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祖父の秘密の物語

 夕陽はゆるやかに庭を染める。赤く、青く、そして黒い。

 春になる間近の夕陽は、どの季節の夕陽よりも少し切ない。



「……ある男がいた。天才的な医学と科学の力、さらに総帥として、軍事の才能を持つ男だ」

 その光を浴びて、セージは語りはじめる。

「彼は軍人となり多くの兵を率いたらしい。そのうち彼は職を辞して軍医となった。でもそれは表向きの顔で、裏ではある実験に従事するためだったんだ」

「実験?」

「そう。それはね、人を兵器にしてしまう恐ろしい実験だよ。実験体はたくさんいた。ちょうど戦争中だったしね。死にかけた敵兵、捕虜……なにも敵ばかりじゃない、罪をおかした自分の国の兵も。実験体は若ければ若い方がいい。その方が適応が早いから」

 マリーは膝を抱えたまま、震えた。彼の口から語られる言葉は全て恐ろしいものだった。

 血まみれの白衣をまとう男達。薄汚れたベッドで今にも死にそうな敵兵達。血の匂い、消毒薬の香り、悲鳴、怒号、泣き声、絶命の声。

「戦争はちょうど過渡期だ。新しい武器、新しい防具。いろんなものが生まれる。その裏で、若い兵はたくさん死んだ。若い兵は貴重だ。捕まればほとんどが、実験に使われる。もちろんこの実験は極秘中の極秘。軍の中でもほんの一部分しか知らないことだった」

「ひどい」

「でも当時は誰も変だなんて思ってもいなかった。真面目な実験だったんだ」

 セージは冷静だ。彼は目を数回、瞬きする。と、本棚が動き、一冊の本が棚に設置された。

 音を立てて乗せられたのは、祖父の日記である。

「科学者の男は敵兵の体を刻んで、機械人形を作る計画に従事していた。具体的には」

 数枚、黄色のページが音をたてて開く。その中身は、まさに日記だ。祖父はセージには、本当の日記を与えていたのである。

 何枚目かを開くと、そこには稚拙な絵がいくつも並んでいた。ただの絵ではない。実験のための図解なのだろう。小難しい文字と、数字と、その横に並んで描かれているのは、人間の首と鋼鉄の体の絵。

 無骨な体には、赤のインクで何本もの線が走っている。

「こんな風に……人の頭を切り落として、機械人形の体にくっつける」

 機械人形、という言葉にマリーは目を見開いた。心音が、煩いほどに鳴り響く。

 石碑の下にある、あの銀色の肢体。腕と、足と、胴体。マリーは最初から、答えを見つけていたのである。

「だいたいはみんな死んでいく。当然だ。人の体に機械をくっつけるんだから。でも時には生き残るものもいる。その兵はもう人間じゃない。脳が壊れてしまっているんだ。殺人兵器だよ。体や頭に爆薬を詰め込んで……そして陣地に返す。自分の足で戻るんだ。仲間達は彼を迎える。そして……」

 セージは言いよどみ。やがて覚悟を決めたように呟く。

「爆発する」

「……っ」

 マリーの掌がじんわりと、汗で滲む。マリー宛に残された祖父の日記。そこに描かれていることもあれば、書かれていないこともある。

 今、セージの口から語られる言葉に、マリーは気が遠くなりそうである。

 マリーの知る祖父は優しく、しゃれっ気があり、そして英雄だった。

 しかし時折見せる陰があった。その陰は靄のように、死の直前まで祖父の体を包み込んでいた。

 時に祖父は夜遅くまで、祈りの姿勢を続けることもあった。

 何を祈っているのかと聞けば、寂しそうに微笑んでマリーを抱きしめるのである。彼はこの屋敷に戻ってから、悔恨と苦しみと苦みの中で生き続けていた。

「100人中99人が失敗する。生き残ってもせいぜい、歩くのが精一杯、それも介助が無いと歩けない。でも……でも、1000人に……いや、一万人に一人だけ、意識を持って生き残った男が生まれた。これはただの機械じゃない。この兵器なら、意思を持って人を殺せる、さらに死への恐怖もない。まさに殺人機械だ。そんな大成功をその目で見た翌日、科学者は故郷から恐ろしい手紙を受け取るんだ」

