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満月の夜の誕生日・下

 マリーが部屋に駆け戻ったのと、ケイトがドアをノックするのはほぼ同時のことだった。

「お嬢様?」

「……なあに?」

 マリーは急いで汚れた顔を拭いガウンを羽織る。掌が土で汚れているのに気付いた彼女は、慌ててそれをガウンの内側に隠した。

 体はもとより、足だって泥まみれだ。だからマリーは椅子に深く腰掛けたまま身じろぎもせず、扉を見上げた。

「……ケイト、どうしたの?」

 音もなく、扉が開く。ケイトはいつもと変わらない顔で、そこに立っていた。

「いえ……お部屋に、いらっしゃらなかったもので」

「バルコニーにいたのよ……月を、見ていたの。綺麗な月だったものだから」

「それならば、よいのですが……」

 ケイトはいぶかしげな顔でマリーをじっと見つめる。マリーは何事もなかったようにケイトを見返す。目をそらしたほうが負けである。

「……」

 マリーの青い瞳と、ケイトのヤグルマギク色の瞳がぶつかる。

 先にそらしたのは、ケイトだった。

「お嬢様」

「な……なに」

「今夜は冷えそうです。お茶か、懐炉のご用意をしましょうか」

「いいわ」

 近づこうとするケイトを牽制し、マリーは胸を張る。

「夜に食べたジンジャーのスープがよくきいて、ぽかぽかなの」

 そうですか。と、彼女にしては歯切れが悪く頭を下げ、そして扉は閉まった。

 すぐさま扉に駆け寄り、冷たい木の肌に耳を押し当てる。絨毯の上をすり歩く、ケイトの足音がゆっくりと響く。

 その音は階段を下り、やがて一度そこで止まった。祖父の絵の前で、礼をしているのだ。それはいつもより、幾分か長かった。

「……」

 彼女の足音が向こう側へ去っていくまでマリーは耐えて、そしてようやく息を吐く。

 ガウンをそっとめくれば、中は土ですっかり汚れてしまっている。

 朝になる前に、早くどこかで払ってこなければならないし、なにより地面についた土をごまかす必要もある。

 今は薄暗かったせいでケイトも床にまでは気づかなかったのだろう。しかし朝日が昇れば? きっと彼女は気付いてしまう。

 マリーが、秘密の庭にいたことを知ってしまう。

(……ケイトは、庭を知ってる……)

 音をたてないように気をつけてガウンを窓の外に差し出し、振る。土はさらさらと、明るい夜空に飛んでいく。

(セージは無事かしら? でも今からもう一度行って、もしケイトと鉢合わせしたら……)

 マリーは唇をかみしめ、ガウンを抱きしめた。

 ケイトは中まで入ったのだろうか? セージを見つけたのだろうか? 嫌な想像ばかりが浮かんでは消える。

 しかしセージを見つけたにしては、ケイトの行動が早すぎる。

 それともマリーの様子を伺って、また庭に戻ったのだろうか?

 マリーは扉をそうっと開けて廊下を見る。足音を立てないように階段に近づき、上から下を覗き見る。そこにケイトの影は無い。例の階段脇の壁から、中に入った気配もない。

(ケイトは中にまで入ってこないって……セージはそう言ってたけど……)

 じっと階段の上で座り込んでも、屋敷の空気はぴくりとも動かなかった。ケイトは自室に戻ったのだろう。どこかで響く時計の音だけが、屋敷の中を支配している。

(数日前から、あの庭に……ケイトが……なぜセージは早くそれを言ってくれなかったの?)

 ケイトは庭を今日、知ったのではない。少なくとも数日前から彼女は庭を知っている。

 しかし、彼女は庭へ入ろうとはしなかった……なぜ?

