試合終了
――試合終了のホイッスルが鳴った
短く2回、そして3回目は長く。
見下ろしていたフィールドで、選手たちはがくりと膝をつき、ある者は地面に突っ伏し、ある者は天を仰いだ。
私は思わず、手にしていたスコアボードを形が変わるくらいに握りしめていた。
最後の『ノータイム』の掛け声を喉の奥に飲み込んで、代わりに、震える吐息を細く風に流した。
試合が終わり、一気に肩の力が抜けた瞬間、すっかり忘れていた12月の寒さが蘇ってきて、噛みしめた歯の根がかたかた、と震えた。
クロスをそれぞれ体の脇に立て、メットを外して背筋を伸ばした選手たちの目は、一様に赤かった。
いまフィールドに崩れ落ちている選手たちがどれだけ練習を重ねてきたか知っている。勝ち続けるために、どれだけ努力をしたか知っている。
それでも、負けた。
目頭が熱くなったけれど我慢した。唇を噛みしめて必死にこらえた。
私が泣くわけにはいかない。
だって今、フィールドに立っている選手は、私よりずっと泣きたいはずだということを知っているから。
大丈夫。
大丈夫、泣かない。
すべての試合に勝ってすべてのチームの頂点に立たない限り、必ず訪れる敗北の瞬間を経験するのは4回目だから大丈夫。
私がこのラクロスというスポーツを知ったのは、大学に入学してからだ。それまで、名前は知っていてもどんなものなのかは知らなかった。それも、女子ではなく男子ラクロス。女子ラクロスといえば、可愛らしいチェックのスカートを翻して優雅に対戦するイメージが微かにあれど、男子ラクロスというスポーツに関しては全くの素人だった。
しかしながら、入学式直後の勧誘で右も左も分からぬ時に、ラクロス部の先輩に捕まって、半ば押し切られる形で連行された試合見学で、私は惚れてしまったんだ。そのスポーツに。
野球くらいの大きさのボールを追って、サッカーコートと同じ大きさのフィールドを全力で駆け回り、サッカーゴールの半分以下の大きさのゴールを狙う。攻守交代が早く、見ていて飽きることはない。
女子ラクロスと同じ先に籠のついた『クロス』という棒を使ってボールを運ぶのだが、男子ラクロスにおいてこれは武器にもなる。端的にいうと、相手をクロスで攻撃することが可能なのだ。
無論スポーツである以上そこにルールは存在するし、無秩序に殴り合う野蛮極まりない競技ではない。
言うなれば、球技と武道を足し合わせたような性格を持つのだ。
謳い文句の『世界最速格闘球技』はまさにラクロスという競技を端的に表していると言えるだろう。
私は一瞬で魅了された。
そのスピード感に。一瞬の攻防に。何よりその迫力に。
男子ラクロスの虜になった私は、誰より近くで試合を見るために、マネージャーになることを決めた。それがもう3年以上前の春。
しかしながら、右も左も分からぬ状態で、足手まといになった私に、3つ上の先輩は言った――とにかく3年間、続けてみて。そうしたらいろんなことが分かるから、と。
あれからちょうど、3年が経っていた。
試合会場から撤収し、外で集合した仲間は、だれ一人、一言も発しなかった。
ただ、時折、ずず、とすする音がして、小さな嗚咽が漏れていた。
私はまた、唇を噛みしめる。寒さのためか震える手で、スコアボードを胸元にしっかりと握りしめたまま動けない。
ぱっと、山城くんと目があった。
いつも明るく、前向きで、誰より早く練習に来て誰より遅くまで練習する彼は、去年、先輩が負けたときだって一人肩を震わせながら涙こらえていた。
なのに。
グラブで頬を拭った彼を見ていられず、私は目をそらした。
心臓が耳元で鳴り響く。見てはいけないものを見てしまった気がして、動揺した。
「夕希」
鼻声で名を呼ばれたが、返答できなかった。
声を出したら、泣いてしまいそうだったから。
足元に影が下りて、山城くんが近くまできたのが分かった。
「スコア、見せて」
私ははっとして握りしめていたスコアボードを渡した。
山城くんの持っているスコアを横から見たキャプテンの小嶋くんが悔しげに呟いた。
「ああ、もうやっぱり……後半、特にラストクォーター、俺のショット数0かよ……」
ATリーダーの小嶋くんは、うちの得点源だ。が、今日の試合では後半からマークがきつく、ほぼ得点なし。
「ポゼッションは?」
「1Q、2Qが平均して約半分、3Qが4割程度、4Qのみ3割きってます」
別のマネージャーがてきぱきと答えた。
「最後はディフェンスもダメ、か……クリアがほとんどないんじゃ、小嶋にショット打たすこともできなくて当たり前だ」
ため息を漏らすように山城くんが呟いた。そして、愛用のロングクロスに額を預けるように目を閉じる。
