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異説故事成語『虎の威を借る狐』

作者: 平均王子

 さて、むかしのお話です。荊という国の王様、宣王は配下の者達を呼び集めてこうたずねました。

「聞くところによると、なんでも北の国々では国王であるこのわしよりも宰相の昭奚恤(しょうけいじゅつ)のほうを恐れているそうな。ただの噂なのかそれとも真実なのか……いったい本当のところはどうなのじゃ」

 聞かれた配下の者達は、しかし、困ってしまって答えることができません。まさか「はい、その通りです」とは言えませんし、その噂自体、彼らの耳にもちらほらと入ってきています。「いいえ、違います」……と断言してしまうのも後々どうなることでしょう。

「どうした。誰か聞き及んでいるものはおらぬのか」

「……王様。わたくしめが存じ上げております」

 再度の問いかけに対して、群臣の中から声が上がりました。ゆったりとした足取りで一人の男が階下に進み出てきます。

「おお、江乙(こういつ)ではないか」

 彼の名は江乙。宰相の昭奚恤とは政敵の関係にある人物です。

 群臣の中の幾人かが、ひそひそとささやき交わしました。宰相がこの場にいないことにつけこみ、なにかよからぬことを王に吹き込むのではないのか――と。

 しかし江乙もまた実力者の一人であり、面と向かって指摘できるものはいません。

「陛下におかれましては、『虎の威を借る狐』という話をご存知でしょうか」

「うむ? 知らぬのう。こたびのことと、なんぞ関わりがあるのか?」

「さよう、まさにこたびの陛下と宰相殿の関係を鏡に映したような話と言えましょうか」

「ほう。なにやら面白そうじゃのう。苦しゅうない、話してみよ」

「ははっ」

 深く拝礼をした江乙の口元に、かすかな笑みが浮かびました。それは本当にかすかな笑みであり、王も周囲の群臣も、だれもその微笑には気付かなかったのです。

「されば、これはとある虎と狐の物語。強き虎と、ずる賢い狐の話にございます――」

 そして江乙はゆっくりと語り始めたのでした…………




 虎は、あらゆる種類の獣を狩っては、それを喰らうのです。あるとき狐を捕まえました。虎が頭からかじりつこうとします。

「待ってください! あなたは私を食べてはならないのです!」

 鋭い牙が脳天に突き刺さろうとしたまさにその寸前、狐が叫び声をあげました。虎の口がピタリと動きを止めます。

「……なんだと?」

「て、天なる帝(神様)によるご下命です! よく聞いてください。先ごろ天帝様は私を百獣の長へと任じられました。このこと、聞き及んではいないのですか……?」

「……貴様のようなひ弱なのが、百獣の長にだと?」

 虎は顔をしかめました。虎には、この弱々しい狐が百獣の長――あらゆる獣達の頂点に立つ存在であるようには、どうしても見えなかったのです。

「もし今あなたが私を喰い殺すようなことがあれば、これは天帝様のご意思にそむく大逆の行いとなりましょう」

「…………」

「う、疑っていますね? ならば、こうするのはどうでしょうか……?」

 狐がおずおずと提案したのは、とても簡単なことでした。狐がほかの獣達のいる場所をただ歩く。それだけです。

「獣達は百獣の長である私の姿を見て、恐れて逃げ惑うことになるでしょう。あなたは私の後ろにしたがってその様子を確認してください。そうすれば私の話が真実であるということを理解してもらえると思います」

 虎は少しの間考え込み、結局は狐の言うとおりについて行くことを選びました。

 それでは、と二匹が前後に分かれてゆっくりと歩みを始めた、そのときです。

「……いや、やはり待て」

 背後で虎が静かに声を発しました。ビクリ、とした内心外身の動揺をなんとか押し殺し、狐は振り返りました。爛々と輝く、しかし、あるいは穏やかにゆれる静謐(せいひつ)の湖水にも似た――虎の瞳が、じっと狐の姿を見つめています。

「俺からも提案がある。よく考えれば当然の事だ。……受けるか?」



(ちっ……さすがに馬鹿じゃねーんだな。俺っちの痛いところを的確につく、見事な斬り返しだぜ)