 庭の中に踏み込んでこないケイトなんて、おおよそ彼女らしくない。

 マリーの知っているケイトなら、庭など見つければすぐに埋めてしまうだろう。

 すぐさま庭師を呼びつけて、全て全て無かった事にしてしまうだろう。屋敷が老朽化してしまう、などといいながら。

 その片付けの最中に、セージを見つけでもしたらきっと大騒ぎだ。村から人を呼んで……もしくは高名な司祭様を呼ぶことだってあり得る……マリーに気付かれることなく、セージを追い払ってしまうに違い無い。

 だというのに、彼女は一歩も動かなかった。恐ろしさに震えていたのではない。ただ、彼女は庭を見つめていた。

 セージの言葉はおそらく真実だ。ケイトは中にまで足を踏み入れてこない。恐らく今も、彼女は庭へ戻ることはない。

 なぜなら、彼女はきっと、あの庭の存在をもっと早くから知っていたのである。

(ケイトはきっと……昔、あの庭をみたのね。誰と? まさか、お母様と……お母様があの庭を知っていた?)

 ぐるぐると渦を巻く疑惑に押し潰されながら、マリーは部屋に駆け戻った。

 床に散った土を、黄金の光が照らし出している。

 顔を上げればそこには、まもなく満月になろうとする月があった。

(いけない。ちゃんとしなきゃ……)

 マリーは息を止め、自分の頬を軽く叩く。

 ……そうだ、今は落ち込んでいる場合ではない。

 明日はセージのバースデイなのである。



 その夜、マリーは幾度も悪夢を見た。それはセージがケイトに見つかる夢であったり、庭が潰される夢であったり、セージが見世物小屋に売られる夢であったりした。

 幾度も小さな悲鳴をあげて目覚め、ベッドの中に広がる土の匂いに安堵してまた眠る。

 そんな薄い眠りに幾度も落ちて、目を開ければ。

 ……そこには朝がきていた。


 懸念をしていたケイトの動向もいつもと変わらない。

 あたたかい紅茶に薄いクッキーが並ぶ簡単な朝食はいつもと同じように配膳され、マリーはすっかり気抜けしてしまう。

 昼まではケイトの隣で刺繍や文字の練習。午後にはたっぷりのスパイスミルクティと、卵のサンドイッチ。食べ終わる頃、ケイトはマリーの前に辞典を積み上げる。

「今日はこちらのお勉強を」

「ケイトあの……」

 マリーはできるだけ平然と、ケイトを見上げた。

 朝からケイトは不気味なほどに、無言である。

 元より多弁ではないメイドだが、今日は特に静かだった。そしてマリーの側から少しも離れない。その態度がマリーをますます不安にさせる。

「暖かいビスケットは用意いたしました。ジンジャーのビスケットです。それに、紅茶も」

「うん……ありがとう。そうじゃなくって……」

「お嬢様?」

 いつの間に用意をしたのか、真っ白なティーセットと焼き立てのビスケットがマリーの前に並ぶ。

 マリーと言えば緊張のしすぎで、ちっともお腹は空いていない。ビスケットを適当につまみ上げ、マリーは笑顔を作ってみせる。

 窓から差し込む光は、すっかり傾きつつあった。夕陽のくすんだような色が、テーブルもマリーの掌もみんな茜色に染めた。

「なんでもないの……えっと、今日は、良い天気だったわね」

「ええ。ロンドンは雨が酷いと聞きますが、この辺りはすっかり晴れてよいお天気です」

 ケイトは毎朝と同じく紅茶を二杯、マリーに振る舞う。彼女の答えに澱みは無い。掌にじっとりと浮かんだ汗を握り締め、マリーもつとめて平然と紅茶をすする。

 今のところ、ケイトがセージに気付いた素振りは感じられない。

「お嬢様」

「な……なに?」

 突然目の前から覗き込まれ、マリーは思わずビスケットを落とした。ケイトは素早くそれを皿に受け、何事でもないように言った。

「少々用事ができましたので、近くの町まで足を伸ばして参ります。少し……遅くなるかもしれません。戻りは今夜遅くか、もしくは明日の朝に」

「……なぜ?」

「いえ、大した用事ではないのですが……」

 彼女の黒い睫毛が伏せられる。間近で見れば、彼女は整った顔を持っている。

 マリーはサムの描いた彼女を思い出す。美しく、気高い顔立ちだった。美しいドレスがよく似合う。なぜ、今は黒ばかりを纏うのだろう?

