10.戦闘準備
どうしてこうなった
真は引きつった笑みを浮かべ、鏡に映る自分の姿を眺めていた。後ろでは未亜や蓮実、奈緒子たちがやいのやいの騒いでいる。
「可愛いっ!真ちゃんマジ天使!」と携帯で写真を撮る未亜。今日は彼氏と会うって言っていたはずだ。
「真ったら意外と良い脚してるんじゃない。今まで出し惜しみしちゃって」とにやにやしている蓮実。言うことがおっさんだ。
「一応ウォータープルーフのマスカラとアイライン使ったけど、映画観て号泣したりしないでよ。あと目を擦るのも厳禁」と化粧道具を片付けている奈緒子。女子力高過ぎだ。
度重なる携帯のカメラのシャッター音と浴びせられる言葉に真の頭の中でプツンと糸が切れた。
「黙れ黙れ!こんなのあたしじゃない!似合わないし!もう外に出たくない!ってか出れるか!」
喚く真に構わず三人衆は撮影会を始め、終いには画像をメールで一斉送信している。その送り先は月島姉弟、神城圭、同じ学科の友人、隠れ真ファンの女子、芹河剛、なぜか未亜の彼氏である小埜雪生にまで。ちなみに小埜からの返信は
〈約束の時間を遅らせてまでしてお前は何をしてるんだ。さっさとこっちに来い〉
とあり、思わず「スルーかよ!」と突っ込んでしまったが予想はしていた。年上の恋人からのお叱りメールを受けた未亜は名残惜しそうにしながらも、寮を後にして小埜のもとへ向かった。真の髪をワックスで整えていた奈緒子は時計を見て、
「ほら真もそろそろ行かないと。靴は玄関に出してあるから。今日は未亜の借りたけど、今度勝負用の靴買いに行かないとね」
「はぁ?勝負って、何と戦うんだよ」
怪訝そうな顔つきになった真に対し、蓮実は誇らしげに胸を張って
「私が見立ててあげるから安心しなさい。女のお洒落は靴から決まるって言うくらいよ。下手なものは選べないわね。ふふ、腕が鳴るわ」
「はぁ?」
更に怪訝な顔になる真だったが、黒のショルダーのポシェット(蓮実に借りた)を持たされ、ヒールのある黒のエナメルパンプスを履かされ、「タイツだから大丈夫だとは思うけど、靴擦れには気をつけてね」と絆創膏を渡され、部屋を追いやられた。
「ちょ、待て!鍵閉めんな!チェーンまでかけやがって!……くそ、意味が分からん」
不満を零しつつ寮の廊下を歩いていると、すれ違った知り合いの女子が皆「シン、気合入ってるね!」「背の高い相手は頭を撫でるのが効果的よ!」と、これまた意味不明なことを言ってくる。
なぜだ。あたしはただ、一之瀬君と映画を観に行くだけなのに。いや、ご飯も食べるけれども
階段を降り、管理室にいるおばちゃんに外出の旨を伝える。事前に外出許可願いは出してあるので名前と時間を記入して滞りなく受理された。門限までには戻ると言い、玄関の方へと向かおうとしたら、
「しっかり掴んで来るんだよ、真ちゃん!朝まで帰ってこなくても、おばちゃんが上手いこと処理しておくからね!」
と、ぐっと親指を立てて頼もしげに言ったおばちゃん。
意味が分からん。掴むって、何を?
「あ、まあ……はい、頑張ります」と適当に相槌を打ち、待ち合わせの時間が迫っていることに気づいた真は足を速めた。
慣れないものを着ている所為で足がスースーする。信号待ちで止まると、未亜たちから“初めて”のお祝いにと貰った香水の匂いが鼻腔をくすぐる。甘いフローラルの香りで、香水があまり好きではない真でも、これは結構いい匂いだと思えた。
10月下旬となって朝晩は肌寒くなってきた。天気は快晴で雲ひとつない。今日の待ち合わせの場所も大学の正門前の本屋だ。真は携帯で時間を確認し、5分ほどの余裕を持って自動ドアをくぐり抜ける。まだ来ていないだろうと辺りをきょろきょろ見回しながら店内を歩いていくと――人気の少ない棚のところに、一之瀬がいた。
彼は黒のインナーシャツに少し大きめのベージュピンクのニットを重ね、下はダークブラウンの細身のパンツに黒の編みブーツ。ブーツインすると大抵は脚が短く見えるはずなのだが、彼の場合はそうならない。人目を気にしてか、今日は黒縁のダテ眼鏡とパンツの色に合わせた中折れハットを被っていた。肩にかけた鞄はいつも大学で見かけるときに持っているものと同じ、丈夫さと使いやすさに拘ったシンプルなデザインのものだ。
一之瀬はハードカバー本が並ぶ棚を物色していた。ふと、何かを見つけた彼は腕を伸ばして一冊の本を取った。その装丁とタイトルを見た真は思わず、「あ」と声を出してしまった。出してから顔をしかめ、素早く一之瀬がいる棚を挟んで反対側に隠れた。自分の今の格好を振り返って、急に怖気づいてしまった。
「今の声……」
めくっていた本から顔を上げた一之瀬は不思議そうに周囲を見る。近くには誰もいない。首を捻りつつ本を元の場所に戻し、ゆっくりと真の方へと歩き始めた。迫る足音に、逸る鼓動。真は今にも口から心臓が飛び出てくるのではないかという焦りと混乱に唇を噛み締め、胸の前で手を組む。最早真自身何がしたいのか分からない。
「……真さん?」
背後から遠慮がちに呼びかけられた。もう逃げられない、逃げようがない。
ああ、あたしはどうしてあんな事、あの3人娘に口走ってしまったのだ
4日前に時間を戻したい
『なんか隣にいて申し訳ないっていうかさ。あたしみたいなのと一緒にいて、一之瀬君に迷惑かかってるんじゃないかと申し訳なくて……』
つい弱音を吐いてしまったのがいけなかった。自業自得だと言われても仕方ない。こうなったらヤケクソだ
真は意を決して振り返った。笑おうと思っても頬が硬くて持ち上がらない。
「お、おは、よ」
右手を上げる。ぎくしゃくと油の切れたロボットのごとき動きはバイト中の真からは考えもつかない。3人娘も驚きだ。
一之瀬の瞳が大きく見開かれる。ひゅっと鋭く息を呑んだのが分かった。
深い深い沈黙が、二人を囲んだ。




