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Day After Day

作者: 三角

 なあ邦彦。お前、歌が世界を変えられると思うか?

 俺は思わない。音楽業界にいるのにそんなことって思うだろ。

 でもな、俺は音楽の力を信じてないわけじゃない。ただ過信してないだけだ。

 俺はな、邦彦。世界なんかじゃなく、身近な奴らの糧になるような音楽を作りたい。

 感動かもしれない。共感かもしれない。哀愁かもしれない。なんでもいい。俺の音楽で心を揺さぶりたい。

 世界はそう簡単に変わらないだろ? でも、人の心は思いのほか簡単に変えることができると思うんだ。

 俺は、十五の時、親父のお古のギターを手にしたとき、そこから世界が変わった。

 嫌なこともあったさ。甘いことばかりじゃない。その世界で生きていくってのは、夢物語とは程遠い。

 でもな、俺は、その世界にいることが幸せで仕方なかった。

 だから、俺は死ぬまで、音楽を作り続けたい。

 なあ邦彦。

 音楽って、いいぞ。






 船戸邦彦は、ゆっくりとベッドから身を起こした。

 懐かしい夢だ。大学時代の親友の夢。

 いろいろな思い出があった。

 それでも、夢に見るのは、いつも同じ場面だった。

 病気で体が麻痺し、ギターはもちろん楽器を奏でるなんてことはできない状況。

 それでも、あいつはパソコンで音楽を作り始めた。誰かに代理の演奏を頼むでもなく、小さな病室で延々とパソコンに向かう。

 汗だくになっていた。ただパソコンを操作するだけで、かなりの体力を使う。それでも、あいつはいつも笑っていた。

 そうして、命を燃やしながら、三カ月かけてあいつは曲を作った。

 タイトルは……

 電話が鳴った。船戸はベッドを降り、受話器を手に取る。

「はい」

「ああ船戸君。すまないね、オフの時に」

「いえ」

 電話は、上司の益美からだった。

「これからでてこれるか?」

 船戸はちらりとカレンダーに目をやる。小さく丸がついた日付。予定を書き込んだことのないカレンダーについた、唯一の印。

 だが、船戸はカレンダーから視線を外し、電話口に「わかりました」と言った。

 ジャケットを羽織り、バイクのキーを持って外に出る。梅雨時とあって、今日も雨が降っていた。もう三日目になる。

 駐車場に置いてあるオフロードバイクのエンジンを入れ、船戸は雨の中を駆け出して行った。



 関係者用の駐車場に入り、バイクを止める。

 地検特捜部千大分室。船戸の職場だった。

 エレベーターに乗り、オフィスに向かう。

 特別監査室というプレートが掲げられた部屋に入ると、慌ただしく動き回る職員が、一瞬だけこちらを向き、すぐに仕事に戻った。

 船戸は室長室に向かい、ドアをノックする。

「どうぞ」

 短い返事がする。ドアを開け、入室すると、資料に囲まれた益美が軽く手をあげた。

「すまんね、わざわざ」

「いえ。仕事ですか?」

 分かりきっているものの。一応聞いてみる。益美が頷いた。

「ああ。今動ける人間が少なくてね」

 特別監査室は特捜部の補佐をするためのセクションということになっているが、実際はそうではない。

 政治汚職や脱税などの事件を担当するのが特捜部だが、最近では政治家たちも狡猾になり、非合法な連中を雇うようになった。

 ヤクザやマフィアならまだ対処のしようがあるが、インテリヤクザがより高度な情報操作を行う組織を作り始めたことにより、証拠の隠滅が容易になったことや、内戦などで活躍していた傭兵や、自国で存在が公になった殺し屋などが日本に流れてきたことにより、政治家の汚職をもう一歩のところで摘発できないという事態が増えた。

