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SF大相撲三部作『土俵は、空の向こうにある』

作者: 明石竜
掲載日:2026/02/21

 その夜、街の上空には巨大な惑星が浮かんでいた。

 紫と桃色が混じり合った雲をまとい、幾重にも重なる光の輪がゆっくりと回転している。まるで天そのものが円を描き、見えない土俵を作っているかのようだった。


 ネオンが雨上がりのアスファルトに映り、街はいつもより少しだけ騒がしい。

 今日は特別な夜――惑星環の最接近日であり、同時に「最後の大相撲興行」が行われた日でもあった。


「……あれ、ほんとに毎回見ても慣れないな」


 交差点の真ん中で、俺は立ち止まって空を見上げた。

 黒い礼服の襟元が、まだ少しだけ土の匂いを残している気がした。


「大きいね。でも、きれい」


 隣に立つミオが、背中の小さな羽根を軽く揺らしながら言った。

 ピンク色の髪はネオンに染まり、現実と幻想の境目みたいに見える。


 俺は元・力士だ。

 さっきまで、いや、つい数時間前まで、土俵の上にいた。


 重力制御技術が当たり前になり、人々は空を飛び、惑星間スポーツに熱狂するようになった。この街に残った伝統競技は、どれも観客が減り、相撲も例外じゃなかった。


「重たい」「古い」「宇宙時代に合わない」

 そんな言葉を、何度も聞いた。


 それでも俺は、土俵に上がり続けた。

 理由は単純だった。

 踏み出した一歩の重さを、ちゃんと感じられる場所が、そこにしかなかったからだ。


「引退式、どうだった?」


 ミオが前を向いたまま聞いてくる。


「静かだったよ。拍手も少なかった」

「でもね」

 俺は少し間を置いた。

「行司の声と、土俵を踏みしめる音だけは、昔と同じだった」


 立合い前の、あの一瞬。

 呼吸が止まり、世界が円の中に凝縮される感覚。

 勝ちも負けも、その中にすべてがある。


 赤信号が俺たちを足止めした。

 バスのヘッドライトがこちらに向かってくる。


「怖くなかった?」

 ミオが聞いた。


「正直に言うと、怖かった」


 勝っても、負けても、終わる。

 取り直しはない。

 それは、どんな大一番よりも重かった。


 ミオは少し考えるように空を見上げ、惑星の輪を指さした。


「でもさ、あんなに大きな星があっても。あなたがいた場所は、あれより小さくて、ずっと濃かったんでしょ」


 俺は驚いて、彼女を見た。


「土俵って、円だよね。閉じてるけど、逃げ場がなくて、だから正直になれる」


 まるで、昔の親方みたいなことを言う。


「……だった、って言いたいところだけどな」


「今もだよ」

 ミオはきっぱり言った。

「あなたの中にあるなら、まだ終わってない」


 信号が青に変わる。


 俺たちは同時に一歩を踏み出した。

 その瞬間、ふと、立合いの感覚がよみがえった。


 前に出る。

 ただ、それだけ。


 惑星はゆっくりと回り、街のネオンは瞬き続ける。

 土俵はもうない。

 けれど、俺の背筋は自然と伸びていた。


 勝つことより、立つこと。

 押し出すことより、耐えること。


 それを教えてくれた場所は、確かにここにあった。


 夜の交差点を渡りきるころ、俺は少しだけ胸を張った。

 空の向こうにある土俵に、礼をするように。

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