ノルマ制作業 その二
軍事郵便葉書は「みてみん」かのんべびーのページに掲載しました。
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皆、夜が明けないうちから空腹に耐えかね、朝食を待ちわびる為に目覚めが早い。
固い意思を持っていた者が、こうして空腹に責め続けられると一ヶ月で完全にくじけてしまっていた。
まだ早過ぎるというのに、夜が白々と明け始めた頃から飯上げが動き出す。
氷を取りに行っていた橋本と村山が戻ってきた。
「いやー、ご苦労さん。すまんな」
待ってましたとばかりに小出は飯盒の氷を掴み取った。
「見ろよ、虫の良い奴だこと」
橋本が言いながら村山と見合って笑っていると、班員達は俺も俺もと駆け寄って二人を取り巻いた。
班員達は橋本と村山の飯盒が空になるほど氷を奪い取り、岩塩と氷を噛む音が朝の静けさを破って部屋中に広がった。
飯上げ当番が帰ってくると、今朝は昼の携行食に鱒の塩引きの切り身があがり、あっと驚かされた。
だが食事当番の二人は、大きさの違った一切れ一切れをブリキの小刀を使って平等に分配しなければならないので、容易なことではなかったようだ。
この日もまた工場行きかと思っていたら、そうではなかった。
収容所の坂を下りきって左へ向かう大通りが工場への道なのだが、歩哨は右へ曲がって歩き続けた。
町辻を幾つも突っ切る折、工場へ向かう工員らしい人々とすれ違う。
とうとう町を抜け出て山間に入ると、班員達は不安に駆られ青ざめた面が更に青ざめ、互いに面を見合うおどおどした様子は隠し難いものだった。
しばらく歩いて田代が、
「きっとコルホーズですよ、兵長殿」(※)
と、私の肩を叩いて言った。
そうであってほしい、と私は心の中で何度も祈った。
「おい、いやに落ち着いているね。さすが満鉄(満州鉄道)の社員さんだよ」
私と田代が並んで歩いている間を割って入って来た渡辺が、田代に向かって言った。
そして前方に広がった大地に驚いたようで、小躍りしながら、
「おおおーッ、農場だよ」と指差して叫ぶとまた、
「こんなでっかい農場があったのか」
と、大声で叫びながら班員一人一人の肩を叩き回っていた。
今の今まで不安気だった一同は急速に明るさを取り戻していった。それは何かにありつけるだろうという期待と喜びが湧いたからではなかろうか。
やがて丘を越えて広がる大地は馬鈴薯畑だとわかった。
私は葉が凍え枯れた畑を眺め、芋の花の盛り頃をぼーっと思い浮かべていた。
芋畑の横を歩み行くと、大きな倉庫とみられる建物が七つほど見えた。
我々が建物に近づくと、七、八人の男女が手を休めて一斉にこちらに見入っていた。
倉庫はどれも大きなものばかりで、住居も兼ねていることを知った。
その中でも一番大きな倉庫は、地下二段式の倉庫で貯蔵庫の一角にはブルトーザーとトラクターが置かれてあった。
倉庫の周りには山羊が放たれている。
間もなく農夫の二人が手篭を幾つか持って来て、芋の起こし方を手真似をしながら教えてくれた。
我々は農夫の指示で、畑の中を這うようにして芋掘り作業を始めた。
班員の殆どが開拓団員だけに掘り起こした芋の山が出来ていくと、いつのまにか活気づき開拓地・満州の話が出る。
両手に鈴なりの芋を握りしめるときだけは指先が凍る痛さも忘れる。
石井は芋を胸に抱きしめると、
「十年も辛抱して家を持ち、牛十頭も飼ってやっと一人前になったのによ・・・」
と、震える声で言ったと思うと、急に泣き出す。
石井の流す涙で芋洗いしているようだ。
班員達の中には口の周りを泡立てながら、美味そうに生芋を食べている者も居る。
食べ物を扱っているときの笑顔が久し振りに見られた私は、とても嬉しかった。
田代の通訳で農夫から農場主に、「少しでいいから分けてもらいたい」と話を通してもらうと、
「昼食時に飯盒一杯ずつ食べて良い」
という許可を得た私は一同にその旨を伝えると、班員達は畑の中を飛び跳ねたり、駆け回りしての大喜びだった。
それから一時間程して工場から昼のサイレンがかすかに聞こえると、農夫が手を振って昼食時を告げてくれた。
