前世下僕とファムファタル
「何よ。わたくしに口答えするつもり?不愉快ね―――今すぐ床に頭をこすりつけて許しを請いなさい!」
そう怒鳴るとレジーナは、下僕の頬を扇子で思い切りぶった。ばちんと鈍い音がして、その端正な顔が真っ赤に腫れ上がる。
彼は屈辱に震えながら頭を垂れ、絞り出すように「申し訳ございません、お嬢さま」と呟いた。生意気な下僕の屈服を、レジーナは鼻で笑う。
「無様ねぇ。でも下賤なお前にぴったりだわ。だってお前は、わたくしの犬なんだもの!」
……うん、ないわーって感じですね。てか半径一キロ以内に近寄りたくないレベルの性格の悪さですよね。
―――まぁ前世の私なんですけど。泣きたい!
私、鈴木 怜奈には生まれる前の記憶があります。
……中二病もいい加減にしろって?ええ、ええ十分承知しております。
けれどどうかこの懺悔を聞いてください。
前世の私は稀代の悪女でした。
公爵家に生まれ、富と権力と美貌(凄みのある)に恵まれていた私は、花よ蝶よと甘やかされ、大変わがままな令嬢に育ちました。そのジャイアニズムたるや凄まじく、欲しいものはどんな手を使っても手に入れ、逆らう者は容赦なく制裁を与える。そのくせ目上の者の前では大きな猫を被っているものだからたちが悪い。当然、私は多くの恨みを買いました。
中でも下僕―――今考えると何様なんだと思いますが―――には特に恨まれていたように思います。
彼と出会ったのは私が9歳のとき。
お父さまが遊び相手にと買ってきた子ども、それがルイスです。
ルイスはまさに眉目秀麗を具現化したような美少年でした。
宝石のようなアーモンド型の瞳に、色素の薄いさらさらの髪、淡雪のような肌は頬だけが薔薇色に色づく。瞬きしなければビスクドールと間違えそうなほどでした。
―――なんか、わたくしより可愛くない?
悪・即・斬。
幼いころから「悪女面」と言われ続けてきた私は瞬時にそう決めました。
はい、完全に嫉妬です。ルイスもまさかそんな理由で嫌がらせが始まったとは夢にも思わないでしょう。というかばれたら恥ずかしくて死ぬ。もう死んでるけど。
醜い嫉妬にかられた私はルイスをとことん苛め抜きました。それはもう、息をするように人をいたぶります。そのえげつなさといったらまさにシンデレラの継母も裸足で逃げ出すレベル……。うあああ、ごめんなさい!ごめんなさい!
基本的にルイスは何をされても従順でした。ただ目だけは暗い光を宿していたように思います。
そんな私に転機が訪れたのは、社交界デビューのとき。
婚約者だった王太子が他の女(男爵令嬢)にうつつを抜かしたのです。それも守ってあげたくなるようなゆるふわ系!婚約者曰く「彼女には僕がいないと駄目だけど、君は一人で生きていけそうな顔だよね」―――……今思えば、真に叩き潰すべきはこの男でした。
もちろんエベレスト級のプライドを持つ私が、そんなこと受け入れられるはずもありません。
二人の仲を引き裂こうと、男爵令嬢にそれはそれは陰湿な嫌がらせを行いました。ルイス相手に長年ありとあらゆる嫌がらせ行ってきた私にとって、ゆるふわを撲滅することなど赤子の手をひねるも同然。
私は昼ドラも顔負けの手腕で、本当にあと一歩というところまで男爵令嬢を追い詰めたのです。
その日は最後の仕上げにと、池に男爵令嬢を突き落としてニシキヘビのジャミー君(暗黒大陸からの輸入品)と追いかけっこをさせていました。……まさに外道!