山城くんが堅実な守備でボールを奪い、小嶋くんが点をとる。それがウチの常勝パターン。最後の試合、どうしてもその流れに持っていけなかった。
相手が強かったと言えばそれまでだ。
落胆したみんなに、何か言いたいのに。気の利いた言葉の一つでも出てきたらいいのに。ただのマネージャーなのに。私が負けたわけじゃないのに。試合に出てもいないのに。
どうしてこんなに悔しいんだろう。
だめだ。声を出したら嗚咽が漏れそう。
「ありがと、夕希」
山城くんからスコアボードを受け取って、私はそのまままたボードを胸に強く抱え込んだ。
泣かないようにと唇を引き結んだ私を見て、赤い目の山城くんはぺん、と私の額を軽く叩いた。
「泣きそーな顔して。何、我慢してんの?」
その言葉に、胸がぎゅっと詰まった。
「だ、だってっ……」
声が震える。
「私なんかより、フィールドに立ってた選手の方がつらいんだから、私なんかが、泣いちゃ、ダメだと思ってっ……」
何とか紡いだ言葉に、山城くんは赤くなった目を丸くした。
「ただのマネージャーで、試合に出たわけでもなくって、それなのに、私なんかが……」
「夕希」
私の言葉を止めたのは、目の前にいた山城くんではなく、キャプテンの小嶋くんだった。誰より練習熱心で、勝利への執念も人一倍、これまでずっと強い言葉で皆を導いてきた彼の声もまた、涙声だった。
「自分より辛いヤツがいたら泣かないのか? 自分より不幸なやつがいたら泣いちゃいけないのか? 何だ、それ」
いつものように、選手たちに激を飛ばすときの口調だった。
「お前は、俺たちがお前より辛いからって泣くことを許さないほど心の狭い人間だと思ってたのか?」
「そういうわけじゃ」
余裕のないキャプテンの声に、ますます胸が詰まる。
緊迫した雰囲気に、ほかの選手もこちらに注目する。
「夕希さん、今のは」
後輩マネージャーが止めに入ろうとしたけれど、小嶋くんの視線に気圧されて引き下がった。
「バカにすんな、俺らだって……」
さらに続けようとした小嶋くんを止めたのは、目の前にすっと下りてきたロングクロス。
「落ち着け、小嶋。言いたいのはそういう事じゃないんだろ?」
山城くんが私の隣に立った。
彼のクロスの半分くらいしかない、私を見下ろして。
「夕希だって一緒に4年間頑張ってきた仲間なんだ。辛いのも、苦しいのも、悔しいのだって同じはずだ。それとも、一緒に頑張ったって思ったのは俺たちだけだったのか?」
はっと小嶋くんを見ると、いつものようにまっすぐ、私の方を見据えていた。
「毎朝選手と一緒に部活に来て、一緒に練習して、一緒に試合に来て、どうして夕希だけ辛くないなんて、誰が決めた?」
それは。
「それとも、夕希は悲しくないのか? 試合に負けても全然悔しくない程度にしか、ラクロスに思い入れがないのか?」
問われて、私は首を思い切り横に振った。
「よかった」
山城くんは涙の痕が残る目尻をきゅっとあげて、笑った。
私は試合に勝った後に見る、彼のこの笑顔が好きだった。
ああもう、選手たちのためを思ってって我慢してたのに。
だって私なんかが……
私はそのまま俯いた。
これ以上、山城くんの顔を見ないように。
「まあ、何ていうか、要約すると――」
すると彼は、ひょい、と体を傾げ、私の顔を覗き込んだ。
突然のことに、頭が真っ白になる。
「頼むから一緒に泣いてよ」
山城くんの言葉で、私は逃げ道を失った。
ぼろ、と大粒の涙が零れた。
「……ばか」
私の4年間は、ラクロスばかりだった。
朝練習、昼練習、夜ミーティング、そしたらまた朝練習。
フォームを見るためのビデオを撮って、スコアをかいて、ショットの成功率を計算して、合宿の準備をして、試合になったらドリンクの用意をして。選手のためにテーピングやマッサージを覚えて。
アタックというポジションが、ディフェンスというポジションがあるように、私は私のポジションで、ずっと戦っていたんだ。
そのすべてが報われた気がして、悔しいのにとても嬉しかった。
4年間、苦楽を共にした仲間と悔しさを分け合って号泣しながら、私は心の底からみんなに感謝した。
そしてようやく、3年前に先輩の言っていた言葉を理解した。
だから私も引き継ごう。
この気持ちを、この言葉を。
3年後に、後輩がきっと同じ想いに触れて、思い切り泣くことができるように。
唐突に何か書きたくなって、あと無性に「ノータイム」って書きたくなって、夜中のテンション2時間弱で書き殴り。
少女マンガ短編的なのを書きたかったけど失敗した感が否めない。
完全なるフィクションですのであしからず。
明日の朝読んで、あまりにひどかったら消してしまうかも。