第1話『脳がNOは言わせない』
3月25日。
もう少しで日が明けようという時刻でも、人はまばらに活動していた。
コンビニの深夜バイトの青年、任意京介は休憩時間に入っていた。
搬入作業も終わってヒマな頃合いであり、店内にいるもう1人のバイトが掃除をしていた。
ふと京介が外を覗くと、知り合いらしきシルエットの女性が店を横切るのが見えた。
(・・・彩子?)
その彩子の足取りが遠めに、なんとなくおぼつかない感じがしたので、京介は店を出て彼女を追った。
「ブサイコ」
京介の言葉に彩子は振り返った。ブサイコは彩子のあだ名である。
ロングヘアでメガネをかけた、垢抜けない感じだが端整な顔立ちだ。育ちのよさが見える。
「・・・任意くん、どうしたの?」
思った通り天舞彩子であった。
「どうしたのって、俺はー・・・その、バイト。そこのコンビニ」
校則でアルバイトは禁止されているので少し言葉が濁った。
このコンビには学校から離れていて、深夜帯なら見つかるまいと思いやっているのだが。
「お前こそ、こんな時間に何してるわけ?」
女子の深夜の一人歩きなんて危険極まりないと続けようとしたが、説教臭くなるので、やめておく事にした。
「うんちょっとね・・・勉強がはかどらなくて、頭冷やしてたの」
彩子の表情に陰りが見えた。
京介はこのところ、貼り出されるテスト順位の彩子の順位が少し下がっている事を京介は思い出した。
何故そんな事を京介が覚えているかというと、彼女の順位がいつもトップ3なのと、ぶっちゃけると京介が彩子に気があるせいである。
ちなみに京介自身の順位は中の下をキープといったところか。
「お前・・・こんな時間まで勉強してんの?」
「うん、期末も近いから」
表情が優れない。寝不足もあるだろうがスランプなのだろう。
元々痩せ型の彩子がやつれて見えた。
瞬間的に京介は彩子の力になりたいととう感情が沸きあがった。
しかしこと勉学に対して自分が彩子にしてやれる事など何もないのだ。
悲しい事に。
「…あ、そうだ、これやるよ!」
京介はポケットに入れておいたチョコレートを差し出した。
新製品なのでとりあえず買っておいたのである。
自分にしてやれる事がとりあえずソレくらいしか思いつかなかったのだ。
「・・・太るから」
いらない、と彩子が受け取りをやんわりと拒否した。
「あっ、あー、そう、そうな、ははは・・・」
あいそ笑いを浮かべつつチョコをポケットに戻した。
「あれ・・・」
彩子の服の肩の一部が青く発光している。
「ちょっとごめん・・・」
「え?」
京介はその部分についている何かを指ですくうように取った。
「・・・雪?」
京介の指の上で発光して徐々に溶けてなくなったそれを見て、彩子が呟いた。
「熱くも冷たくもないけど・・・あっ」
空を見上げた京介は、空から同質のものが降ってくるのを目の当たりにした。
大量に。しんしんと、雪そのものの降り方だ。
(こんな時期に、雪?)
それ以上にこの青い発光が気になるところではあるが。
「薬品か何か混じってる、危険なものかもしれない…」
彩子はそう言ってはみたが、あまりにも美しい光景に動けずにいた。
その雪は2分もしないうちにやんでしまった。
そんな事があってから二週間ほどが経った。
あの翌日から彩子は学校に来なくなり、体調不良で自宅療養だと教師は説明した。
あの様子では仕方もないと思った。
「任意くん、このプリントを天舞さんのところに届けてくれない?」
帰りがけに担任の女性教師が任意に捕まえて言った。
「・・・え、なんで俺?」
「ご指名なの。伝達事項ならメールで渡しているのだけれど、筆記事項があるから…コレはそうもいかなくて」
確かに彩子と京介の家は近いが、もっと適当な生徒は他にいるのだが。
だが、京介としては見舞いに行く口実が出来て嬉しいところであった。
彩子の家は中流家庭という印象の、少し金のかかっている感じの一軒家。門前の雰囲気もそれっぽい。
チャイムを押すと、中から彩子の母親が顔を出した。
「・・・どうぞ、入ってください」
ひどく暗い表情でボソリと呟くようにいった。
何回か見た事はあるが、彩子の母親はこんなタイプではなかったように記憶している。
まあ娘が寝込んでいるならばこうもなってしまうものだろうか。
京介は進められるまま彩子の家に入り、母親の案内で彩子の部屋の前まで来た。
「このまま下にまいりますので、そのままお待ちください」
彩子の部屋のドアをあけると、思ったより狭い空間がそこにあった。
(下?)