 今度は狐が顔をしかめる番だった。もちろん表情には出さず、虎の提案にただただ首肯するだけである。

 天帝に命じられたなどとは、もちろん嘘である。虎に後ろを歩かせ、その虎自身を見せて他の獣を怯えさせる。それが狐の策略だったのだが、それは簡単に覆されてしまった。

 虎の言う提案もまた、ごく単純なものである。狐の後ろについて歩くのではなく、離れて様子を観察する。それだけなのだ。

「何故ならば、俺がすぐ後ろについて歩いてしまっては、たとえ他の獣共が逃げ散ったとしても、俺か貴様のどちらに怯えたのかが解らんではないか。歩くのは貴様一人だ。俺は離れて観ていよう。むろん、貴様が逃げ出すようなことがあれば……」

 虎が牙を剥き出しにし、ニヤリと笑った。『どこまでも追いかけて必ず喰い殺す』ということだ。

(逃げ切るのは……たぶん無理なんだろうなあ)

 尻を向け離れてゆく虎のうしろすがたを、狐はただぼんやりと見ているだけだった。

 最初から距離が開いていれば、あるいは逃げきれるかもしれない。しかしそれが甘い夢想にしか過ぎないことを、狐はすでに実感として理解させられていた。

 先ほどの遭遇時のことである。気配を隠すことなく現れた虎。ゆっくりと近づいてくる虎。いつもの狐なら絶対に逃げだしていたはずなのである。しかし、それができなかった。見えない何かが狐の体を圧し、その動きを完全に硬直させていた。虎の前足に捕らえられ絶対に逃れることができないことが確定したその時、見えない重圧は体から離れ、やっと狐は声をあげることができたのである。

(おそらく、あれがあいつの“百獣能力[ビーストセンス]”……うわさに聞く“虎ノ威[タイガープレッシャー]”か……!)

 天帝の加護を受ける獣達に宿る特殊な力、“百獣能力”。精神の力によってそれぞれの特徴を強化したり、弱点を補ったりと様々である。

 “虎ノ威”は虎の持つ“百獣能力”であり、周囲の獣に強力な威圧感をたたきつけて怯えすくませ、その動きを封じ込めるという効果を備えている。

(逃げようにも、体格差からくるスピードの量に加え“虎ノ威”による足止め効果で絶望的。かといってこのまま一人で歩いても、どこのどいつが俺っちなんかを見てびびるってんだよ。嘘がばれて、やっぱりジ・エンド。あーあ……こりゃ、まじで詰んでんじゃねーか)

 天を仰ぎ、虚ろな笑みを浮かべる狐。もうあきらめて、虎に喰われることを受け入れようというのであろうか。

 ――否。そうではなかった。虚ろに笑うその口元には意思が宿りだし、目には精気が戻ってくる。それは今や、勝利を確信した笑みとなっていた。

(へへへ……なーんてな。俺っちは狐なんだぜ。クールに狡猾、そいつがモットーさ。この八方塞がりの局面、俺っちの“百獣能力”でくつがえす……!)

 そう。狐もまた百獣に属する一体なのである。天帝の加護を受け、その身には“百獣能力”を宿している。“嘘ツキ狐ノ毛皮[ライアーフォックスファー]”。その効果は――

(一度でも見たことのある“百獣能力”の力を借りて、自分の能力であるかのように使うことできる。まさに嘘つき狐の名にふさわしい力だぜ。虎さん、虎さんよう。俺っちを捕まえるためとはいえ、自分の能力を見せてしまったのは、まずかったなあ……あんたのその“虎ノ威”、遠慮なく“拝借[ハイジャック]”させてもらうぜ!)

 ――コォーン! コォーン!!


「ヘッヘッヘ! オラオラ、天帝様に任じられた新たな百獣の長様がお通りだぜ! 雑魚共は道をあけな!」

 狐が往けば、獣達はみな逃げ散っていった。肩で風を切り、狐はまさに有頂天である。

(くぅーッ! めちゃくちゃ気持ちいーぜ! 強い奴ってのは、いつもこんな気分なのかよ!)