「マリー様、おとなしく……お勉強をなさってください。どうぞ、お部屋からも、出られないように」

「お屋敷から、じゃないの?」

「ええ。今夜は満月ですから」

 ケイトは帽子をかぶりながら、じっとマリーを見つめた。厳しかったはずの彼女の目は、まるで何か憂うように濡れている。

「満月の夜はよくないことがおきると……昔から言われてますから」

 茜色の夕日の中、ケイトの黒いドレスが長く影を落としていく。

 彼女の黒い背を見送ったあと、マリーは嫌な予感を胸の奥にぐっと飲み込んだ。

 ケイトは去った。しかし、まだ不安は拭えない。ケイトが急に戻って来るかもしれない。

 バルコニーの隅に身を隠したまま、マリーはいつまでも木立の向こうを見つめ続ける。夕陽の赤色が紺色に染まり、オレンジと赤の色彩が紺に支配されて飲み込まれるまで、じっと耐え続ける。

 やがて、目の前に金色の月が一つ、浮かんでいた。



「セージ!」

「マリー!? ああ。無事だったんだね、早く、早くこの布を取って!」

 慎重に扉を開き庭へ飛び込むと、セージの声がマリーを迎えた。あずまやに駆けていけば、布をかぶったままのセージがそこにいる。

 ほっと安堵の息を漏らして、マリーはあわててその布を取り外した。そして、そのガラスの器ごと抱きしめる。

「マリー!」

「よかった! ケイトに見つかっていたら、どうしようかと……」

「マリーこそ!」

 相変わらず、セージはそこにいる。美しい水の中で、ふわふわと首だけで浮かんでいる。 

 昔は恐ろしくて仕方のなかったその姿が、愛おしくて仕方が無い。

「もっと早くに来たかったのだけど、ケイトが付きっきりで動けなかったの……昨夜は大丈夫だった?」

「あのメイドは結局一歩も動かないまま……急に扉を閉めてどこかへ消えてしまったんだ。だからマリーが庭であの人に捕まっちゃいないかと心配で心配で」

「ぎりぎりで間に合ったの。ガウンで体を隠してごまかしたわ」

「さすがだマリー」

「それより」

 マリーはおしゃべりな彼の口あたりに、指を押し当てる。セージが驚いたように目を見開いた。

「お誕生日、おめでとうセージ」

「あ……ありがとう」

 セージは目を見開き、やがて照れたように目を伏せる。

 マリーはいま自分が放ったことばの暖かさを、口の中で何度も繰り返す。

 おめでとう。お誕生日、おめでとう。

 生まれてから一度も、口にしたことのないその言葉。

 なんと暖かいのだろう。なんと優しいのだろう。震える口で、マリーは何度も呟く。セージは顔を赤くしてうつむいた。

「ありがとう……なんていえばいいのか、わからないけれどその……」

「うれしい?」

「とんでもなくね。こんなにすてきな日がくるなんて」

「これからもっと、すてきな物をみるのよ」

 マリーはかねてから用意してあったズックを背に背負い、慎重にセージを持ち上げる。

 庭にかかる日差しは紺の色に近い。夕日は落ちそうだ。まもなく夜の足音が聞こえる頃。

「え。早すぎやしないか。だってあのメイドが……」

「それが幸福なことに、ケイトは急な用事でおでかけ。夜遅くか、明日の朝まで戻らないわ。月が上っていくところから見ることができるのよ。だから、早速いきましょう。大丈夫、今お屋敷にいるのは、私達だけ」