彩子の母親の言葉に違和感を感じたが、言われるままその部屋に入った。
瞬間、入ってきたドアが閉まった。
「えっ、ちょっ!?」
ゴウン。という機械音が鳴り、その部屋ごと妙な浮遊感と揺れがはじまった。
「・・・これって、エレベータ?」
大きさ的に貨物運搬用レベル。中流家庭の持ち物ではない。
揺れが止まると、チンとなり、扉が開いた。
京介はおそるおそる、周りを見回してエレベーターから降りた。
降りたそこは洞窟のように岸壁をくりぬかれた状態に手を加え、見たこともない仰々しい大きな機械が稼動光を発していた。
「・・・ははは、個性的な部屋だな・・・」
『やあ、来てくれたね』
声が響いた。マイクを通したようなエコーのかかった声だ。
ビックリして周りを見回しても誰もいない。
「・・・ブ・・・天舞さん?」
本人の不名誉なあだ名はさすがに自宅では言えない。
『ここだよ、任意くん』
声の方向を追ってみると、目が捉えたのは大きな機械であった。
「……なんだ、これ」
『さわらないでくれると助かる』
機械に触れようとした瞬間に声がして、京介は反射的に手を離した。
「コレが話してるのか?…どうなってんだ」
『コレとは失礼な。今は私が天舞彩子だ。まあ説明は面倒だから、コレを見てもらおう』
疑問や疑いの言葉を出そうとした京介を遮り、機械の声は淡々と言葉をつむいだ。
部屋の長いテーブルが真ん中から開いて、下から人が入れるくらいのカプセルがせり上がって来た。
中には、彩子が何かの液体と一緒に入っていた。頭に無数のコードが繋がれている。
「おおっ」
中の彩子は裸であり、色んな疑問より前に京介は鼻の下を伸ばした。
『…おほん、あまりジロジロ見ないで欲しいもんだな』
「(着やせするタイプだな…)オイ、なんだよこの安いSFみたいな光景は?彩子に何しやがった?」
京介は機械に向かって言った。
『フィクションに追いついたのさ、天舞彩子の頭脳がね』
「…分かるように頼む!」
機械の音声はしばし間を取る。
『…君は覚えてるかな?2週間前、君と彩子が見た蒼い雪を』
「…ああ、あったな、覚えてる」
京介の脳裏にその時の情景が思い出された。珍しい光景だっただけに思い出すのも容易い。
『おそらくあの雪が原因なのだろう、彩子の知能が異常な覚醒をはじめた』
機械の声の説明はこうだ。
あの雪を浴びた事により、彩子の脳が異常な活性を開始し、凄まじい量の知識が流れてきたのだと。
しかし人の精神はそれに耐えられない。
それを察した彩子は覚醒した脳で一晩のうちにスーパーコンピュータ『サイコ・ブレイン』を開発した。
彩子を仮死状態にし、知能と人格をサイコ・ブレインに移したのだ。
今だ膨大な情報と知識がサイコ・ブレインには流れ込んできているという。
「…さ、彩子は平気なのかよ?」
『今の状態なら死にはしない。
こうしなければ、精神を病むか脳の異様に肥大化した、頭でかちになっていたところだ。そんな彩子は、君は嫌だろう?』
サイコ・ブレインの口調に、京介の彩子に対する気持ちを知られているのが感じられた。
「…お前が彩子って思っていいのか?ええと、サイコ…」
『ブレインだ。同一ではないが、そう思ってもらってもたいした違いはない』
どうにも言い回しが回りくどい。頭のいい人種というのはこういうものなのか、機械だからなのか。
ここで京介はある疑問が浮かんだ。
「…あれ? でもよ、俺もあの雪浴びたけど、全然平気だぜ?」
その疑問に、ブレインは近くにあった大きなディスプレイに映像を表示させた。
京介の住んでいるこの街周辺の地図、それに赤点や青点が無数に並んでいる。
「何コレ?」
『この二週間で起きた未解決事件だ』
「おい、俺の質問に対する答えは…」