 “嘘ツキ狐ノ毛皮”は他の“百獣能力”をコピーするが、その際ある程度の効力を減じてしまうという制約を持つ。そのため、“虎ノ威”の効果を発揮している狐を見た獣達は、すくんで動けなくなるのではなく、あくまで正体のわからないプレッシャーに気圧され、半ば本能的に逃げ出すのである。

「ま、そこんところは適当に調節しようと思ってたけど結果オーライってね……んん?」

 道端に、狐を見ても逃げ出さない獣がいた。じっと狐を見つめている。

「なんだてめー、俺っちが怖くねーのかよ……って、なんだあ?」

 近づいてみると、それは小さな子ウサギだった。完全に硬直してしまって、ふるえることすらしていない。

「ああ……さすがにガキだと、俺っちごときの半端な“虎ノ威”でもきつかったか。悪りぃ悪りぃ、待ってな。今解除して……」

 しかし、狐は“虎ノ威”を解除せず、無言になって子ウサギを見つめていた。

 狐は基本的には肉を好む。雑食ともいわれるが、実際は獲物を捕らえられなかった時の、いわば緊急避難なのである。

 目の前には小さな子ウサギがいる。柔らかそうだ。こんなに簡単に獲物にありつけることなど、今までなかった。

「……そうだよ。俺っちは今、百獣の長なんだぜ。無敵なんだよ。それに虎の旦那もどっかで見てんだ。喰える獲物を喰わなけりゃ、俺が疑われちまうんだよ。……悪いなボウズ。お前さんには運がなかったんだ……せめて苦しまねーように、一瞬で殺ってやるからな……!」

 狐の牙が子ウサギの喉笛に押し当てられた。あとは力を込め、一気にかききるだけである。簡単なことだ。

「………………!」

 ――子ウサギが逃げてゆくその背中を、狐はじっと見つめていた。その目にあるのはわずかな悔恨と、しかしそれを上まわる安堵である。

「あーあ。まるで脱兎の如く……じゃねーな。脱兎そのものか……へへ。さてと、今ので虎の旦那が怪しんでちゃいけねーや。“嘘ツキ狐ノ毛皮”――“虎ノ威”を“拝借”!」

 ――コォーン!

 再び狐の体に“虎の威”が宿る。湧き上がる高揚感。

「さあさあ! 百獣の長様だぜ! どいつもこいつも――」

「――我をさしおいて、百獣の長を名乗ろうとは」

 ズンッ、と腹底に響く声が辺り一面を支配した。

「万死に値するぞ、下等種めが」

 狐に舞いおりた高揚感はあっけなく飛散し、いまや本能からくる恐怖を抑えるのに全力をふりしぼらねばならない有様だった。

 声の主が傲然と近づいてくる。その身にまとうは、まぎれもない王者の風格。雄大なる四肢。最強の爪牙。そして、黄金のたてがみ。

「我こそが百獣の王――獅子である」

「あ……あ、あ……」

「ふん。見れば見るほど下等の極みよ。天帝に命じられたなどとうそぶいていたようだが、それも騙りであろう。だがたとえ真実であろうと、そのようなことはどうでもよい。百獣の頂点たるは常に我のみ。うぬがその頂に立つというのであれば、それは我に対する挑戦にほかならぬのだ」

「うあ……あああ……」

「どうした。そうして腑抜けているだけか? 仮にも百獣の長を名乗るのであれば……む!」

「……ああああああぁぁっ! 全力ッ! “虎ノ威”!!」

 狐の体から、先ほどまでを上まわるプレッシャーが放たれた。生けるものが持つ生存本能が“百獣能力”の力を引き上げるのだ。

(たのむ! これで逃げてくれ……ッ!)

 たとえ強大な獅子とはいえ、獣である以上、其の行動は本能によっておおきく制限されてしまう。怯えを感じること、すなわち命の危機である。獅子もまた獣であれば、逃げ出さずにはおられないはずなのだ。

 しかし――しかしである。

「――ふん。そのようなプレッシャー、我がたてがみをそよがせる事すらできぬぞ……ヌウンッ!」

 微塵もひるむことなく獅子が突進してきた。前足の横殴りによって狐は弾き飛ばされ、岩に強く叩きつけられる。

「ぐあァッ!」

「どうした、もう終わりか。……ふん、やはり下等種。このていどであったか」

 体中が痛みで悲鳴をあげている。どうしたところですぐには動けそうにない。

「く……な、何でだ。何で“虎ノ威”があんたには効かねーんだ……」

「“虎ノ威”……? まあ些末事よ。確かに我もまた百獣の一種ではある。本能のさだめから逃れうるものでは決してない」

「くぅっ……だ、だったらなぜ……?」

「冥土の土産に聞くがよい。幾代も前の我が祖先の話よ。かの者は臆病であった。他に勝れる巨躯や、強き爪牙をもってしてなお、どうしようもなく臆病だったのだ。ある時かの者は、道を失いし人の娘と出会った。遠き緑の都にいると云われる偉大な魔法使いに会い、故郷へ帰ることを望むのだという。我が祖先は考えた。遠く名にし負うほどの魔法使いであれば、己に強き心を授けてくれるのではないかと。そして人の娘と共に旅をし、かの魔法使いと出会った我が祖先は、決して何者にも屈さぬ勇ましき気概……すなわち、『勇気』を望んだのだ……」