しかしそこで予想外のことが起こりました。なんと遊学中のはずの王太子がそこに現れたのです。
私は自分勝手で傲慢で最低でしたが、決して無計画ではありませんでした。自らの悪行を王太子に気づかれないよう細心の注意を払っていたのです。それなのに一体なぜ……。
私の頭の中はパニックになりました。
ろくに弁明もできぬままその場で婚約破棄された私は、栄華を極めた人生から一転、史上最悪の悪女として国中に知れ渡りました。一緒にいじめていた友人も「前から意地悪そうな顔だと思ってたのよね」と次々に私の前から去って行きました。―――って、また顔かっ!!
同時期に私の莫大な散財のために父が税金をちょろまかしていたことも発覚し、一家は国外追放を言い渡されました。もちろん全財産没収です。
地位も名誉も失い、一文無しとなった私。
そこに下僕が現れたのです。
「お嬢様、ご機嫌いかがです」
色々な人が手のひらを返すように冷たくなる中で、ルイスだけはいつもと同じ愛想のない能面でした。
「ふん!下僕が今さらなんの用なの?役立たずのお前の顔なんて二度と見たくないのよ!」
「申し訳ありません。ですがお嬢様、この事態を打破する秘策があるのです」
この秘策という言葉に私は一人でホイホイついて行きました。……アホとしか言いようがありません。
そうして人っ子一人ない真っ暗な森の中に連れて行かれたとき、ようやくあることに気づいたのです。
「ねぇ、よく考えたらいじめの現場を教えたり、うちの秘密を漏らしたりできるのってお前だけじゃないかしら?」
それはほん思いつきのつもりでした。性格最悪のリアル悪魔だった私ですが、根は甘やかされて育った世間知らず。よもや下僕が裏切るなどとは思いもしなかったのです。
「―――その通りですよ。お嬢様」
血も凍るとはこのことです。
逃げる間もなく私はナイフで深々とお腹を刺され、その場に崩れ落ちました。何が起こったか分からないまま激痛に悶え苦しむ私に、ヤツはごっそり表情の抜けた顔でこう言いました。
「どうですか?見下ろされる気分は」
人形みたいな顔でそう言われてくださいよ!?ホラーですホラー!!生まれ変わった今でも人形をみるとゾッとしますね。……ええ、魂レベルでトラウマです。
そのとき私、享年16歳。
いやぁまあね、さすがに死にゆくふちで後悔いたしましたよ。どうしてこんなことになったのか、自分のなにがいけなかったのか。
思い返せば返すほど、同情の余地なんかなくて、因果応報としか言えませんでした。他人を踏みにじってばかりだった自分を、生まれて初めて恥じました。
そして思ったんです。もしやり直せるならまっとうな人生を歩みたいって。
こうして私は鈴木 怜奈として生まれ変わりました。
天から与えられた二度目のチャンスを無駄にはしません。前世で周りに迷惑をかけた分も、今世は他人に優しくそして慎ましやかに生きていくのです……!
―――だってもう殺されたくないですからね!長生きしたいですからね! ええ、切実に!
目指せ大往生!おーっ!!
「この春のよき日に伝統あるサンスクリット学院に入学された新入生の皆さん――――」
なんて希望は高校入学と同時に打ち消されました。
「きゃあ!あれが噂の月城会長よ!」
「ここに受かってよかった!ああ!クールでかっこいい!」
女子が色めき立つ中、ただ一人、私は顔を真っ青にしてガクブル震えていました。
それもこれも壇上で在校生代表の祝辞を贈っている男が原因です。
月城 瑠衣。
生徒会長を務める彼は、日本人離れしたすらりとした長身に、遠目にも分かる怜悧に整った目鼻立ち、ちょっと見ないぐらいのイケメンです。みんなが騒ぎたくなる気持ちも分かります。というか私だって騒ぎたい。
―――前世の下僕そっくりじゃなければね!!
何が似てるってあの目ですよあの目!道端の虫けらを見るような感情のなさ!クールって言うよりむしろドライアイス!氷点下79度!!
大体よく考えてみれば、私だけが生まれ変われるなんておかしな話です。輪廻転生と考えれば(前世はクリスチャンでしたけど)、ルイスが生まれ変わっていたって不思議はありません。
でも何も私の近くで生まれなくたっていいじゃないですか!