「手紙……」

「最愛の娘が……長く患っていた流行病で、死んだ」

 お母様。と、マリーは心の中で呟く。握り締めた掌は、白色を通り越してすでに青い。

「男はね、娘が病にかかっていることは知っていた。そもそも彼は戦争に荷担したくて実験を繰り返していたわけじゃない。うまくいけば娘の命を救う、命の種を見つける事ができるかもしれない。それは生命の神秘にふれる実験だからだ……そう思ったからこそ、彼は恐ろしい実験に手をかした」

「娘のために」

「そうだ。でもその娘が死んでしまった。彼は何もかもが虚しくなって、それで」

「それで……?」

「もう実験はやめようとそう考えた。青年の生命線を断ち切ってしまえばいい。上官には、実験が失敗したとそう言うだけでいい。これまでも、そうだったように。そして死んだ青年は首だけになって人知れず土に葬り去られて、終わりだ。それでいい」

 セージは息を吸い込む。夕陽はもう随分と傾いている。ケイトとの約束の時間は過ぎそうだ。しかしマリーは立ち上がることもできず、ただそこで耳を傾ける。

「でも、できなかった。科学者は見たんだ。青年が……人の頭に機械の体を付けた青年が……花をみて涙をこぼすところを」

 セージの見つめる先に、一本の花がある。淡く光の当たるその場所で、懸命に咲いた一本の赤い花。あれは、セージの花である。

「男は気づく。青年もまた娘とおなじく一人の人間だったってことを。そして罪の重さに、彼は今度こそ完全に職を辞した。そして科学者は、青年をこっそりと故郷の……自分の屋敷につれて帰った。実験はあまりに極秘だったから誰にも気付かれることなく、難なく成功した……ただ、問題は体と頭に仕込まれた爆弾だ。いかにすばらしい医者でも、これを取り除くことは難しい。入れてしまえば爆発を待つばかり。出すことなんて考えられてもいない爆弾だからね」

 石碑が、また音を奏で始める。その音はひどく悲しい音色である。

「だから彼は……首と体を切り離した。体の爆弾は簡単に取り除けた。問題は頭だ。どうしても取れない。取ってしまえば青年は死んでしまう。だから彼はガラスの中に水分をつめて、そこに首だけを沈めた。その水分には、爆発の成分を緩和させる成分と、生命を繋げる成分が入っていたそうだ。体と首を切り離された青年は、なかなか目覚めなかった。科学者は屋敷の一角に彼を匿い、毎日定期的にその様子を眺め続けた。青年は死んだと何度もあきらめ、そして希望を抱いた。科学者は祈る。目覚めてほしい。同時に思う。目覚めないでほしい……そして青年は」

 はらりと、ページが移った。 

 その1ページにはただ一文字しかない。

『奇跡だ』


「……僕は、目を覚ました」


 マリーは日記に近づいて、その文字を見る。乱れたその文字は、嬉しそうに跳ねている。同時に、不安そうに揺れている。

 日記の続きを読もうとしたマリーだが、その前にセージが本を閉じ、棚へと片付ける。

 そして、彼は続けた。

「幸か不幸か、僕はすべての記憶を失ってここで目覚めた。この爆弾とやらは凶暴性がスイッチになるらしい。僕は兵器として生まれるときに、ひどく怒りっぽい性格になったらしいんだ。怒れば爆発する。だからジョージは僕に本を与えた。この美しい庭を与えた。花を与えた。でも相変わらず、爆弾はここにある。それでも爆発をしないように、手を尽くした。でもね、時というものがある」

 マリーは自分宛の日記を抱きしめる。ここから先は、マリーも知っている情報である。

 マリーが与えられた日記の中に、その一文はあった。

 セージは……時が来れば、必ず……悲しいことが起きる。

「爆弾の寿命がつきるころ、必ず爆発をするんだ。それがいつなのか、書かれていなかった。でもその矢先に、このガラスが割れた。僕は嫌な予感がするんだよ、マリー」

 その声は不安に揺れる。マリーの目も不安に揺れた。

 マリーに当てられた日記にも、その記述はあった。セージがかつての殺人兵器であったこと、そして時が来れば爆発を伴うこと。

 だからこそ、彼を救って欲しい。と、祖父の切実な一文が、マリーの目の裏に焼き付いている。

(……私は、彼を……)

 先ほどまでは彼を救う気でいた。

 しかし、今は?