 そこで、特捜部の中に、特別監査室という裏セクションを作ることになった。

 監査室の実態を知る者からは、非合法員と呼ばれる職員たちが、法律で禁止されている捜査を行っている。

 そして、その監査室の中には、揉め事を処理する人間もいる。いわゆる、諜報員のようなものだ。

 彼らは、時に武力をもって事件にあたる。

 監査室は、かつて存在したイギリスのSOE(特殊作戦執行部)を基に作られた。

 国外への介入こそできないが、基盤となった組織構成はかなり影響を受けている。

「政民党の白木頼信は知ってるな」

「ええ。ちょうど特捜部が捜査している政治家ですね」

「そう。かなり過激な男でね。我々も特に支援を強めていたんだが……」

 益美の語尾が濁った。

「なにか問題が?」

「うむ。実は、捜査にあたっていた検事が、辞職してね」

「このタイミングでですか?」

「そして、私が派遣していたエージェントが、昨日自殺したという報告を受けた」

「自殺……」

 おかしい。不審点ばかりだ。どう考えても、白木の介入があったのは間違いない。

 だが、こうして益美が船戸に仕事を頼むということは、証拠がないということだろう。

「私はなにをすればよいのでしょうか」

 益美が船戸を見る。

「いいのか」

「断る理由はありません。それが私の仕事です」



 船戸が室長室を出ると、監査室の職員の一人が近づいてきた。軽く目配せする。

 すると、手に持っていた茶封筒を渡し、去っていった。

 船戸はそれを手に、オフィスを出て、カフェテリアで封を開けた。

 そこには、車のキーと、資料がおさめられていた。

 資料に目を通す。白木の経歴や、嫌疑、その後ろに控えているだろう組織のことなどが載っている。

 今日、昼二時に喫茶店で担当検事と落ち合えというところで、資料は終わっていた。

 船戸は資料を封筒に戻し、立ち上がった。

 地下駐車場に向かい、自分に用意された車に乗り込む。仕事をするときは、特別に用意された車を使うことになっていた。

 駐車場を出て、車を走らせる。

 現在の時刻は昼の十二時を少しまわったところ。

 喫茶店までは車で一時間と少し。十分余裕はある。

 雨が勢いを増していた。ワイパーが忙しく動いている。

 雨は好きではない。船戸は溜息を吐きながら、ハンドルを切った。



 喫茶店に少し早く到着したので、コーヒーとワッフルを頼み、軽い昼食をとる。

 二杯目のコーヒーを頼んだとき、検事がビジュウに入ってきた。

 忙しなく船戸の対面に腰かけると、コーヒーを持ってきた店員に「自分にもアイスコーヒー」と注文をする。

「初めまして。検事の正田です」

 差し出された名刺を受け取る。船戸も名刺を差し出す。もちろん、ただ特別監査室職員と書いてあるだけだ。

「話は通ってますか?」

「ええ。資料に目を通したので」

「白木のことは、私と先輩の検事が探っていました。監査室さんの支援を受けているのは知っていましたが、普段は関わりを持たないので……」

 そう。あくまで船戸たちは後方支援要員なのだ。正田たち検事とこうして実際に会うということはほとんどない。今回は特例ということになる。

「先輩は立派な検事でした。仕事を途中で投げ出すような人じゃないんです」

 正田は運ばれてきたアイスコーヒーを一気に半分ほど飲み、歯を食いしばる。

「悔しいんです。白木に脅しをかけられたに決まってる。先輩のような立派な検事が、あんなやつのために……」

 だいぶ感情的になっていた。若いせいもあるのだろう。使命感が強いのもあるのかもしれない。

「落ち着いてください。あなたが冷静さを欠いたら、白木の思うつぼでしょう」

 正田は強く目をつむり、数回深呼吸をした。

「申し訳ありません。取り乱しました」

「仕方ありませんよ。色々なことがありすぎた」

「そちらの職員の方も犠牲になったとききました」

「ええ。その通りです」

「お悔やみを」

 正田は目を潤ませている。強い使命感。まだ若いが、立派な検事だ。

 だが、それ故危うい。

「証拠自体はいくつか掴んでいるのです。ですが、このままでは白木の息の根を止めるまでにはならない」

「というと」

「白木が元CIAの殺し屋を雇っているのはご存知ですね」

 資料に記載されていた殺し屋は、ベッカー・ウイリング。元CIA職員で、汚れ仕事を行っていた。

 ベッカーは九一年にメキシコ連邦警察の依頼で、連邦警察の特殊部隊である特殊作戦群に応援という形で参加。麻薬王と呼ばれたドン・グエンを殺害した。

 作戦の際重傷を負い、メキシコの病院で療養するという連絡を最後に消息を絶つ。

 その後、グエンの残した麻薬の一部を元手に殺し屋ビジネスを始めた。メキシコで数件の殺しを請け負ったあと、故郷であるアメリカに帰国。

 元CIAという肩書をうまく使い、さらに資産を増やし、CIAが本格的にベッカーをマークしたタイミングで国外逃亡。

 現在は、日本で白木の護衛をしているというわけだ。

「おそらく、いや、確実に我々の仲間はそいつに殺されたのでしょう。そうして、あなたの先輩は、同じく白木が雇ったであろう渉外のプロに脅しをかけられた」

 正田が強く頷く。

「船戸さん、千大のご当地アイドルはご存知ですか?」

 一瞬、船戸は言葉に詰まった。まさか、このタイミングでこの話題が出るとは。

 なんとか感情を押し殺し、船戸は返答した。

「ええ。なんせ、彼女たちのおかげで千大が注目されるようになりましたから」

「白木は千大のそうした動きに敏感です。なんせ、金に汚い男ですから」

 そこがねらい目だという。

 正田は、白木と取引をしようとしていたアイドル事業部のひとりと接触し、白木との関係を公にしないかわりに、取引の詳細を話せと持ち掛けたというのだ。

「信用できるのですか?」

「気は進みませんでしたが、家族のことを引き合いに出しました。妻や子供が後ろ指さされてもいいのかと。元々、悪い人間ではありませんでした。白木の甘言にのったのも、病気がちな妻のために金がほしいという理由でしたから。しかし、これでは、脅しをかけるヤクザと同じですね」