あれだけ恨まれていたんです。いくら前世と今世は別物だと言ってもきっとルイス―――今は月城でしたか―――は私を始末しに来るに違いありません。
またしても殺されるなんてまっぴらごめんです。幸い学年も違えば接点もないですし、幸い今の私はレジ―ナに似ても似つきません。普通に過ごしていればきっとばれないはず……!
「ちょっとアンタ」
物思いにふけっていると、前に座っていたギャル系の女子がこちらを睨んできました。先ほどまで月城に向けていた笑顔が嘘のようにトゲトゲしい表情です。
「あ、はい。何でしょう……?」
「何ガンつけてんだよ」
つけてないです。至って普通の表情です。
ですがこういった扱いには慣れています。
そう、生まれ変わった私が唯一レジ―ナから受け継いだものがあるのです―――それはそう!この悪 人 面!
あれ、これもしかしたら一発でバレるんじゃ……。
戦慄の入学から約一か月。
こそこそと学園生活を送る私とは裏腹に、ルイスこと月城フィーバーはとどまることを知りません。
まあ入学から試験は常にトップ、昨年は剣道で全国制覇(誰かを倒すためとかいう動機でないことを切に祈ります)、おまけにあのギリシャ彫刻のような美貌とくれば女子が放っておく訳がないです。
私を睨んできたギャル系女子の姫岡さんたちもぞっこんで、休み時間のたびに三年生の教室に出向いています。
そんなまるで漫画から出てきたような彼ですが、不思議なことにこれまで浮いた話の一つもないそうなのです。学年一可愛い女子が告白しても「興味がないから」の一点張り。女子の間では、そんな硬派なところも素敵!とか、実はチャラ男の副会長とできている!とかなんとか。
思えば、前世で下僕という身分にもかかわらずルイスはあの容姿のおかげでうら若い乙女からマダム、果ては少年趣味のおじ様まで秋波を送られていたような気がします。が、そういった話はついぞ聞きませんでした。
当時はあの鉄面皮に彼女ができるわけがないと高を括っていましたが、あれは恐らくレジーナへ復讐することに全ての執念を燃やしていたからなのではないかと思います。ひいいいい。
「……ちょっと!聞いてんの!?」
「あ、はい!」
イライラした声に現実に戻るとギャル系女子たちが目の前にいました。
げっ!姫岡さん!入学式以来何かと難癖つけてくるんですよね……。
「何また睨んでんの?そういうのマジでむかつくんですけど」
「鈴木何様のつもりなの?」
「ホント姫のこと傷つけるなんてサイアク~」
目つきが悪いのは生まれつき、いや前世以来なんです。
なんて言えるわけもないのでここは素直に謝ります。
「……不愉快にさせたのならごめんなさい」
「それホントに悪いと思ってる顔なの?どうせなら誠意みせなさいよ」
そう言うと姫岡さんは私に委員会の仕事を押し付けてさっさと帰って行きました。
くっ、一年の我慢です!あと一年経てば月城は卒業しますから、それまでは何としてでも問題を起こすわけにはいきません。
「姫岡さんたち、また生徒会室に押しかけて追い返されたから機嫌悪いね~」
「こんなの怜奈ちゃんがやる必要ないよ!先生に言ってなんとかしてもらった方がいいと思う」
「ありがとうございます。でも別にいいんです。私がやらなかったら、姫岡さんが他の人に押し付けるでしょうし」
なら私がやった方がまだましです。前世で悪行を積み重ねてきた分も、今世では人の役に立ちたいですからね。
「怜奈ちゃん。本当にいい子だよね。見かけによらず」
「そんな顔してるのにね」
……もう顔のことはそっとしておいてくれませんか。
委員会の仕事は放課後の学校中の戸締りです。
一年の校舎の端から端まで順番に窓を閉めていくと、最後に音楽室にたどり着きました。
ピアノかぁ。なんだか懐かしいです。
前世ではチェンバロが大流行していました。いわゆる貴族の女性のたしなみというやつで、私も教養の一つとして習っていたものです。
昔取った杵柄というやつかつい指がうずうずして、誰もいないのをいいことに私はこっそり鍵盤に手を伸ばしました。
最初はぎこちなかった指先も、記憶を辿りながら動かすうちにだんだん様になってきます。
ああ、あの頃のことが目に浮かぶようです。
そうそうヘンデルのサラバンドが好きで良く弾いてたんですよね。そう言えば、椅子代わりにルイスを馬にして座ってたなぁ。アイツの友達の前で弾くと、あの能面が屈辱で染まるから癖になって……
―――って、ホントこんな思い出しかない!!
