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友は待っている  作者: 秋やん with かのんべびー
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最后のラッパ その三

 日本軍有利と伝えられていたそうですから、こういった漫画も描けたのでしょう。

 じっと見詰めてしまった葉書の一枚です。

挿絵(By みてみん)



 翌八月十六日、早朝。

 師団司令部から、「チチハル管区の各部隊は兵器敞へ集合せよ」との命令があった。

 午前十時、各部隊は続々チチハル兵器敞へ集合を開始した。これに依って師団司令部には偉い方が誰も居ないというのは噂だったことが判った。

 午後に入って集結完了するや、兵士の所持する銃弾は全部返納せよとの伝達があった。

 午後三時頃、ソ連軍兵士が銃を持ち、兵器敞柵外を巡回し始めた。

 夕方、我々は手入らずの捕虜とされ、国旗掲揚塔から日の丸の旗が降ろされるのを固唾を飲んで見守る。

 日本は負けた。


 君が代のラッパの音も、これが最后だった。




   国敗れ日の丸の旗しずかにも

         綱引き下ろす夕日影さす


   君が代のラッパはこれが身おさめの

         暗き思いで歴史ふりむく

            ───抑留讃歌より───




 次の日の午前中、全部隊の武装解除が行われ身軽になったせいか、身体の中が何もかも抜け去った感じがした。

 ふと思い出したように祖国に思いを馳せていると、充分持ってきたつもりの煙草までもが乏しくなっていることに気付く。

 終戦と決まった八月十五日から一週間目、兵器敞へ持ち込んだ食料は全く尽き果てた。

 そこで我々は兵器敞内の器具、器物等を兵器敞を張り巡らす金網の柵越しに満人を呼び、物交し食料を得なければならなかった。

 しかしこの物交も、ソ連兵の巡回が激しくなり容易ではなくなってきた。

 輜重隊の放馬された馬が痩せ衰え、人恋しさに兵器敞の柵へ寄り来る。我々はこれに目を付け、生きる手段として食うことに決めた。

 さて、いざとなると愛情が絡んで容易なことではなかった。

 明けても暮れても馬肉のみの食事が続き、たまらなくなり、ソ連兵が巡回する目をかすめ、とっておきの高価な物でも二足三文の物交を始めた。

 つい最近まで満人達を蔑んでいた我々との立場が逆になってしまった。

 やっと手に入れた煙草の吸い回しも、落ちる処へ落ちた者のみが味わう苦い経験であった。

 いつの間にか心の通じ合う満人も出来、チチハル近郊の在留邦人等の安否を聞かせてくれる人もいた。

 その中で聞き捨てならぬ事もあった。

 終戦と同時に、軍関係者、憲兵、官僚等の偉い方々とその家族は、いち早く南満を目指して去ったと言う。

 これ等の事を考え見たら、我々を一定の地に集め置き、手入らずにソ連軍に渡した裏が判った。

 そういう人達の腹の底を見抜いたとき、口惜しさで胸が高ぶった。


 八月末、チチハル軍司令、土屋閣下 来る。

 依って、全軍は兵器敞内の広場へ召集され整列する。

「諸氏はこれから、ソ連軍の鉄道工事援助の目的で北満州へ向かう。但し、三ヶ月で目的達成に至ったら直に帰国させる条件を付ける」

ということであった。

 三ヶ月の辛抱なら、と甘い考えで条件を呑んだ我々が、ソ連へ引かれ、死への限界に及ぶ運命にさらされるとは知る由も無かった。

 若しこの時、軍の統制を解いていたら兵は皆、どうなろうが内地を目指して逃走していただろう。

 その責めを偉い方々のみで負ったなら、それらの人々のみで或いは済んだかもしれないと思えた。

 我々を監視するソ連兵が、余りに厳重すぎるのはどうした事かと、いささか気懸かりもしたが、我工兵部隊は先発として北満へ向かう事になった。


 九月始めとはいえ、暑さでばたばた倒れる。ソ連兵の厳しい監視の為、我々は倒れた者を見過ごしにして行かねばならなかった。

 三日目、メントカ駅へ到着するや、待って居たとばかりに貨車へ詰めし込まれた。

 ハイラルも過ぎマンチリも過ぎると、鉄道沿線には日本兵と見られる素っ裸の屍がごろごろと散乱していた。

 駅という駅のレンガが崩れ落ち、火薬の匂いがし、くすぶるように煙が立っていた。形の無い駅々には、野砲の薬莢と見られるものが山と積まれてあった。

 我々がフラルギで激戦の情報を受けたのは此処だったのかと思うと、只々無残の一言に盡きるものではなかった。

 溜息をつく間もなく、前方には黒竜江の鉄橋が見えてくる。

 ソ連軍の鉄道工事援助の目的地は満州領内と聞いていた私達は、この時それが全くの偽りであることが判った。

 事、此処に及んでは三ヶ月や半年では、とても帰れはしないと判りに判った。

 見張るソ連兵は、貨車前方後方から威嚇射撃を怠らない。

 貨車が鉄橋へ差し掛かると対岸の戦車用鉄条網が見えてきた。延々と続く防備には驚くより他ない。

 だのに対岸の満州領は無防備だった。


 鉄橋を渡りきればソ連領である。

 我々を乗せた貨車は、停車する事を忘れたかのようにソ連領を走り続ける。



   ハイラル路丈夫引かれ何処へ行く

          野の草花は夏も峠の

             ───抑留讃歌より───





  丈夫・・・健康な男 、 立派な男 、などを指す言葉。



挿絵(By みてみん)


 メントカ・・・免渡河。チチハルの北西の駅。駐屯地があった。

      現代の普通列車でチチハルから10時間半ほどかかるようです。

       ここからマンチリまでは更に五時間半ほど。

      (浜洲線・免渡河経由の列車情報-列車【電車】時刻表を参考に

      させていただきました)


 ハイラル・・・海拉爾 、海拉尓。中華人民共和国内モンゴル自治区フル    

        ンボイル市に位置する市轄区。北にはハイラル河。

         終戦まで日本陸軍の関東軍によって建設されたハイラ   

        ル要塞があった。


 マンチリ・・・満州里。ハイラルから北西にあるロシアとの国境に位置する。

         

 チチハルから貨車に乗せられたメントカ駅まで普通列車で10時間半かかるようですが、夏の終わりに三日もかけてその距離を歩かされたのかと思うと・・・。


 武装解除が行われた際、ソ連軍による日本人狩りや、略奪、強姦などで民間人にも多数の犠牲者がでたそうです。

 終戦と同時に逃げ出した偉い方々は、憲兵隊に守られて私財を積んだ特別列車で満州南部へ避難したといいます。

残っていた司令官達は切り捨てられたのだろうね、と旦那さんと話しています。

 叶うなら、逃げ出した上層部の人間をひっぱたいてやりたい。

 今の私の素直な気持ちです。

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