第四回 聖女の休息、ホワイトな新天地
かつて権威と腐敗の象徴だった大聖堂から数ブロック先。
王都の一等地に、全面を硬化魔法ガラスで覆ったスタイリッシュなオフィスビルがそびえ立っている。
入り口のプレートには、金文字でこう刻まれている。
『株式会社ホワイト救済ギルド・本店』
午前九時、定刻。
エリアは自動ドアをくぐり、清潔感あふれる受付を通り過ぎる。
もはや彼女は、重苦しい法衣に身を包む必要はない。機能性を追求した最高級のシルクブラウスに、動きやすいタイトスカート。そして胸元には、役職を示す「代表取締役聖女」のバッジが輝いている。
「おはようございます、エリア代表。本日のスケジュールです。午前中は魔王軍との業務提携に関する最終確認、午後は隣国の国王との救済サブスクリプション契約の調印式となっております」
デスクで彼女を迎えたのは、かつての騎士団長レオンだった。
彼は無駄に重かった鎧を脱ぎ捨て、身体にフィットした高級スーツを着こなしている。
「レオンさん、昨日の残業時間は?」
「ゼロです。エリア代表の構築した『自動迎撃・治癒ボット』が完璧に稼働しているため、騎士たちの仕事はパトロールと、市民へのアプリ操作説明だけになりました」
「素晴らしいわ。労働力の最適化こそ、平和への最短距離です」
エリアは自室の椅子に深く腰掛け、淹れたての「聖水抽出コーヒー」を一口含んだ。
その時、部屋の空気が一変した。
まばゆい黄金の光が降り注ぎ、空間が歪む。
現れたのは、この世界の創造主である「神」その人だった。
だが、その姿は威厳に満ちた老人ではなく、アロハシャツを着てサングラスをかけた、やけにリラックスした青年の姿をしている。
「やあエリア! 今日も効率的に回してるね!」
これが一回目の会話ミッション、神とのワークライフバランス談義である。
「お久しぶりです、神様。お供え物の『高級マンゴー』のデリバリーは届きましたか?」
「届いた届いた! いやあ、助かるよ。以前の教会みたいに、何時間も跪いて『あー神様、神様ー』って呪文みたいに唱えられるより、君みたいにキャッシュでパッと供え物を送ってくれる方が、僕としても通知がうるさくなくていい。正直、二十四時間年中無休の祈りとか、僕に対するブラック労働だと思ってたんだよね」
「ご理解いただけて幸いです。信仰とは、神様への負担ではなく、神様と人間の双方が得をする『互助契約』であるべきですから。本日、神様を弊社のアドバイザーに任命した理由もそこにあります。神様も、週休三日くらいは取ってください」
「最高だね! これからは僕も定時で天界へ帰ることにするよ。あ、ちなみに魔王も君のコンサルを受けてから『侵略より貿易の方が儲かる』って気づいて、今は魔界で温泉リゾートの開発に夢中らしいよ」
神は満足げに、マンゴーの味を思い出しながら光の中へ消えていった。
エリアが次に視線を向けたのは、オフィスの隅にある「再教育ルーム」のモニターだ。
そこには、かつての大司教ゴルマスの姿があった。
彼は今、エリアが開発した「魔法演算表」へのデータ入力作業に追われている。
「ひ、ひいぃ……この『関数』というのが全く覚えられん……! 昔のように適当な予言を吐いて、民から金を巻き上げていた頃が懐かしい……!」
「ゴルマスさん、私語は厳禁です」
エリアがスピーカー越しに冷たく告げる。
「貴方がこれまで搾取してきた労働時間の総和を、社会貢献という形で返済していただくまで、退職は認められません。ただし、ホワイト企業ですので、休憩時間は一時間きっちり取っていただきますし、有給休暇も法定通り付与します。……まあ、貴方に使いこなせればの話ですが」
旧体制の残党たちは、エリアが構築した「正論と効率」という名の監獄の中で、必死に現代的な業務を学んでいた。