(……おじいさま、私は……彼をどう救えばいいの?)

 マリーの体を、震えが襲うばかりである。

 マリーは機械のことなど全く知らない。医療の知識もない。彼に何もしてあげられない。

「マリー。これは物語じゃないんだ」

 砕けたガラスは、闇の中で妖しげに輝いている。彼の白い顔は、ますます白くなる一方だ。

「爆発はおそらく大したことはないだろうね。随分大げさに書いてあるけど……ジョージの時代の技術じゃ、せいぜいテーブルとあずまやが崩れるくらいだ。でも、分からない……そもそも失敗続きの実験の中で成功した唯一の例が僕だ。何が起きるかなんて、ジョージでさえ分からなかった。屋敷が潰れるくらいの……爆発になるのかも」

 セージは息を飲みこみ、そしてまっすぐにマリーを見つめる。

「そして、そんな現場を君に見せたくはないんだよ、マリー」

 その目は一度だって悪意に満ちたことはない。彼が兵器であり、かつては人を殺すために作られたなど、想像もできない。

「おじいさまは……なぜ、あなたを救わずに、逝ってしまったの?」

「何度も救おうとしたみたいだ。確かになんども眠らされて、目覚めるたびに頭がずきずきと痛かった。でもどれも失敗だったんだろうね。それでもジョージはあきらめなかった。ただ」

 セージは本の詰まった棚を眺めた。

 祖父はどんな思いで、この沢山の本をセージに与えたのだろうか。

「死は、突然訪れる。恐らく……彼自身が予想さえ、していなかったんだろう」

「セージ、私は何ができる?」

 マリーはセージの顔に手を添える。彼は小さく震えて目を閉じた。

「……だから、どこかへ……行ってほしい。多分、それが君のできる最大の、僕に対する……プレゼントだ。本当はこうして君と話をしている間も恐ろしい。爆発をしたらどうしようかと、そればかり考えてしまう。エドやケイトもきっと、恐ろしく思っているはずだ。ガラスが割れたことを僕は二人には言っていない。言えばきっと、今夜にでも君を連れて出て行くだろうね」

「……ケイトに、鍵を閉めさせたのは、そのせい……」

「そうだ。ケイトは君が日記を持って帰った数日後に、ここへきた。庭へは一歩も入らなかったけれど、声をかけてきた。僕もその時には全てを知った後だ。だから僕から彼女に頼んだ。このことを早く、エドに伝えて欲しい。そしてマリーと共に逃げて欲しい……いや、僕はずるい」

 セージは唇を噛みしめた。目から幾筋も涙がこぼれ落ちる。

「本当は満月のバースデイなんて迎えるべきじゃなかった。ケイトを急かして、その日のうちに、マリーを連れて逃げてもらうべきだった。でもそれが出来なかった……理由も言わずに死ぬのは嫌だ……マリー……マリー」

 子供のように泣きじゃくるセージを前に、マリーは何もできない。彼は涙に濡れた目でマリーをみる。

「……僕を一人にしないで」

「セージ!」

 立ち上がったマリーを見て、セージは呟く。

「冗談だよ、マリー……君が好きだ。だから巻き込みたくない。でも君に会わずに死ぬのは嫌だ。ここ数週間、僕を悩ませていたのは、この事だった。でも僕はもう……全部話をした。全部、全部」

「セージ」

「さあ、そろそろ帰る時間だよ」

 セージの声は震えている。

「さようなら」

 マリーは思わず駆け寄り、彼の頭を抱きしめる。柔らかく、冷たい髪だ。皮膚だ。彼は死んでいる。そして生きている。

「今日、あなたをはじめて抱きしめることができたのに」

 顔のすぐそばまで近づくことができた。しかしそれはさようならの合図でもある。

「なぜ、こんなにも悲しいの?」

 もう枯れきったと思っていた涙が、またマリーの頬を流れた。

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