頭を打ちつけたくなっていると、後ろからバサッと何かが落ちる音がしました。
いや~な予感がしておそるおそる振り向くと入口に人が立っています。
鋭利な美貌、全体的に色素が薄い―――私の下僕……あ、いえ月城です。
「その曲……」
噂に聞く喜怒哀楽のないロボットのような彼はそこにはいませんでした。瞬きもせずこちらを見つめ、やがて驚愕に染まった顔をどんどん険しくさせます。
タ、タイミング最悪―っ!!!
「―――お前は、まさか」
ヒィ!やばいやばい!呼び覚ましてはならない何かが!!
「すみませんでしたっ!!」
土下座しそうな勢いで謝ると月城は目に見えて戸惑いました。そりゃそうですよね。プライドの塊のレジーナなら絶対謝りませんし。
その隙に私は速攻でダッシュです!後ろは振り返りません!
私のプライド?そんなものは前世とともに捨ててきました。生 存 第 一 !!
というかあの反応は絶対に覚えてるよ!?やはり積年の恨みは一度殺したくらいじゃ晴れなかったか!!
私の人生ジ・エンドです。いくらなんでも早すぎる!どうか全て私の痛い妄想であって―――!!
明日が来なければいい、とこれほど願ったことがあったでしょうか。
しかし地球が突然滅亡するわけもなく、私は泣く泣く学校にやってきました。丈夫なだけが取り柄の私は仮病も通じません。
ここはプラス思考に考えましょう!昨日の今日で来なかったらそれこそ怪しまれます。堂々としていればばれないはずです!
「鈴木はいるか?」
いやああああ!!来るんじゃなかった!!!
登校してそうそうに月城が私の教室に現れました。なぜだ!何故名前までバレているんだ?!名札か!名札なのか?!
あの月城が初めて関心を持ったと教室から好奇の目が注がれます。
「誰にも興味を示さなかった月城会長が!」
「もしかして月城先輩ってMなの!?」
「いや、会長は鈴木が校内で薬を密売しているのを嗅ぎ取って……」
私のイメージィ!!!
呼ばれたのに無視するわけにも行きません。姫岡さんに至っては殺意にも近い眼差しを向けられながら、恐る恐る月城の前に立ちました。怖くて顔なんてあげられません。それなのに突き刺さるような視線を感じます。あれか、私とレジーナの類似点を探してるのか。ボロを出せば一貫の終わりです!!
「なぜ昨日あの場にいた?」
「そのう、風紀委員の仕事をですね……」
うっかりピアノなんて弾いていましたが。
「風紀委員は姫岡だったと記憶しているが」
「それはええと、用事があったそうなので代わりに……」
はぁ、と月城がため息をつくのが聞こえました。
「またキミか。姫岡、何度も言っているが、委員の仕事は自分でやれ。それが責任だ」
「だって!それはこの人が自分からやりたいって言ったから!」
「今、言い訳は聞いていない。自分でやるのかやらないのか、どっちなんだ」
「……っ!」
「それと用もないのに付きまとうのはいい加減やめてほしい。いい迷惑だ」
うわぁきっつ~。姫岡さんは顔を真っ赤にして屈辱に打ち震えていました。
相変わらず冷たいなぁ。レジーナの時はもっと慇懃な態度だったけど、あの淡々と吐かれる毒舌に何度ブチぎれたことか……。
そっと月城の様子を伺うと、ヘーゼルの瞳とぶつかりました。ビスクドールは何かを言いたそうに一瞬だけ表情を険しくさせましたが、すぐにいつもの無表情に戻って教室から去っていきました。
ふう、心臓止まるかと思った。
でもよく考えたらサラバンドなんて有名な曲だし特定できるわけないですよね。
よかったよかった!一件落着!