我々は近くの林へ入り枯れ枝木を集め、焚き火をして飯盒を火にかざしだしたが、皆待ちきれず、半煮えも構わずに空腹に詰めし込んでいった。
満腹になった勢いで午後の作業は進められ、農夫の「ハラショ、ハラショ(素晴らしい)」の声に一層、励みがつき、おかげで帰るときに農場主から大きな芋の丸茹でを幾つか貰い受けた。
いざ帰るという時、班員達が隠し持っていた生芋が各人の足元へぽたぽたと落ちて、皆顔を見合っては決まり悪そうだった。
私の足元にも生芋が五個ほど落ちた。
これを見た農場主が落ちた生芋を拾い、私の服のポケットへねじ込んだ。
顔から火が出る思いだった。
この様子を見ていた歩哨は、傍らでにやにや笑っていた。
私は神の前へ膝まづく思いで目を閉じた。
各々貰い受けた茹でた芋を飯盒に詰め込むと、石井は喜びの顔で、
「明日も此処へ来てぇもんだ」
と、茨城の方言そのままで語った。
それは石井に言われるまでもない願いだった。
すっかり陽の落ちた山道は薄闇に包まれ、道の両端には霜柱が立っていた。
収容所に着いてみると、ペーチカの中に火が燃え盛っていた。多分、週番の平山兵長に違いないと思った。
作業から帰って部屋が暖かいということは、本当に心が安らぐものだ。
夕食を取りに行った当番の山本と勝田の二人がニコニコ顔で飯樽を背負い、戻ってくるなり、
「塩漬けの鯡だよ、鯡だよ」
と夕食の分配をさて置いて大声で叫んでいた。
今日は運の良い日なのか。
「今日の昼飯にも鱒の塩引きが出たしよ」
と渡辺が喜んでいると、中廊下の扉が開き、
「食事当番、携帯天幕を持って炊事場へ」
と、週番平山兵長が叫んで行き去った。
当番の山本と勝田の二人は、狐につままれてやしないか、間違いだよ、と言い合いながらもたもたしていると、
「なんのこった、俺が代番で行く」
と、棚の上から天幕を取り出した渡辺が一人で炊事場へ駈けて行った。
食事分配が終わったところへ渡辺が天幕を肩に背負い戻ってきた。
「二キロパンと言うのは、これのことらしい。兵長殿、貨車卸しの時のだって。中隊で俺達だけだってよ」
と渡辺は言うと、食事当番の寝床の上へ、どかっとパンを降ろした。
「今日という日は・・・」
班員達は口々に呟くように言うと、誰の目も潤みだした。
その後はまるで混乱状態に入ったようだった。ソ連に引かれ来てから、コウリヤン粥だけの飢え続きだっただけに皆んな気が顛倒しているのだ。
今日は農場で馬鈴薯を食べさせて貰い、帰りには土産まで貰い受け、部屋に戻ってみれば増配のパンまで出た。
賑やかな食事も済み、そろそろと皆が床へ入るのを待って日記を書き始ると、平山兵長に言われたことを思い出した。
お前は友のことばかり考えていて、このままでは初年兵達の犠牲になってしまうぞ、と言われた。しかし千六百名の中に俺一人くらい、そんな奴が居たって神様に罰当たりだと叱られはしまい、とつっぱねた。
日記を書き終え、友が寝沈むのを見ているとペーチカの火は、とろ火になっていた。
ペーチカの周りを見たが、薪も石炭の欠片も見当たらなかった。
もう皆んな寝入ったらしい。
私は一人毛布にくるまり、今日みたいな食える喜びと幸せがまたあってほしいと心の中で祈った。
しかしこんな日ばかりが続くものではない。
平山兵長の言葉は戦後の今も、日記を書くたび思い出す。
空腹のまぶたにいっぱいの芋の花
ノルマ上げピンハネされて泣き寝入り
虜囚とは目玉のない労働者
鼻水も凍りかけたり秋の暮れ
───抑留讃歌───
※コルホーズ・・・旧ソ連の集団農場。協同組合形式で農民が集団経営する。
ペーチカ・・・石造りの暖炉。建物の一部として天井までレンガや粘土で築き上げ、火を燃やすようにしたもの。
二キロもあるパンがあるのかと驚きましたが、二本を33人で分けたら一人100グラムほど。
コウリヤンの粥と足しても、とても成人男性に足りているとは思えません。
しっかり栄養を取らせた逞しい労働者に働いてもらうほうが良いのではと思いますが、ロシアは貧しい国だったという祖父の言葉を思い出すと、コルホーズのような大きな農場があるとはいえ食料にも余裕はなかったのでしょう。