの背後で、ぱたん、ぱたん。音をたてて本が開いては閉じる。ぱらぱらと音をたてて、ページがめくれる。

 やがてセージが震える声で、ありがとう。そう呟いた。

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