「……アンタさえいなけりゃ」
「へ?」
地を這うような声に振り向けば、姫岡さんが親の仇を見るような目で私を睨んでいました。
「このままで済むと思うんじゃねぇよ」
わ、私のせいなんですか?!
放課後、私は姫岡さんに屋上に連行されてしまいました。
携帯も奪われ、一人でいるところをザ・不良といった男子に囲まれればなすすべもありません。
一体何をされるんでしょう……?
そう思っていると姫岡さんが意地悪く笑います。
「あはは!いつまでそうやって凄んでられると思う?今からアンタの酷い姿が撮れると思うとせいせいするっ!」
ザ・不良たちもニタニタする笑いを隠そうともしません。……だがしかし甘い、甘すぎる。
「あのう、もしかして屋上に防犯カメラが設置されてること知らないんですか……?」
全部見られてますよ?とおずおずと言った私の言葉に、姫岡さんたちが固まります。最近は盗難や連れ去りを防ぐために正門や通用門、屋上などには防犯カメラが設置されているものです。
ジャミ―君のときに大失態を犯した身としては、ついつい忠告をしてあげたくなります。え、こんな老婆心いらないって?
すると姫岡さんは顔を真っ赤にすると震えながら叫びました。
「馬鹿にすんな!!」
不良たちが防犯カメラの存在におろおろしている間に、カッとなった姫岡さんが髪を振り乱して掴みかかってきました。ぎゃあ!!
もんどりうって倒れながら、必死に抵抗しているといつの間にかマウントを取っていました。ま、まあ私身長168 cmくらいありますからね。姫岡さんは150 cmなので体格差的にこういう結果になりますよね。
「あのう、私どうしたら……?」
「俺に聞くなよ!」
どうやら不良その一も戸惑っているようです。その時でした。突然屋上のドアから予期せぬ人物が飛び込んできました。
「何をしている!?」
―――で、出たああああっ!!!
月城です!え?これもしかしてはたから見たら、私が手下引き連れてタコ殴りにしてるように見えるんじゃ……。
「月城先輩助けて!!私、鈴木さんにいじめられてて……」
姫岡さんは速攻で泣きマネをしはじめました。
はい――――!?何言ってやがんだ!つーか女優だな!
このままじゃマズイ!この状況は前世のいじめ現場を彷彿とさせてしまいます。
絶 体 絶 命。
真っ青になっていると、月城は有無を言わさず私の腕をつかんで歩き出しました。「先輩待って!」という声が後ろから聞こえてきますがガン無視です。
え!え!?いったいどこに連れて行く気なんですか!?
内心パニックに陥っているうちにあっという間に生徒会室に連れ込まれ、内からガチャリとカギをかけられました。
これはみ、密室―――!!漂う濃厚な犯罪臭!逃げ場などありません。
「ずいぶん楽しそうに話してたな」
「ひぃ!!」
やばい……ついに復讐タイムが来てしまった!殺られる!!
「あの男と付き合っているのか?」
「誤解です!!姫岡さんが掴みかかってきて抵抗しているうちに……今なんて?」
妙なセリフが聞こえてきた気がして私が首を傾げると、月城がけぶるような睫毛を伏せてため息をつきました。いや、ため息つかれても。
「えっと、私が姫岡さんを虐めてると思って連れてきたんじゃ」
「キミが姫岡に呼び出されたのを人から聞いていなければ、あんなタイミングよく駆け付けられるわけないだろ」
「あ、はははは。そ、そうですよね」
「それに君にしては場当たり的で爪が甘いというか生ぬるいというか……。すまない、これは偏見だな」
「……いえ、慣れてますから」
この顔のせいでな。あと前世的には大当たりです。
「ええとそれじゃあ、本日はどのようなご用件で……?」
びくびくしながらそう尋ねると、月城はパッと掴んでいた私の手首を離して少しきまりが悪そうな顔をしました。
「悪かった。つい気持ちばかりが焦ってしまって……キミには嫌な思いをさせてしまった」
「はぁ」
むしろ私が嫌な思いする方がウェルカムなのでは……。どうしよう、話が全く見えません。
「率直に言う。音楽室で会ったときからキミのことが気になっていたんだ」
「ああ、分かります。殺したいほどの屈辱と憎しみを感じたんですね」
「……そんな人間が校内にいたら怖くないか?」
予期せぬ正論!
