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友は待っている  作者: 秋やん with かのんべびー
2/8

最后のラッパ その一

 

挿絵(By みてみん)



      梗概



 この物語は終戦に依り、ソ連復興の為シベリア抑留となった一兵士の苦闘談である。

 

 我が班員は、兵士といっても終戦直前に満州開拓団員の大召集で集められ、一ヶ月あまりの訓練を受けたばかりの俄か作りの兵士達である。

 年齢は四十歳から四十五歳までの、子供を二人三人持つ者ばかりだった。

 この初年兵と一緒にソ連へ引かれ行ったが、班長は病弱で間もなく死亡し、初年兵教育助手だった私はこの初年兵を抱え、零下五十度の極寒期をどう越冬出来るかで苦労した。

 勿論、軍階級はもぎ取られ個人対個人の立場にはあったが、初年兵教育の任務から逃げ去る気持ちにはとてもなれなかった。

 しかし自殺しようと何回か思ったこともあった。

 このとき私は三十二歳だったが、私の少年時代は貧しく惨めな生活であっただけに初年兵達の子等の不憫さが先に立ち塞がり、とうとう死ねなかった。


 ソ連の夏は日本内地と気候は同じだが、九月始めから六月中旬頃までは夕方になると気温の急降下で体調に変化が起こる。

 収容所での作業は土木、建築、工場関係の仕事、森林伐採等、その他様々なことをさせられたが、ソ連の老婆婦人らの思いやり恵みを受け、神様のように思えた嬉しさは忘れはしない。


 そうして二年間を過ごした中で、初年兵三十二名中十二名に死なれた。その半数の六名が死の間際に「おかあさん」と叫んで逝った。

 帰国の際に手記や友の遺髪等は全部取り上げられたが、友の最期の「おかあさん」の言葉だけは祖国へのただ一つの土産であった。


 復員して五十年になり物資に富んで豊かになった今日、テレビや新聞で見る限り、人は人、我は我に生きる時代に至ったようだが、時々抑留中や復員当時の隣組の助け合いを思い出し、何か淋しい思いにおそわれて悲しむことがある。

 だがあのおかあさんの母性愛本能だけは変わってほしくない。



       ◆


    最后のラッパ



 敗戦の色も濃くなってきた昭和二十年八月上旬、北満のノンジャンで陣地構築隊、物資輸送任務中の一兵士であった私は、各中隊から選抜された二十三名中の一人として某地派遣を突然命ぜられると、これも命ぜられた若い少尉の指揮で深夜、秘かにノンジャンを出発した。


 行き先不明の汽車は、暗闇の中を走る。

 南へ向かっているのだから、ソ連国境最前線へ向かうのではない事だけは判った。

 満員の車内で満州人達の吐く大蒜臭い息と蒸し暑さとで、今にも吐きそうになるのに耐えて二時間。

 汽車は大きな駅へ止まった。

 ようやく下車の命令が出て、ほっとした思いでホームに降り、周囲を見廻すと、「チチハル」と書いてあるのが目に映った。

 我々は休む間も与えられずに全員整列させられ、そのまま某地へ向かった。

 背中も衿下も軍靴の中も汗まみれになるほど歩かされて、ようやく目的地らしいチチハル歩兵部隊の営門をくぐった。

 営内は各地から應召された人達で、ごった返しの有様であったが自由が許されていたので人々は飲めや歌えで、部隊編成はどうしたのか一向に始まる様子もなく、誰が兵士やら下士官やらも判らぬ状態で何の命令も無いまま三日間過ごした。


 四日目の朝、朝鮮人全部と下士官の一部が召集解除となる。私はこの時、はてなと何かを感じた。

 五日目に入り班の編成が成り、軍隊らしい落ち着きを取り戻したのは午後遅くだった。

 長谷川部隊、第三中隊、三小隊三班の教育助手というのが私の新たな任務であった。

 国民皆兵で在郷軍人会、青年団等で地方教育を受けていたので、初年兵初歩の教育は非常に楽であった。


 八月十二日、部隊は教育の目的でチチハルから二十キロもあるフラルギへ行軍した。

 演習地はフラルギの町から更に西へ四十キロ行った、元工兵一九四○部隊が居た空兵舎だった。

 この一九四○部隊やハルピンの二三一一部隊が内地へ行き、広島で船団を組み南方へ向かう途中、台湾沖で爆沈され全滅したという情報を耳にしたのは去年のことだった。(※1)