「そんなことはありません。しかし、その方は大丈夫なのでしょうか。白木がなんらかの妨害をしてくるかもしれません」

「ええ。同僚と交代で見張っています。何かあれば、私たちが命にかえても証人を守ります」

 本来は非合法な手段で得た証拠は、認められない。だが、証人は正田の言う通りに動くだろう。

 ただ、一介の検事である正田たちが、ベッカーから証人を守り切れるかどうかというのはあやしい。

 船戸の心配を見越していたように、正田が言った。

「今日、ご当地アイドルのイベントが開催されます。彼女たちは本選出場がシード枠という形で決まっているので、ゲストという形での参加です」

 そこに、白木がやってくるという。そこで、取引を進めるというのだ。

「私は、その取引をおさえます。船戸さんは、その時に邪魔が入らないようにしていただきたい」

 大勢の人間がいる場所。プロにとっては、そうした状況は逆に都合がいい。

 だが……。

「どうされました?」

「いえ。わかりました。では、そのように」

 怪訝な顔をする正田に微笑み、船戸は喫茶店を後にした。

 車に乗り込み、カーナビを操作する。

 カーナビが上にスライドし、テンキーと指紋認証装置があらわれた。

 船戸は暗証番号を入力し、指紋を認証する。

 すると、カーナビの下から、ルガーMk2とマガジン二本がせり出してきた。

 船戸は銃を手に取り、マガジンを装填する。

 銃をベルトに装着されているホルスターに差し、マガジンを同じくベルトに装着されているポーチに差す。

 そうして、車を発進させ、一足先にイベント会場へ向かう。

 船戸は、個人的にこのイベント会場に用があった。だが、仕事が入ったことによりその用事は流れたと思っていた。

 不思議なめぐりあわせだ。

 イベント会場近くの百円パーキングに車を停め、会場へ向かう。

 関係者入り口にたつ者に、取り次ぎを頼む。

 しばらく待つと、ひとりの少女が駆けてきた。

「船戸さん、来てくれたんですね」

 満面の笑顔を浮かべるのは、大学時代の親友、朝倉健一の妹、朝倉恵だ。

 健一と恵は歳が離れており、健一はよく接し方がわからないと嘆いていた。

 もともと音楽バカで、それ以外のことに気が向きにくいやつだったから、仕方ないのかもしれないが。

 恵がアイドル活動を始めてからは、余計に距離ができた。

 だが、健一が病気に倒れ、体に麻痺が残った時、一番近くで支え、励ましたのは、恵だった。

 自分が一人前になった姿を兄に見せたい。恵はよくそう言っていた。

 だが、その願いはかなえられなかった。

 健一は自分の命が長くないということを知り、残りの時間すべてをかけて曲を作った。

 その曲は、恵が所属するアイドルグループのために書かれた曲だった。

「ごめんな、なかなか会えなくて」

「しょうがないですよ。船戸さん忙しいんですから。今日はイベント見ていかれるんですか?」

 ゲスト枠で自分たちのミニライブがあるから、見にきてくれないかと誘いをうけていた。

 仕事でイベント会場にはいるだろうが、ライブを見ている暇はないだろう。

「すまない」

 短く船戸は言う。

「そうですか。それじゃ、またの機会に」

 そろそろリハーサルがあるらしく、恵は帰っていった。

 銃を抱いて、親友の妹に会いに来ている自分の浅はかさに嫌気がさす。

 車に戻り、約束の時間まで待ちながら、船戸はそんな自分を誤魔化すように、頬を叩いた。



 イベントが始まった。

 携帯に正田から連絡がはいる。白木が会場に到着したらしい。

 車を降り、会場へ向かう。

 携帯のGPS画面を開く。自分の位置と、登録してある正田の携帯が発進する信号を受信したマーカーが画面上で点滅していた。

 それを頼りに、会場入りする。

 すでに会場のボルテージは最高潮だった。