けどレジーナがらみじゃなく月城がこんな顔が凶悪なばかりな私を閉じ込める意味がありません。これは油断したところを襲う作戦なのではないでしょうか……?私も前世の失敗から学んだんです。騙されない、騙されないぞ!
「じゃ、じゃあ一体何の用だって言うんですか?」
そう言うと、月城は急に口を詰まらせました。そしてどうやったら分かって貰えるのか、と戸惑いながら話しはじめました。
「こういう気持ちになったことがないから、うまく伝えるのは難しい。ただ、あの日から苦しくておかしくなりそうなんだ。キミを見ていると何だか目が離せなくなって、四六時中キミのことを考えずにはいられない」
こ、これってまさか告白……?
嘘でしょ?思いもよらぬ展開に目を白黒させますが、ぽつりぽつりと照れながらそう言われれば、私まで気恥ずかしくなってしまします。甘酸っぱいメロディーが聞こえてきそうで居たたまれません。
もしかして酷い勘違いをしていただけで、本当に私のことを好きなんでしょうか?
いくら前世がとんでもない悪女だからって、今の私は普通の女の子です。こんなハイスペックなイケメンに言い寄られて悪い気はしません。
「キミと目があった瞬間に身震いが止まらなくなった。はけ口のない圧迫感が常に俺を襲う。それからキミが誰かと楽しそうにしてるのを見ると、許せなくなってきて……」
………………。
「つまりキミが好きなんだ」
ちょっと待った。なんかすごく方向性が怪しいです。
その症状100%恐怖と憎悪によるものじゃないですか!?あんなことしておいてのうのうと暮らしてるのが許せない的なあれですよ!
「あ、あのう、それ多分勘違いだと思うんですけど――」
「鈴木にはこの薄暗い恋情は理解できないかもしれない。だが副会長によるとこういうのを『ヤンデレ』と言うらしい」
絶 対 に 違 う と 思 い ま す ! !
今だって腸が煮えくり返りそうなんだと、月城は熱っぽくつぶやきました。
副会長め、なんて余計なことを!!
それ病み10割だから!デレ一切なしのやつ!!……突っ込めないけどな!
「手に入ったものは全て奪われるような気がして、何かを願うことが怖かった。全てに関心が持てなくて虚しくて、正直何のために生きているかも分からなかったんだ―――キミに会うまでは」
復讐か!復讐と言う目的をみつけたのか!
魂に刻まれるほどの傷をつけてしまっていたことは謝ります!本当にごめんなさい!土下座するから殺さないでください!!
「ええと、私まだ恋愛とか興味なくてですね。ほら、学生の本分は勉強ですし!」
じわじわと後ろに下がって月城から距離を取ります。これはまずい。相当まずいぞ。
下手に刺激をして思い出されても困ります。ここはあたりさわりのなく断るのが得策です。
なんて思っていると、月城も距離を詰めてきたではありませんか!
「な、なんで来るんですか!?」
「そんな言い方じゃ、俺も諦めきれない」
背中が壁に当たります。到底好きな子を追いかけるとは思えないほどの無表情で、月城は壁にそっと手をついて私を閉じ込めました。もう逃げ場はありません。
なんて嬉しくない壁ドン。
「……や、やめてください」
いやだ。怖い。
フラッシュバックに体が震える。
色素の薄い少年、見下ろすのひんやりとした瞳、月光を浴びて鈍く光った短剣。
刺された時のことを鮮明に思い出す。
神経が焼き切れそうなほど痛くて痛くて、苦しかった。刺されたところは燃えるように熱いのに、体はどんどん冷たくなっていく。私は泥の中で誰にも看取られずに死んでいった。
どうしようもなく孤独だった。
「悪い。けど今離したらキミは逃げるだろ。これっきりでいいんだ。頼む、せめて俺の目を見て言って欲しい」
月城の真剣な目が間近にある。
ああ、もう無理……!
