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マコトノナツ  作者: mia
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18.彼の優しさ(2)


 夜眠る前、ベッドに寝転がりながら携帯を弄んでいたあたしはレポートの締め切りに追われてノートパソコンと向かい合っている奈緒子に「シーンちゃーん」と気の抜けた感じで呼びかけられた。


「何。レポート終わんないって泣きついてきても手伝わないからな。さっさとやっておかないから駄目なんだよ」

「それは重々反省しておりますとも。っていうか話したかったのはレポートのことじゃないのよね」

「じゃあ何だよ」


 携帯から意識を逸らしたあたしが問いかけると、顔をパソコンに向けたまま奈緒子は明るい口調で、


「ぶっちゃけ一之瀬君とはどこまでいったのよ。ちゃんと上手くやってる?」

「どこまでって、上手くって、──何が?」

「はぁっ?」


 ぐりんと首を回して凝視してくる奈緒子の迫力にたじろぐ。瞳孔開いてるって。後ろに何か黒いの背負ってるって。

 少々ではなく大分引き気味になっているあたしをよそに奈緒子は違う次元に入ってしまったようだ。顔に手をあてて低い声で続ける。


「鈍い鈍いとは思っていたけど……ここまでいくと最早、残酷な天使じゃない。神話にでもなるつもり?一之瀬君も何ちんたらやってんのよ。何のためにモデルやってんのよ。見つめ合って名前呼んで頬染めるくらいで満足してても、見てるこっちは全然足りないんだっつうの。もっと抱き締めるなり唇奪うなり愛の言葉を囁くなりしないと──」

「お、おい、奈緒子?頭おかしくなったのか?」

「まぁでも流石にこれ以上は我慢できなくなってるみたいだし、後はこの鈍感で残酷な天使を何とかするしかないのかしら。そうとなると……」


 祈るように組み合わせた手で顎を支え、ぶつぶつと呟いている奈緒子をしばし呆気に取られて見つめていたが、依然状態は変わらないので放置することにした。


「残酷な天使って何だよ……」


 どこかで聞いたことのあるフレーズだと思い、記憶を辿らせてみる。

 ああそうだ。従姉妹の文月お姉ちゃんが歌っていたんだっけ。今日遊びに行った時に。そこまで思い出して、眉間に皺が寄るのを抑えることができなかった。その根源は全て、あの夫妻にある。



 亡くなったお母さんの姉の一人娘にあたる、菅野(すがの)文月。未亜や一之瀬君たちが通っていた華里大学付属高校で教師をしていて、和菓子屋“ふじがや”の主人と結婚している従姉妹である。兄たちとの約束で定期的に文月お姉ちゃんの所へと顔を見せに行かなければならないため、今日、バイトに行く前にあたしは藤ヶ谷邸を訪れたのだった。いつもは従姉妹が満面の笑みで出迎えてくれるのだが、今日は違った。椿の生け花が飾られている玄関に入って従姉妹を呼ぶも、一向に現れなかった。しばらくすると上品に着物を着こなした従姉妹の義母が奥から出てきて「あらあら、ごめんなさいね。寒いからお上がりなさい」と従姉妹夫婦が暮らしている離れに案内してくれた。何度も来たことはあるが広くて未だに迷子になる。離れに着くと従姉妹の義母はお茶とお菓子を持ってくるからと戻っていった。離れとは言っても夫婦だけで生活するには広く立派なもので、我が従姉妹はとんでもない所に嫁いだものだと最初は思っていた。その“とんでもない所”に更に圧力がかかったのは時を待たずしてのことだったが。


『文月お姉ちゃん、ここにいんの?あたし、真だけど』


 従姉妹の私室のふすまの前に立って声をかける。人の気配は感じるが返事がない。『入るよ』と断ってからふすまを開けた瞬間、あたしはとてつもなく後悔した。

 文月お姉ちゃんは部屋の隅で膝を抱えて座っていた。それはもう暗いオーラを全身から発し、周囲の空気がどんよりと淀んでいた。


 これ面倒臭いパターンだ


 そう悟ったあたしは回れ右をして帰ろうとしたが、何やら口ずさんでいるので耳を澄ます。一瞬お経を唱えてでもいるのかと思ったが、どうやら違う。まるで廃人のような有様の従姉妹に怯え、声をかけあぐねていると、