 兵舎は草に埋まり、舎内は蜘蛛の巣と埃とで手のつけようのない位だったが、それでもどうにか片付き、掃除が済んだのは午後五時過ぎであった。

 初年兵全員を連れ、被服庫へ毛布受領に向かう途中、

「ソ軍越境百キロに迫り、我が守備隊と激戦中。部隊は直ちにチチハルへ退却すべし」

という急報を受けた。

 この報に接した将校達のうろたえ様は見るに余るものがあった。兵は如何なる場合に於いても剛胆にして沈着などと指導するのも恥ずかしい限りに思えた。

 夕食どころではなく、荷物をまとめさせ小隊の指揮下に入り隊伍を作った。他隊では無統率のままで営門を飛び出す者もおり、普段五分間で出来る部隊列が二十分以上もかかった。


 一直線の軍用道路だけに、部隊先頭がフラルギの町に入るのが見える。

 折りしも後方から来たソ軍機に爆弾三発をお見舞いされたが、部隊に損害はなかった。

 フラルギ駅からチチハルへの退却も、駅には人影もなく部隊輸送は絶望的となった。

 部隊はやむなく、鉄道線路沿いにコウコウケイへと向かった。

 日露戦争時に、沖と横川が鉄橋爆破の任務果たせず捕らえられた、曰くつきの鉄橋を渡りかけたのは足元が僅かにしか見えない夕闇の迫った頃であった。(※2)

 



 ※1・・・台湾沖航空戦。

          1944年(昭和19年)10月12日─10月16日。


   

 ※2・・・日露戦争。

    1904年(明治37年)2月8日─1905年(明治38年 年)9月5日。

         朝鮮半島と満州南部が戦場となった大日本帝国とロシア

         帝国の戦争。アメリカの仲介でポーツマス条約により講和。  

          

  沖と横川・・・沖禎介 (元教師)、横川省三(元記者)。特別任務班に志

         願し、ロシア軍の補給路を絶つため東清鉄道フラルギー

         駅付近の鉄道爆破に従事したがロシア兵に発見されハル

         ピン効外で銃殺された。

           『二百三高地』という映画にもなっているそうです。


挿絵(By みてみん)


 ノンジャン・・・嫩江 。黒竜江の支流付近、ノン江という河があるそうです。


 チチハル・・・斉斉哈爾、 斉斉哈尓 。中華人民共和国黒竜江省。ノン

         ジャンの南方。


 フラルギ・・・富拉爾基、 富拉尓基。チチハルの南西に位置する。関東

         軍化学部練習隊、瓦斯第三大隊 の駐屯地があった。

         これらの部隊では毒ガスによる人体実験が行われていたこ

         とが判明している。


 コウコウケイ・・・昂昂渓。現在のチチハル市 昂昂渓 区。フラルギから

           東に位置している。


 ハルピン・・・哈爾浜市、哈尓浜市。中華人民共和国、黒竜江省。

 祖父の命日に無事、投稿でき一安心しています。

冒頭にあります写真は、当時の満州から日本の祖母の元に送られてきた祖父からの軍事郵便葉書です。56枚もありました。

 残念ながら祖母から送った葉書は、捕虜となった時に全て取り上げられたようで残っていません。

 内容の殆どは親族の安否を気遣う言葉と、満州での生活の様子を伝える言葉でしたが、なにより祖母へのラブレターが多かったです。(笑)

 結婚して僅か8ヶ月で召集され、そのままシベリアへ送られてしまったのですから、どれほど辛かったことでしょう。

 祖母のために書いた「張り切り漫画」は届いた葉書を束ねていけば、自分が帰国した頃には大作になっているだろう、と祖父が張り切った漫画です。

 少しでも安心させたかったのだと思います。

 この頃の祖父も、私の知っている祖父と全く変わらず優しい人だったのだと分厚い葉書の束から伝わってきました。


 最後の部分に簡単ではありますが、地名や歴史の背景などを補足してみました。駅や町の名前は現在でも変わっていないようです。


 それにしても何十kmも徒歩で移動していたのには驚きました。夏の暑さは日本ほど湿度はないといっても、気温は同じくらいあるそうです。

 水筒などの備品や銃も抱えていたでしょうし、現代人なら移動するだけでグッタリしてしまいそうです。

 

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