「……ま、まさか……!」

「そうだ。それこそが、我が誇り高き血統に脈々と受け継がれる力。王者の名にふさわしき“百獣能力”。見るがいい! “勇マシキ獅子心[ライオンハート]”!」

 獅子が天をも震わせるほどの咆哮を放った。全身が眩いばかりの黄金の輝きに覆われる。

「その効力は精神の完全防御。恐怖、威圧はもちろんのこと、幻惑や混乱といった全ての精神負荷は、我には一切通じぬ。王者に挑まんとする者、姑息なる策を弄すことなかれ、ということだ。……さあ、下等種よ。我の話は終わりだ。弱者は強者に奪われる……それが真理よ」

「く……くそっ」

「…………先ほどうぬは、幼き兎の小僧をわざと見逃したな。どういう了見であったのだ。うぬには得がたき馳走ではなかったのか……?」

「……わかんねえよ。ただ、あんな年端もいかないボウズを喰うなんて、百獣の長がすることじゃねえって思ったんだよ」

「ふん。それは違うな。全ての下々には、王のために全霊をもってして奉仕せねばならぬ義務がある。その結果が死であろうと受け入れねばならぬ。あのときあの小僧は、うぬに喰われるがさだめであった。それを受けきれなんだうぬは、しょせん王たる器ではなかったということよ」

「そ、そんなことはねえ! そりゃあ、俺っちだって狩りはするさ。自分より小さい奴なんて、いくらも喰って生きてきたさ。でもな、あんなチビスケをあんな風に殺っちまうのは、いくらなんでもねえんだよ!」

「……そうか。王のあり方を否定するのだな。不遜の極みなり。ならばその命をもって償ってもらうぞ!」

 獅子の前足が振り上げられ、高く天を射抜く。もはやどうにもならない運命に、狐はかたく目を閉じた。

間をおかず轟く風斬りの音。そして衝撃音。

(……! …………? 生きている?)