  自信を持ってそう言ったものの、それでも慎重に、マリーは庭から一歩、また一歩とさぐりながら廊下へと進んだ。

 扉では耳を澄まし、セージを抱えたまま体を小さくして進む、進む、進む。

 階段では二人で祖父の絵を見上げ、そしてバルコニーの扉を肩でそっと押した。

 ……目的地は、そこにある。

「ねえ、セージ」

 バルコニーに出る直前、マリーはセージに囁きかける。彼の顔は、ひどく緊張してみえた。

「セージ。目を閉じていて。プレゼントを貰うときは目を閉じておくものよ。そのほうがずっと楽しみが増えるから」

「……うん」

 セージはマリーの言うとおり、目を閉じる。長いまつげが彼の顔に延びた。なんと完ぺきな造形なのだろう。

 ほれぼれと見つめ、そしてマリーは息を吸い込む。

「私が良いって言うまで、そのまま閉じていてね」

 木で組まれたバルコニーには、白い机と茶色の椅子が用意されている。

 マリーは、セージをその机の上にそっと置いた。

 セージは寒さなど感じないだろうが、周囲に布を敷き詰め、彼の前と自分の前にカップを二つ並べる。

 先にバルコニーに隠しておいた水差しから水をそそぎ入れ、隠しておいたビスケットを並べ、そしてセージの名を呼んだ。

「セージ」

 こん、こん。そのガラスを軽くノックして、マリーは幸せそうに微笑んだ。

「セージ、はい。もういいわよ」

 グリーンの目を開けた彼は、水の中で息を飲む。

「……わあ」

 彼がみたのは、ちょうど目の前の高さにある、黄金の月である。

「……月だ……満月だ……」

 バルコニーの向こうに広がるのは楡の木立。門まで続く長い道の左右に木立は続く。

 そしてその道の向こう……その低い空に、丸い月が浮かんでいる。

 ちょうど、目線の前。

 セージは丸い月と対峙するように、そこにいる。

 生まれたばかりの月はあまりにも初々しく、黄金の色は艶やかだ。紺に近い黒の夜空も、じんわりと黄色に染まっている。にじんだ黄色の色まで美しい。

 マリーは空をゆっくりと指し示す。

「ここから少しずつあがって、やがて空の中央まで進むの。今は生まれたばかりの満月」

「すごく……綺麗だ。ほんとうに大きくて、丸くて、そして……」

 しらじらと、月の明かりは道を染めて木々を染める。黄金色に輝く楡の木はまるでかつての秋を思い出させる。

 でもあの秋の日に比べると、今のマリーはあまりにも幸福だった。

「綺麗だ」

 カップに注がれた水に月が浮かんでいた。まるで月が閉じ込められたようだ、とマリーは息を吐く。

 息で揺れた水の表面、月も穏やかに揺れる。

「マリー、なんて今日は素敵な日なんだろう……きっと一生の思い出に残る」

 しみじみと、セージは呟く。その言葉は、この夜、幾度となく繰り返された。



「そうだ。君の絵がみたい。完成したと言っていただろう」

 夜もすっかりふけた。とりとめもない会話をしているうちに、空は真っ暗となり、月明かりだけが眩しい。

 マリーが小さなくしゃみをした瞬間、この誕生日会は終了を告げる。

「もう、いいの?」

「ああ。じゅうぶんみたよ。それにこんな外で夜通し過ごすと、マリーが風邪をひいちゃう。それなら、メイドがいないうちに、マリーの絵がみたいな」

「そんなに面白いものじゃないのよ」

 手早くその場を片づけて、マリーはセージを抱える。慎重に。しかし以前よりは軽やかに、マリーは扉を抜けて階段を駆け下りた。

 そうっと食堂を覗くが、そこは相変わらず物音ひとつしない。明かりも暖炉もなにもかもが消えたその場書は、寒々しいほどである。

「なんて綺麗なんだ、マリー!」

 マリーが何かを言う前に、セージが感嘆の声をあげた。これほどの暗闇だというのに彼は素早く、目的の物を見つけだしたのだ。

「……そんなに驚かれると恥ずかしいわ」

「だって綺麗だもの……ああ、手にはセージの花を持ってる。すごい。ふたりの共演だね」

 セージが見上げているのは、いまや食堂の壁の主となったマリーの絵である。高々と掲げられたそれは、マリーにとってみれば日常すぎて最近では特別注視することもなくなった。

