雪を溶かす体温──戦鬼の渇望の果てに
吹き付ける雪と硝煙の中、俺の十年間は過ぎていった。
配属された独立小隊は、死を待つばかりの荒くれ者の集まり。
俺は誰よりも泥にまみれ、誰よりも遅くまで剣を研ぐことで、当初「公爵家の次男坊が」と嘲笑していた者たちの信頼を勝ち取っていった。
「なあ、ランカスター。……あんたの惚れた女王は、俺たちを使い潰すつもりらしいぜ」
焚き火を囲む仲間が、届かぬ補給と過酷な指令に、彼女を呪う言葉を吐く。
「冷酷な女王」
王が退位し、彼女が新たな女王として即位した、初めての冬のことだった。
その呼び名を聞くたび、俺の胸の奥では、あの日の演説で見た彼女の美しい翡翠色の瞳が静かに瞬いた。
誰も、あの瞳に宿っていた覚悟を知らない。
彼女が自分を殺してまで、この国を背負おうとしていることを。
「……女王陛下は、俺たちにこの国を預けているんだ。俺たちがここで足を止めれば、守るべき子どもたちの笑顔が消える。そうだろう?」
俺は静かにそう返し、再び剣を取った。
遠い王都、彼女の隣に立つ者は、まだいない。
その事実は、戦場を駆ける俺にとって唯一の、そして最強の糧となった。
いつか、誰もが納得する実力を持って、今度こそ正当な手続きで、彼女の隣を勝ち取る。
その一念がいつしか小隊を超え、国境守る全軍の指揮を任されるまでになった。
長い戦いに淡い光が差し始めたころ。
泥濘の陣所に、王家の封蝋が施された一通の書簡が届いた。
封を切ると中には俺を「王国軍務卿」に任ずる文面と、女王の印章。
「……っ、」
指先が熱くなる。
出世を望んだわけではない。
覚悟を決めて走り続けている彼女のその目に、俺の名が触れたことが、たまらなく嬉しかった。
会いたいと思った。
その瞳に、俺の姿を映して欲しい。そう思った。
「……終わらせるぞ。」
俺はその書簡を胸当ての裏へ仕舞い込んだ。
──そして、戦争はガレリアの降伏により終わりを迎える。
軍の宴への参加を断り、俺が馬を飛ばして向かったのは王宮ではなく、ランカスター公爵邸だ。
かつて父が座っていた主の椅子には、いまや公爵位を継いだ兄が座り、執務机に向かっている。
出迎えた兄は、俺の軍服の汚れを見て苦笑した。
その手には、既に整えられた先王への取り次ぎ書。
十年前の推薦状と同様、何も言わずに取り計らってくれる兄に、深く頭を下げる。
「父上は、奥の離れだよ。」
兄の短い言葉に頷き、俺は隠居した父が待つ離れへと向かった。
父の前に立ち、真っ直ぐにその目を見据えた。
「……許可を。一人の騎士として、女王陛下にプロポーズをする許可をいただきたい」
父は俺の顔に刻まれた傷に視線を移すと、やがて短く「……行け。先王の許可は……とうに取っている」と言った。
慌てて踵を返す俺の後ろ姿に、
「おい!馬鹿もの、その格好で行くつもりか?」
と声が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。
夜の王宮を、足音を殺して駆ける。
十年。
すべてはこの扉の前に立つためだったように思う。
あの夜、無様に拒絶された扉。
精緻な彫刻の彩りが、わずかに剥がれ落ちている。
指先が微かに震える。
深呼吸をし、かつてお荷物だった少年を心の奥へ押し込めた。
「入っても……?」
低い、落ち着いた声が出るように、喉の震えを必死で抑える。
「ランカスター、閣下?」
戸惑う声ののち、扉が開いた。
翡翠の瞳が、驚きに揺れる。
十年ぶりの、リーゼロッテ。
その顔を見た瞬間、十年の月日が消し飛び、あの日木の下で雪まみれになって笑った時間が戻ってきたような錯覚に陥る。
落ち着け。まだだめだ。
十年前の二の舞になってたまるかと、そのはやる気持ちを押し殺す。
俺は最上位の臣下の礼をとり、片膝を突く。
かつては捨てたはずの地位と名誉だったが、今はそのすべてを使ってでも彼女との時間が欲しい。
声は震えていなかっただろうか。
彼女の瞳に映る俺の姿は、果たして。
夜の中庭を二人で歩きながら、彼女が俺の十年を「立派になって」と慈しむように言った。
至らない女王だと自分を責める彼女の言葉を聞きながら、俺は胸の奥が焼けるような愛しさに支配されていた。
違う。至らないところなどあるわけがない。
その気高さに相応しい男になりたくて、ただ焦がれて、俺は……。俺が自分で──
「私が、選びました」
遮るような俺の声に、彼女が目を見張る。
「この十年。あなたの隣に立つ資格を得るために、
おのれの目で見て、手で掴み、選んできました。
あの日立てなかった、あなたの隣に立つために」
これを義務だと思っているのなら、彼女は相当に鈍感だ。
俺は自嘲気味に笑い、もう一度彼女の前に跪いた。
今度は臣下としてではない。ただ一人の、彼女を愛する男として。
「どうか、私にご慈悲を。この十年、あなたの隣だけを乞うてきた、愚かな私にあなたのご慈悲を」
手入れをしていない俺の髪に、ふいに彼女の指先が触れた。
見上げた彼女の瞳が涙に濡れていく。
「……許します。許すわ、クラウ。……ほんとうは、ずっと、待っていたの」
彼女からそう呼ばれた刹那、張り詰めていたが理性が、音を立てて崩れ去った。
気づけば、俺は彼女を強く、その腕の中に引き寄せていた。
冷えた軍服越しに、彼女の熱い体温。
ようやく、捕まえることができた。
ようやく、辿り着いた。
俺のリーゼ。
十年前、震える声で乞うたあの言葉。
今は、確かな熱量を持って囁く。
「あー、その、そろそろ冷えてきたんだ。リーゼ、部屋に入れて温めてくれないか?」
その大きな翡翠の瞳を丸くした後、はにかむように彼女が頷く。
「君の部屋にやっと入れる」
呟いたその声は、自分でも驚くほど甘い。
頬を赤らめるリーゼが堪らなく愛おしくて、寝室の扉を後ろ手で急いで閉めた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
十年の再会を、最後まで見届けてくださって感謝いたします。
二人の物語がようやく一つの節目を迎えました。
次回からはこの十年を別の角度から補完するため、他のキャラクターの視点を入れてみたいと考えています。
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