彼らにとって、これほど苦痛で、かつ健全な罰はない。
昼休み。エリアがテラスでティータイムを楽しんでいると、レオンが少しだけはにかみながら近づいてきた。
これが二回目の会話ミッション、騎士団長との休日出勤の是非だ。
「あの、エリア代表。……今度の日曜日ですが、もしよろしければ……」
「日曜日? 私のカレンダーでは、完全オフのフラグが立っていますが」
「はい、承知しております。ですから、その……仕事ではなく、プライベートとして、例の『深海魚の解体ショー・プレミアム』のチケットを手に入れたのですが、ご一緒いただけないかと」
「……レオンさん。それは私に対する『休日出勤の強要』、あるいは『不適切な接待』に当たるとは思いませんか?」
「い、いえ! 決してそんなつもりは! ただの、その、友人としての……」
「……冗談です。その提案は、私の『幸福度向上プロトコル』に合致しています。承認しましょう。ただし、現地集合・現地解散を原則とします。通勤時間の短縮は基本ですからね」
レオンはパッと顔を輝かせ、深々と一礼した。
やがて、時刻は十七時五十九分。
エリアは鞄を手に取り、オフィスの窓から沈みゆく夕日を眺めた。
以前の彼女にとって、夕焼けは「終わりなき残業へのカウントダウン」でしかなかった。
だが今は違う。
このオレンジ色の輝きは、自分自身のための時間が始まる、祝福のライトアップだ。
エリアはふと、窓の外を歩く人々に、そして空の向こう側にいるかもしれない誰かに向けて、微笑んだ。
これが三回目の会話ミッション、メタ的メッセージである。
「世界を救うのは、自己犠牲ではありません。自分を救えない人間に、他人を救う権利などないのです」
彼女は独り言のように、しかし確信を持って呟いた。
「皆様。救済はシステム化されました。平和はルーチンワークになりました。ですから、もう無理をする必要はありません。義務感で心を削る暇があるなら、その時間を一杯の美味しいお茶のために使ってください」
エリアはカメラ……あるいは、運命の視線を見つめるように言葉を継いだ。
「さあ、私の仕事はここまでです。……明日も、定時で帰りましょう」
カチリ、と。
エリアがオフィスの照明を落とし、魔法のカードで退勤ログを記録する。
彼女がビルを出ると、街は活気に満ち、人々はそれぞれの「定時後の生活」を楽しんでいた。
聖女がいなくても、いや、聖女がシステム化したからこそ、世界は勝手に幸せになっていく。
エリアは軽やかな足取りで、夕焼けの街へと踏み出した。
一人の人間として、一人の女性として、心から休息を楽しむために。
――ピコン。
その時、彼女の懐にある魔法端末が、一通の通知を知らせた。
エリアは一瞬、眉をひそめたが、それが「業務緊急連絡」ではないことを確認して、口角を上げた。
『エピローグ:隣国の聖女より相談メール』
『件名:助けてください。うちの教会、週休ゼロ日で祈祷二十時間、福利厚生が「パン一切れ」なんです……。これって、普通じゃないんでしょうか?』
エリアは歩きながら、素早い手つきで返信を入力する。
『宛先:ブラック隣国の聖女様。
本文:おめでとうございます。貴女は今日、自分の権利に気づきました。まずはその教皇の顔面に、退職願という名の物理魔法を叩きつけることから始めましょう。……具体的な「効率的崩壊手順」については、明日の午前九時にカウンセリングの予約をお取りします。本日は定時ですので、これにて失礼いたします。』
送信ボタンを押し、エリアは端末の電源をオフにした。
空には一番星が輝き始めている。
聖女エリアの伝説は、ここで一旦幕を閉じる。
だが、彼女が始めた「ホワイトな革命」は、今この瞬間も、どこかのブラックな組織を静かに、かつ確実に破壊し続けているのだ。