「―――さいよ」
私はキッと月城を睨んだ。
しつこいのよ。うざいのよ。大体なんなの!?イケメンだからってなにしても許されるわけ!?あんたなんか、あんたなんか私の下僕だった癖に!!
「鈴木?」
どんっと月城を払いのけて、指を指して言いました。
「どきなさいって言ったのよ!あなた一体、誰を見下ろしているつもり?不愉快なのよ―――今すぐ床に頭をこすりつけて許しを請いなさい!」
そう叫べば、その場に重苦しい沈黙が落ちます。
月城の呆然とした様子にふと我に返ります。
し、しまったぁ――――!!!
慎ましく生きるのどこいった!?肉体的な死か社会的な死の二択だよ!
でも月城がルイスそっくりなんだもん!長年の癖も出ちゃうよ!
「じゃ、じゃあそういうことで!」
慌ててとんずらしようとすると、月城が静止をかけました。
「待て。今何かが喉まで出かかっているんだ。もう少しでこのもやもやの正体が……」
「わ――っ!わ――っ!」
死亡フラグが立ってしまった!今すぐ折らなければ!!どどどどどうすれば!?
「月城先輩、それは恋です!」
月城はいぶかしげな眼で見てきました。ですよね!
「……鈴木、さっきと言ってること違ってないか?」
「さっきはさっき!今は今!」
「……そうか」
なんとか勢いで押し切ります。ひいいい、危機一髪!
「なら、告白の返事をもらえないか?」
「へ!?」
「俺が鈴木のこと好きだと認めてくれるなら、返事が欲しい」
なんか今、人生の分岐点にいる気がします。今ここで選択肢を間違うと明日には冷たい体で発見されてしまいそうです。
確かに月城にはもうかかわりたくない。けれど刺激すると何を思い出すか分かりません。
ここはとりあえず私も好きって言ってしまった方が丸く収まる……はず。
ええい、言ってしまえ!形だけだし!帰ったら転校の手続きしましょう。高校は通信制でもいけますしね!なんたって命には代えられません!
「しゅっしゅきです!!」
噛んだ!死にたい!
もてない平凡女にはフリでもハードルが高すぎます!羞恥心いっぱいで苦悶の表情を浮かべて審判のときを待っていると、月城が口を手で覆って肩を震わせながらがらうつむきました。
真っ赤になって泣きそうになっていると、ふいに月城が顔を上げました。よく見ると頬に赤味がさしています。
「悪い。鈴木が困ってるって分かってるのに。けど、俺がそんな顔させてるって思うとうれしい」
そう言って月城ははにかみました。
誰もが見惚れるような笑顔なのに、私の背筋はぞくっとしっぱなしです。冷や汗もだらだら滝のように止まりません。
ラブコメの波動を出してますがお兄さん、それ私を苦しめて楽しいってことだよね?なんてこった!前世の業は根深いようです!
「さっきの言葉、信じるよ」
「へ?」
「好きだっていうのは嘘だったのか?」
途端に雲行きが怪しくなります。
「めめめめ滅相もございません!本心であります!」
私の追い詰められた顔を見て、月城は顔を和ませました。
鉄面皮が嘘のような微笑だが全然うれしくない!
絶望に意識が遠のきそうになっていると、月城にぎゅっと抱きしめられました。
「ひっ!」
ずっと冷たいと思っていたルイス、……いえ月城の体は思ったより温かくて優しい香りに包まれます。どちらのものか分からない心臓の音に目眩がしそうです。
硬直していると近くで挑戦的な声が聞こえました。
「悪い。でも逃がさないから」
前世の私に言いたい、――――今すぐ床に頭をこすりつけて許しを請いやがれっ!!