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マコトノナツ  作者: mia
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6.知りたい


 あの後に起きたことを簡単に説明しよう。誰のためでもない。あたし自身のためだ。

 あたしは一之瀬君のお母さん、夕美子さんに半ば強制的に一之瀬宅へと連行され、そして異様に張り切った夕美子さんは大いに腕を振るって昼ごはんを作ってくれた。何が食べたいかと尋ねられたあたしが「ええっと、お肉が食べたいです」と言うや否や、ビーフストロガノフを作ろうとしたのを一之瀬君が止めに入り、無難な親子丼にしてもらった。すごく美味しかった。夕美子さんは食事中も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、次々と質問攻めにあい、果てはお気に入りの店で洋服を買ってあげるからと暴走し、あたし完全にフリーズ状態。さすがに見かねた一之瀬君が、講義で休んだところを教えてくれるからとか何とか上手いこと言って夕美子さんを説得してくれ、彼に促されるまま2階に上がらせてもらった。



「お邪魔しまーす」

 と声をかけて部屋の中に入った真は、カーペットの上に腰を下ろして一息ついた。一方、彼はひどく申し訳なさそうにドアの側で突っ立っていた。これではどっちの部屋なのか分からない。

「あの、本当に、すみませんでした。母は女の子が欲しくて……疲れましたよね、休んでいて下さい。何か飲み物持ってきます」

 ダテ眼鏡を外して勉強机に置いてから部屋を出ようとする一之瀬の背中に、

「ありがと。あたしは平気だからそんな気にするなよ。良いお母さんじゃん」

 羨ましいよ、と朗らかに笑った真に、一之瀬の強張っていた顔がふっと和らぎ、ありがとうございます、と微笑んだ。

「適当に雑誌やCDを見て待っていてください。真さんの趣味に合わないかもしれないので申し訳ないですが」

「じゃ遠慮なく物色させてもらうよ」

 部屋を出ていく一之瀬を見送った真はぐるりと周囲を見回す。全体的に落ち着いた部屋だ。窓際にベッドがあり、そのサイドデスクにランプと携帯の充電器。部屋の中央に置かれたガラスのローテーブルは下にステンレス製の収納網がついていて、そこには雑誌が置かれていた。テレビは黒のテレビボードに設置され、その中には録画用の機械とDVDプレイヤーがある。

「見事にシンプル、で片付いてるなぁ。お、これ新しく出たばっかのやつじゃん」

 本棚に並べられた漫画や雑誌を見ていた真は朝のテレビ番組で取り上げられていた映画のDVDを見つけて取りだした。

「今度借りに行こうかと思ってたんだよな。へー、こんなの観るんだ。意外」

 DVDを元の位置に戻した時、一之瀬が戻ってきた。

「お待たせしました。オレンジジュースで良かったですか?あと、母が焼いたシフォンケーキもよろしければ」

「わぉ、カフェで出てくるみたいだな。美味しそうじゃん」

 ローテーブルの上に並べられた、泡立てられた生クリームが添えられたシフォンケーキに目を輝かせる。いただきまーす、と大きな口を開けて食べる真を、一之瀬は向かいあうように座って眺めていた。

「美味しいですか?」

 ファミリーレストランに連れられてはしゃぐ子供を見守る親のように目を細める一之瀬に、真は何度も頷く。

「うんうん。ふわふわでしっとりしてて最高。まいうまいう」

「それは良かったです。母も喜びます」

 手を休めることなく食べ続ける真に続き、一之瀬もシフォンケーキを口に運ぶ。


 おうおう。甘いものが似合うなぁ……ん?


 さきほど入手したばかりの情報を思い出した真は首を傾げる。

「あれ?一之瀬君、甘いもの苦手なんじゃないの?極端に甘すぎるのが駄目とかそういうこと?」

「いえ、そういうことではないんです。実は昔、母の仕事に付き合わされて毎日のように山積みのお菓子を試食させられたことがありまして……それ以来、あまり甘いものは食べられない、というか食べなくなったと言うのが正しいですね」

「ふぅん。そういうこと」

 嫌いなわけではないということか。職業が職業なだけに、体重が増えるのを懸念してのこともあるのだろう。

「けど良いよな。毎日お母さんの料理が食べられるなんてさ」

「真さんは寮生ですしね。でも、夏休みの間にご実家に帰るんでしょう?」

「いや、あたし二人兄がいるんだけど、一番上は今フランスに出張中で、2番目は東京で1人暮らししてるから。帰っても意味ない」

「意味が無いって、ご両親がいるんじゃないですか?」

「あー……」

 顔を曇らせた真は逡巡した後、フォークを皿の端に置いて目を伏せた。

「一之瀬君には、まだ言ってなかったね。あたしの両親、あたしが3歳の時に亡くなってるんだ。事故で」

「えっ……」

 息を呑んだ気配を真向かいから感じ取った。いずれ話さなければならないとは思っていたことだ。自分が抱えている問題のひとつを。

 そこそこ仲良くはなったと言っても、重いと思われるかもしれない。それとも同情されるのだろうか。全ては相手の反応次第で決まる。


「二人が亡くなった日は、あたしの誕生日だったんだ。誕生日ケーキを買いに行ったお父さんたちの車に余所見運転してたトラックが突っ込んできて、運転席にいたお父さんも、助手席にいたお母さんも……。あたしとお兄ちゃん二人は留守番をしていて、病院から連絡が来て──」