 狐は死んではいなかった。おそるおそる目を開いてゆくと、そこには――

「おのれ! なに奴か!」

「俺か。俺は……」

 黄と黒に彩られた大きな壁が、狐を守るようにして獅子の前に立ちはだかっていた。


「おい、狐よ。大丈夫か」

「と……虎の旦那じゃねーかよ。なんであんたが俺っちを助けてくれるんだ……?」

 狐を死のふちから救い上げたのは、あの虎であった。振りおろされる獅子の爪を、疾風のように駆けてきた虎が間一髪で弾きとばしたのだ。

「あんた、ずっと見てたんだろ。どうせ俺っちが百獣の長じゃないことも気づいてんだろ……」

「だが一時とはいえ、貴様は百獣の長として立派にふるまった。弱きは助け、強きには挑む。見事だったと思う」

「あ……あんなの、なりゆきでしかたなくって言うか……別に俺っちが偉いってわけじゃねーよ」

「それでも俺の目には眩しく映ったのだ。俺は己を恥じた。まさか貴様のような軟弱そうなのに教えられるとはな。おまえは助けるに値する男だ」

「……ちぇっ。褒めてくれるのはうれしーけど軟弱はひでーや。俺っちだって気にしてんのにさ」

「ハハハ……さて。動けるならできるだけ離れていろ。これからこの地は――」

「――戦場となる。狩りではない、粛清の場よ。うぬら、王を虚仮(こけ)にしておいてただで済まされるとは、よもや思うてはおるまいな……!」

 獅子が一歩を踏み出した。怒りに染まった闘気がその身を覆っている。虎もまた、敢然たる威風をもってそれに応えた。

「だ、旦那!」

 行け、と再び促され、あわてて狐は駆け出した。

 直後、大気が、大地が、すべてが震撼した。咆哮と咆哮が相打ち、渦を巻き、弾かれては激突するをくり返す。

「“虎ノ威”!」

「! “勇マシキ獅子心”!」

 “百獣能力”。虎の烈気が暴風となって周囲を蹂躙し、その中をものともせずに黄金の弾丸が突き進む。そして幾度目かの激突。

 一方が一方の力を完全に打ち消してしまうという能力の相性を考慮すれば、この勝負、“百獣能力”は勝敗には全く影響しないかに思える。

「虎よ! うぬはこれまで“百獣能力”の性能に頼り、身一つで闘争を乗り越えてはこなんだのだ!」

「…………!」

「我は違う! 常に己の実力のみをもってして、我が敵を屈服せしめてきたのだ! 力に頼るうぬと、頼らざる我……この闘争を決せしものは、まぎれもなく“百獣能力”、その差異にほかならぬ!」

 獅子の一撃が、虎を吹き飛ばした。力も速さもほぼ互角ではあったが、それを使いこなす力量に差が生じていたのである。獅子は虎の攻撃の多くを防ぎ、逆に虎は獅子の攻撃を幾度も許してしまった。その蓄積は確実に動きの鈍化へとつながり、とうとう決定的な直撃となって虎にのしかかってきた。

「だ、旦那!」

 いてもたってもいられず、狐は虎に駆け寄った。自分が出てきても何もできないのに。しかし駆け寄らずにはいられなかった。

「……おい。離れていろと言っただろう。いや、逃げろ。どうやら、俺ではあいつに勝てんらしい。時間は稼いでやる。逃げろ」

「そんなわけにいくかよ! 旦那は強いんだろう! あんなやつ、あんなやつ……!」

「無理だ。悔しいが、“虎ノ威”に頼って己自身の技を磨いてこなかったというのは、言われてみればその通りなのだ。このままでは俺もおまえも共倒れにしかならん。ならば……」

「いいや、ダメだ。旦那は死なせねえ」

 狐が虎の言葉をさえぎった。すでに臆病はなく、あるのは勝利への計算のみ。クールに狡猾、それが嘘つき狐のモットーなのだ。

「もちろん俺っちも死なねえ。この八方塞がりの局面、俺っちの“百獣能力”でぶっ壊す!」

「……いい面構えだ。何か策があるのだな」

「ああ。細かいことは言ってらんねーけど、まず俺っちが…………」

 短く告げられる二三の言葉。そして両者は立ち上がる。

「……死の覚悟は決まったようだな」

 悠然と近づいてくる強大な死。だが、狐にも虎にも恐怖は無い。傷ついた体をおして、それでもなお立ち上がり、隣りに確とある姿影のなんと頼もしきことか。

 最後の決戦である。

 ――狐が動いた。

「む……!」

 単身、獅子に向かって駆け行く。否、正面ではなく、回り込むような、弧を描く動きだ。

「…………!」

 迎撃はたやすい。だが、虎が臨戦の構えをとって気を放っている。手負いの虎。迂闊には動きづらい。

「ぬうっ! これは……!」

 狐が足を止めた。虎の立つ場所から、獅子を挟んでちょうど反対の位置。

 ――挟撃戦法――

 しかし獅子は動じない。それどころか、その口から出てきたのは嘲弄のわらいだった。

「……ククク……ハーッハッハッハ! 前門の虎に後門の狼……ならぬ、後門の狐ごときとはな、血迷ったか愚か者どもめ。警戒せねばならぬのが一方向しかないのでは、挟撃策として成立しているとは言えぬ」

「……そりゃそうだろうさ」

「……何だと」

「俺っちがこっちに来たのは、一つは虎の旦那から離れる。二つ目にあんたには近づく。この両方を満たすベストな位置取りだからさ。前門の虎にケツ見せるのはさすがに怖いだろ」