 しかし久々に見上げてみれば、それはまるで自分の生き写しだ。

 金の巻髪、柔らかなドレス。そして手には一本のセージの花……。

 セージを食卓において、マリーは絵に近づく。闇の中で、その少女はマリーを見つめ返してくる。

 この絵を描かれている時、絵師のサムは言ったのだ。

 ……お嬢様は恋をしておられる。

 老人の薄い目の色を、マリーは思い出して赤面した。この絵は、この絵に絵が描かれたマリーは、恋をしている。誰に? その人は今、机の上からマリーの絵を見上げている。

「君と一緒に、絵に残ることができて本当によかった」

「セージ……」

「本当に、よかった」

 なぜ今日に限ってセージは執拗なほどに感動の言葉を口にするのか。

 不意に浮かんだ不安に、マリーは彼のガラスをつかむ。

「一生の思い出に残るよ。本当だ」

「セージ、なんで今日はそんな……あっ」

 ぐっと力を込めて容器を持ち上げる……と、かすかに机とガラスが触れて嫌な音をたてた。あわてて容器をみるが、そちらには一片の傷もない。

 代わりに机にほんのすこしの白い傷が残った。

「傷、ついちゃった」

 容器のどこかについていた土が食卓に散っている。庭の香りをかすかにまとった土である。それを大切にかき集めて隅に寄せ、代わりに食堂の隅の棚から銀のフォークを取り出す。

「大丈夫よ。こうして……ごまかすわ」

 フォークで机をこすれば、それはあっというまに3本の傷となる。

「明日の朝、食事の時にここをこする振りをして……そうすればきっと、怒られるけど、でもガラスの跡だなんて気付かれないはず」

「マリー」

 工作をするマリーをセージはなにも言わずに見つめていた。いつもなら誰よりもにぎやかに、工作を考えてくれるはずの彼である。

 しかしセージはもう傷跡などみていない。マリーの絵も、食堂の窓からかすかに漏れる月明かりも。なにもみていない。

 ただ。マリーだけを見ている。

「君に、物語を最後まで話したいんだ」

「え……なんで?」

 マリーの心音が跳ねた。

「いつもそんな予告なんてせずに……話し始めるのに、なんで、突然?」

「もう、終わるから。きっとね。終わらせるから、聞いてほしい。今夜ならきっと……最後まで」

「待って」

 椅子に腰を下ろそうとした瞬間。マリーははっと息をのんだ。遠くから、馬のいななく音が聞こえたのである。

 続いて轍の鳴る音も、鞭のしなる音も。

「馬車の音!」

 ケイトだ。思ったよりも彼女の帰宅が早い。

 焦って立ち上がり、慎重にセージを抱き寄せる。門の向こうに着いたとしても、屋敷までたどり着くまでには時間がかかる。こんな夜ならなおのこと。

 しかし、ケイトの行動は予測不能だ。セージのガラスに額を押しつけ、マリーは囁く。

「その話はまた明日ね」

「マリー」

 抱かれたセージは強い声で言った。

 珍しく、強い声である。

「明日は絶対に……庭にきてね。話の続きをするから」

 それは、マリーを不安に陥れる。そんな声である。



 セージを庭に戻し、足に付いた土をはらって階段脇の扉から抜け出る。

 そして食堂に残した土を片づけるべく戻った瞬間、彼女は固まることとなる。

「……お嬢様。ここに土が……」

「あ……ちがうの。その……」

 ……ケイトである。

「その……」

 ケイトは、恐ろしい早さでそこにいた。

 暗闇の中、銀の燭台を手に立つ黒服の女を見て、マリーはぞっと背を震わせる。

 門から木立を抜けてここまで辿りつくまで、かなりの距離があるはずである。だというのに、彼女はもう、そこにいる!

 帽子も脱がず、外套もそのままの姿で。ただ彼女は指先で、机の上を指している。

「お嬢様、ここに土がございますね」

「砂……遊びをしていて……ごめんなさい」

 ケイトは手にした灯りでテーブルの上を照らし出した。

 つい先ほどまで底にいたセージはいない。かわりに、本の少しの土塊と、そして転がしたままのフォーク、テーブルについた傷跡。

 言い逃れもできないほどに、土の香りが濃い。

「フォークで?」

「そう。あの。結婚式で……教えて貰ったから……」

 マリーは土に汚れた手を胸元に隠し、背を向ける。

「今日は具合が悪いの。もう寝るわ」

 マリーの背に、ケイトの視線が注がれている。しかしマリーはそれ以上、その場に残ることなどできなかった。

 先ほどまでの幸福な気持ちが音を立てて崩れていく。

 代わりにマリーの中に生まれたのは恐れの感情だ。部屋に飛び込むなり膝が震え、マリーはベッドに崩れ落ちる。

 月明かりだけが相変わらず美しいまま、マリーの部屋を照らし出していた。

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