『黙って聞きたまえ。窃盗や器物破損、放火…人間が変死した事件がこの二週間で74件発生している。
その多くが原因不明で科学的説明がつかないものばかりだ。
こんな街で、こんな短期間に、こんなに多く異様な事件が起こっている事に、疑問は生まれないか?』
確かに。京介のような社会の事に対して興味の薄い人間でも、連日のニュースの異様さは伝わっていた。
そして『異様』という単語にピッタリの状況が、目の前にあるという事にも気がついた。
「蒼い雪を浴びた人間が…?」
『その通り』
ブレインが言うには、蒼い雪の効力は彩子のように頭脳進化だけではないらしい。
雪を浴びた時に持っていた一番強い欲望が反映されるのではないか、とブレインは仮説した。
天舞彩子は雪を浴びた当時、勉強に行き詰まっており『頭がよくなりたい』という願望が形に出たのだ。
「…マジかよ、でもよ、俺は本当に何も変わった事なんてないぞ?」
『そうかな? 例えば君の持っている携帯電話、この一週間バッテリーの充電を行っていないだろう?』
「ううん、どうだろう…?」
突然何を言い出すのか。
『君の近所の老犬を3日ほど前に撫でたね? もう立ち上がることも出来なかったあの犬は、今は走り回っているよ』
「…?お前、俺のこと見張ってたのか?」
言葉の意味は分からなかったが、とりあえずそれだけは理解できた。
『仕方あるまい、蒼い雪の被験者で顔見知りは君しかいない。
話を戻そう。君の能力は物質の能力を強化する事ができるのだ』
「はあ?」
ブレインはコンソールの一部を開くと、風船を出した。
膨らんだままなので飛んでいこうとする風船を、京介は反射的につかんだ。
次の瞬間、ブレインのコンピューターから何かが飛んできて、風船に直撃した。
その何かは、風船の弾力に弾かれてそれは落ちた。
「あぶねぇな!」
京介が飛んできたものを拾うと、ソレは針状の金属物だった。
『本来ならば簡単に割れてしまう風船も、君が持つことによってそこまでに強化される』
京介は風船から手を離して、持っている針で風船を突いた。簡単に割れた。
「…また何というか便利というかなんというか…」
使いではちょっと頭がいる感じだ。
『君や私のような能力を持った人間が、犯罪を犯している。
恐らく対抗できるのは同じ体験をした人間だけだろう…今はこの街で満足しているが…
やがて彼らは方々に散らばって犯罪を犯すだろう…今のうちに、この街にいるうちに止めなければならない、そうは思わないかね?』
「…どういうことだよ?」
『君に正義のヒーローになれと言っているのだよ』
京介はその言葉にしばし沈黙し。
「やだよ」
と答えた。
「俺やお前の能力ってどう見ても補助形じゃねぇか。
お前の話だと、力が強くなりたい人間は強くなって、殺人願望があるヤツはそれに長けるんだろ?
犯罪犯すヤツなんてそっち系に違いないだろ?
頭悪い言い方で悪いけど、バーサーカー相手に僧侶じゃ勝負にならない」
現実感のない話に、京介はゲーム的な表現を使った。
『心配しなくていい。君は自分の能力を過小評価している。
使いようによっては、君はどんな能力とも渡り合える幅を持つ能力を手に入れたのだ。
第一……』
ブレインは少し言葉を切る。
『能力に対しての信頼がなければ、君をこんな事に巻き込もうなどとは、彩子は思わないだろう』
その言葉を聞いて京介は何か言い返そうとしたが言葉が出てこず…あきらめてその場に座り込んだ。
「……きたねぇ言い方しやがって」
『嘘はついていない』
表情のない機械がほくそえんだように見えて、京介は内心軽くイラっときたが。
これもまあ彩子の一面なのだなと思い当たるふしもないではなかった。
伊達で長い間、好意を抱いているわけではないのだ。