「……だが、うぬに何ができると言うのだ?」

「それを今から見せてやるんだよ! いくぜ! “百獣能力”! “嘘ツキ狐ノ毛皮”! “拝借”…………“勇マシキ獅子心”!」

一度でも見たことのある“百獣能力”を、一時的に自分の能力にする――しかし狐が選んだのは“虎ノ威”ではなく“勇マシキ獅子心”であった。

それにより、狐は精神防御能力を手に入れたのだが、当然のごとく獅子が動じるはずもない。

「……ええいっ! だからなんだというのだっ! 我が“百獣能力”は防御の力、それを模倣したところで――」

「あんたは! 王様だから『貸し借り』なんてしたことがないんだろう! 俺っちの“百獣能力”は

相手の能力を強制的に“拝借”するんだ。そしていいか、借りられたもんはな……旦那!」

「応ッ! 俺の力を全て込めよう……獅子よ! これが全身全霊、“虎ノ威”だ!」

「ぬうっ、“勇マシキ獅子心”…………な、なにぃっ!?」

 驚愕が走る。“虎ノ威”の波動が獅子を貫き通したのだ。体を眩く覆うはずであった黄金の光は、弱々しく明滅しているにすぎない。

「わ、我の“勇マシキ獅子心”が……な、なにゆえ発動せんのか!」

「……借りられたもんは減っちまう。無くなっちまう。“拝借”するってのはそういうことなのさ。あんたはもう、“虎ノ威”を半分しか防げない」

 それが“嘘ツキ狐ノ毛皮”の、真の能力。一定距離内の、一度でも見たことのある“百獣能力”の所有者から、距離に比例して“百獣能力”を“拝借”する――危険を承知で虎の反対側に回ったのは、虎の側で“虎ノ威”を受けてしまうと自分が金縛りにあい、せっかく“拝借”した“勇マシキ獅子心”が解除されるかもしれなかったからである。

「お……おのれ下等種……!」

「そしてあんた、虎の旦那に『能力に頼っている』っつったけど、そりゃあんたも同じなんだよ。能力に頼って、いままで恐怖なんて感情、味わったことないだろ。だから、半分の“虎ノ威”でもう動けなくなっちまってるんだよ。……まあ、初めての恐怖体験が全力の“虎ノ威”だったってのは、さすがに同情するけどな!」

 そして狐が飛びのいた。間髪いれずに虎が獅子に飛びかかる。最後の力を出し切るようにして迫る虎と、恐怖にすくみ思うように動けない獅子。勝敗は明らかだった。激闘はもはや長くは続かず、虎の爪が獅子の片目を切り裂き、牙が肩に突き立つ――


「……逃がしてよかったのか……?」

「あー、まあ何てゆーか……」

 結局、獅子にとどめはささなかった。狐が制止の声をあげ、虎もそれを了承したのだった。

 ――我が借りを作るとはな……

 逡巡の後、そう言い残して獅子は去っていった。

「いずれまた、巡り合わせる。そんな気がしてならんのだがな」

「その時はその時さ。旦那もあんな決着は、納得いかなかったんだろ?」

「……そうかもしれんな」

 なんとなしに顔を見合わせ、そして笑いあう。日は沈みかけ、赤く染まった大地に、影が長くのびていた。

「しかし狐よ。終わってみればこの戦い、お前の一人勝ちのようなものだったな。獅子にしろこの俺にしろ、お前の手のひらの上で踊っていたようなものではないか」

「そんなことねえって。旦那が助けてくれなきゃ、今頃、あいつの腹の中さ」

「うむ。だが、俺一人では獅子には勝てなかった」

「いいじゃねえか、また鍛えればさ。それに、最後の局面、俺っちはたしかにあいつの“勇マシキ獅子心”を“拝借”して勝った。でもよ、今はそうじゃなかったって思ってんだ」

「……どういうことだ?」

「旦那の“虎ノ威”がなけりゃ、勝ちようが無かったってことさ。つまりあの最終局面、俺っちが“拝借”した……いいや、“力を借りた”のは、“勇マシキ獅子心”ではなくて、“虎ノ威”だったってことさ」

「……なるほど。さしずめ、『虎の威を借る狐』といったところか」

「ああそうさ。『どんな強大な敵でも、力を合わせて立ち向かえば、必ず勝利の道は開ける』……そういうもんなんじゃねえかな」



 そして二人はまた、顔を見合わせて笑いあうのでした。

 こののち、友誼を結び義兄弟となった二人は天帝に会い、様々な陰謀に巻き込まれながらも力を合わせて乗り切ります。獅子との再会を経て、奇妙な共闘関係を築いたりすることにもなるのですが、それはまた、別のお話なのです。




「どうですか、王様……!」

「うむ。いやまあ、どうですかと言われてものう………………」


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