『いらっしゃい、真ちゃん』

『うおうっ!?ななっ誰、……ふ、藤ヶ谷(ふじがや)さん』


 心臓が停止するかと思った。音も気配もなく背後に立ったのは従姉妹の夫、藤ヶ谷優紀(ゆうき)。渋い紺色の着物を見事に着こなす彼は“ふじがや”の主人としてお店を切り盛りしている。綺麗に切り揃えられた前髪が特徴的な彼は手に急須と2人分の湯のみとお菓子がのったお盆を持っていた。


『そんな所で立ち止まってどうしたの?──ああ、まだ治ってなかったんだね』


 部屋の隅に視線をやり、困ったようにため息をつく姿は繊細で儚く、まさに和風美人である。冷えるから中に入って座って、と勧められたので適当に座布団を引き寄せて座った。藤ヶ谷さんは小さなちゃぶ台にお盆を置き、慣れた手つきで湯のみに急須でお茶を注いであたしの前に差し出した。礼を言って受け取り、一口啜って息をつき、本題に入る。


『あの、文月お姉ちゃんに一体何が……』


 斜め向かいに腰掛けた藤ヶ谷さんは頬に手を添え『驚いたでしょ?昨日からあんな調子でね』と話し始めた。ちなみにこの間、文月お姉ちゃんは念仏ではないものをずっと歌っていた。


『文月ね、朝から映画を観に行っていたんだよ。出る前までは嬉しそうに支度をして、いつもは嫌がって脅さないとしないのに珍しく自分から“行ってきます”のキスもしてくれて、とても機嫌が良かったんだ』

『へ、へぇ……』


 途中物騒な単語が耳に入った気がしたがこの夫婦には色々あるんだと気にせずに流したのは賢明な判断だろう。


『ところが帰宅した文月は打って変わってこの世の終わりみたいな顔をしてね。理由を聞いても「解せぬ、解せぬ……」って言うだけなんだ。何の映画を観たんだろうと半券を確認したら知らないタイトルだったから、ネットで色々調べてみたんだけど、その映画、最後に主人公の友達のく』

『ぎゃぁああああ!止めろ!その先は言うな!言ったら前歯全部折るぞ!』


 いきなり叫びだして話を中断させた文月お姉ちゃんはハッとし、顔面蒼白で頭を抱えた。心なしか涙目だ。また歌いだした。

 要するに映画を観に行った従姉妹は結末に絶望して今に至るのだと分かった。彼女らしいといえば彼女らしい。気が抜けたあたしはお菓子に手を伸ばして食べ始めた。羊羹美味い。

 お茶と羊羹につられたのか、文月お姉ちゃんも歌を中断させて藤ヶ谷さんと向かい合うように座る。


『……優紀、お店はどうしたの。ここにいてお義母さんから怒られないの』

『大丈夫だよ。母さんから持っていくように頼まれたんだ。それと文月の様子を見ておきたかったから』

『……ごめん。真もごめんね。せっかく来てくれたのに無様なとこ晒して』

『いやいいよ。文月お姉ちゃんが元気なくて何事かと思ったけど、安心した。あ、あたしバイトだからもう行かないと。ご馳走様でした』


 ミリタリージャケットを羽織ってリュックを背負い、立ち上がると文月お姉ちゃんと藤ヶ谷さんも玄関まで見送りについてきてくれた。


『また遊びに来てね、真。今度“Un chat noir”にも行くから』

『僕がいつ行っていいって許可したのかな?』

『うげっ。いいじゃん、可愛い従姉妹に会いに行くんだから大目に見てよ』

『真ちゃんも気をつけないといけないよ。あんな男だらけの巣窟で、文月みたいに隙ばかり見せていたら何が起こるか分からない。真ちゃんのお兄さん達から十分に注意して下さいと任されているんだ』

『無視か。もういいよ。ふん、この前録画した映画1人で見て削除してやるもんね』

『削除したらどうなるかは文月が一番分かってるよね?』

『冗談ですごめんなさい』


 玄関で繰り広げられる見慣れたやり取り。あたしは早々にお暇しようと二人に挨拶し、“Un chat noir”に向かったのだった。



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