 マーカーを頼りに正田を探すと、その姿を見つけることができた。

 誰かと話す白木の姿も確認できた。

 白木が、案内され、会場の奥へ消えていく。正田もそれを追った。

 船戸は、意識を集中させた。

 聴覚ではなく、視覚に神経を集中させる。

 少しずつ、音が遠のいていく。

 右、左と視線を動かす。

 いた。

 コートを着た男。それがベッカーだった。

 正田たちとは違うルートで、奥へ向かおうとしている。

 船戸は、ベッカーを追いかけようと動いた。

 と、ベッカーがこちらを見る。

 しばし、二人は音の激流のなか見つめあった。

 一瞬、ベッカーは不敵な笑みを浮かべると、人込みの中に溶け込んだ。

 船戸は、その姿を懸命に追いかける。

 と、いきなり間近にベッカーが現れた。

 まったく、気配をつかめなかった。やはり、相当な手練だ。

 サプレッサーを装着したポケットピストルが、船戸の胸に押し付けられる。ライブを食い入るように見つめる観客たちは、誰一人として気付かない。

 ベッカーが、引き金を引いた。

 だが、銃から弾が発射されることはなかった。

 ベッカーは銃を見やる。

 そのスライドには、船戸が手にしたペンのようなものが押し付けられていた。

 それは、強力な磁力を一時的に発生させ、銃の動きを止めるという装置だった。非合法員に貸しあたえられている道具のひとつだ。

 ベッカーの腕を掴み、耳元で船戸は言った。

「雇われも悪くない。普通じゃ手には入らない道具をもらえるからな」

 船戸は銃を抜き、ベッカーの心臓に三発の銃弾を撃ち込んだ。

 二十二口径の小型弾がベッカーの心臓に小さな風穴をあける。小型の弾ゆえ、大量の血が流れ出るようなことはなかった。

 力なくうなだれるベッカーを船戸は支え、そのまま会場をあとにした。

 後部座席にベッカーを乗せ、正田からの連絡を待つ。

 しばらくすると、電話がかかってきた。

「こちらは成功です。これで白木はおしまいですよ」

 少し涙声だった。先輩のことでも思い出しているのかもしれない。

「そちらは?」

「ええ、無事に」

「そうですか……」

 正田の声が少し沈む。やはり、悪人であるとはいえ、殺すということに抵抗があるのかもしれない。

「本来、あなたは我々とは関係ない。気にするとこはありません。これは、私だけが背負うべき業です」

「……お強いですね」

「そんなことありません」

「そろそろ、あの子たちのライブが始まりますよ。どうです? 一緒に見ませんか? 私たちよりも、彼女たちのほうがよっぽど千大の英雄ですよ」

 少し迷ったが、船戸は車を降り、ライブ会場に戻った。

 まさに、歌いだす瞬間だった。

 不思議なもので、これだけ大勢に囲まれているのに、恵と目が合った。

 軽く手をあげると、恵が微笑む。

「これから歌う曲は、私たちのデビューソングであり、夭逝したロックシンガー朝倉健一さんから贈られた曲です」

 誰もが恵と健一の関係を知っている。だが、それにあえて触れるようなことはしない。

「では、聞いてください。Day After Day」

 入院していた時、よく聞かされていた前奏が響く。

 当時の健一の境遇と、Day After Day(来る日も来る日も)というタイトルから、物悲しい印象をうけるが、そうではない。

 来る日も来る日も、歌い、時に落ち込み、時に励まされという前向きな曲だった。

 なあ邦彦。お前、歌が世界を変えられると思うか?

 日に日にやつれながらも、目の輝きを失わなかった健一は、よく俺にそう問いかけた。

 お前は、今でも誰かの心を動かしてるよ。

 船戸は心の中でつぶやく。

 巻き起こる大歓声の中、船戸は静かに笑った。

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