 両親を一度に亡くした。その現実を受け入れるのに、真はまだ幼すぎた。皐月から連絡を受け、やって来た父方の祖父母と、年の離れた兄二人が病院の廊下で泣いているのを、真は不思議に思いながら見ていた。

『ねえ、皐月お兄ちゃん。真也お兄ちゃん。パパとママはどこにいるの?真のお誕生日終わっちゃうよ』

 ねえねえと無邪気な問いかけを繰り返す真を、兄達は怒りもせず、呆れもせず、無視もせず、ただ大粒の涙を流して、力いっぱい抱き締めてくれた。


 あたしは何も分かっていなかった。いつまで経っても帰ってこない両親を待ち続けた。父方の祖父母の家で暮らすことになっても、あたしはまだ理解できていなかった。

 ついに訳が分からなくなって泣き叫ぶあたしに、真也お兄ちゃんはこう言った。

『父さんと母さんは、会えなくても真のことをいつも見守ってくれているよ。だから泣かないで。真の笑顔を、天国にいる二人に見せてあげて』

 少しずつ、少しずつ。献身的な祖父母と兄達のおかげで、あたしは本来の明るさを取り戻していった。でも心の奥にはまだ、わだかまりが残ったままだった。両親が事故に遭った、もともとの原因を考えるにつれて、それは肥大していって──。

 小学校高学年になり、夕暮れに染まった部屋で、両親の仏壇の前でひとり泣いていると、仕事から帰ってきた皐月お兄ちゃんに見つかった。スーツの上着を着たまま、皐月お兄ちゃんは困ったように笑って長い腕を広げ、あたしを抱き寄せて頭を撫でてくれた。

『真。今、お前が何を考えているのかは聞かない。でもな、これだけは覚えておいてくれ。俺たちは何があってもお前の味方だ。世界でたった一人の大事な妹を、絶対ひとりになんかさせないから』

 あたしは体の中の水分が無くなるほど泣いた。皐月お兄ちゃんも真也お兄ちゃんも、すごく優しかった。嬉しかった。けど、苦しかった。記憶の中の両親の顔は曖昧で、思い出せない。だから時々、昔のアルバムを開く。幸せそうな両親と兄たちを見て、罪悪感が重く圧し掛かる。



「お父さんとお母さんが亡くなったのは、事故のせいなんだって分かってる。でも、ふとした瞬間に思うんだ。あたしが、あたしが生まれてこなかったらって。あたしがいなかったら二人はまだ生きてて、お兄ちゃんたちが立派に成長して働いてる姿を見ることができたんじゃないかって。こんなこと言ってもどうしようもないのは分かってる。けど、あたしがいたせいで……」


 続きを遮ったのは、細くて綺麗な手だった。視線を上げると、テーブルに手をついて身を乗り出した一之瀬が真剣な顔をしていた。目が合うと、整った顔が微かに歪められた。


「そんな、悲しいこと言わないでください。生まれてこない方が良かっただなんて、違う。そんなの間違っている」


 掠れた声で紡がれる言葉、溢れる精一杯の想いが、真の心を溶かしていく。

 何も知らないくせに分かったような口を聞くな。そんな拒絶すら跳ね除けるくらい、彼は我が身を切り裂かれたかのように辛そうにしていた。

 凍りきっていた心が温められていく感覚を味わう。

 どこかで、兄達以外の他人に、認められたいという気持ちがあったのかもしれない。自分という存在を。


 今、目の前にいる彼は、真の目を真っ直ぐに見て、

「僕は、あなたが生まれてきてくれて、この町に来てくれて、本当に良かったと思っています。……あの日、初めてあなたを見かけたあの日から、色がなかった僕の世界は魔法にかけられたみたいに輝きだした。あなたのおかげなんです」

 と言った。

 真の頬に伝った雫が零れ落ちる直前、

「僕はあなたが好きです。大好きです」

 そう呟いた一之瀬は真の口を塞いでいた手を、そっと放した。居住まいを正し、口をきゅっと引き結んで、潤んだ瞳で見つめる。


「僕も、あなたのことをもっと知りたい」



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